第二十二話 再戦と爆炎
ロゼッタのアストロラーベが輝いた直後。
窓が打ち砕かれ、外から水柱がのたうちながら侵入してきた。
強烈な水圧で家具が粉砕され、床がカーペットごと削り取られていく。
当たれば人間の体などひとたまりもない。
跳躍。
私とシャルロッテは目でタイミングを合わせると、バックステップを踏んで水柱の薙ぎ払いをかわす。
時間が引き伸ばされる。
髪の毛がかするほどの距離を透明な衝撃が抜けて、飛沫で顔が濡れた。
「いったいどこからこれだけの水がッ!」
「庭ですよ。この屋敷の庭は、芝生に水をやるために配水管が敷き詰められているんです。水は腐るほどあります」
「もともと、あんたには有利なフィールドってことね!」
「場所は考えて喧嘩してますから」
口元を歪め、底意地の悪い顔をするロゼッタ。
彼女の指先が、再びアストロラーベを弾く。
青い輝きがほとばしるとともに、一本だった水柱が二本に分裂した。
挟み撃ちにするつもりのようだ。
「一気に片を付けてあげます。安心してください、心臓を取るために原形は残しますから」
「舐めないで! これぐらい、何とかしてやるわ!」
「炎は水には勝てないんです。この間も、負けたじゃないですか」
「ふん、水曜日と一緒にしないで!」
啖呵を切ったシャルロッテは、懐から一本のナイフを取り出した。
刃が鈍り、全体を赤錆が覆っているような古いものである。
超高圧の水柱どころか、大根すらまともに切れないような粗末すぎる代物。
ロゼッタは呆れた顔をすると、やれやれと手を上げる。
「そんなもので何ができるんです? 喉でも突き刺して、自害するつもりですか?」
「まさか」
「しかし一応、油断はしないでおきますね」
シャルロッテは自信ありげに口元を歪めると、私の方へと振り向いた。
そうしている間にも、水が迫ってくる。
隙が無い、ロゼッタは自身の言葉通り油断する気はないようだ。
水はさながら、バレリーナの操るリボンのようにロゼッタの意のまま自由自在に動く。
私たちを狙って、どこまでもしつこく付きまとってくる。
「ちッ!」
飛んで跳ねて、時には体を折り曲げて。
迫ってくる水をすんでのところでかわしていく。
だが、このままではらちが明かない。
体力だって有限だ、あと数分もこんな動きを続ければ疲れて動けなくなる。
――さて、どうしたものか。
突破口を見いだせない私は、とっさにシャルロッテとアイコンタクトを取った。
すると彼女は、顎で部屋の端を示す。
何度も水柱が当たったそこは、水圧で壁が薄くなっていた。
「信じるわよ」
口の中で小さくつぶやくと、急いでシャルロッテが示した場所へと移動する。
追いかけてくる透明の怪物。
滝を思わせる轟音を背後に、全力疾走した。
やがて部屋の端を通り過ぎたところで、水が壁の薄くなっていたところを穿つ。
たちまち大きな穴が開いて、砕けた石材の欠片が派手に飛び散った。
「痛ッ!」
欠片の一つ、親指ほどのサイズの物が、ロゼッタの顔面をしたたかに打った。
さすがのロゼッタも、一瞬だが動きが鈍る。
「シェリー、今よ!」
「ええッ!!」
あらかじめ用意するように言われていた、ある金属の粉末。
それを入っている瓶ごと、シャルロッテの方へと投げた。
彼女はそれをナイフで叩き割ると、入っている粉を刀身に付着させる。
鈍色の粉末が、霧を吹いたかのように部屋を覆った。
こちらを興味深そうな顔で見たロゼッタは、この予想外の行動に笑う。
「錆びたナイフと粉で、何ができるんです!?」
「これができるのよッ!!!!」
瞬く間に、シャルロッテの指がアストロラーベを弾く。
彼女はそのまま、アストロラーベをナイフの柄へとぶつけた。
カチンッと涼やかな音が響く。
青白い輝きが、稲妻が如く宙を遡る。
沸き立つ炎、轟く爆音。
錆びついたナイフから、直視できないほどの光熱が放たれた。
とっさに瞳を閉じると、たちまち皮膚が透けて、視界が真っ赤に染まる。
「な、何!? 水が、燃えるッ!! 爆発していくッ!!!!」
炎に突っ込んだ水柱が、一気に燃えた。
微かに青い色を帯びていた柱が、金色に輝いて炎へと変わっていく。
反応の速さは劇的だった。
水はロゼッタの操作を離れ、爆発を繰り返しながら暴れまわる。
部屋中の物が燃える段階を飛び越えて、炭へと変化していった。
やがて部屋の基礎を構成していた堅牢な石材がむき出しとなり、焦げていく。
もし炎がシャルロッテの制御下になければ、間近にいる私たちなどひとたまりもないだろう。
熱いのに、身体の奥がどこか冷え冷えとした。
「炎を甘く見ないことね。水が勝つとは限らないのよ」
「あ、ありえない……!」
「簡単よ、水は二千度を超えると水素と酸素に分かれて爆発する。ただそれだけのこと」
「そんなことじゃない! それだけの熱を、いったいどうやって……! ただ燃やしただけでは、無理なはずッ!」
残った水でバリアを作り、どうにか身体を守っているロゼッタ。
先ほどまでの余裕はどこへやら、彼女は憎々しげな表情を隠そうともせずに、シャルロッテを睨みつける。
一方のシャルロッテは、ちょっぴり自慢げだった。
割と調子のいい性格をしているので、この逆転劇がたまらないのだろう。
彼女はいつもの饒舌さにさらに拍車をかけて、景気よく語り出す。
「あなたも星錬術師なら、テルミット反応ぐらいは知ってるわよね?」
「もちろん、アルミの還元反応でしょう? だけど、それだけじゃこれだけのエネルギーは出るはずがない!」
「ええ、普通に行ったのではね。ただ、星錬術を上手く使えば話は別。ただ直接反応させるんじゃなくて、事前に物質を分子レベルまで分解したうえで一気に反応させればいいのよ。これで、瞬間的に一万度に迫る温度を出せるわ」
シャルロッテは床にかすかに残っていたアルミの粉をつまむと、「お分かり?」っとばかりに首をかしげて見せた。
それを見たロゼッタは、何故か不意に笑いだす。
勝負をあきらめたのか、それとも完全におかしくなってしまったのか。
身の毛がよだつような高笑いが、炎の轟音を破って響く。
「こうなっては仕方ないですね、あなたたちはあきらめましょう!」
「バカね、逃がすわけないでしょうッ!?」
「私の逃げ足、舐めないでくださいよ」
「待ちなさいッ!」
炎が伸びる。
部屋中を満たしていた紅炎が、一本に収束してロゼッタを捉えようとした。
右へ左へ。
炎がさながら伸縮自在の触手のように、華奢な背中を追いかける。
しかし、その動きにはイマイチ切れがなかった。
ロゼッタは炎の手からひらりと身をかわすと、熱で砕けた窓から外へと飛び出す。
湖に岩を投げ込んだような、大きな水音。
身体に纏っていた水を使って、彼女は上手く地面に着地したようだ。
「あの状態で窓から逃げ出すなんて!」
「追いかけましょう!」
「ちょっと待って。その前に炎を……」
シャルロッテはそれまでの余裕とは打って変わって、苦しげな表情をあらわにした。
これだけの炎を制御するのは、さすがの彼女にしてもきついのだろう。
額に大粒の汗をかきながら、ゆっくりとした動きでアストロラーベを弾く。
燃え盛っていた炎がにわかに鎮まり、冷えた夜風が吹き抜けた。
私は全速力で、ロゼッタの消えた窓枠へとかじりつく。
「よし、あいつはどこへ行った!?」
「あそこよッ! 大変、メイドを襲ってるッ!!」
「なんですってェッ!」
シャルロッテは私の体をどかすと、無理やりに窓枠から顔を出した。
庭の端でメイドにアストロラーベを突きつけているロゼッタの姿を見た彼女は、悔しげな表情で壁を叩く。
「ちいッ、もうあんなとこまで!!」
「やられたわねッ!」
「でも、この窓を飛び下りるのは私たちには無理よ……! 仕方ない、階段で行くわ!」
廊下へ飛び出し、駆ける駆ける。
髪と裾を翻しながら、限界まで大きく足を振った。
やがて階段を降りようとしたところで、慌てた様子のメイドの姿が飛び込んでくる。
「シャルロッテさんにシェリーさん! いったい、何があったんですか!? すっごい音がしましたけど!」
「説明はあとよ! それより、今はロゼッタを捕まえないと!」
「え、メイド長が何かしたんですか?」
「いいから、道を開けて!」
動揺するメイドを少々強引にどかせると、私たちは階段を駆け下りた。
やがて勝手口から裏庭へと飛び出すと、庭の端に大きな水球とそれを掲げる様なポーズをとったロゼッタの姿が見える。
宙に浮いた水球の中には、メイドらしき人影があった。
呼吸ができなかったせいか、気絶してぐったりとしている。
「遅かったですね! さすがにあれだけの炎を鎮めるのには、手間取ったでしょう?」
「その口、もうすぐ動かせないようにしてあげるわ!」
「おっと、今の私に攻撃してはいけませんよ! このメイド、いつでも殺せるんですからね?」
「人質は殺したらおしまいよ。そう簡単に、殺せはしないわ!」
シャルロッテはアストロラーベを構えると、新大陸のガンマンよろしく炎を早撃ちした。
紅の線条が、顔の脇をかすめる。
黒髪の一部が千切れて、はらりと舞い落ちた。
ロゼッタは顔をしかめると、獣を思わせる獰猛な目つきでこちらを睨む。
「人質も通用しませんか。ならば、すぐに決めるしかないですね」
「今なら勝てるとか思わないでよ? まだとっておきはあるわ」
「いえ、私にはそれより先にやるべきことがありますから」
ロゼッタは身を翻すと、そのまま裏庭の一番端まで一気に駆け抜けた。
そして彼女は博士の墓石の前に建つと、あろうことかヒールの先で思いっきりそれを蹴飛ばす。
すると、何かのスイッチが入ったのだろう。
にわかに地面が揺れて、重い石臼のような摩擦音を立てながら墓石がスライドしていく。
先の見えない暗がりが、林と芝生の間にぽっかりと口を開いた。
「あんなところに……!」
「ロゼッタとテレーゼさんがよく墓参りをしてたのは、そういうわけだったのね!」
博士を恨んでいた二人が、なぜ頻繁に墓参りをしていたのか。
真相を知った今となっては不思議だったが、なるほど、墓の下に何かの施設があるのだろう。
私は感心すると同時に、何か出てこないかと警戒をする。
おそらくは博士の残した施設だ、軍の兵器などが保管されていても不思議ではない。
「ついてきてください、歴史的瞬間をお見せしますよ!」
「……どうする?」
「ひとまず、ついていくしかなさそうね」
私の問いかけに、シャルロッテは幾分か慎重な声で応えた。
彼女もまた、ロゼッタが何か強力な武器を隠しているのではないかと警戒しているようだ。
ロゼッタは私たち二人の心中を知ってか知らずか、余裕のある笑みを浮かべながら、こちらに背を見せる。
一流の星錬術師にあるまじき、敵に対して油断した態度だった。
しかしそれが、逆に恐ろしい。
ロゼッタに続いて石段を降りると、やがて急に視界が開けた。
淡い青の輝きが、暗闇に慣れた目にまぶしい。
床から壁、そして天井に至るまで、部屋のすべてがチェレンコフの輝きに満たされていた。
今まで見たこともないほど複雑で、そしてどこか有機物を思わせるような気持ちの良くない文様が、部屋の隅々までを埋め尽くしている。
星光陣だ。
それも、信じられないほどに大規模で精密なものである。
思わず、歩を止めて立ち止まってしまう。
「なによ、これ……」
「おそらくだけど……人間を造りだすための術式じゃないかしら」
「違うわ。死体から肉体を再構成するだけなら、ここまでのものは必要ない。これはまるで…………まったく新しい生命体を創造するみたいだわ」
「その通りです。良い勘をしていますね」
部屋の中央に置かれた巨大な台座。
その上に掛けられたシーツを、ロゼッタは勢いよくはぎとった。
膨らんだ布の中から、寝かしつけられたテレーゼさんとそれを囲む六つの水槽が姿を現す。
台座は綺麗な七角形に作られていた。
それぞれの頂点に置かれた水槽には――臓物が収められている。
八つ裂きジャックが、これまでに収集したものだ。
それがホルマリン漬けにされて、奇怪な前衛芸術のように陳列されている。
「姉さんの体を復活させても、すぐに捕まってしまっては意味がありません。実験動物にでもされてしまうことでしょう。そこで私は、姉さんを人以上の存在として新たに生み出すことにしたのです。生き延びるために」
「肉体の再構成ですら許されざることなのに……あなた、そんなこと出来ると思ってるのッ!?」
「もちろん、私の理論は完璧です! もっとも、ある男の知恵が無ければ難しかったですけれどね」
「まさかあなた、モリ――」
「おしゃべりはここまでです。そろそろ、十二時になります。星錬術師の力が最も高まるこのタイミングこそ、儀式の好機ッ!!」
「させるかッ!!」
刹那のうちにアストロラーベを弾き、炎を放つシャルロッテ。
私もまたメスを投げ、ロゼッタの行動を阻もうとした。
だがその時、石室が激しく揺れる。
不意のことにバランスを崩した私たちの攻撃は、そろってロゼッタを捉えそこなった。
「さあ、星よ! 力をッ!!!!」
とんでもない大仕掛けだった。
石室の天井が開き、その上に巨大な反射鏡が何枚も姿を現す。
上から見たら、土中の花が見事に芽吹いたかのようだろう。
夜空にきらめく満天の星々。
憎らしいほどに晴れ渡り、そして澄んだ空は星の光を損なうことなく地上へと届けていた。
それを緩やかに凹んだ反射鏡が増幅し、一点に収束させる。
集められた光は、さながらスポットライトのようにロゼッタの上へと降り注いだ。
ロゼッタの体が眩しいほどに照らされ、輝きを帯びる。
「これが、星気……! 圧倒的ですねえ!!」
見ていて恐怖を感じるほどの星気が、高まっていくのを感じた。
青い輝きが、いつしか黄金色へとゆっくりながらも変化を遂げていく。
極端に純度の高まった星気が、光の性質すらも変えているのだ。
――勝てない。
恐怖が身体を凍てつかせ、自由を奪い取る。
さすがのシャルロッテも、動きが止まってしまっていた。
動かそうとした手足が大きく震えるが、それ以上のことができない。
焦燥だけが体感時間だけが加速していく。
「恐れている。あいつを、私は心の底から恐れているわ……!」
「動けないわね。情けないけど、これは……!」
「さあて、行きますよォッ!」
叫びと共に、ロゼッタは自身の右手をテレーゼの腹へと叩きつけた。
流れ込む星気。
淡く蠢いていた星光陣の輝きが、にわかに強さを増していく。
光の洪水。
目が焼けると思うほどの閃光が、周囲に迸る。
六つの水槽と浮かんだ水球を、白い光の線が結んだ。
水が沸騰をはじめ、コボコボと異様な音を響かせ始める。
やがて放たれる力の波動。
空気が軋み、衝撃が身体を揺さぶった。
テレーゼさんの体が光に包まれ、白の中に埋没していく。
その輝きに、水槽ごと臓器が吸い込まれていった。
最後にメイドの体が水球から引きずり出され、足先から取り込まれていく。
光の中で得体の知れない怪物が、肉体を食らっているかのようだった。
「ああッ! 完成するッ!!」
恍惚とした感情すらうかがわせる、ロゼッタのどこか甘い叫び。
それと同時に、溢れていた光がにわかに消えた。
残されたのは、風化した石の台座の上に横たわるテレーゼに似た少女のみ。
それ以外は、六つの臓物も水球に閉じ込められたメイドも、すべて消失していた。
質量保存の法則をあざ笑うかのように、跡形もなく。
「あれが……復活したロゼッタの姉?」
「変わらないように見えるわね。でも、なんだか嫌な感じがする。こう、冷え切っているというか……」
「例えるなら、死体ね。ただ眠っているように見えても、眠っているだけの人間とは決定的に違う」
少女の美しい姿から、私とシャルロッテは「人ではない何か」を敏感に感じ取っていた。
どこが違うのかは分からない。
肌の色も、髪の色も、目に映るものはすべてが同じに見えた。
しかし決定的に、私たちとは異なってしまっている。
そう本能が叫んでいるのだ。
「Aa……」
微かな呻きを上げながら、少女が起き上がる。
ロゼッタは歓喜に目を輝かせると、大きく手を広げて、彼女の小さな頭を胸元へと抱きしめた。
その瞬間――
「うあッ!?」
絹をちぎったような悲鳴。
弾け飛ぶ血の華。
少女の白い歯が、ロゼッタの首へと食い込んだ――。




