写しとられた姿
「ああ、夜が来る」
カルロス王子のその言葉ほど、今の気配にふさわしいものはないと思える瞬間だった。
私は黄昏時の薄闇をじっと見つめた。
サイラスに連れ去られたあの時、虚族の気配は山側からきた。だからこそ、あえて山側に逃げたのだ。だが、私はなにか違和感を覚えて首を傾げた。
「リア、どうした?」
隣にいたニコがすぐに私の様子に気が付いた。
「まえとちがうの。なにかが……。あ」
私はばっと勢いよく日の沈んだ海の方に振り返った。
そして響く気配に胸を押さえる。
「おなかがすいたのか」
「ここはおなかじゃないでしょ。むねでしょ」
そこはしっかり言わねばなるまい。しかし、問題はそこではない。
「まえは、うみがわにはきょぞく、いなかった。でも」
「いまはいる。しかも、ひとがただな」
ニコも私につられたのか海側を見ていた。
ニクスでは虚族はほとんど魚だった。その前に虚族で実験した時は人型もいたが、たいていは獣だった。
だが、海側に切り立った崖から浮かび上がるように現れたのは、ごく普通の町の人だ。しかも何人もいる。ニコは冷静に見えるが、体の横でこぶしをぎゅっと握っているから、緊張しているのが伝わってくる。
まるで人そのもののようなのに表情の変わらないその姿は、何回見ても慣れないものだ。
「当然のことかもしれないが、旅装だ。ここを通った旅人がやられたんだな」
不思議なことに襲われた時の姿がそのまま残るために、服や装備までが忠実に再現される。それをバートが冷静に観察している。だが、私はその言葉にもひどく違和感を覚えた。
「よるにたびびとがとおったの?」
バートはハッとしたように私を見た。
この狭い通り道では、夜に逃げ場はなく、宿泊所の小屋に泊まるしかない。
「ローダライトの壊れた小屋で休んでいて、やられたか? いや、それなら死体は残るはず」
バートは慌てて私の方を見たが、そのくらいの怖さは平気である。
「そうだとして、ねるとき、そうびつける?」
「いや。宿のように寝間着に着替えたりはしないが、少なくとも装備は外すはずだ。ということは、小屋にいた旅人ではないということになる」
私は同意してこくりと頷いた。そしてもう一つ。
「どうしてうみから?」
「ニクスでも、海の岩から虚族が出てきていただろう。そこの切り立った崖から出てきたのかもしれないし、別に海側から出てくるのがおかしいとは言えねえよ。出てきた後、ここまで移動してきて襲ったのかもしれないしな」
バートの言葉は自分に言い聞かせるようだった。
「バート、よく見て見ろ」
低い声は、私の斜め後ろに控えていたハンスのものだ。
「頭と、右足」
短く鋭い言葉が夜の闇を斬り裂く。
「うっ」
怯んだバートは、いまさらながら私とニコの前に立ち視界をさえぎろうとしたが、遅かった。
頭の後ろの方は血まみれで、足はよく見るとありえない方向に曲がっている。
「落ちたんだな、そこの崖から。そして瀕死の状態で虚族にやられた。俺はそう見る」
「いや、落ちるかよ。山と海に挟まれているとはいえ、道はそんなに狭くねえ。それに、それならラグ竜はどうした。ここは歩いて通る道じゃねえよ」
「さあな。ほら、もう一人海からおいでなすったぜ」
ハンスとバートはお互いに認め合っていると思うが、親しく話しているところはほとんど見たことがない。だが荒事担当の二人が遠慮なしに話しているさまは殺伐としていて、とても口を挟める状況ではなかった。
「まさか。おい、ミル!」
バートは振り返ってミルを探した。
「なんだよ、虚族を狩りに出るのか?」
ミルはくわっとあくびをしながら歩み寄ってきた。虚族が集まってきても自然体なのはミルらしい。
「この虚族。俺はあんまり親しくないから自信がないが」
「ヘンリーのおっさんじゃねえか!」
ミルは思わず一歩踏み出しかけて、ぐっととどまった。一歩踏み出したところで結界から出たりはしないが、ぼんやりしているようでもハンターなのだ。
「知り合いか」
ハンスの唸るような声がする。
「知り合いっていうか、ローダライトの鉱山で働いてて、たまに町の食堂に来てたんだよ。トレントフォースのな」
トレントフォースは木工の町のように思われるが、近くに鉱山がありローダライトも産出している。私がいたころは特に気にしたこともなかったが、町にいる人には鉱山で働いている人もいたに違いない。
私はふらりふらりと近くまで寄ってくる虚族にそっと目をやった。
この人も旅装で、腰にはバート達よりは小さいが、ローダライトの剣を付けているし、重そうな荷物を背負っている。
「たぶん里帰りで、背中のこれはお土産だろうなあ。トレントフォースに来るのは大変でさ、家族を置いて稼ぎに来てる人もけっこういたから。ヘンリーのおっさんの家族がどうだったかなんて、俺は知らなかったけどさ」
「首」
ハンスが短くそれだけ言った。
私はもう虚族に目はやらなかった。おそらく、首が折れているのだろう。
「ラグ竜の暴走に巻き込まれたとか、いろいろ考えたくなるが、おそらく違うんだろうな」
「ああ。誰かにやられたんだ」
そうなると優雅に椅子に座って虚族を眺めている場合ではない。
「ルーク様、ギルバート様」
ハンスに促され、兄さまもギルも立ち上がった。
「ああ、わかった。さあ、リア、おいで」
「ニコ殿下は俺と行こうな」
最近のギルはニコ担当なのである。
「ギル。わたしはそとに、みながいるところにいたい」
小屋の中で静かにしているのがお利口だとわかってはいるのだが、ニコが珍しくわがままを言った。それなら私も便乗するしかない。
「リアも、じゃまにならないところにいるから」
ハンスが迷いを見せた。危険がある時は有無を言わせず退場させられるので、そこまで危険ではないということなのかもしれない。
「ルーク様、ギル様。念のために結界箱をもう一つお願いしてもいいでしょうか」
「わかった」
外に出ていてもいいが、うっかり結界の範囲から外れないように念のために結界を使ってほしいということらしい。
「リア様、俺も外に出ます。試してみたいことがあるんだ」
「きをつけて」
私はハンスに力強く頷いて見せる。
ハンスは目立たないように革ひもで腰のベルトにくくりつけられた、小さい結界箱のスイッチを入れた。
そしてそのまま結界の外に踏み出した。
「ハンスは何をやっているんだ? 虚族は担当外だろう」
ギルの言葉はもっともである。今までも夜に虚族見学をしたことはあって、バートたちハンターは、見学の後は虚族を狩り、数を減らす仕事をしていたが、ハンスはそれに一切かかわることはなかったからだ。なにしろ、ハンスの役割は、なにを置いても私の護衛だからである。
「ニコのまどうぐのじっけんは、バートがやってる。リアのまどうぐは、ハンスがたんとう」
私は簡潔に説明してあげた。とはいえ、ハンスは自主的に行動しているので、なにか私が指示を出したりしたわけでもない。小さい結界をどう使いたいのかもさっぱりわからない。
「それで珍しくローダライトの剣も持っているのか」
言われて腰を見ると、ハンスの腰はすごいことになっていた。左に対人用の剣、右にローダライトの剣、ベルトにぐるぐる巻きの小さい結界箱。
そんな格好のハンスは、結界の範囲から大股で一歩踏み出した。左手がまっすぐ前に突き出されているが、その手にも右手にも何も持っていない。
何をやるつもりなのかと、自然に注目を集めているが、まるで虚族に触れようかというその姿にバートから厳しい声が飛んだ。
「ハンス! 何をしている!」
「結界箱は持ってるよ」
「持ってるって、手ぶらじゃねえか」
ちょっと安心したのか、バートの声音が落ち着いた。だが、他に止める声がなくてもそこにいる全員に緊張が走ったのが私にもわかった。
普通の結界箱を持っているのなら、かなり手前で弾かれるはずの虚族がすいっとハンスのそばまで来たからだ。
だが、ハンスの伸ばした手の数十センチ先で虚族は止まった。
はたから見ると、親しい者同士が話しているくらいの距離だ。
「はっ、このくらい近くから見ると、本当に不気味なもんだな、虚族ってのは。人の姿を映してはいるが、中身は空っぽか」
ハンスはそうつぶやくと、左は前に伸ばしたまま、右手を右腰にやり、器用にローダライトの剣を抜いた。
「さて、どうなるか」
ハンスは剣をそのまま前に突き出した。
剣が人型の虚族の腹に突き刺さったかと思うと、虚族は剣先に集まるかのようにゆらりと姿を崩し、からんと魔石が地面に落ちた音がした。
「これで終わり、か。いや、きりがねえな」
消えた虚族の代わりに別の虚族が現れる。そして足元にはネズミのようなウサギのような生き物もいる。
「足元は気を付けねえと、はみ出すおそれありだな」
結界は腰を中心に丸く広がっているから、足元の虚族はかなり近くまで来ている。
ハンスは満足したように、腰のローダライトの剣を戻した。
「このくらいでいいか」
「待て」
ハンスは満足しても、バートは違ったようだ。
「それはリアの試作品か?」
「ああ。人一人分の小さい結界箱だ」
「比べてみたい」
ハンスだけずるいとバートに言われたらどうしようかとひそかに焦った私は子どもっぽかったかもしれない。いや、子どもどころか幼児だから仕方がないのだが。
「かまわないが」
「ではそこにいてくれ」
バートは剣帯にはめた結界箱のスイッチを入れると、そこからそのまま結界の外に踏み出した。
バートの結界箱は、ラグ竜ごと覆えるものだ。バートがハンスと同じように左手を伸ばすと、虚族はハンスよりも少し先で結界に弾かれた。
「ハハッ、仲がいいって程の距離じゃねえな」
「俺だって別に虚族と仲良しになりたいわけじゃねえよ」
やっぱり微妙に殺伐とした会話だなあと思う。
だが、そんな私の感想は別にして、その対比は明らかだった。
「俺が人一人分」
「そして俺が、ラグ竜込み」
二人は同時に後ろを振り返った。
「そっちは、団体さん用」
バートの言うそっちとは、私たちが使っている結界箱のことだろう。
「ハハハ、すげえな、うちの姫さんと王子様は」
不敬すぎるハンスの感想だが、一応褒めてくれているのでよしとする。
「リア様、使えますぜ、これは」
「うん。せいこう」
私は嬉しくて胸がキュッとした。
「ニコ殿下、これこそ俺がほしかったものだ」
「うむ。それはよかった」
ニコもバートの言葉に胸がキュッとしたに違いない。
「さあ、満足したなら、ニコとリアを連れて小屋に戻ってくれ。どうやら安全な道中と言ってもいられなくなってきた。周囲に人影はないが、この難所を出るまでは油断すべきではない」
ヒューの慎重な言葉に、今度こそ私たちは小屋に戻ることになった。
知り合いの姿をした虚族の魔石は、ミルが大切に荷物にしまっていた。




