さいよう
次の日、切り立った崖の下をのぞき込んでも、下草が生い茂っているせいで何も見えず、降りてまで捜索する必要はないだろうということで、結局なぜ、あの人たちが虚族に姿を変えたのかはわからないままである。
「だが、殺人犯がいるかもしれないということを警戒しつつの旅となるな。これはいっそのこと、少し予定を早めてトレントフォースに向かったほうがいいかもしれない」
とのことで、ゆっくり行けばここから二週間のトレントフォースに、10日で行こうということになった。
「町に滞在している時間が長いからわからなかったかもしれないが、前回リアとアリスターと来た時より、移動はスムーズだ。大人と同じ速さで進んでいるからな。成長したな」
そんなことを言えるようになるとは、ヒューこそ成長したという気持ちである。
「お前のその得意げな顔を見ると、なぜか腹が立つ」
「あにをひゅるー」
すぐにほっぺをつまもうとするのはやめてもらいたいものだ。
行く先々で窓枠のローダライトが壊されているという事件はやはりあったものの、旅そのものは順調だった。
「こんだけの大人数だろ? もしまだ俺たちの家が借りられていないとすればさあ、そこに住むのもいいかなって考えて、ヒューに伝言を頼んでるんだぜ」
ミルがにこにこと教えてくれる。
「今回は急なことだったから、使者に先行してもらってギリギリのところで宿を確保しているからな。トレントフォースには長く滞在するかもしれないから、町長には丁寧に説明してお願いするようにはしてあるが……」
気楽なミルとは違い、ヒューは少し難しい顔をしている。使者は宿を確保したらどんどん先に行ってもらっているために、確保できたかどうかまでは町に着くまでわからないのだそうだ。
「たぶん大丈夫だ。まず町長の屋敷が結構広いしな。王族が、四侯がって言ってしまうと泊まれる宿は本当に限られてくるけど、この旅ではどんな宿でも泊まって来ただろ」
これがバートの考えだが、トレントフォースで暮らしていた人の意見だから説得力がある。
「時には野宿もしたしな。我が国にいた時は考えもしなかった。屋根があるというだけでもありがたい気がしてきたよ。トレントフォースは結界の範囲に入っているというし」
カルロス王子が楽しそうだ。
「だが、トレントフォースの結界は揺らぐことがあって、いつでも大丈夫ってわけでもないんだ。王子さんも油断するなよ」
「ああ、もちろん」
バートもミルも、どの王子に対しても態度が変わらない。カルロス王子にも気楽に接していて、そのことがまた嬉しそうである。
「だが、トレントフォースからファーランドまではすぐそこだ。ほんの二日もあればたどり着いてしまう。そこから領都までまだまだかかるとしても、旅の終わりが見えてきたと思うと切ないものがある」
憂いを帯びた顔は確かにハンサムで国もとでは人気なのだろうが、ここまで十分に旅を楽しんできてまだわがままを言うかという表情を浮かべているのは兄さまだ。決して私がそう思ったということではない。
「俺たちはどっち回りで帰るんだろうなあ、ルーク」
ギルも楽しそうだ。
「ヒューはカルロス殿下と一緒に領都へと向かうそうですから、私たちもファーランド回りで帰る気がしますね。そのほうが手間がありません」
「ルークは夢がないな。手間があるかないかという問題ではない。初めてのファーランドだろう。私に任せておけ」
カルロス王子が兄さまと肩を組もうとしてよけられている。
「自国をほとんど回ったことのない王子がどのくらい当てになりますか」
「そこは権力にものを言わせれば、なあ?」
兄さまの冷たい視線にも負けないカルロス王子は本当に心臓が強いと思うが、そんな王子を温かい目で見ているのがヒューである。
私は一人うむと頷いた。冷たい兄さまも素敵だが、友情もまたよいものである。
難所を過ぎてからは、宿屋のローダライトが壊されているというようなこともなく、私たちは時には宿に泊まり、時には町長の家を借り、そして時には野宿したりと、急ぎつつも十分に旅を楽しんだ。
そして私とニコは、ユベールの弟子としてせっせとマールライトの変質を続けている。一個できたからそれで満足というわけにはいかない。バートに使ってもらうなら、ミルやキャロ、クライドにアリスターの分まで魔道具はあったほうがよい。
では私のほうはというと、どうせハンスはキングダムに戻ったら結界箱など使わないのだし、実は特に求められていないのではないかという気がする。それではなぜやっているのかというと、それが楽しいからとしか言いようがない。
「マールライト、みっついっぺんにへんしつできた」
だから私は、ひっそりとナタリーとハンスに自慢している。
「まあ、さすがリア様でございます。それでは、温め用の魔道具箱を手に入れてきましょうか」
私の小さい結界には、魔石は大きめのものを使うにしても、マールライトは小さめのため、熱を出す魔道具箱が大きさ的にはいい感じなのだ。
それでも、専用ではないため、柔らかい布などで中の機構が動かないように調整しなければならない。
「アリスター様も呼んできましょうね」
「でも、アリスターいそがしいから」
私は少ししょんぼりしてしまう。呼べばどんなに忙しくても時間を作ってきてくれるけれど、アリスターも基本的にバートと同じ仕事をしている。自分の趣味のために付き合わせるのは申し訳ない。
「アリスター様は、むしろ喜んで来てくださると思うのですけどね。忙しいからこそ、理由がないと、お互いなかなか顔を合わせられませんもの」
ナタリーが優しく慰めてくれた。
「うん、わかってる」
それでも遠慮してしまう謙虚な性格なのである。
「私たちが自分でできればいいのでしょうけれど、スイッチを入れるところの調節が難しいのでしょうね」
「そう。しくみはたんじゅんで、マールライト、ローダライト、ませきがかさなればいいだけのことだから」
難しいことをすらすらと言えた私はなんとなく嬉しくて、思わず鼻をふすふすと鳴らしてしまった。
「ん? かさなればいいだけ?」
私はベッドに置いてあったラグ竜のぬいぐるみを手に取り、じっと見つめた。そしておもむろにポケットの中に手を突っ込んだ。小さい物が一つか二つ入るだけのポケットだが、おやつや草笛などが入る便利なものなのだ。しかし今手に当たったのはこつんと硬い感触である。
「マールライト、はいってた」
最初に失敗してしまった小さいマールライトだが、記念に取っておいたのを忘れていた。私はそれを大事にベッドの上に置く。実験が終わったらまたポケットに戻しておこう。
「まず、ローダライトとマールライトをかさねて、ポケットにいれる」
ポケットが小さいせいで、隙間なくきちんと重なっている。ぬいぐるみには綿が詰まっているので、魔道具箱と基本は一緒だ。
「ナタリー、ませきを」
「どうぞ」
私はナタリーから魔石を受け取ると、ポケットにぐいっと押し込んだ。
ふわん、と。
小さい結界が立ち上がった。私はぬいぐるみの紐をもってぶんぶん振り回してみる。それでも魔石は落ちてこない。
「リア様、危ないですよ」
「だいじょうぶ。あ」
実際は大丈夫じゃなくて、様子を見に近寄ってきたハンスにぼんと当たってしまった。
「あ、マールライトが!」
「そこは俺の心配をすべきでしょうが」
ハンスがあきれたようにぬいぐるみをつかんだ。
「ちょっとかしてください」
「やだー」
ハンスは手を伸ばす私からぬいぐるみをさっと遠ざけた。
「ちょっとだけ」
主人の言うことを聞かないとは何ごとか。魔道具と化したラグ竜のぬいぐるみを、私もまだ十分に堪能していないというのに。
ハンスはぶつぶつ言いながら、ぬいぐるみをもんだり、下向きにしたり振り回したりと、かわいそうなことをしている。
「リアのラグりゅうが! ナタリー!」
こうなったらナタリーの助けを求めるしかない。
「ハンス。いい加減になさい。リア様にぬいぐるみを返してあげて」
「ちぇっ」
ちぇっとはなにごとか。ちょっとかわいいではないか。
それはともかく、やっと私の手元に帰ってきたラグ竜をギュッと抱きしめる。
「だきしめても、けっかいはある。ませきもずれない」
「リア様だって、検証してるじゃねえか」
「けんしょうはだいじだもん」
子どもみたいに言い返してくるハンスをナタリーがやれやれという顔で見ている。決して私にあきれているわけではないと思う。
「問題は、スイッチがないことですよねえ」
ナタリーが頬に手を当ててうーんと悩んでいる。ちゃんと使い方を一緒に考えてくれるのが嬉しい。
「スイッチがないと結界が出っぱなしだからなあ」
三人でうんうんと頭を寄せ集めて一生懸命考える。
「魔石を入れっぱなしってとこが問題なんですよね」
「そう。まどうぐは、スイッチでませきをくっつけたりはなしたりする」
私はぬいぐるみを見ながら、そういえば前に、ミルが大きい魔石を縫いこんでくれたなと思い出した。
「ませきをスカートのポケットにいれておいて、つかうときにいれたら?」
「リア様がいつも魔石を持ち歩くのですか? それはいろいろと危険ではありませんか」
ナタリーが心配で眉を曇らせる。
「確かに、リア様に余計なものを持たせると何をやらかすかわからねえしな」
「ええ。い、いえ、そういうわけでは……」
しどろもどろのナタリーにちょっと本音が垣間見えて悲しい私である。
「そんならリア様じゃなくて、いっそのことお前が持つか? お前なら無茶なことはしねえだろ」
ハンスはラグ竜のぬいぐるみに向かって話しかけた。冗談とはいえ、私に失礼である。
もちろん、ぬいぐるみからの答えはないが、私はナタリーと目を見合わせ、頷いた。
「ありで」
「ありですね」
「はあ?」
言ったハンス自身がよくわかっていないようだが、要は、マールライトとローダライトをポケットにセットしておいて、使う時だけ魔石を入れればいいわけである。そしてその魔石は、ぬいぐるみにもう一つポケットを作って入れておけばすぐに使える。
「それ、さいよう!」
「はああ?」
こうしてポケットの制作はナタリーに託されたのだった。




