第七話 雨とステラクロイツ
捜査開始から、数日が過ぎ。
私たちの捜査は早くも暗礁に乗り上げつつあった。
もともと、帝都リンデンの治安を一手に任されている騎士庁が、躍起になって捜査しても犯人の尻尾すらつかめていないような難事件なのだ。
いくらシャルロッテが優秀な頭脳を持つ探偵とはいえ、短期間では犯人を逮捕できないのも無理はない。
むしろ、当然と言ってもいいぐらいの状況だ。
とはいえ、必死に頭をひねっても真相がまったくと言っていいほどつかめない現況は、さながら底なし沼を浚っているかのようで、あまり気分のいいものではなかった。
自然とシャルロッテも不機嫌となり、以前より口数が若干だが減っている。
前はうるさいほど私に話しかけて来ていたのが、最近はだんまりしていることも多かった。
一方の私は、着々とここでの生活基盤を整えつつあった。
暇な時間に少しずつ私物を買い足したり、与えられた寝室の内装にも少しずつ手を加えている。
もうしばらくすれば、完璧な生活環境が完成することだろう。
事件の捜査とは裏腹に、私生活はとても順調だ。
「シャルロッテ、買い物に付き合ってくれへん?」
ある昼下がりのこと。
いつものように居間で私たちが資料を漁っていると、ドアの向こうからエリカが少し困ったような顔をのぞかせた。
安楽椅子の上でスクラップに埋もれていたシャルロッテが、いささかめんどくさそうに身を起こす。
その様子は、まるで休日の昼寝を邪魔された中年男のようだった。
ビスクドールのようにかわいらしい顔には似つかわしくない、深い皺が額に寄っている。
ここ数日、ろくに休息を取らずに働き続けているせいか、少々やつれているようだ。
「何で? 私、見てのとおり忙しいの」
「いやな、外、いま雨が降っててん。今日は週に一度の水曜市やし、荷物持ちを手伝ってほしいんや」
「自慢のモービルがあるじゃない。あれで行けば、一人でもなんとかなるわよ」
酷くそっけない口調でそういうと、シャルロッテは再びスクラップへと視線を戻した。
うーん……これではいけない。
医者として彼女の精神や健康が損なわれつつあることを感じた私は、やれやれとため息をつく。
他のことはほとんどすべて適当に済ましてしまうのに、こと事件の捜査に関しては、シャルロッテは一切の手抜きを許さなかった。
まさに寝食を忘れると言った状態で、己の全精力を捜査にのみ注ぎ込んでしまっている。
遊びに熱中するあまり、家に帰らねばならぬことすら忘れてしまった子どものように。
そんな状況を長らく続けていれば、さすがに身体に悪いことは明白だ。
「行って来たら? 最近のシャルロッテは、少し捜査に熱中し過ぎよ。たまには息抜きしなきゃ」
「あともう少しで何かわかりそうな気がするのよ。今はダメ、集中させて」
「……あともう少しって、三日前から言い続けてるじゃない。子どもの言い訳じゃないんだから」
「きょ、今日はほんとにあともう少しなのよ!」
痛いところを突かれて動揺を隠せないシャルロッテ。
素っ頓狂な声を張り上げた彼女は、姿勢を崩して安楽椅子から転げ落ちそうになった。
もう少し揺さぶれば、行けそうか。
私は怖い顔をして見せると、彼女の目をジイッとまっすぐに覗き込む。
「言っておくけど、息抜きしないといけないってのは『医者としての意見』よ。あんまり一つのことに熱中しすぎると、体に毒なんだから」
「……事件のためなら、身を削る覚悟ぐらいあるわ!」
「なら、捜査に固執しすぎて自慢の柔らかい頭がコチコチになってもいいの? 一つのことばっかりやってると、脳内の回路が固定化されて、柔軟な思考がまったく出来なくなっちゃうわよ?」
「そ、それほんと?」
「ええ、もちろん。そうね、トランプゲームばっかりに熱中してたラプント子爵が、三十代の若さで痴呆の症状を見せたなんて話もあるわ。同じことばかりしていると脳が駄目になるなんて、医学界じゃかなり有名な話よ?」
――知らなかったの?
眉を軽く持ち上げると、私は少し驚いたように尋ねて見せた。
たちまち、シャルロッテの顔から血の気が引いていく。
やがて唇を紫にした彼女は、呆然自失とした顔で、黙って首を縦に振った。
そしてそのまま、安楽椅子からゆっくりと立ち上がる。
「わかったわ、行ってくる。世紀の天才が台無しになったら困っちゃう!」
「それじゃあ、私は留守番してるわね」
「……シェリーは、息抜きしなくて平気なの?」
「大丈夫よ、私はそれなりに休んでるから」
資料から顔を上げると、視線で本棚の一角を示す。
他と比べて整然としているそこには、私が持ち込んだ本がまとめて並べてあった。
十冊ほどと数は少ないが、医学書から推理小説までいろいろと取り揃えてある。
ほとんど着の身着のままでいた私の、数少ない財産だ。
「そ、じゃあ行ってくるわ!」
「せっかくの買い物だし楽しんできてね」
「うん! よーし、今日はいっぱい買うわよーッ!!」
「ちょっとちょっと、シャルロッテは荷物持ちなんやで? 荷物持ちが荷物を増やしたら、アカンやろ?」
「いいじゃない、買い物のためのモービルでしょ。ちゃんと活用しなきゃ」
「そりゃそうかも知れへんけど……」
急に買い物する気マンマンになったシャルロッテに、エリカはやれやれと苦笑した。
彼女はシャルロッテに急かされながら家を出ると、窓の外から私に向かって手を振ってくる。
私はグッと親指を持ち上げると、軽く笑い返してやった。
すると安心したのか、その後は振り返ることなく、シャルロッテと仲良くモービルに乗り込んでいく。
エンジン音が高く響き、灰色の煙と共に緑の車体が遠ざかって行った。
「……あのシャルロッテをだませるなんて、似非科学も大したもんだわ」
居間に一人残された私は、椅子の下に置いていた一冊の医学書『らしき』本を手にした。
良くわからない学者が書いた得体の知れない本なのだが、『トランプ脳』というタイトルにひかれてついつい買ってしまったものである。
内容のあまりのでたらめさに、損をしたと思っていたが……これで結果オーライか。
私一人では、ここまでスラスラと適当な理屈を並べられなかっただろう。
「さてと、部屋の整理でもしましょうか……」
部屋を見渡せば、あちこちに資料が山積みになり、本棚は一部を除いて大きさもジャンルも揃えずに本が突っ込まれている。
趣味の実験器具などは、不要不急のものだからと部屋の端に押し込められ、今にも雪崩を起こしそうな山脈を形作っていた。
放っておけば、ランプの灯が散らかった紙に引火して、火事でも起こしてしまいそうだ。
今のうちに何とかしなければいけないが、どこから手を付ければいいのか。
憂鬱な気分になりながらも、とりあえず手近な資料をまとめ始める。
「これは、こっちね。あれは……。まったく、読んだら読みっぱなしにするんだから」
片付けと言う概念を持ち合わせていないらしいシャルロッテに、軽く悪態をつきつつも、手早く作業を済ませていく。
資料を山と抱えて、足の踏み場すら危うい部屋の中を行ったり来たり。
どこに何をしまったのかメモしながら、少しずつ整理整頓していく。
それを工場の歯車よろしく、単調な動きで繰り返すこと数十回。
散らかり放題だった部屋の中が、だんだんと見られる状態になってきた。
書類の山の大きさが、目に見えて小さくなる。
「おっと! あら?」
つま先で蹴飛ばし、崩してしまった書類の山。
それに埋もれるようにして、鈍い銀の輝きがあった。
先ほどまで、シャルロッテが座っていた安楽椅子のすぐ脇である。
何かの落とし物だろうか。
不審に思って周囲の書類をどかしてみれば、直径七センチほどの円い時計のような機械が姿を現した。
シャルロッテが普段使用しているアストロラーベである。
上蓋に刻まれた特徴的なステラクロイツの意匠を、間違えるはずもない。
「よっぽど疲れてたのね。こんな大事なものを置きっぱなしにするなんて」
星錬術師にとって、アストロラーベはとても重要なものである。
長い年月をかけて調整を重ね、自分用に完成させていく、まさに己の手足の一部とも呼べる存在だ。
それ故に星錬術師は、朝起きた時から夜眠るときまで、片時たりともアストロラーベを肌から離さない。
アストロラーベは星錬術師の伴侶である――などと、冗談めいた格言まであるほどだ。
加えて、アストロラーベはとてつもなく高価なものである。
ネジが錆びついているような旧式の機械でも、軽く数十ギニーはする。
家の中とはいえアストロラーベを置きっぱなしにしていくとは、いくら何でも不用心だ。
よほど、くたびれていたのだろう。
疲れの影響がもろに出てしまっている。
「まあ、逆にいえばそれだけ私を信頼してくれてるってことなのかしらね」
もし、私のことをさほど深く信用していないのであれば、シャルロッテは絶対にこんな重要なものを放置してはいかない。
一見して非常に楽天的かつフレンドリーに見えるが、彼女はかなりシビアな面を持つ人間だ。
心の鍵をしっかりと掛けておくタイプである。
信頼できない人間に、己の弱みを見せるようなことはどんな状態であれ決してしない。
逆にいえば、弱みを見せてもらえたということは、それなりに信用されているということである。
「重ッ!? これ、もしかして純銀製? かなりの高級品っぽいわね……」
アストロラーベを手に取ってみると、肌に食い込むような重さに思わず目が丸くなった。
鉄製だとばかり思っていたが、これは明らかに銀の重さだ。
表面に刻まれたステラクロイツ――六芒星の中に十字を描いた、星十字教会のシンボル――も、立体的かつ精緻な造りをしている。
軽く手にしただけでも、物が良いことが分かる高級感のある機械だ。
いったい、どこで生産されたものなのか。
あまり良くないことだとは自覚しつつも、好奇心に駆られた私は、上蓋の裏に書かれた銘を確認する。
「教立アカデミー第三工房って、聞いたことないわね。教会の関係かしら……」
ブリタニカ帝国の国教であり、帝国の覇権と共に今や大陸全土へと勢力を拡大しつつある星十字教会。
小国並の勢力を誇るこの宗教団体は、帝国政府や軍と並んで星錬術の研究を熱心に行っていた。
信仰の守護の名のもとに、『星影の黄昏』なる強力な星錬術師集団を戦力として有しているほどだ。
国と同様に女王をトップに据えているため、その力の大きさを問題視されることはあまりないが、星錬術師の質に限定すれば軍をも凌ぐさえ言われている。
特に、黄道十二宮の名を冠する『星影の黄昏』の上位十二名は、大陸でも最精鋭と言われている。
ハバリアの内戦にも女王の命で参戦したそうだが、その戦果はちょっとした戦場神話になるほどだったとか。
そんな星十字教会ならアストロラーベぐらい、自家生産していても何の不思議もない。
だが……なぜそれをシャルロッテが持っているのか。
よりにもよって、こんな最高級の機械を。
そうそう市中に出回っているような品ではないはずだ。
「いったい、何者なのよ。あなたは」
近くのソファに腰を下ろすと、改めて思案を始める。
シャルロッテがただの探偵ではないことはすでに明白だ。
そもそも、現在の彼女がやっているジャック事件の捜査は厳密にいうと仕事ではない。
誰からも報酬を得ていないからである。
もしジャックを捕まえることが出来れば、騎士庁から感状ぐらい貰えるだろうが、直接的に金銭が得られるわけではないだろう。
捜査費用だってばかにならないし、有名になったところで大赤字のはずだ。
私がこの事務所にやってきて以降、シャルロッテが誰かから別の仕事の依頼を受けて、金銭を得たことはない。
少なくとも、一週間以上は無収入の状態が続いている。
にもかかわらず、彼女の生活はとても富裕で、金に困っている気配は全くと言っていいほどなかった。
無職のものにありがちな、焦りや危機感と言ったものが一切存在しないのだ。
最初のうちは、よっぽど金持ちなのだろうと思っていたが――。
「良いとこの御嬢さんにしては、自由すぎるのよね。それに……」
言っては難だが、シャルロッテはあまりお行儀がよくない。
教養も著しく偏ってしまっている。
星錬術や科学に関しては恐ろしいほどの知識を蓄えているが、反面、文化的なことには相当弱かった。
特に令嬢なら知っていて当然の、舞踏や音楽に関する知識などがまったくない。
シャルロッテが高度な教育を受けていることは間違いないが、上流階層の子女とはまた違ったベクトルで育てられているように思えた。
「…………まあ、探っても仕方のないことか」
つい好奇心に駆られて思案を重ねてしまったが、お互いに過去については調べないのが暗黙の了解だ。
私には人に秘密にしておきたい過去があるし、シャルロッテにもそういう過去がある。
お互いに、そっと触れずにしておくべきだと理解していたはずだ。
危うく、知らない方がいいことを知ってしまうところだったかもしれない。
大きく息を吸い込むと、椅子からゆっくりと立ち上がる。
「もう六時か。そろそろ戻ってくるころね」
柱時計を見れば、時刻はすでに午後六時を回っていた。
空がどんよりとして雨が降っているため時間がわかりづらいが、いつの間にか結構な時が流れていたようだ。
振り返ってみれば、散らかり放題になっていた部屋も、だいぶ元の様子を取り戻しつつある。
あともう一息、気合を入れて頑張ることにしよう。
「よーし! あとはあそこを――」
「シェリー! 大変ッ!!!!」
突如として、玄関からシャルロッテの叫び声が聞こえてきた。
騒々しい足音が響き、居間のドアが乱暴に開け放たれる。
紅い頭が、さながら盛りの付いた闘牛のように猛然と突進してきた。
ドアから近いところにいた私は、突然の出来事に全く対応しきれず、その場で石化してしまう。
「あわッ!?」
「なッ!?」
衝突。
止まり切れなかったシャルロッテの体が、驚愕の叫びと共に勢いよく私の胸元に飛び込んだ。
衝撃に耐えきれなかった私は、そのままバランスを崩して、二人一緒になって絨毯の上へと倒れこむ。
ボンッと、砂をつめた麻袋でも落としたような音がした。
しかし幸いなことに、毛足の長い絨毯は私たちの体をしっかりと抱き留めてくれた。
私はゆっくりと起き上がると背中をさするが、シャルロッテが軽かったこともあってか、腰や背骨に大した痛みはない。
上に乗っかっているシャルロッテも、特に怪我などはしていないようだ。
「どうしたのよ、そんなに慌てて……」
「あ、あったッ!」
私の言葉を聞き流したシャルロッテは、床に落ちていたアストロラーベを、嬉々とした表情で拾い上げた。
胸ポケットにしまっていたのだが、倒れた拍子に落ちてしまったようだ。
彼女はそれを自身の胸元へと仕舞うと、すぐさま取って返そうとする。
私に「ごめんね」の一言もなく、だ。
何をそんなに慌てているというのか。
さすがにむっとした私は、彼女の肩をつかみ、顔を覗き込む。
「シャルロッテ、いったいどうしたの? 人にぶつかっておいて、謝りもしないなんて。おかしいじゃない」
「ジャック! ジャックが出たのよッ!!」
「えッ? それって、第六の事件が起きたってこと?」
思いがけない言葉に、少々間抜けな顔をしてしまう。
思えば、第五の事件からそろそろ一か月が経過していたか。
ジャックは月に一度、約束を守るかのように律儀に事件を起こしているので、そろそろではあった。
しかし、あまりに突然だ。
理解はできるのだが、どことなく現実味が薄い。
私のぼんやりとした様子を見たシャルロッテは、若干憤慨した様子で、首を縦に振る。
死にかけの患者が医者を呼ぶように、一刻をも争う事態のようであった。
「そうよ! しかも場所はこのすぐ近くみたいだから、モービルで急げば間に合うかもしれない!」
「ま、間に合うってまさか……!」
嫌な予感がして、私は息を飲んだ。
するとシャルロッテは、そんな私とは対照的に、瞳を輝かせる。
その生気に満ち溢れた光には、出かける以前にはあったやつれた気配などまったくなかった。
彼女は口の端を歪めると、愉しげに笑いながら言う。
「ええ。まだ逃走中のジャックを、捕まえられるかもしれないわ――!」




