1.大魔界(プロローグ1)
暗く淀んだ空の下、吹きすさぶ北風に、屋根に打ち付けられたトタンがバタバタと音を立てている。
ここは全世界の悪魔を統べる大魔王、サルガデウスの居城である悪魔城。
今、悪魔城の玉座の間では、魔王軍幹部達の御前会議が開かれていた。
「サルガデウス様、魔王バルバトスが勇者に討ち取られました」
悪魔大参謀総長、アルマロスの報告に、集まった幹部達が意気消沈する。
「バルバトスでも勇者には敵わなかったか……」
「たて続けに十四の世界で、魔王が勇者に討ち取られたぞ」
「最近では勇者から逃れるため、人間世界でファストフード店に勤める魔王もいるようだ……」
「俺も転職しようかな……」
玉座の間では、幹部達の重苦しい呻きが響いていた。
神が与えた聖剣を持った勇者に、最近魔王は連戦連敗。悪魔の支配領域は大きく削られ、この悪魔城に納められる魔力も減り続けている。今では城の修繕費用にさえ事欠く有様だった。
「誰か良い案はないか」
大魔王サルガデウスの言葉に、悪魔大将軍ゲルデラスが答えた。
「お任せください大魔王様! ただいま悪魔兵工廠で製造中の新型魔王は、今までよりはるかに多い、二十四本の角を生やすように設計されています。これさえ完成すれば、勇者の奴らはビビること間違いなしです! ただ、試作の段階では角が重すぎて、魔王の首が折れました」
玉座の間は深い溜息に覆われた。
聖剣を持った勇者には、どうやっても勝てないのか。魔王軍幹部の誰もがそう思った。
「発言をしてもよろしいでしょうか、陛下」
妖艶な微笑みとともにそう言ったのは、大魔王サルガデウスの妻のひとり、絶世の美女アルメヘルであった。
悪魔大将軍ゲルデラスがいきり立った。
「だまれアルメヘル! いくら陛下の妻だからと言って、低級魔であるサキュバスのお前が発言してよい場ではない!」
「あら、ならば良い案でもあるというのかしら。聞かせていただきたいわ」
「何を! 次の試作魔王では、角を百八つまで増やす予定だ! 煩悩の数と同じだぞ! 大みそかに現れて除夜の鐘を打ち鳴らしてみろ! さすがの勇者も腰抜かすぞ!」
「ふたりともやめなさい」
大魔王サルガデウスの言葉にどちらも黙る。
「今はこの困窮した状況から抜け出すことが重要なのだ。この城の周りでさえ、お腹を空かせた悪魔の子供達がたくさんいる。将来を担う子供達が笑って過ごせる悪魔界にしなくてはならぬ。どんな意見でも構わぬ、アルメヘル、お前の意見を聞かせておくれ」
アルメヘルは一礼すると、その大きなあふれんばかりの胸を堂々と張って言った。
「何も勇者と正面切って戦う必要はないものと思います。我々が必要なのは『人間の負の感情』です。それさえ得られれば、別に魔王をそれぞれの世界に派遣して領土を獲得しなくてもよいのです」
幹部達が黙り込む。
「わたし達サキュバスの源は人間達の淫らな感情。いわば人間と共存共栄なのです。それはサキュバスでなくても悪魔なら同じこと。『人間の負の感情』さえ得られれば、魔王の領土など必要ないのです」
悪魔大将軍ゲルデラスが激高して叫ぶ。
「何を言っているのだサキュバス風情が! 神が勇者に聖剣を与え、それぞれの世界を統一して平和にしているせいで『人間の負の感情』が得られず、こんなに困窮しているのではないか! サルガデウス様はダイエットのためとおっしゃっているが、悪魔城では肉も満足に買えないのだぞ!」
「……頼む……余にもプライドというものがある……内緒にしておいて……」
大魔王サルガデウスは涙目になっていた。
アルメヘルは胸を揺らして幹部達を見まわす。
「わたしはただ、我々悪魔が表立って動く必要はないと言っているだけです。神が勇者に与える聖剣を利用すればよいのです。聖剣を使って世界を混乱させればよいのです。世界の混乱は人間に恐怖を、絶望を、欲望を、そして猜疑心を引き起こします。それらは誠に美味なる『人間の負の感情』に他なりません」
大魔王サルガデウスは驚いたように妻に言った。
「アルメヘルよ、そんなことが出来るのか」
「神は百年に一度行われる『審判会議』で、どの世界に勇者を誕生させる必要があるかを話し合います。そして混乱している世界を選び、聖剣を携えた使徒を送り込みます。使徒は人間界のことをあまり知らず、勇者に適性のある者の見極めに時間がかかるのが常です。それに先回りし、我々も使徒を送り込むのです。聖剣を本来の勇者になるべき人間ではなく、劣った人間が聖剣を得られるようにするのです。聖剣という強い力を得た劣った人間は、聖剣を制御できず、世界を混乱に陥れるでしょう。簡単なことです。神の使徒が聖剣に見合った人間を探し出す前に、違う人間が聖剣を手に入れられるよう、少し手助けすればよいだけです」
「なるほど、聖剣を利用するのか。自身は強い力を持たないサキュバス族のお前だからこそ考えつく策であるな。して、次に神がどこの世界に使徒を送るのか、お前には分かるのか」
アルメヘルは、自分の形の良いお尻を少し傾けて微笑んだ。
「簡単なことです、陛下。現在我々に『人間の負の感情』を、最も多く供給している世界です」
「アルスベールか! サーマイリー王国が崩壊し、大小の国家が争いを繰り返しているアルスベールだな。あの世界は現在、『人間の負の感情』の最大の供給源だ」
「その通りです陛下。神を出し抜いて、今のうちに使徒を送り込みましょう」
「では使徒には誰が適任だ、アルメヘルよ」
玉座の間の居並ぶ魔王軍幹部達が、アルメヘルの言葉を固唾を飲んで待っている。今や悪魔大将軍ゲルデラスですら、アルメヘルの言葉を聞き漏らすまいとしている。
これが大魔王の妻であるにもかかわらず、低級魔と罵られてきた自分が待ち望んだ舞台だ。そして最後の仕上げを、アルメヘルは声も高らかに告げた。
「陛下とわたしの娘こそ、神の思惑を打ち砕く役目にふさわしい!」
ここで娘が成功すれば、悪魔界の困窮を救ったものとして大魔王の後継者に選ばれるかもしれない。そうすれば自分の地位は揺るぎないものになる。
これは賭けるべき価値のある賭けだ。あの賢い娘ならやってくれるだろう。
アルメヘルは、魔王軍幹部達を見渡して妖艶に微笑んだ。
自分がサキュバス族であることを誇るように。




