蘭花、桂花
久しぶりに見た姉妹は、少しも変わりなくそこにいた。真反対の様で、磨き上げた鏡のように正しく、お互いが存在しているのをあらためて認識した。
「その名前は捨てたの。あんたの妹の名前で私を呼ばないで」
ゆらりとその影を揺らして、ジェンは言った。
「あなたが、毒を広げたのね。……いなくなる前はそんな力なんてなかったから」
ランファは右手に新たな矢ををつがえず、静かに弓を下ろしていた。
二人が離れたのは、お互いの素養が定まった日、十五歳のある日のことだった。
物心ついた時から、自分によく似た姉はすべてを備えていた。今思えば、姿かたちは同じといっていいくらいだから、その点に関しては自分にもあったのだろう。しかし、姉――ランファは人が愛で、羨むものを持っていた。
最初はただ、憧れていた。ランファが褒められれば、自分が褒められた時のように姉の栄誉を喜んだ。自慢の姉だった。習いに行った踊りも、揃いであつらえられた服も、一緒であることが嬉しかった。どこに行くにも姉の後ろについて歩いた。
だが、少し経って、直接自分に向けられていないような、周りの言葉が聞こえるようになった。そして、ようやく自分の姿が見えたのだ。見えてしまった。
自分の姿は、姉と似ているはずだった。だから、姉の姿こそが自分の姿だと、そのときまで信じていたのだ。なのに、見えた姿は。すべての称賛を得た姉と、それに比べてみすぼらしくすら見える自分。光のあたる姉の後ろにのびる、影のような自分を。それからは、今まで良しと思えた事がすべて悪しものになった。
同じように習い、同じように舞った舞も褒められるのは姉だけだ。自分への称賛は姉との対比であり、その添え物として贈られるばかりのものだった。気付いてしまってからは、毎日が苦痛で仕方がなかった。どんなに頑張っても、努力しても、姉を凌ぐことも、並ぶこともできないのだ。自慢の姉は越えられぬ壁になり、自分を影に落とす日覆になった。
何でも持っていた姉が、唯一持たないものがあった。素養の見立てだ。それは同じく自分にも定まっていなかったが、姉の持たぬものを先に手にできる可能性を持っていた。十を超えても互いの素養は定まることがなく、姉に隠れては毎日分祀に通ってはそれが定まるのを待った。姉より先に、少しでも優れた素養を。
そして、その日は来た。
分祀の神官は、少し驚いたような素振りを見せて、「鴆」の素養を持っている、と告げた。そして、大変に力のある気だから、それに見合う心を得なさいと言葉をかけられた。力のある気、それだけで充分だった。礼もそぞろに分祀を飛び出し、姉のいる家へと駆けた。
「姉さん! 私」
姉を呼びながら家に飛び込むと、その言葉の先は弾けて消えた。
「おかえり、グィファ。私ね……」
姉の前には朱布を身につけた大人がいて、その手には朱雀印の押された紙とそれに添えられた朱雀の羽根。
優れたる者に与えられる羽根が、素養の定まらない、ただの踊り子である姉に与えられるわけがない。朱雀が姉を次の王と見染めたのだ。昇化は四方の王に礼を捧げ、乞い願って、初めて力を得る。玉座に座る姉に、跪いて――
姉の言葉はもう何も聞こえなかった。聞こえずともそれだけ理解してしまったのだ。私は、姉に敵うことがない。この人の次に生まれてしまったときに、それはもう決まっていたのだ。
ならば、目の前に広がるのは、獄のごとき暗闇。
気がつけば、家も都も飛びだしていた。一番に望ましかったのが、死だ。目の前に広がる闇に比べれば、死すら明るく見えた。都を包む草原を抜け、駆けて駆けて、陽山のふもとに広がる樹海に来ていた。暗く澱んだ黒い沼に辿りついた時には、何もかも自分に残っていなかった。姉と同じく与えられた容姿さえも。倒れこむように、その沼に飛び込んだ。溶けてなくなればよかった。
「――これは珍しい力を持っていますね。来なさい、必要としてあげましょう。毒の娘よ」
自分が欲しかったものは、暗い澱みの中でようやく得られたのだ。その声に、恐ろしくも美しい声に、ようやく私だけが必要とされたのだ。私だけが持つ力に、彼が気付いてくれた。私が願うことを彼はわかってくれた。
「王になびかずとも、力など手に入ります。怒りなさい、憎しみなさい、そのひた向きな思いこそ、何より強く美しい」
淀みから述べられた白い手に引かれ、そこから上がると自分は毒の羽根を纏っていた。目の前の男が何者でも構わない。悪鬼であろうと魔であろうと、この人こそが私を導く光だ。目の前の壁を払う、私の主人――
グイファ――ジェンは羽ばたき、辺りに毒羽根を飛び散らせた。目に見える羽根だけでなく、この周りの空気を一吸いでもすれば、王とて殺せる。私はそれだけの力を得たのだ。安易に神獣から離れ、王宮を出た王を屠れる力を。