I
季節は冬。
十一月初旬だった。
空は高く、綺麗な青色で澄み渡っていた。
絶好の引越し日和だ。
正午を過ぎ、太陽が真上に登っている。
太陽の光が、目の前の立派な一軒家を、より立派に見えるように照らしていた。
おちぶれた今の自分には、釣り合わない二階建てのスマートな一軒家が目の前に建っている。
坪は大きくなく、縦に高く細長い一軒家だった。
デザイナーズといった言葉がぴったりな物件で、二階部分が大きなガラス張りで造られていて、俺には似合わない洒落た家だった。
その家は、大きな道路に面していて、両隣に間の余裕を持って隣家が建っている。
アメリカ人の引越し業者が俺の荷物を、トラックからその洒落た一軒家に次々と運び出していた。
それを横目に、俺は朦朧とした頭で自分の携帯をただただ触って、引越し作業が終わるのを待っていた。
立ち尽くし、携帯を手持ち無沙汰にいじりながら、ふと、叔父の顔が脳裏に過ぎった。
きっと、叔父に頭が上がらないからだ。
成人したのに、ちっとも立派に生活できない俺に、情けをかけてくれた叔父。
叔父は、俺に家を貸してくれ、当面の生活費も出すと言ってくれた。
だから俺は、また突拍子もなく衝動的に、俺の意思で、アメリカにある叔父所有の物件に、自分の中の何かが変わることを期待して、引っ越してきた。
叔父は日本の物件も、もちろん所有していた。
俺は気弱でストレスに弱く、流されやすいが、たまに強い衝動で好奇心の元、突拍子のない選択を取る。
非常に不安定な人間だ。
だから、今回も英語がそんなに得意でもないのに、自己啓発的な何かを期待して、アメリカに来るという選択をした。
最後に会った叔父との記憶が頭の中で再生される。
幅広ながっしりした体付きの叔父が、俺の肩にそっと手を置いて、柔和な表情で俺に言った。
「透真、ゆっくりでいいさ、好きなことを探せばいい。それまでは私が手助けする」
その時、俺は優しい叔父に、自分の不甲斐なさをより実感して泣いて、恥ずかしさと、有り難さで、何も言えなかった。
そんな俺に対して、叔父は、もう何も言わず、悲痛な表情を浮かべながら、俺の肩をさすってくれた。
記憶の中の叔父がふっと消える。
これから、自分が何をして生きていたいのか、また探そう。
わからないけど、頑張ってみよう。
叔父と会った後、何回も考えた決意をまた心に浮かべた。
こんな俺にこの上なく心強い身内がいたことが不幸中の幸いだった。
自分は恵まれているよな。
携帯をぼんやりと、触って程なくして、引越し業者の一人の筋肉隆々な男が話しかけてきた。
「よう、にいちゃん! 荷物運び終わったぞ。支払いよろしく」
もちろん、男はアメリカ人で英語を話しかけてきている。
これぐらいの英語なら、理解できた。
「ありがとうございます。じゃあクレジットで」
俺は男に丁寧な英語で返しながら、ポケットに手を突っ込み財布を取り出し、財布の中から一枚のブラックカードを取り出すと、男に手渡した。
「ヒュー! すげーな、ちょっと待ってな!」
男は口笛を吹いて、トラックに戻って行った。
仕事を終えた数人の引越し業者の男達が、集まってハイテンションで何やら会話をしている。
俺にはついていけないテンションの高さだ。
それに何を言っているか、英語力が足りないのでわからなかった。
男が戻ってきた。
「ほらよ、支払い完了だ」
男は俺にブラックカードを返して、綺麗な歯並びで真っ白い歯をこれでもかと見せつけるぐらい、明るく笑っていた。
俺は自分の財布にブラックカードをしまう。
このブラックカードは俺の物ではない。
名義は矤上 洋慈【やがみ ようじ】、叔父名義のブラックカードだった。
男がまだニコニコ笑いながら、俺の前に立っている。
俺はどういう状況か理解できず、目の前の男を苦笑いを浮かべて見た。
俺が何もアクションを起こさないとわかった男は、次第に笑顔が消え、徐々に見ていて恐ろしくなる表情に変わっていった。
「何だよ、チップなしか? チッ! 金持ちのくせにクソなケチだぜ」
男は大きく舌打ちをした後、汚い言葉で俺を罵ったようで、苛立ちを隠せない様子で、トラックに向かう。
「おい、お前ら、このお金持ちはチップなしだぞ、一体何が気に入らなかったんだか! 帰るぞ!」
トラックに向かいながら、男は待っていた仲間の男達に大袈裟に肩をすくめながら、話しかけていた。
男の話を聞いた仲間達がそれぞれ口を開いた。
「なんてこった」
「ワォ、期待してたのに!」
何も言わず、両腕を胸の前で組んで、眉を上下させ、表情だけでリアクションをしていた男もいた。
男達が、十人十色な表情や目付きでこちらを見ながら、トラックに乗り込んでいく。
やがて、トラックは出発し、俺の元から去っていた。
あっけに取られた俺は、立ち尽くしたまま、やっと理解が追いついた。
ああ、アメリカはチップ文化だったな。
猛烈に恥ずかしさと引越しの兄ちゃん達に申し訳なさが湧いてくる。
兄ちゃん達はいい奴等だった、今度から気をつけよう。
まぁ、どちらにせよ、今俺はドル紙幣が手元になかった事に気付く。
結果は同じだったわけだ。
何でもいいから、仕事探さなきゃな。
叔父さんに、無事に引越し完了したよって連絡も入れよう。
俺は新居に向けて、足を踏み出した。
携帯を持ち、頭を垂れ、片手で叔父さん宛にメッセージを書き込みながら、もう片方の手で俺は立派な新居のドアを開いた。