幕間1 薫陸の一日:壱
私の恋は叶わない。
私の名前は、薫陸 花菜。
陸上部のエースで、今年も全国大会へ行く女の子だ。
好きな男の子もいて、順風満帆な人生を送っていた。
その男の子に、フラれるまでは。
「ごめん。俺、好きな人がいるんだ」
私の好きな人は、生徒会の副会長で。
そんな彼は、私よりも頭が良い娘のことを好きになってしまった。
一度はそれで、諦めようとした。
でも、それが出来なかった。
そうして、あんなことをしてしまった。
人に濡れ衣を着せるなんて、冷静に考えると駄目なことだよね。
心にしこりが残っていた。今朝はいつものように走りだし、いつものコースを走っていく。道沿いに咲く花の色も、風景も、毎日のように挨拶を交わす人達も変わらない。何も、変わっていない。
本当は、今日には晴れ晴れとした気持ちになる筈だった。私が何年も抱えていた恋の呪縛から解き放たれる筈だった。
何もかもが吹っ切れて、新しい自分になるはずだった。
ノイズとなった、尾緒神の顔が浮かび上がり、一瞬で頭の中から消し去る。
現実は、私の思い通りにはなってくれなかった。好きな人が振り向いてくれない。それを受け入れる為に2人をくっつけてしまいたかったのに。そうはならなかった。
いっそあいつが好きな人とくっついて幸せにでもなってくれれば、私も吹っ切れることが出来ると思っていたのに。
私の入る隙なんてなくなって、あいつも私を頼ることがなくなって。
友人との時間よりも、恋人との時間を大切にするようになってくれれば。
そうして、徐々に関わらなくなっていってくれれば。私だって、きっと。
涙が浮かんだ。
私達の作戦は失敗して、結局はっきりとした恋心の決着は付けられなかった。
全て、あの尾緒神とかいう男のせいだ。あの根暗陰キャのせいで、私はしこりを抱えたまま、この恋の園長線上を生きている。
「悪いね。後輩くん。私達の青春の為に、罪を着て」
ついこないだの出来事だ。あの日、私達は彼に罪を自白して貰うだけでよかった。それだけで、私達の青春を終わらせることが出来た。
尾緒神に掛ける罪が、冤罪だとは分かっていた。
一生に一度の悪事だと思って彼らに手を掛けた。
私の好きな人が、私じゃない別の女の子に良い顔をする為に、私は悪事に手まで貸したのに。それなのに、まだ解放されない。
岳矢は、誰のものにもなってくれなかった。
私にもまだ可能性が、なんて卑しい自分を消し去れない結末のままだ。
一応、岳矢はやけくそになって告白はしたみたいだけれど、成就はしなかった。もしかしたらそれで諦めてくれるかも、なんて最低な期待だけをしてしまった。
そうして岳矢も、フラれた。
断られたのに、まだ諦めないでいる岳矢に、私は寄り添ってしまっている。幼馴染みとして、彼を慰めてしまった。そのせいで、またズルズルと。
寄り添っていれば、いつかは自分にも目を向けてくれるなんて、甘い考えも心の隅にあったけれど、彼の意志は硬かった。
そんな彼でも、やっぱり私はまだ好きなのだ。
どうして、こんなにも好きなんだろう。
どうして、こんなにも辛いんだろう。
諦めたい。でも諦められない。何か、きっかけが欲しい。でも、それも得られない。部活にも集中出来ないままで、中途半端。
あの件で吹っ切れる筈だったのに、終わった後に残ったのは晴天ではなく曇り空。
後で事情を話して謝って許して貰えるような、そんな簡単な話にすらならなかった。
「先輩、お話があるのですが、お時間大丈夫でしょうか」
その上で、重しがのしかかった。
罪には罰を、とでも言いたいかのように。
嫌なことを思い出す。特に手入れもやっていなそうなくせっ毛の男、根暗そうで底意地が悪そうで、じめじめとした男。
何の躊躇いもなく、寧ろスカッとするほど強くぶん殴って関節技を決めた男。尾緒神。
こいつなら貶めても心が痛まないと、決めつけた男。
私達には刃向かわない系男子だと、そう思っていた男。
あの件の後、彼は個別で私に話し掛けに来た。謝罪は生徒会の方でやってくれるって、岳矢は言って私を安心させた。副会長だし、そういうことも出来るもんだと思ってた。でも彼はそれでは満足せずに私のところにまでやって来た。ネチネチとしていて気持ちが悪いと思った。男なら悪事の1つくらい受け入れたっていいじゃない。
「なに」
あからさまに不機嫌な態度を取ってみせた私に、彼は何の表情も変えることなく続けた。
「ここではちょっと。副会長の信用に関わるので」
私は、私の好きな人を人質に取られた。確かに、あの日のことを聞かれて岳矢の信用が落ちるのは、私としても本位じゃない。でも
「嫌」
この気持ちの悪い男の言いなりになるのも嫌だった。
「せめて、岳矢も呼ばせて」
「いいんですか?俺は先輩にとっても得がある話をしようとしているのに」
「……。それは、岳矢に聞かれたら不味いものなの?」
「勿論」
「なんで」
「会長の抱えているものを、取り除く話ですから」
「だったら、尚更岳矢が居た方が」
「先輩は、あまり彼に危険なことをして欲しくない。違いますか」
「それは、そうだけど」
「会長と副会長に隠れて、こっちで解決がしたいんです。2人とも巻き込まずに事件を終わらせる為に、俺には先輩の力が必要なんです」
「どうして、2人を関わらせたくないの」
「邪魔、ですから」
会長が抱えていること、それが何かは知らないけれど、岳矢が尾緒神に罪を着せるなんて悪事に手を付けてまでやろうとしたことで、岳矢が会長の心の支えになって、一緒に解決しようとしたことだ。
岳矢を呼べば、恐らく岳矢は私に気を使って私に席を外させる。
今までだって、そのことについてだけは、何も話してくれなかった。
気にならないと言えば、嘘になる。
胸の中の、私の悪魔が囁いた。
「……。分かった。話だけは聞かせて貰う」
そうして彼に付いて行って空き教室に入ると、彼は私の後ろで教室の扉を閉めてからこう言った。
「とはいえ、それ以上何も言うことはないんです」
「は?」
「先輩は、俺に協力をしてくれますか」
「それは、話を聞いてから考えるわ」
「そうですか。では」
尾緒神は、携帯にあの日の動画を映し出した。
彼のスマホには、私が暴力を振う様子がはっきりくっきりと残されている。
「何それ」
「この動画をばら撒かれたくなかったらってやつです」
「は?」
「黙って俺に従ってください」
「そんなの、出来るわけ」
「この動画が出回れば、貴方はまず今年の大会には出場出来ないでしょう」
「だからなに?それくらいのことは覚悟はしてやったつもりだけど」
嘘だった。心では焦っていた。
そんな私の内面を見透かしてか、尾緒神は少しだけニヤけた。
「なに?」
「いえ、全国大会に出場していたとしても、部活動への執着ってそれくらいのものだなって思いまして」
カチンと来た。
「馬鹿にしてる?言っておくけど、私陸上には本気だよ」
「でも、そえよりも恋を優先したのでしょう?」
「……。そうだけど」
なにコイツ。
「ああ。すみません。本当に馬鹿になんてしてないんです。僕が嫌いなのは、“部活”ですから」
「陸上部に何か文句でもあるの?」
「いえ、そういう訳じゃありません。まあ、それはいいでしょう。話が逸れましたね、それで動画の件ですが」
「さっきも言ったけど、ばら撒きたいなら好きにすれば?」
「そう簡単な話では終わらせませんよ」
「は?何が言いたい訳?」
「俺がこの動画を見せるのは、副会長です」
「なんで岳矢に」
「俺がこの動画を見せて、副会長に貴方の全国大会出場停止の可能性を示唆したら、彼はどうするでしょうね」
「それは」
止めるに決まっている。他に好きな女がいようと、関係ない。岳矢は優しいから、きっとこんな話を持ちかければ止めてくれるに違いない。例え、この後輩に頭を下げてでも。全国大会の夢の話も、岳矢にしてしまっている。応援するとも言ってくれた。
「岳矢は、貴方なんかには負けない。そんな脅し、効くわけない」
「俺は、彼に退学を要求しようと思っています」
「……。は?」
「それ以外に応じるつもりはありません。ですが、応じなければこの動画を使います。人に冤罪を被せようとして、更に暴力までやった。このいじめ動画を」
「いじめ動画?私達、いじめなんてしてない」
「主観なんてどうでも構いません。ただ、世間にはどう見られますかね」
「ネットにでも流す気?あのね、そんなの見られる訳ないし、それに」
「なら、やってみますか?」
ぞくりとした。彼は本気だった。
「この動画が拡散されようと、不発に終わろうと。俺にデメリットはありませんから。生徒会ぐるみでのいじめとして、貴方達を摘発します」
「生徒会ぐるみって、それは嘘。やったのは」
そこで言い淀んでしまう。
やったのは、岳矢だ。岳矢が1人で計画を立て、実行した。
好きな女の子に振り向いて貰うために、好きな女の子の支えになる為に、馬鹿なことをしたと、私に吐き出し泣いていた。
もし本当にネットにばら撒かれるようなことになって、もし本当に拡散されでもしたら。岳矢はきっと。その重圧に、責任に耐えられなくなる。
「……。分かった」
「なんですか」
「分かったから、それをネットにばら撒くのは止めて。なんでも、言うことを聞くから」
「……。いいましたね?なんでもするって」
憂鬱だ。私は、好きな人を守る為にとんでもない約束をしてしまった。
あの後、彼と電話番号を交換して別れた。
それからはまだ何もない。何もない、が。
来週からの学校が憂鬱だ。私は一体、何をされてしまうのだろうか。
私にした、会長の抱えているものの話も、私を呼び出すための嘘だったんじゃないかと思えてくる。
泣きそうになりながら、私は走り続けた。
走っていれば、忘れられると、そう思って。
お昼ご飯を食べてからも、私は外を走っていた。
気を紛らわせたかった。
そんな時だ。尾緒神からの電話が掛かって来たのは。
出なければどうなるか分からないから、取り敢えず私は電話に出ることにする。
「……。なに」
「先輩、今から瓦山山頂の展望台にまで来てください」
「……。なんで」
「今、狩谷会長と会いました。うちの生徒会が、今日この山でヒーローショーのイベントをやっていることはご存知ですか」
勿論知っている。岳矢が教えてくれた。
「知ってるけど」
「参加してください」
「は?」
「副会長にお手伝いしに来たとか言って、運営に潜り込んでください」
「なんで、そんなこと」
「複雑なことは頼みません。折りを見て盗み出したいものがあるんです」
「私、犯罪者にはなりたくないんだけど」
「使ったら返して貰うので安心してください」
「返すのも私がやるの?」
「ええ。俺には入れない場所ですから」
「嫌だっていったら?」
「あなたに拒否権はない。分かってますよね」
「チッ。でも、本当に犯罪者にはしないでよね」
そうして私は、また悪事に手を染めることになる。
罪を重ね、そしてあの銃殺現場に立ち会うことになるのだ。




