第106話 密使ミラの見たハーグ
『アヴァロン帝国暦2年 11月下旬 北方の都市ハーグ 大通り 昼 小雪』
【ランベール王国の密使ミラ視点】
帝都フェルグラントを後にした私、ランベール王国の密使ミラは、長く厳しい道のりを経て、ついに北方の都市ハーグへと足を踏み入れた。
十一月も下旬となり、北国の寒さは容赦なく私の体を打ち据える。鉛色の空からは、チラチラと冷たい小雪が舞い落ちていた。
吐く息を白く染めながら、私は大通りを馬で進む。
(まずは、食事と情報収集だな。だが知らない街でいきなり酒場に入るのもな……)
荒くれ者が集まるような安酒場で、女性一人で目立つのは得策ではない。
私は考えを巡らせた結果、ひとまずこの街の自治領主である、ヴァルデマール将軍の居城へと向かうことにした。
強固な石造りの城門にたどり着き、私はランベール王国の使者であることを告げて、衛兵と交渉を重ねた。
結果として、ヴァルデマール卿との面会の約束を取り付けることができたのは、一か月後のことだった。
(まあ、こんなものか。北の要衝を任される自治領主ともなれば、面会希望者は多いだろうしな)
内心でそう納得し、踵を返そうとした時だった。
門番を務めていた屈強な衛兵が、ふと声をかけてきた。
「使者ミラ殿。女性騎士とお見受けする」
「そうだが?」
私が警戒して振り返ると、衛兵は真面目な顔のまま言葉を続けた。
「『白熊のねぐら』という宿屋がある。ヴァルデマール様の経営されている宿だ。あそこなら、客人に変なことはしないだろう」
どうやら、見知らぬ土地を訪れた異国の使者に、安全な宿を教えてくれているらしい。
北方の兵士といえば血に飢えた野蛮な連中かと思っていたが、この街の兵は随分と規律正しく、親切なようだ。
「助かる」
「案内させよう」
衛兵の言葉に従い、私は彼の手配した案内の兵と共に、城を下りて宿へと向かうことになった。
◇◆◇
案内された先は、大通りから少し入った場所にある、立派な構えの建物だった。
軒先に掲げられた『白熊のねぐら亭』という大きな看板には、武骨な宿の名前に反して、可愛らしい子熊の絵が描かれている。
ギイッ、と重厚な木の扉を開ける。
その瞬間、ムワッと熱気が押し寄せてきた。
冷え切った空気に慣れていた鼻腔を、芳醇なエールの香りと、脂の乗った肉が焼ける香ばしい匂いがくすぐる。
(これは、豚肉だろうか?)
どうやら、一階部分は広々とした食事処兼酒場になっているようだった。
昼間から、多くの商人や兵士たちがジョッキを片手に談笑しており、外の寒さを忘れるほどの活気に満ちている。
私は、空いていたカウンター席に腰を下ろすと、懐から銀貨を一枚取り出し、テーブルに置いた。
そして、近くを通りかかった愛嬌のある給仕の娘さんに声をかける。
「お客さん、前払いで、しかも銀貨だなんて気前がいいね!」
給仕の娘は、目を丸くした後、明るい声で笑って銀貨を受け取った。
「名物料理を頼むよ。あと、面白い話があったら聞かせてよ」
「う~ん、それなら、もうすぐハーグにビョルン王が来られるって話だね!」
「ビョルン? 何ものだい?」
聞き慣れない名前に、私は思わず眉をひそめた。
「北方の王さ! なんでも、ヴァルデマール将軍が、アヴァロン帝国のワインを手に入れたから、ふるまうって話さ!」
「へえ……」
私は相槌を打ちながら、素早く思考を回転させた。
北方の王、ビョルン。そんな有力者が、わざわざヴァルデマール将軍の元を訪れるというのか。ハーグは北方の自治都市だ。北方の王が訪れるのは不思議ではない。ひょっとすると、ヴァルデマールとビョルンが、強固な繋がりを築こうとしているのかも知れない。
(これは一か月後の面会が楽しみになってきたね)
ランベール王国にとって、これは極めて重要な情報になるはずだ。
ただの足止めだと思っていた一か月の滞在が、俄然、意味のあるものに思えてきた。
「お待たせしました! うちの名物、厚切り豚の香草焼きと、エールだよ!」
ドンッ、とカウンターに置かれたのは、湯気を立てる分厚い肉と、なみなみと注がれた木製のジョッキだった。
私はエールを喉に流し込み、こんがりと焼けた豚肉をフォークでつまんで口に運ぶ。
肉汁の旨味が口いっぱいに広がり、冷えた体が芯から温まっていくのがわかった。
ふと窓に目を向ける。
外は相変わらずの雪模様だったが、暖かな酒場から見るその景色は、やけにキラキラと輝いて見えた。
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