第104話 密使ミラの見たフェルグラント
『アヴァロン帝国暦2年 11月中旬 帝都フェルグラント 大通り 昼 晴れ』
【ランベール王国の密使ミラ視点】
私、ランベール王国の密使ミラは、灰色の外套を目深に被り、アヴァロン帝国の首都、フェルグラントの大通りを歩いていた。
急激に領土を拡大し、我がランベール王国をも飲み込まんとする巨大な帝国。その心臓部がいかなるものか。ハーグへ行くついでに敵情視察だ。
だが、私の目に飛び込んできた光景は、想像をはるかに超えるものだった。
大通りのいたるところで商人たちが露店や店舗を構え、道行く人々は皆、血色が良い。街全体が、弾けるような活気に満ち溢れている。
(なんて豊かさだ……。我が国の王都ヴァルデンよりも、ずっと人が多い)
特に印象的なのは、あちこちにうずたかく積まれた麻袋の山だ。中身は北方から輸入された、あるいは豊作で穫れた大量の麦だろう。
威勢の良い掛け声と共に、荷馬車から次々と麦の袋が運び出されていく。
さらには、真新しい看板を掲げた薬屋の姿もある。店先には、鎮痛剤や傷薬を求める兵士や職人たちが列をなし、飛ぶように売れていた。つい数年前まで戦乱の只中にあった都市とは、到底思えない。
十一月も中旬となると、帝都には冬の足音を感じさせる、かなり冷たい風が吹き始める。
冷え切った手を外套のポケットに突っ込みながら歩いていると、ふと、大通りの一角で人々が足を止めている露店があるのに気がついた。
そこからは、真っ白な湯気と共に、ふわりと甘い香りが漂ってきている。
「ホットミルクだよ~! 砂糖のたっぷり入った美味しいミルクだよ~! さあさあ、買いたい人は並んだ並んだ!」
威勢の良い客引きの声が、広場に響く。
見れば、露店の前には、かなりの長さの列ができあがっていた。
客たちは皆、慣れた様子で列に並んでいる。
「おっ、今日も一杯もらおうか」
「まいどあり~!」
(ふむ、敵情視察も任務のうちか……)
私は、好奇心と探求心に背中を押され、自然な足取りで列の最後尾に並んだ。
ホットミルクは、小さな子どもを連れた母親から、仕事合間の屈強な傭兵まで、老若男女を問わず人気があるようだ。
列が進むにつれ、その手際の良い商売の仕組みが見えてきた。
客たちは慣れた様子で、銅貨を店主に渡す。その場で注がれたホットミルクを手に取って飲み、飲んだ後の木のカップが、店主の横にどんどん積まれていくのだ。
そして、ついに私の番が来た。
「ヘイ、旅の方ですね。一杯銅貨一枚です!」
「ほう、安いな」
私は驚きを隠しつつ、懐から銅貨を取り出して手渡した。
実際、異常なほど安かった。貴重な砂糖が入っているなら、銀貨をとられてもおかしくはない。
まあ、きっと、味もそれなりなんだろう……。
私は、受け取った木のカップから立ち上る湯気を眺め、そう高をくくって口をつけた。
「…………!」
(な、なんだ、この甘さとコクは!)
私の予想は、見事に裏切られた。
ミルクは水で薄めすぎておらず、舌にまとわりつくほど濃い。そして何より、たっぷりと砂糖が入っている。
強烈な甘さと熱が、喉を通り、胃の腑へと落ちていく。
長旅で疲れた体に、暖かいミルクと砂糖が染みわたる。
「ふう……」
思わず、恍惚とした吐息が漏れた。
こんなにも美味しいものを、ここの庶民たちは日常的に楽しんでいるというのか。
(こんな豊かな国と戦わねばならんのか……不利、なんだろうな)
私は、空になったカップを店主に返し、再び人混みの中へと歩き出した。
圧倒的な兵站、溢れる物資、そして民草の笑顔。
どれをとっても、アヴァロン帝国の底知れぬ国力を示していた。我がランベール王国が武力で抗おうとも、絶望的な戦いになる未来しか見えない。
私は、フェルグラントの北門へ急ぐと、預けていた馬にまたがり、一路北の都ハーグへ向けて馬を走らせた。
帝国の北の要衝であるあの都市も、この目で確かめておく必要がある。
そして何としても、ランベールの味方についてもらう必要があった。
ホットミルクで芯から温まった体に、秋風が容赦なく吹き付けていた。
その冷たさが、心の奥にある不安を広げていくようであった。
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