第11話
下から跳ね上げられた蹴りによって、私の仮面は外されて、宙を舞った。
血が舞う。葉が舞う。
僕ね!お姉ちゃんみたいに強くなりたい!
私みたいな?
うん!悪いことをしてる人達を倒して、僕も町の平和を守るんだ!
私は、そんな良い人じゃない。
そうなの?でもいいや。僕は、僕を助けてくれたお姉ちゃんみたいになりたい!
顔に絆創膏を付けた光太は、当時荒れていた私に、そう言って嬉しそうにはにかんだ。私は彼らを懲らしめていたのではなく、ただ八つ当たりするのに丁度いいと思って暴行を加えていただけだということも、知らずに。
でも。その光太の純粋さに、私がどれだけ救われたことか。
お姉ちゃん。怖いよ。僕、僕が怖いんだ。
そんなあいつを奪った奴らを、私は許さない。
青い空を見上げながら、私は目の前の障害に対して唇を噛んだ。
この男、手強い。
銃弾が当たっている筈なのに、左手はもう使えない筈なのに。私の繰り出す攻撃を軽々といなしてみせていた。それでいて、カウンターも忘れない。裏拳が、蹴りが、何度も私の体に刺さる。
こいつの顔が気に入らない。まるでつまらないような物を見る目で、ただ淡々と流れ作業を行っているようにしか見えないその顔が腹立たしかった。
私は強いんだ。何人もの男をぼこぼこにやっつけて来た。この強さに憧れてくれた人がいた。それなのに。糞野郎が、私を、あいつの夢を、あいつの未来の目標だったこの蹴りを、そんな顔で簡単に捌くな。
彼が体をくるりと回した。体重の乗った、重たい蹴りが飛んで来る。
私がそれを両腕で受け止めると、骨が軋んだのが分かった。体重の差を、男女の差を見せ付けられているようで一層苛立った。
私はこれまで、沢山の男と戦って来た。相手が何人居ようと勝てるだけの実力があった。光太の憧れであり続けるためにも、私は。
それなのに、まだ目の前の男1人を倒せないでいる。
視界の隅で、奥で、光太を殺したカスがまだ生きている。あいつの未来を奪った奴がまだ生きているのだ。何度も聞かされた、光太の夢、光太の未来。それを奪っておいて、お前だけこのままd未来を迎えようだなんて、そんなことは許さない。
お前も死ね。そして、地獄で光太に叩き潰されろ。
私の鳩尾に、拳が叩き込まれる。
「よそ見は、しない方がいい」
この男、この男、この男!邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ!消えろ、無関係なくせに。何も知らないくせに。私の邪魔だけして。光太を殺したあいつには何故なにもしない。あいつの方が悪い。あいつの方が、罪深いのに。もういい、私の前からいなくなれ。
そう祈るのに、私の攻撃では怯まない。全く当たっていない訳ではないのに、背中に穴が空いているはずなのに、未だ倒れない。
彼は私の進路を防ぐ。無視してあいつに接近することも許してくれない。
銃弾で戦闘不能にするはずだった。圭子さんの邪魔をさせないつもりだった。私より、母親の圭子さんの方がと思っただけなのに。それが裏目に出た。あの時、私は迷わずあの糞の方を撃っておくべきだったのだ。2発目の銃弾で確実に殺すつもりだった。私の蹴りで止めを刺すはずだった。それなのに、それなのに!
ポケットの中のナイフに意識を向ける。こいつを使う。なんとしてでも、この男の先へ行く。相手の意表を突く。彼は左手を使えない。右手だけで庇い切るには限度がある。数回の攻撃を経て、私は彼の右側の懐に入り込む。右手を使うには邪魔になる位置に体を入れ込む。この位置、この角度で背中を刺せば、避けられない。
そう思ったのに。刃は刺さった。しかし、それは彼の背中ではない。左手だ。彼は力の失った左腕を、上腕筋を酷使して使ってみせた。手に力はない。ただ、このナイフを止める為だけに差し出したのだ。
だが、体を捻じるようにしたその体制では、次の動きは防げないだろう。ナイフだけに注視した強引な防御だ。
男の膝裏を蹴り、跳上がる。宙を舞い、距離を取る。空中で思考する、ここからなら狙える。着地した途端に距離は詰められる。私の刃はこの男には届かない。ならば、それを投擲に使い、ここからあの糞野郎の脳天を穿つことで光太の仇を討つ。あの泣き顔をぶち抜く。
その思考に差し込まれた、死の恐怖。目の前の男から発せられる殺気が、私の注意を奪った。結果、手にしていた刃は目の前の男の体に刺さっていた。
私の生物としての本能が、保身の為に勝手に投擲先を変更したのだ。
どうして。ついさっきまで作業だったくせに、私に興味もないような顔をしていたくせに。どうして今、そんな活き活きとした獲物を狩る獣の顔をしている。
どうして、そんな殺気を放てる。
「くそっ」
困惑は、隙だった。男は私のナイフが刺さったまま接近してくる。獣が殺しに来る。
全身が怯えた。頭が真っ白になる。
あ、これ。死ん
僕もいつか、お姉ちゃんみたいに。
拳を握る。まだ、まだ負ける訳にはいかない。光太の無念は、私が晴らさないといけない。そうしないときっと、私はあいつのヒーローじゃ、なくなってしまう。社会的に正しくなくてもいい。私は、あいつの味方でいたいんだ。
警察は信じてくれない。光太はただの自殺じゃない。
光太は、光太は、
私だけは、味方をしてやらないと。
「止めて!!」
静止の声が掛かる。それでも止まれない。私の拳は。
はは。ははは。お姉ちゃん、僕は、ヒーローじゃなかったみたいだよ。僕は、怪人だったんだ。
目の前の男の顔が、あの時の怪人となったカレと重なる。
私はまた、その顔に拳を当てることが出来なかった。
体が、震えた。
男の拳は、私の顔の横で風を切っていた。
直感する。これが当たっていれば、私は死んでいた。
この拳を止めていなければ、今頃、きっと。
殴られていないのに、頬が痛んだ。3年前に味わった痛みが、頬にゆっくりと染み渡るような、そんな感じがした。
「こら!君達!何をしている」
野太い大人の声に、ふと我に帰る。警察官がこちらに向かって走って来ていた。その後ろで、祉乃が震えていた。全ての後始末を押し付けるための、大然高校の生徒会長だ。静止の声を出したのは、おそらく彼女だろう。
光太を殺したあいつを見る。まだ生きている。大人達に囲まれながら泣いている。許さない。許してはいけない。のに、失敗した。今から殺すなんて無理だ。
光太、ごめん。
お姉ちゃん。僕、怖いよ。
どうした?何かあったのか。
友達が言うんだ。僕が物を壊したって。バットで窓を割って回っていたって。でもそんなこと、僕はやってない。記憶に、ないんだ。
きっとそれは嘘だよ。悪質な
怖いよ。僕、ヒーローになれないのかな。僕の中には、怪物が住んでいるのかな。
「時間切れだな」
眼前のチンピラ男が呟く。
チンピラは、嫌いだ。
よぉ。ヒーロー女、一体ここで誰を待ってるんだ?
あ?お前の舎弟なら、今日死んだぞ。くく。ガキってのは単純で可愛いよな。ちょっと唆せば簡単に―――
ひっ。許して。殺さないで。
まだ、捕まるわけにはいかない。
あと1人。あと1人なんだ。
男の視線が私を捉える。逃がさないと語っている。
私は、まれで蛇ににらまれた蛙のように動かなくなっていて。
「――ろしてやる」
誰かが、疾走してくる音がした。
「殺してやる!ヒーローも、憧れも!何もかも!!」
赤いマフラーの娘も追いつけない速度で、人間とは思えない速度で掛けて来た圭子さんが、目の前の男に飛び掛かった。
男が、私から目を離して振り返る。
その瞬間、私の体は呪縛から解かれたように軽くなった。
有無もなく駆け出していた。交戦していた男は、右腕で圭子さんの顔面を押さえて静止させていた。その口元が笑っていた。
私は走った。
怪人として倒されてしまった、光太の為に。
その無念を晴らす為に、ここで捕まる訳にはいかない。
お姉ちゃん、どうして僕を倒してくれなかったの
お姉ちゃんになら、僕は
どうせなら、僕は僕のヒーローに、倒して欲しかったな
後悔を振り払えないまま、私は掛けていく。
その先でどうするかなんてことも、考えずに。




