第10話 手作りの虫籠
肩を上下にさせながら、俺は雑木林の中を抜けていく。
その先に、やっとの思いで会いたかった少女の姿を見つけた。
「よお、やっと見つけたぞ。赤堂さん」
この糞暑い時期に、未だに赤いマフラーを付けた友人がそこにいた。
「お、尾緒神。遅かったじゃないか」
赤堂さんは、不意を突かれた表情をして振り返った。赤堂さんの周りにいる子供達も、俺にびっくりしているようだった。子供たちの中に一人、同級生くらいの少年がいた。彼は警戒し、傍にいる男の子を隠すようにして俺を睨んでいた。今日はよく男に睨まれる。
整備された道からは外れた森の中。道無き道。文字通りの山道を駆け回って、俺はやっと赤堂さんと合流することが出来た。
どうしてか、赤堂さんが少しだけ安心するような表情を見せる。彼女の後ろには一緒に遊んでいたと思われる子ども達が5人くらい居た。展望台で遊んでいたところを見ていた時よりも、その数は減っている。森の奥で遊ぶとなると、親の許可の出ない子もいたのだろう。
俺は自分の服に付いた土を払いながら聞く。
「お前、なんてところにいるんだよ。こんな場所、分かる訳ないだろ」
「その為の電話だろ?尾緒神こそ、どうやって私達を見つけたんだよ」
「走り回った。あと、勘」
「……。尾緒神、お前意外と脳筋なのか」
む。そう言われるのは、なんだか嫌な感じだ。
だがまあ、何にせよ。彼女より先に見つけられたのだからよかった。俺は少しだけ安堵しながら赤堂さんへと言葉を返した。
「そうだな。まあ、どちらかと言えば獣的なアレだ。昔、山に住み着いたことがあってな。その時に動物的な直感を得た」
「それは、修行的なアレか?」
修行、というよりかは藻掻き、悪足掻きの類いだが。説明するのは面倒くさい。
「まあ、そんな感じだ」
そう答えると、赤堂さんの瞳が煌めいた。俺は、嫌な予感がした。
「よし!夏休みの予定が1つ決まったな!」
「嫌だぞ」
「なぁんでだよ!私も動物的直感を手に入れたい!」
「あのなぁ、そんなにいいもんでもないぞ?」
言っていて身震いがした。妙な期待を込めたそれが、一つではなかったからだ。
気が付けば、赤堂さんの後ろで男の子達も目を輝かせていた。
「僕達もやりたい!」
俺は、眉を潜めた。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか、尾緒神。てかお前、泥だらけだな。もしかして、山道で転びでもしたか?」
「まあ、ちょっと苦戦はした」
赤堂さんを見つけるまでの道中で、俺はどこからかあの女に後を付けられていた。俺はそれに気が付いて、彼女を上手く撒いてみせていた。
彼女を撒くことは、想定以上に厄介であったのだ。女を撒けたとしても、先に赤堂さんを見つけられてしまえば意味がない。山のどの辺であれば子供達と遊ぶ場所に選ばないか。どうすればこちらが気づいていると勘づかれずに追わせ、誘導することが出来るのか。本当、大変だった。
人の執念は馬鹿に出来ない。あの女、しぶとかったな。
久しぶりに、こんなに山の中を駆け回った。
とはいえ、それも時間稼ぎに過ぎない。俺は次にどうするべきかを考えながら、慎重に言葉を選び、普段のおどけた調子の声を出す。
「ほんと、どうしてこんな場所に来たんだ?ここには何もないし、危険も多い。展望台広場で、大人たちの目があるところから移動する必要はなかったんじゃないか?」
「はぁ?それじゃあ公園で遊ぶのと変わらないだろ?よく見て見ろ、尾緒神。ここは山だぞ。折角山にいるんだから、大自然の中で遊ばなきゃ損だ」
それは、そうかもしれないが。
「事故でも起きたら笑えないぞ」
「だから、大人である私たちが一緒に付いているんだろうが。私ももう、高校生だからな!」
ばか、高校生も子供だよ。
胸を張った赤堂さんは続ける。
「それに、私一人でって訳でもないしな」
そう言って赤堂さんは同い年くらいの少年の方を見る。やはり彼も高校生だったか。
俺は軽く溜息を付く。
「それで、大自然での遊びは楽しかったか?」
「勿論だとも!」
赤堂さんがドヤ顔で指をくいくいと動かせば、後ろに居た男の子が前へと出て来た。
「見せてやってよ、友太くん。私達が捕えた凄い成果を!」
成果?
両手を腰に当て、胸を張った赤堂さんがドヤ顔をする。すると友太くんは、嬉しそうに木の枝で出来たお手製の虫かごを見せてくれた。なんだこの自作虫かご。既に凄いじゃないか。
「見て見て!ヘラクレスだよ!凄いでしょ」
前歯が一本抜けた男の子が、嬉しそうにそれを見せてくれた。俺は腰を屈めてその籠を覗き込む。中には立派なヘラクレスオオカブトが確かに捕まえられていた。いや
「本当に凄いな、これ」
「「だろ!」」
赤堂さんと友太くん達の声が揃う。
いや、なんでこんな山にヘラクレスオオカブトが?と疑問に思う。
「見てくれよ、尾緒神。私のノコギリクワガタも凄いだろ?」
自分も負けてないぞと、赤堂さんのノコギリクワガタを見せてくれる。
ノ、ノコギリクワガタまでいるのか、この山は。
「確かに凄いな。というか、この籠は自分で作ったのか?」
「勿論だとも。尾緒神も作り方を知りたいか」
いや、いらない。と言いかけて止める。
赤堂さんが、何かを訴えるような目で俺を見ていたのだ。
「そうだな。せっかくだから、お願いしようかな」
「おうよ!あ、ちょっと待ってな」
そう言って赤堂さんは子ども達の方へと振り向く。
「皆はどうする?もう少しこの辺で他のものを探してみるか」
赤堂さんからの言葉に対する子供たちの反応に、俺は少しのぎこちなさを感じた。
「う、ううん。僕達もお兄ちゃんを手伝うよ!僕ね、良い木が落ちてる場所知ってるんだ」
「ぼ、僕も知ってる!」
「よし、じゃあ、どっちの作った籠がお兄ちゃんに選んで貰えるか勝負だ!」
そう言って男の子達は元気に各々の思う最強の虫取り籠を作るための材料探しへと捌けていく。同級生の少年も、赤堂さんから俺へと、一度視線を寄せてから、散っていった子供達を見守るように付いていく。
「じゃあ、私達はお兄ちゃんにお花の冠作ってあげるね」
そう言って女の子達も小さなお花を摘み取り始めた。その頭には、小さくてかわいい冠が乗ってある。
子ども達が離れてから、俺も自分の籠を作る為に赤堂さんとその辺に屈んで木の枝を集め始める。だが当然、本命は籠作りなんかじゃない。しゃがんだ後に、赤堂さんは手を動かしながら子ども達には聞こえない声で話し掛けてきた。
俺もこの状況が欲しかったのだが、それはどうやら赤堂さんも同じだったようだ。
「尾緒神。さっきの音は聞いたか」
真面目なトーンの声に、俺も気を引き締める。
「ああ。聞いたよ。銃声だろ」
「銃声。やっぱりそうだったか」
「俺は、人が撃たれる瞬間を見た」
「そ、そうなのか」
赤堂さんが驚いたような顔をする。
それでも俺は、淡々と話しを続けた。
「殺人犯はまだ捕まっていない。だから、この山にはまだ、銃を持った犯罪者がうろついている」
「そ、そうなのか」
赤堂さんの顔に不安がよぎる。彼女は俺を見て、目を丸くした。
「な、なんだよ。なんでちょっとニヤついているんだよ」
そんな指摘を受けて、俺は自分の唇を触った。ニヤついている?そんな馬鹿な。
「尾緒神?大丈夫か」
「あ、ああ。そうだな」
たじろぎながら、笑みが浮かんでいた理由を探す。思い当たることが、ない訳ではなかった。だからそれをそのまま口にした。
「流石に今回は、面白そうなことだな!尾緒神。とか言って、赤堂さんが銃声の犯人を捜し始めたりしないんだなって思ってな」
「わ、私だって流石に怖さが勝つ。さっきだって、皆の不安を取り除くのが大変だったんだぞ」
赤堂さんは、銃声が聞こえた時のことを教えてくれる。
どうやら、怯えた子ども達を宥めてくれていたらしい。
「私だって怖かったけど、パニックになったらいけないと思って頑張ってたんだ。この中だと、私が一番年上だったしな」
確かに、パニックになった子ども達が、親元に帰ると勝手な行動を取ったら、よくないことが起きたかもしれない。山は危ない。俺達の手に負えないところで、勝手に遭難や転落事故をすることはあり得ることなのだ。
勿論、今回の場合は銃を持った犯人に出くわしてしまうことだってあるわけで。
俺は彼女の労力を労うような言葉を口にした。
「そうか。それは、大変だったな」
「ああ。本当に。尾緒神が来てくれてよかったよ。それで、お前はもう犯人の目星をつけているのか」
「……。」
「尾緒神?」
「もう、いいだろ?」
「もういいだろって、なに」
「本題に入ろう、赤堂さん」
「本題?本題って、もう入っているんじゃ」
「赤堂さんは今回、何を抱えているんだ?」
「何を抱えてって」
「さっき俺は、“流石に今回は、面白そうなことだな!尾緒神。とか言って、赤堂さんが銃声の犯人を捜し始めたりしないんだな”と言ったな」
「え。あ、ああ、言ったな」
「実はもう、始まっているんじゃないか」
「どういうことだ?」
「つまり、赤堂さんは、今日ここで起きることを知っていたんじゃないか」
「……。」
「例えばだが、ここで遊んでいる5人の子供たちは、いつもあの公園で遊んでいる子達じゃないのか」
「っ。なんで」
「勘だよ。あいつらは、無邪気に遊んでいるように見せて、妙に俺を気にしている。そんな気がするんだ。そして、お互いに目くばせだけで何かを伝えあっている」
「それは、気のせいだろ」
「そうか?赤堂さんも、そういう目には、敏感じゃないのか」
思い当たる節はあるらしい。赤堂さんは顔を下げて、後ろめたそうに自分の肩を抑えた。
誰かが、自分だけが知らない何かの策を練っていて。どうしてかその策の矛先が自分に向いているような気がする。これは被害妄想であるが、その結果を幾つか経験すれば、ただの被害妄想ではないと思えてしまってくるものだ。
先程、赤堂さんが子供達の方へ振り返った時、何かの合図を出していたことは明白であった。あの少年は、その指示を受けても疑心暗鬼に俺を注視したようだが。
「違うぞ、尾緒神。私達は別に、お前を嵌めようとしていた訳じゃない」
「……。」
「ただ、私が言い出し難かっただけだ。なんとなく、お前は面倒臭いとか言って、協力してくれないと思ったから」
「ひどいな。今までそうしたことはなかった筈だが」
「今までのとは訳が違うんだ。今回は、命がかかっている。だから、お前なら協力をしないていで、私を事件に関わらせなくするんじゃないかって思ったんだ」
「……。それは、どうだろうな」
気まずい沈黙が訪れる。そんな場合ではないのに。
だから、今回は俺が切り出すことにした。
「まあ、俺がどうしたかなんてどうでもいい。それよりも今は、やらなきゃいけないことがある」
「……。そうだな」
「ほら、反省顔をしている場合じゃないよ」
「そ、そうだな」
俺が軽いチョップを頭にお見舞いすると、赤堂さんが叩かれたところを手で押さえた。
「それで、赤堂さんは、何を知っている」
「私は。私も、詳しくは知らない。ただ、少し前にそこの池地に助けを求められただけだ」
そう言って、赤堂さんは俺ではない同年代の少年を指差した。
「もしかして、電話で断頭台云々言っている奴が居るって言っていた奴か」
「ああ。そうだ。あいつの弟がな、今回のイベントでの来場者特典を二つ集めるって駄々を捏ねたみたいなんだ。でもあいつには、このイベントに思うところがあるみたいで」
「思うところ?」
「悪いけど、それも詳しいことは知らないんだ。聞いても、俺が行けばきっと殺されるってしか答えてくれなくて」
つまるところ、断頭台というのは処刑場の意味で使われていたのか。
「詳しくは言えない。言いたくない。でも助けて欲しいって、頼まれてな」
「それで、面白そうだなって思ってしまったと」
「うぐっ。まあ、否定はしない。けれど、まさか銃を持った犯人が相手になるなんて」
みると、赤堂さんの手は少し震えていた。
「流石に怖いか?」
「そりゃ怖いだろ。だって、銃なんてどうすることも出来ない。私達が立ちふさがったところで、彼を守ろうとしたところで、ただ殺されるだけだ」
「そりゃそうかもな。けど、それでも犯人の正体は気になるんだな」
「そりゃな。犯人が分からない事件なんて、もやもやするだろ?」
「でも、犯人の正体を探るのは危険だぞ」
「の、望むところだぜ」
冷や汗を垂らしながら、赤堂さんはごくりと喉を鳴らし、不器用な笑みを浮かべた。
「というか、尾緒神。私のことばっかり言っているが、お前も嬉しそうな顔をしているぞ」
そんな馬鹿な。また無意識に笑っているとでも言うのだろうか。
「私達、どうしようもないな」
「はっ。そうかもな」
怖がっているのに楽しく思っているような、変な気持ちになる。
「尾緒神は、怖くないのか」
「いいや、ちゃんと怖いさ。もしこれで死んだら、ここで人生終わりなんだなって思っている」
いつあの女に見つかってもおかしくはないし、いつ拳銃を持った殺人犯に見つかってもおかしくない状況なのである。今は。
怖くない訳がない。いっそ、出会ってしまった後の方が、気が楽なんじゃないかとさえ思う。
赤堂さんはじっと俺を見た。
「やめろ、私も怖くなるから。そんなこと言うな」
「……。あほか」
「な!あほではないだろ!」
赤堂さんがそんな風に怒って、そうして、どうしてかお互いにクスリと笑ってしまう。
そして
「尾緒神、私はお前の敵じゃないぞ」
「……。分かっているよ」
赤堂さんのそんな言葉に、どうしてか昔のことを思い出す。
広いコートの上で、関東出身の超新星エリート達に負けた日のことだ。数多くの部活動をしていたが、あれはバスケ部の試合だったと思う。
「お前は確かに怪物だ。だが弱い。理由が分かるか?それは、一人ぼっちだからだ。お前は最後まで一人であり続けたから、俺達に勝てなかった。ここが、仲間を信じない、バスケも愛していないお前の限界地点だ」
敗北したコートの上で、上から見下ろされながらそんなことを言われた。
ズキンと頭が痛んだ。仲間、か。あの時の仲間は、全員敵で、使えなかった。
俺に、仲間などいなかった。仲間など、信じられる訳がなかった。
今の仲間は、どうだろうか。
あーあ。何も、こんな命がけの時に実感しようとするとは。
いや、だからこそか。だからこそ、今判断しない方がいい。赤堂さんとは、まだそれを測れるまで時間を共にしていない。1ヶ月程の付き合いで判断するのは早いだろう。多分。
ぐっと伸びをして気を紛らわせる。考えるのを止めたかったのと、そもそも俺は、昔のことをあまり思い出したくない。
「大丈夫だよ、赤堂さん。ちゃんと分かっているさ。だから次は、俺の知っている事を話す。仲間として、協力して貰う為にな」
そうして俺は、ここまで起きたことを簡潔に赤堂さんに伝えた。
話しが終わると、赤堂さんはムスッとしていた。
「ずるい」
「ん?」
「尾緒神だけ、本格的に巻き込まれててずるい」
「なんだよ、急に」
「だってお前、何も知らずにそうなったんだろ?」
「む。そうだが」
「ずるい」
なんでだよ。
「くそ、ノコギリクワガタを捕まえて喜んでた私が馬鹿みたいに思えて来た」
「この状況でも楽しめるっていうのは、寧ろ才能だと思うぞ」
「それ、褒めてないからな。それに、その時はまだ半信半疑だったし。犯人が銃を持っているとか知らなかったし!」
それは、確かにそうなのかもしれない。こういうのは普通、自分がヒーローになる為に起こればいいなと妄想はするけれど、実際に起きてしまうことなど殆どない。本気で信じていても、結局何も起こらない方が、現実的である。
「まあいい。何にせよ、俺達はとんでもないことに巻き込まれてしまった訳だ」
「はっ、だな」
俺達は強がりの笑みを浮かべる。
赤堂さんが自分の両頬を勢いよく叩いてから、握りこぶしを握って立ち上がる。
「よし!じゃあ始めようじゃないか。私達の、共同戦線って奴を!どんな奴でも相手にしてみせるぞ!銃でもなんでも持って来いってもんだ」
赤堂さんが立ち上がった後で、俺もゆっくりと腰を上げる。
「なら、銃の相手は赤堂さんに任せる」
「……。出来るだけ、銃は使わせない方向でいこう」
赤堂さんが少しだけ縮こまった。
「あ。そうだ。尾緒神の方は、犯人について何かめどが付いているのか?」
「いや、まだ全く分かっていない。銃を撃った奴の顔も見ていないしな。だが、気になることはある」
「気になっていること?」
これは、もしかすると考える必要のないことかもしれない。考え過ぎなだけかもしれない。そう前置いた上で言葉にすることにした。
「もしかしたら、今日ここには、目的の違う犯人が複数人いるのかもしれない」
「……は?それってどういう」
赤堂さんが小首を傾げた途端、全身に鳥肌が立った。森の中を疾走し、此方へと近づいてくるナニかの音を、俺の耳が捕える。
恩讐、殺気。隠す気など毛頭ない迫力が、風に乗って駆け抜けて来る。
瞬間、俺は飛び出していた。
「みつけた!みつけた!みつけた!!!あくまぁぁぁああああ!!!!」
「走れ!赤堂!!」
銃を持っている人間以外にも、この場所には人間に危害を与える可能性のある人物がいる。そいつが来たのだ。
長い髪を揺らし、血走った目をして女は目標を見据える。
光太くん母は、化け物染みた形相でナイフを持って走ってくる。
目標の少年、池地は女の叫びに反応し、そちらを見向いて驚いた形相をする。
到達と共に殺せるように、女はナイフを振り上げる。
池地は反射的に両手で顔を守るようなポーズを取った。
「ひっ」
「死ねぇ!!あくまぁぁぁああああ!!!!」
「チィッ」
寸前のところで、俺の足が女の手に届く。
振り下ろされたナイフは、その軌道を大きく変えて、池地の肩先をなぞるだけで済んだ。
それでも、掠れたところ血が流れ出る。
「あ、あ。肩が。肩があああああああ!!!」
叫ぶ池地、女は初撃が掠めるだけに留まってしまったことに舌を打ちながら、再びその手を振り上げた。初めから、何度も刺す気ではいたらしい動きだ。
俺は彼女と池地との間で、そのナイフを受け止める。
腰を抜かして倒れた池地に、彼の弟が駆け寄る。震えながらお兄ちゃんにしがみ付き、お兄ちゃん、お兄ちゃん!と泣いている。彼らが怯えている対象は、こくりこくりと首を、長い髪の毛を動かしながら俺も見ずにその子ども達を睨み付ける。
「見つけた。見つけた。タダサナキャ。タダサナキャ。光太、悪魔、タダサナキャ。私が、わつぁしが、光太。こうたぁ!!お前!邪魔だあああああ!!」
「ひっ。あっ。うぐっ。お、俺じゃない!俺じゃないんだ!俺がやったんじゃない!太値がやった、圧部の野郎がやった!俺はただ、見てただけなんだ!周りにいただけなんだよ!」
「五月蠅い!光太を返せぇぇえええ!!」
歪んだ顔をした少年は、醜い言い訳を始める。足は動かないようで、涙を浮かべながら無実のみを視聴する。しかし、その顔は嘘つきの顔をしていた。生きるために、付いている嘘。
現状を見て判断する。恐らくだが、確定だ。池地は過去に、光太くんのいじめに加担している。彼の言った断頭台。処刑場を連想させるほどの罪とは、光太くんのことであったのだろう。
こうなる気はしていた。寧ろ俺は、こうなることが本来の道筋だと思っていた。
彼女が今回の件の犯人で、被害者は、彼女の子どもをいじめていた子ども達。そういうシナリオは想像していた。
しかし、その限りではなかった。現在までに死んでいるのは、光太くんの母親だ。
だから俺は、読みを外している。
そして、複数の事件が同時に発生しているのではないかと思うようになった。
なぜなら、こうして彼女はこの少年を殺そうとしているのだから。そして、彼女の母親を殺した人間は他にいる。
池地くんが彼女の母を殺したのかとも思ったが、今の反応と赤堂さんとずっと一緒にいたことから、その可能性はないと断じる。赤堂さんはあの銃撃があった時には、既に森の奥へと入り込んでいた。
こういう仮説も立てた。光太くんの母親の死は安全装置の破壊を意味していたのではないだろうかということ。あの刑事さん曰く、圭子さんの中ではまだ、光太くんが生きているらしい。だが、今俺の目の前にいる彼女は、どうみても穏やかじゃない。息子の仇を取る、復讐に捕らわれた母親の顔をしているのだ。
もし仮に、狂わないでいられることが、彼女の母親が一緒にいる時だけのことだったとしたら。あの女は、俺と対面した時には明らかに殺意を持って池地くんを探していた。赤堂さんと一緒にいることを知っていたから、俺にその居場所を聞いて来た。
圭子さんの母親が、実際にはどんな風に歯止めになっていたのかは知らない。どんな心の支えになっていたのかは知らない。どちらにしろ、もう彼女を止めてくれる者はいなくなったと思っていいだろう。
つまり、彼女の母親を殺すことで、なんらかの制約が解かれてしまったのではないだろうか。彼女の安定が、再び崩れたのではないだろうか。
そして、それを狙ってやった奴がいるのではないだろうか。
そうであれば、事件はまだ始まったばかりである。
しかし、そうだとすれば、彼女を暴れさせることに、一体何の意味が。
圭子さんは今、きっと別の夢を見ている。子どもを連れ去った悪魔と退治する夢を。圭太くんが帰って来る、希望的可能性がある夢を。
池地のことを考える。
今回の銃殺において、この女は逮捕されない。彼女は銃を撃った人物でなければ、まだ罪を犯していなのだから、逮捕なんてされない。
だからこそ、警察が来たとしても、この女は危険なままである。
寧ろ、警察が来て身動きが取り難くなるのは俺達の方だ。
後は大人に任せてと言われて、関われなくなる。
心が現実にない圭子さんには、警察の持つ抑止力など関係がない。例え彼らが目の前にいたとしても、躊躇無く池地くんを殺せるだろう。
彼女は既に、自制が効いていない。自分が逮捕されるなんて思考がない。
ただ、自分の子どもを返して貰うために動いているだけのナニかに過ぎないのだ。
それだけの殺意を持っている。実際、今目の前でその殺意を発揮している。
であれば、こちらの動けるタイミングで行動を起こさせた方がいい。警察が、俺達の言葉を橘さんのものと同じ妄言だと捉えてしまう前に。油断した隙に殺されてしまわないように。
それが、今回赤堂さんが受けた依頼だ。
友達として、その達成には助力したい。
いいや、それは建前か。俺は、同年代の人間が、目の前で殺されることを酷く嫌っている。自分の目の前で、再びそれが起きてしまうことが怖いだけだ。
警察は、事件が起これば対処してくれる。しかし、起きていない事件に対してはそれほど前のめりではない。
そういう未来が来るような気がしていたのに、何も知らない素振りをして警察に後を任せて家に帰り、翌朝の朝刊で事件を知る。そうして、俺なら止められていたかもしれなかったのに。なんて後悔をするのはもう嫌だ。
俺が関わったところでどうすることも出来なかった。だから落ち込む必要はないと、周りに励まされるままに自分を洗脳しようとするのは、もう嫌だ。死人にまとわりつかれるのは、もう嫌だ。
俺は圭子さんの前に立ちはだかる。
赤堂さんと子ども達がいれば、現行犯逮捕の正当性もある程度は保証出来るだろう。
赤堂さんに事情を説明したのは、保険でもある。もし俺が失敗してしまった場合でも、俺が死ぬまでには彼女が子ども達を連れて逃げてくれるだろうと信じてのことだった。
赤堂さんと子ども達が逃げるまでは死んでも足止めをしてみせる。
何度も振りかざされる圭子さんのナイフを捌き切る。俺には、武道の心得もある。自分の精神が完全に崩壊仕切らなかったのは、これのお陰かもしれない。
赤堂さんが追いついてくる。
女は、池地を見るのをやめ、俺を睨め付ける。
そうして、邪魔者を排除する為ではない、俺を殺す為にナイフを大きく振りかぶった。
刃が刺さらないように、女の腕に俺の腕を打つける。ナイフが眼前で静止している。無理矢理ねじ込もうとする彼女の腕を、難なく押しとどめる。
「三智長くん!立てる?逃げるよ!秋庭くんも」
「違う。違う。俺じゃないんだ!」
後ろで、赤堂さんが彼らを逃がすために声を掛けてくれていた。
「間違っている。みんな、みんな、タダサナキャ」
目の前の女は目を見開いて顔を近づけてくる。
「あくまの使いめ。先ずはお前から殺してやる!!!」
血の混じった圭子さんの唾が顔に掛かる。
「赤堂さん!引き摺ってでも逃がせ」
女はナイフを振り翳す。俺はそれをまた受け流す。
いける。この女、素人だ。恐らく喧嘩慣れもしていない。雑に振り回されるナイフの軌道は、単純で読みやすい。これなら隙を見て掴んで投げて、拘束出来る。空手も柔道も合気道も、中学時代に習った数多くの運動部での経験が、地獄の経験が活きる。
ナイフには女の指紋がべったりと付いている。
とにかくこれで、池地の命は守られる。そしてこの件は終わる。俺が危惧していることの1つは、これで安全に―――。
タンッと、軽い音がなった。
体が押された。何度目かの刃を捌こうとしていた俺の腕は所定の位置から外れ、その勢いを流せず、相殺出来たはずの女の手が滑り込んだ。ナイフが、肩口に刺さる。それなのに、俺の意識はその痛みには寄せられなかった。
驚愕は感覚を遅らせる。耳に残る発砲音、左の助骨辺りを後ろから襲った衝撃が、痛みが。ナイフの痛みを掻き消した。
尾緒神も――きっと、気に入ると思うよ。
心臓がどくんと跳ねたような、そんな気がした。
俺が直前に感じていた見通しが、簡単に崩れていく。
自分の名前を呼ぶ、悲鳴にも似た叫びが耳をつんざいた。その声で俺は正気を取り戻す。
前を見る。衝撃に押されて近づいて来ていた圭子さんの胸ぐらを掴む。俺と同じくらいの大きさ体の中に、自身の肢体を潜り込ませながら振り返る。背後には、木々の奥には、ガゲン仮面のお面を被った長髪の女が立っていた。手には拳銃。銃口からは硝煙。俺にはその景色がひどくスローモーションに見えた。
2発目の発砲。俺は、先程撃たれたのだと自覚する。2発目の銃弾は、俺に背負い投げられている最中の女に着弾した。後ろにいた赤堂さんは少年を引き摺って多少距離を開けていて、銃の衝撃を受けながらも、俺はその反動すら打ち消す勢いで女を地面に叩き付けた。
女は吐血する。銃弾に抉られた箇所から溢れ出した血は衣服に、地面に染みこんでいく。
それでも尚、女は変わらぬ狂気を表情に浮かべていた。
こいつはまだ動く気だ。しかし、俺にはそれに対処している時間はない。
ごめん。と、俺は確かにそう呟いた。目標を切り替えなければいけない。さもないと、俺が死ぬ。俺は、なりふり構わず駆け出していた。目先にいる仮面の女は、まだ銃口を向けている。他人の心配をしている場合ではない。しかし
「悪い!赤堂さん!そっちは任せた!!」
自分でも驚くほど大きな声が出る。余裕がないことを自覚する。他人頼りのどうしようもない悪足掻きを自覚していた。
「そっちって、おま」
その時、赤堂さんは見た。ゆらゆらと立ち上がる、子を失った女の讐念を。化け物だと思った。どうしてと思った。心が萎縮する。しかし、この場にはそんな恩讐と共に、銃で撃たれながらも疾走する友の姿が存在していた。
私は任されたのだ。拳銃を持った殺人犯に突っ込んでいった彼に比べると、負傷した手ぶらの殺人未遂犯など、と。赤堂さんは己を奮い立たせてしまう。
彼女とて、刃物を振り回された経験があった。
この場の異質さが、迫り来る死の気配が、本来なら必要のない勇気を奮い立たせてしまう。彼女の頭から、「逃走」の2文字を消してしまう。そうして彼女は、拳を握った。いつか憧れた、テレビで見るヒーローのように。何度も、そうして来たように。
後ろで震える、逃げられない子ども達を守る為に。
赤堂さんの赤いマフラーが風に靡いた。
尾緒神は既に、赤堂さんの方へ意識を回すことは出来なくなっていた。
彼の思考は掠れ始めている。背中に負った傷が、想像より酷く、思考を蝕み始めていた。それでも速度を落さずに体を動かしている現状は、はっきりといって異常であった。彼の頭にはもう、ただ目の前の敵を排除するという命令しか残されていない。せめて、一番危険な奴を引き受けるくらいのことはしろと、意地が訴えて来る。
あの女のことについては、赤堂さんを信じるしかない。あの女も同じく大きな負傷を負った、弱体化はしている筈である。
自分は目の前の銃撃犯に集中を、と思うも意識は既に遠くに行きつつあった。
熱い。痛い。苦しい。喉の奥で、血の味がする。
それらの混乱の奥で、遠い記憶が引き出される。
野球、夏の猛特訓。改造されたピッチングマシーンから飛び出る時速200キロを優に超える剛速球。俺はそれを何度も打たされた。何度も、体に打ち込まれた。お遊びだった。帰りたくても、帰らせてくれなかった。縛られて、抵抗出来ないこともあった。涙の味が簡単に思い出せた。沢山の痣が出来た。死ぬかと思う日もあった。むかつく連中の顔が浮かぶ。死ぬほど走らされたし、意図的なレッドボールを何度も味わった。
まるで走馬灯のように流れる記憶。普段は封印している、中学時代の部活動への嫌悪。
分かっている。比べることじゃない。銃弾の方が圧倒的に早い。でもどうしてか、今の俺ならその弾道を見切ることが出来るような気がした。あの日々のピッチングマシーンの発射口と、銃口とが俺の視界の中で重なる。
痛みで荒れていた筈の呼吸が、体の動きと一致する。
3発目の爆発。発砲。銃弾は、俺のおでこを掠めた。
やはり銃弾。そう簡単には避けきれない。
それでも、掠めるだけに済ませられたことはかなり大きい。
目に血がなだれ込んで来て、視界が真っ赤に染まる。
おかしくなった、赤い世界。僕、俺、いば、いばしょ。
掠めたとはいえ、銃弾を避けた。仮面の奥の表情が歪むのが分かった。愉悦を感じた。しかし、次の動きを見てその躊躇いの無さに屈服した。女は俺が避けられない位置に、避けたら失速せざるを得ない場所へと銃口を向ける。
そこに撃たれたら、俺は最速でお前を殺せない。
仮面の女と、俺の距離はもう近い。この弾さえ避けられれば、確実に接敵出来る。
4発目。相手が拳銃を持っている以上、距離を取れば負けるのは俺だ。俺は、何の躊躇いもなく左腕を捨てた。あの日飛んで来たボールを拳を払うように、条件反射で手が動く。手刀に着弾。弾丸が皮膚にめり込んでいくのが分かる。瞬間的に重心をずらす。貫通は不味い。左腕損失は不味い。俺は弾丸が腕の側面を流れるように体制を変化させる。
失速は出来ない。銃弾に押され、左腕は後方へと吹き飛ぶ。骨は無事。目論見通りに側面だけを抉りとっていった。しかし上半身は、その弾道に引っぱられる。
右足を地面に突き刺し、左足を浮かせて体を回す。銃弾の勢いを、加速に利用する。勢いは殺さず、遠心力に変換する。銃弾の勢いを、回転に移して加速へと利用する。勢いは殺されぬまま流れていき、前方へと帰ってくる。後ろ向きの勢いは、大きく振られながら前方へと到達し、右足を置き去りにして体を引っ張ってくれる。そうして俺は、撃ち抜かれた衝撃を利用して左足から仮面の女へと突っ込んだ。
女の腹に俺の蹴りが刺さり、その体は吹き飛んだ。俺は倒れないようにして体制を立て直す。左手はもう使えなかった。小指と薬指の感覚はもう殆どなくなっていた。撃たれた背中は嫌に思う程熱いが、不思議と痛さはない。恐らく、背中の痛覚がいかれている。貫通はしていない。初弾はまだ体内の中。体の違和感は詰め物だと思って割り切り、それがあることを前提にして体が駆動するように修正する。
俺はフラつきながら、肩に突き刺さったナイフを抜いて、その辺に投げ捨てた。
そうして再び走り出す。まだ、相手は気絶していない。一瞬で詰められる程度ではあるが、距離が出来た。相手は迷わず銃を使う。銃弾はそう何度も避けられない。生半可な位置では俺がそれを避けることなどもう織り込み済みだろう。それを見越した上で撃たれるとどうしようもない。
左腕のような犠牲を伴った進軍も、そう何度も繰り返せない。こちらの体が保たない。
女は木に背を預けながら立ち上がり、予想通りに拳銃を向けた。仮面の下部からは赤い血が滴り落ちている。
しかし、女が引き金を引くよりも先に、俺の蹴りが届いた。
俺が拳銃を持った手を蹴り飛ばすと、銃は簡単に彼女の手を離れていった。
どうやら、こちらの想定以上に腹への蹴りが効いてくれているらしい。
が、それは相手の想定していることだった。飛んで行く銃を視線で追う、危険物の行き先を気にした俺の死角に彼女は潜り込む。
下から何十発、いや、何百発かの蹴りを入れられて、俺の体は暫くの間宙に浮いた。連撃が終わり、体が地面に落ちると思ったところで頬に強烈な蹴りを叩き込まれる。
地面を転がる。血が巻き散る。意識が飛びかける。直ぐに立ち上がったが、フラつきながら後退する痴態を晒してしまう。体が重力に惹かれているが、なんとか踏み留まった。高速で蹴られ続けたせいで、腹が痛い。頬を蹴られた時に噛んだのか、唇からは流血が。
人間離れをした蹴り技。
実際に受けたのは初めてのはずだが、どうしてか俺は、その蹴りを知っているような気がした。
人を数分浮かせられるほど蹴りを叩き込める奴なんてそういない。
そうだ。どこかで、聞いた事がある筈だ。
「思い、出した」
血玉を呑み込みながら、相手の顔を睨む。世界が赤い。
3年前。クソみたいな部活動の中で、クソみたいな先輩が話していた噂。その時から2年昔。かつて瓦山の方で、とんでもなく強く、美しい少女がいたのだと。舎弟は1人、小学生男児を連れて、2人で世直しをしているヒーロー気取りのクソ女がいるのだと。
そいつを屈服させて従えたかった男共が、何人も散っていったのだという噂話しを。
その女の必殺技が、人を宙に浮かせ続けられるほどの素早い蹴りの連撃だった筈だ。その蹴りは、大型バイクですら耐空させてみせるらしい。そんなものは人間業じゃない、盛りすぎだとあいつらは笑っていた。
それは、そいつが1年生の時の話である。
つまり、それのクソ女が居たのは5年間の話しである。
そういえばあの時、その女に今なら勝てるとか言っていたな。俺をいじめて舞い上がっていたのだろう。どっかの高校で静かに暮らしていて、かつての面影も見えなくなった彼女を、先輩と一緒に襲いに行くのだとか。そんな話をしていたっけ。
そういえばあいつ、その後骨折して帰ってきて試合に出られなくなっていたな。
3年生最後の夏を、美女へのナンパで棒に振った馬鹿な奴だった。
はは。ざまあみろ。今でも笑えてくる。あの日、朦朧とした意識の中にあった俺に教えてやりたいくらいだ。
でも、そうか。
「お前が、レディガゲンか」
仮面の女が揺れる。
「そうか。その名を知っているということは、やっぱりお前もあいつらの仲間か。その強さ、恐らくは組織の中枢にいるものと見える」
思い出した記憶に、整合する話がある。
木並 光太。当時まだ12歳だった男の子だ
この企画の根幹には、弔いがあるんだよ
河原山高校の生徒会長の幼馴染みがな。3年前に亡くなっているんだ
あの人の子どもは、3年前に亡くなっている
小学校の高学年になってもまだテレビのヒーローに憧れていることは、変なことだったんだ。ヒーローごっこは卒業するべきことで、だからこそ彼は浮いていた
小学生男児を連れて、2人で世直しをしているヒーロー気取りのクソ女がいるのだという5年前の噂
天国へといってしまった幼馴染みへの花向けとして、どうしても今回の企画をやりたかった
今日どうしてここでヒーローショーが開催されたのか。
それはつまり、どうして河原山高校の生徒会長がこのイベントを行ったかとも言い換えられる。
そしてそこに、彼を殺したいじめっ子がいればどうなるか。
それらが全て、計画の内のことであったとするのなら。
もし、意図して年齢制限を掛けた特典を二種用意したとするのなら。
兄弟がいなければコンプ出来ない仕様にした理由が、彼が来る可能性を押し上げるためだったとするのなら。
彼の弟が駄々を捏ね、母親はそれを面倒がってお兄ちゃんに協力を求める形で強制した。そんなどこの家庭でもありそうな形が、池地くんの家で当てはまっていたとするのなら。
最初から、光太くんへ向けた場所で、光太くんへ向けた手向けを用意するつもりだったのなら。
幾つかの『もしも』が浮かんでいく。
もしも、目の前の女が河原山高校の生徒会長だとするのなら。
「どうして貴方が、河原山高校の生徒会長が、こんなことを」
「知らないとは言わせない。お前達が殺した人間の仇を取る為だ。お前も、ここで死ね」
やはり、この人は河原山高校の生徒会長だった。
学校生徒の模範生であるのが生徒会長だということ、狩谷会長と親しい仲だということで、俺は勝手に彼女をその対象から外してしまっていた。
狩谷会長と同じく、何かに巻き込まれている側の人間だと思い込んでいた。
でもそうか、そういう筋書きだったのか。
生徒会側のことは何か起きても会長が抑えてくれていると思っていた。会長も、ここで起こる何かには気が付いていたみたいだったし、何かをしようとしていた。だがそうか、國火下か。
あの時、生徒会長は俺に明確な敵意を見せた國火下の去った後を見続けていた。そもそも彼は生徒会役員でもなく、自分から進んでこのイベントの手伝いに参加して来た人間だ。
それが善意ではないことは分かっていた。彼の真意は赤堂さんだろう。赤堂さんならこのイベントに飛び付くと、こんなヒーローショーを見逃す筈がないと、彼は分かっていた。
しかし、それを知らない狩谷会長からすれば彼は怪しい人物に他ならない。このイベントを使って実際に何か企んでいる人物ではあったのだ。
おそらく会長は今、國火下と一緒にいる。
目の前の女は、そうなることを分かって彼をこのイベントに参加させたのか。流石に偶然のことだったのか。
傷が痛む。頭がぼんやりしている。もう、何が何だか分からない。どこからが仕組まれたことなのか。いつから、誰が、どんな目的を持ってこの件に参画しているのか。この女の、この行動自体も、何かの計画の一部でしかないのか。どこまでが必然で、どこからが、偶然なのか。計画犯は、何人いるのか。そんなこと、知る由もないというのに。
全ては仮定でしか考えられていないことである。
俺は、構えを取る。
「悪いが、俺はお前の思っている連中ではない」
「嘘を付け」
女は迫る。レディガゲンとの攻防の中で、驚くほど冷静に考える自分がいた。
それももう、保たない。




