第十三話 疑惑の家族
レーカー通りから、モービルを走らせること小一時間。
灰色に塗れた工業地帯を通り抜けて、しばらくすると、一気に緑が増えてくる。
高い塀と植木に囲まれた瀟洒な屋敷が、道の両脇に次々と姿を現した。
流れる空気が、これまでとは幾分か違って感じられる。
道端に設置されたポストの一つに至るまで、どこか洗練されているように見えた。
さすがはリンデン――いや、帝国屈指の高級住宅地といったところか。
上流階級の上品でしとやかな雰囲気が、そこかしこから溢れている。
「えっと、そろそろね。止めて!」
「りょーかいっと」
軽い振動と共に、速度が緩んで景色が静止していく。
ちょうど門の前にさしかかったところで、モービルは止まった。
黒い鉄柵の向こうに、整った芝生の庭と満々と水を湛えた泉が見える。
奥に聳える屋敷は大きく、茶褐色の外壁と昏い緑の屋根が蒼穹の端を緩やかに切り取っていた。
さらに向こうには黒々とした林が控えていて、敷地の途方もない広さが伺える。
さながら、城や宮殿のような規模だ。
「でっかい家やなあ! 軍医ってそんなに儲かるんかいな!」
「そうね、すっごいお屋敷。ちょっと憧れちゃうわねえ」
そういうと、揃って私の方を見る二人。
……私も元軍医だから、稼いでたとでも言いたいのだろうか。
「シュタイナー博士の家は、もとが名門貴族なのよ。今でこそ称号は失ってるけど、財産はしっかり残ってたってわけよ」
「なるほどなあ、金持ちは昔っから金持ちってわけか。私みたいなのはお嬢様にはなれへんのかな」
「……エリカの場合、もしお金持ちでもお嬢様にはなれなさそうな気がするわ」
「なんやて!? それを言うたら、シャルロッテこそアカンやんけ!」
「な、何を!?」
「まあまあ! 落ち着いて!」
二人の間に割って入ると、そのままシャルロッテの手を握り、車外へと連れ出す。
そしてエリカに手を振って頭を下げると、勢いよくドアを閉めた。
私の大胆な行動に、シャルロッテは唖然と眼を見開く。
「……シェリーって、意外と強引よね」
「だって、あのままだったら喧嘩してたでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
「それより、早く家の中に入りましょう」
「それもそうね!」
運転席のエリカに、二人そろって手を振る。
エリカは笑いながら頭を下げると、ゆっくりモービルを発進させた。
緑の車体が、エンジン音とともに小さくなっていく。
やがてそれが曲がり角の向こうへと消えたところで、改めて門の方へと向き直った。
鉄柵の扉の脇に聳える門柱には「Steiner」とはっきり刻まれている。
この屋敷で、やはり間違いないようだ。
「ここで間違いないわね」
「ええ。呼び鈴は……ここね
門扉の端に、機械式のベルが据え付けられていた。
丸いボタンを叩くと、たちまちジリリリンッとけたたましい音が響く。
数秒の間。
一瞬の静けさが周囲を満たした後で、扉が重々しく開き始める。
やがてその隙間から、ひょこっと一人の少女が顔を覗かせた。
カチューシャをつけてエプロンドレスを纏ったその姿は、屋敷に仕えるメイドのようだ。
「当屋敷に何の御用でしょうか?」
「ああ、どうもこんにちは! シュタイナー博士はいらっしゃるかしら?」
「医者として、高名な博士にぜひご挨拶したいと思いまして」
二人そろって頭を下げると、矢継ぎ早に要件を告げる。
すると、少女は戸惑ったような顔をしたのち、訝しげに眉をひそめた。
「……あの、ご存じないのでしょうか?」
「何がですか?」
「旦那様は一年ほど前に、お亡くなりになられました」
「えッ……?」
思わず、変な声で聞き返してしまう。
シャルロッテと二人で、間抜けな顔を向き合わせた。
博士が死んでいるなんて、私も初耳である。
「そ、そんな!?」
「知らなかったわ。ホントに、一年前なの? 特にニュースとかを見た覚えはないのだけど……」
「その…………旦那様は自殺なさったんです。なので、報道などはできるだけ控えていただきました。外聞が悪いですので」
「自殺!? 原因は!?」
自殺と聞いて、ますます前のめりになるシャルロッテ。
彼女は自分で門に手をかけて開くと、屋敷の敷地に半分ほど身を乗り出していた。
そのあまりの剣幕に、メイドは笑いながらもスッと半歩引いて距離を取る。
こちらをちらりと見た瞳は、物凄くめんどくさそうだった。
「とりあえず、中に入られますか? あまり立ち話をするのも……近所の方に聞かれてしまいますので」
「ええ、お願いします」
「それでは執事のブランドを呼んでまいります。これ以上のことは、彼にお尋ねになってください」
「わかりました」
「了解したわ、よろしくね」
「それではここで、しばらくお待ちください」
私たちの返事を聞く間もなく、メイドの少女は歩き去って行った。
しばらくして、屋敷の方から紳士然とした初老の男が歩いてくる。
黒のタキシードに身を包んだその姿は、出来る男そのものといった風貌だった。
ポケットからさりげなく出された白のハンカチが、パリッと引き締まった服装に華を添えている。
近づいてみれば、ロマンスグレーの髪と彫りの深い北国風の顔立ちが、実に渋い。
まさにいぶし銀と言った趣だ。
「あなた方が、当家をお尋ねになられたお嬢様方ですね?」
「お嬢様だなんてそんな、大げさだわ。まあ、美人だけど。超美人だけど」
「社交辞令に本気で照れないの。……ええっと、以前博士に軍でお世話になっていたものなのですが、この度職を変わりましたのでご挨拶をと。ですが……ご不幸があったそうで」
「ええ、どうぞお入りください。詳しいことをお話しいたします」
ブランドさんは一歩足を引くと、手をさっと上げて私たちを招いた。
彼の笑顔に従って、門を潜り、敷地に足を踏み入れる。
そしてそのまま、正面の庭を抜けて玄関の近くまで歩いた。
「そういえば、今は誰がこのお屋敷に?」
「一人娘のテレーゼ様が、今ではここの主人です」
「お嬢様がこのお屋敷をですか。なかなか、大変でしょう?」
中でも十分な散歩ができるほどの広さを誇る屋敷である。
管理するには、それ相応の手間がかかるはずだ。
住み込んでいる使用人の数も、おそらく十人は下るまい。
「そうですね、正直なところお嬢様一人では持て余しております。本当ならば、ここを処分してもう少し小さなお屋敷に移るとよいのですが……なにぶん、そうはできない事情もございまして」
「へえ、名家もなかなか大変なのねえ」
「優雅なばかりじゃないってことですね」
「左様でございます」
そうこうしているうちに、玄関の前へと辿り付いた。
ブランドさんは分厚い黒檀の扉に手をかけると、音をたてないようにゆっくりと開く。
たちまち、視界いっぱいに華やかな世界が広がった。
私とシャルロッテは、揃って眼を見開いて息をのむ。
「おおお……!」
「始めてみるわね、こんなとこ!」
大理石が敷き詰められた広いエントランスホール。
天井は二階まで吹き抜けになっていて、天辺が緩やかなアーチを描いていた。
そこから豪奢なシャンデリアが吊り下げられ、奥の階段を淡く照らし出している。
パステルカラーに彩られた、壮麗で煌びやかな空間。
見ただけで、気分が高揚してきてしまう。
「当屋敷でも、自慢の場所でございます。さ、階段をおあがりください。応接室は二階でございます」
「ええ、わかりました」
「うわあ、絨毯フカフカ!」
足元の柔らかさに、いちいち大はしゃぎするシャルロッテ。
彼女は階段を一足飛びで上がると、早く早くと手を振って私を急かした。
普段はいやに鋭いことを言う割に、こういうところはかなり子どもっぽい。
やれやれと肩をすくめる。
「まったく、お子様なんだから」
「何か言った?」
「別に、何も言ってはいないわ」
階段を上がると、向かって左側の部屋が応接室となっていた。
ブランドさんに案内されて中に入ると、すぐさま二人並んでソファに腰を下ろす。
そんな私たちに向かい合うようにして、ブランドさんもまた座った。
「……旦那様が、お亡くなりになった件でしたね?」
「はい。軍属の頃はそれなりに親しくさせていただいておりました。ぜひ、お話を聞かせてください」
「わかりました。二年ほど前から、博士は軍務を離れてこの屋敷で研究生活をなされておりました。しかし、精神に変調をきたすようになられたのです」
「どうしてそのようなことに?」
「良くは分かりかねますが……お年を召すにつれて、旦那様は体が不自由になられました。完璧主義な方でしたし、いささか気難しい面もございましたから、不甲斐ない自分が許せなかったのかもしれません」
「なるほど……」
確か、シュタイナー博士は去年の時点で六十五を超えていたはずだ。
そろそろ身体のあちこちにガタが出てきて、不自由を感じる頃合いである。
以前のように動かない自分の体に苛立ちを感じたとしても、不思議ではない。
「そして一年前、旦那様はとうとう自殺を図ってしまわれたのです」
「失礼ですが、誰かに殺されたとかそういった可能性は?」
「それはありませんよ。遺書も見つかっていますし、何より密室で自殺していたのですから」
「密室ですって!?」
いかにも探偵が好みそうなワードに、シャルロッテが全力で食いついた。
彼女はテーブルにバンッと手をつくと、ブランドの方へと身を乗り出す。
その目つきと言ったら、肉を目の前にした猛獣のようだった。
さしものブランドも、彼女のあまりの剣幕に冷や汗を流す。
「そ、そんなに気になられますか……?」
「ええ、とっても! もっと詳細なことを聞かせてもらえるかしら!」
「ああ……はい。旦那様は、ご自身の書斎で拳銃自殺をなされました。その時、部屋の扉には内側からかんぬきが掛けられておりまして。他に出入り口はありませんので、完全な密室と言うわけです」
「かんぬきねえ……。星錬術で何かしたって可能性は?」
「騎士の方がいろいろとお調べになられましたが、そのような痕跡は何も。部屋に突入するとき、私が星錬術でかんぬきを破壊しましたが、それ以外に星錬術を使った痕跡は扉やその周囲からは発見できなかったそうです」
ブランドの話に、シャルロッテは大きく息を漏らした。
彼女は顎に手を押し当てると、その場でうんうんと唸り始める。
「ブランドさん。博士の娘のテレーゼさんって、今年で何歳なの?」
「十八歳でございます。旦那様はなかなかお子に恵まれず、五十歳近くになってようやく今は亡き奥様との間に授かられた一人娘です」
「それだと、結婚はまだしていないわよね?」
「はい。旦那様はテレーゼ様をなかなか手放そうとはなさいませんでしたから」
シャルロッテと私は、互いに顔を見合わせた。
それほどまでに大切にしている娘を残して、はたして自殺などするものだろうか。
特段、すぐに死ななければならないような事情もなさそうなのに。
明らかに何かがおかしい。
私たちがブランドに不信を感じると同時に、彼もまたこちらを見て訝しげな顔をした。
根掘り葉掘り事情を聴いてくる見知らぬ二人組を、そろそろ怪しく思い始めたようだ。
このあたりで話題を切り替えないと、騎士でも呼ばれかねない。
「いろいろと、細かいことを聞いてしまってすみません。シャルロッテはどうにも、昔から他人様の事情に首を突っ込みたがる悪い癖があるので」
「悪い癖って何よ! これが私のし――使命なんですッ! 神様からこうしろって言われてるの! はははッ!」
慌てて取り繕うと、笑ってごまかそうとするシャルロッテ。
彼女はにわかに天を仰ぐと「アーメン!」っと叫んで十字を切った。
……相変わらず、嘘をつくのが下手な子だ。
奇抜すぎる誤魔化し方に、私は思わず気が遠くなった。
これはいよいよ終わったかもしれない。
ブランドは一瞬唖然としたが、すぐさま紳士的な笑みを浮かべる。
その目は、見てはならないものを見てしまったかのようだった。
完全に、どこかおかしい人と認識されているようだ。
「い、いや、構いません。最終的に話したのは私の判断ですので」
「ありがとうございます。ところで、博士のお墓はどこにありますか? せっかくですし、お墓参りだけでもしておこうかと」
「屋敷の庭にございます。案内いたしましょうか」
「お願いします」
ブランドに連れられて、屋敷の裏庭へと出る。
鬱蒼と茂る林に囲まれたそこは、ちょうど太陽が母屋に隠れる場所にあることもあって、やや昏い雰囲気が漂っていた。
良く言えば静か、悪く言えば物寂しいところである。
草に混じって植えられている花が白一色なのも、どことなく殺風景な印象を受ける。
ここに墓があると事前に聞かされていることも、薄暗く感じる大きな原因なのだろうが、それだけではない何かがあるように思えた。
「あら?」
庭と林の境目に、二つの人影が見えた。
一人はエプロンドレスを纏ったメイド風の少女。
艶やかな銀髪を腰まで伸ばしていて、背が高くスタイルも良い。
スカートの裾から覗く黒のソックスが、引き締まった長い足を強調していた。
顔は全く見えないが、美人であることは確実なように思われる。
もう一人は、白いワンピースを纏った金髪の少女。
やや肩幅が狭く、腰元もほっそりとした華奢な体格をしている。
ドレスの合間から覗く肌は処女雪のように白く、この世ならない神秘性すら感じさせた。
彼女が、噂のテレーゼさんなのだろうか。
浮世離れした後ろ姿は、深窓の令嬢と言うのにふさわしい。
「ブランドさん、あの人たちは?」
「お嬢様と側仕えのロゼッタです。おそらく、我々と同じく墓参りに来たのでしょう。ちょうどあそこが、旦那様のお墓ですので」
二人の足元にたたずむ、灰色の墓標。
上部を丸くした平石にステラクロイツが刻まれたそれは、帝国では一般的な墓石の形式に則っていた。
献花台の上に置かれた紅い花は、おそらく二人が用意したものだろう。
葉や花弁が瑞々しく、滴が落ちるようだ。
「せっかくだし、ご挨拶していこうかしら?」
「いえ、そっとしておきましょう。お墓参りを邪魔したら悪いわ」
「それもそうね。私たちの墓参りは、しばらく待ってからにしましょうか」
五分ほど、その場で立って待った。
やがて祈りを終えた二人は、ゆっくりとお墓を離れて、屋敷の方へと歩き出す。
振り返った顔を見てみれば、二人とも、思わずため息が漏れてしまうほどの美貌の持ち主だった。
しかし、どこか寂しげで仄暗い気配がするのは墓参りの直後だからだろうか。
大きな瞳の底に、冷たい光が感じられる。
しばらく歩いたところで、彼女たちは私たちの存在に気づいた。
テレーゼさんはほとんど表情に変化がなかったが、ロゼッタさんは小首を傾げて額にしわを寄せる。
形の良い顎が、微かに上を向いた。
「こんにちは、お邪魔しています。昔、博士のお世話になったシェリー・H・ワトソンと言う者です。職を変わったのでご挨拶をと思ってきたのですが、ご不幸があったとのことで」
「えっと、私はワトソンの新しい雇用主のシャルロッテ・ホームズよ。今日は付き添いで来たわ」
「そういうことですか。わかりました、博士も喜ぶでしょうからゆっくりとお参りして行ってください」
「…………知らない人。怖い、怖い怖い怖い……!」
私たちの顔を見ながら、テレーゼさんはいきなり叫び出した。
その目はひどく怯えていて、額には大粒の汗が浮かんでいる。
ロゼッタさんの服の袖をつかむと、彼女はすぐさまその背中の後ろへと引っ込んでいってしまった。
引きつったような声が、耳を貫いた。
私たちは慌てて二人から距離を取る。
「な、な……!?」
「お気になさらずに。大丈夫ですよ、お嬢様」
「怖い、こわいよう! お母さんッ!」
「……仕方ありません。先に失礼いたします」
そういうと、ロゼッタさんはテレーゼさんの手を引いて素早く歩き去ってしまった。
少女の甲高い悲鳴が、無数に反響する。
いったい、あれは何だったのか。
その場には、呆然と眼を見開く私とシャルロッテ、そして沈痛な面持ちをしたブランドさんだけが残された。
「ええっと、失礼ですが、テレーゼさんは……」
「旦那様が亡くなられた影響でしょうか。元は聡明なお方だったのですが、今はあのようなことになってしまって……。おいたわしい限りです」
「……なるほど」
さきほど、屋敷を移れないと言っていたがこういう事情もあるのか。
確かにお嬢様がああでは、引っ越しなんて二の次だろう。
こんな取り込み中の屋敷へのこのこやってくるなんて、悪いことをしてしまったかもしれない。
「早くお墓参りを済ませて、今日のところは帰りましょうか」
「……ん、そうね」
どこか釈然としない顔をしながらも、頷くシャルロッテ。
こうして私たちは墓参りを済ませると、その日のところは屋敷を後にしたのだった。
確実に何かあると思いながら――。
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