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第十八章:特異なバディと、深き迷宮への歩み

18-1 戦術の最適解と、初めての連携


第十階層の奥地。オークジェネラルの残骸をアイテムボックスに回収し終えた後、キースとフィーリアは魔物の気配が途切れたのを見計らい、本格的に下層を目指すための情報共有を行うことにした。

ダンジョン探索において、味方の能力を正確に把握することは生存確率に直結する。


「互いの情報を開示しよう。僕はキ――エルフィアスだ。レベルは29。得意な戦闘スタイルは風魔法による高速機動と、魔剣を用いた近接魔法剣術だ」


無意識に本名を口にしかけ、キースはすぐさま偽名へと訂正した。

フィーリアは少し首を傾げたが、それ以上にキースの口にした数字にひどく驚いたようだった。


「待って。レベル29って言ったの?」

「ああ。偽る理由はない」

「嘘……てっきりレベル50超えのAランク冒険者だと思ってた。オークジェネラルを瞬殺しておいて、たったの29だなんて……」


フィーリアは信じられないというようにキースをまじまじと見つめた。

無理もない。純粋な火力と殲滅力だけで見れば、現在のキースはすでにBランクの範疇に収まるものではなかったからだ。


「……ちなみに、私はレベル35よ。エルフの集落で弓の修行を積んできたから、ステータスだけなら高いはずなの」

「なるほど。それは僕にとっても都合がいい。僕よりもレベルが高いなら、基礎身体能力で足を引っ張られることはないからな」


だが、フィーリアはキースの言葉を半分聞き流し、どこか得意げな笑みを浮かべていた。


「ねえ、エルフィアス君。ちなみに年齢はいくつ?」

「19だ」

「ふふっ、やっぱり。私は30歳。レベルも私の方が上だし、年齢も11歳年上ね。なんだ、あんな化け物みたいな戦い方をしてたからどんな人かと思ったけど……私のほうがずっとお姉さんじゃない!」


先ほどまでの萎縮した態度はどこへやら、フィーリアは態度に少しの余裕を見せ始め、「お姉さんに任せなさい」とばかりに慎ましい胸を張った。

キースは無表情のまま、内心で冷ややかにツッコミを入れた。


(エルフの成人年齢はおよそ70歳前後だ。種族の寿命比率から考えれば、三十歳の君はその容姿も含めて人間でいえば12才程度の子供だろうに……下らないマウントだ。無意味な口論で時間を浪費する価値もない)


キースはフィーリアの「お姉さん風」を完全にスルーし、極めて事務的に話を先に進めた。


「年齢や自尊心は迷宮での生存に何の寄与もしない。フィーリア、君の得意な技能を具体的に教えろ。弓と精霊魔法だと言っていたな?」

「も、もう。可愛げがないわね……。ええと、そうよ。遠距離からの弓での狙撃と、精霊に呼びかけて風や土の力を借りる魔法が得意。回復や武器の強化も少しならできるわ」


「理解した。ならば、君が先ほどこの第十階層で通常のオーク相手に苦戦し、死にかけていた理由も論理的に説明がつく」

「うっ……」


痛いところを突かれ、フィーリアがたじろぐ。キースは地面に小石で図を描きながら、容赦なく事実を突きつけた。


「弓は遠距離特化、精霊魔法は補助や強化に優れる。つまり君のスタイルは完全に『後衛特化』だ。だが、ダンジョンという空間は狭く、見通しが悪く、遭遇距離が極端に近くなりやすい。おまけにオークのような魔物は集団で行動する。敵の注意ヘイトを引きつけてくれる前衛タンクがいない状況で、後衛職がソロで潜るなど『相性最悪の自殺行為』以外の何物でもない」


ステータスが足りなかったわけではない。環境適応と戦術の完全なる欠如が敗因だ。

キースの理詰めの解説に、フィーリアはぐうの音も出ず、シュンと耳を伏せた。


「反省は後でいい。互いの適性が分かった以上、戦術は一つに絞られる」


キースは立ち上がり、剣の柄に手をかけた。


「これより、僕が『前衛』に出て、敵の視線とヘイトを完全に自分へと引きつける。君は『後衛』に徹し、安全な位置からの最大火力の狙撃と、僕への魔法支援に専念しろ。敵を君の必殺の間合いに近づけさせるような失態は、僕が犯さない」

「……うん、分かったわ。足手まといにはならないようにする」


お姉さんぶっていた態度は鳴りを潜め、フィーリアは真面目な表情で弓を構え直した。


それからすぐのことだった。

第十階層からさらに下るためのルートを探索していた二人の前に、五体のオークの群れが姿を現した。


侵入者を発見し、血走った目で武器を振り上げるオークたち。

フィーリアが息を呑んだ次の瞬間、キースはすでに動いていた。


足元で風を爆発させ、キースは文字通りの『弾丸』となってオークの群れの中央へと突撃した。

無謀にも見える突進だが、キースの動きには一切の無駄がない。オークの振り下ろす棍棒を紙一重のステップで回避し、ロングソードの柄で一体の顔面を打ち据え、わざと派手な動きで群れ全体の意識を自分へと釘付けにする。


(この人間……本当に魔法使いなの!? 前衛職顔負けの動きじゃない!)


驚愕しつつも、フィーリアは自身の役割を完璧に理解していた。

敵の注意が自分に一切向いていない、完全なフリー状態。森での狩猟で培った彼女の本来のポテンシャルが、いかんなく発揮される。


「風の精霊よ、我が矢に貫く力を」


フィーリアが細く美しい指で弓を引き絞ると、矢尻に淡い緑色の光――風の精霊魔法によるエンチャントが収束していった。

標的は、キースの動きに翻弄され、見事に一直線に並んだ三体のオーク。


「穿て!」


弦が弾かれ、風を纏った魔法の矢が放たれた。

それは単なる矢ではない。風のドリルとなって回転する不可視の刃だ。

一瞬の閃光と共に放たれた矢は、先頭のオークの分厚い胸板を容易く貫通し、その後ろにいた二体目の喉笛、さらにその後方の三体目の頭蓋までをも一撃で射抜いた。


「ガ、ア……」


三体のオークが、何が起きたのかも理解できないまま、ドサリと重い音を立てて同時に崩れ落ちる。


「グオォッ!?」


仲間の急死に驚愕し、残った二体のオークがようやくフィーリアの存在に気づき、向き直ろうとした。

だが、遅すぎる。


「よそ見をしている余裕があるのか」


オークたちの背後に回っていたキースが、微かに赤く発光するロングソードを無造作に振り抜く。

極限まで圧縮された不可視の真空刃が、振り返ろうとした二体のオークの太い首を、バターでも切るかのように音もなく切断した。

ゴトッ、と二つの頭部が石畳に転がり、五体のオークの群れは瞬く間に全滅した。


「……ほう」


剣を納めながら、キースはフィーリアの放った一矢を内心で高く評価していた。

(見事な威力と精度だ。あのエンチャントによる貫通力があれば、群れを一掃する際の手間が省ける。僕がすべての魔力を攻撃に回す必要がなくなり、魔力消費と疲労を大幅に抑えられるな)

キースにとって、彼女は想定以上に優秀な『戦力』であり、下層へ向かうための確かな『安全マージン』だった。


一方のフィーリアもまた、キースの圧倒的な前衛能力に感動を覚えていた。

「すごい……! あんなに動き回っているのに、私の射線には絶対に入らないように誘導してくれたのね!」


絶対に敵をこちらに近づけさせず、かつ狙撃の邪魔にならない立ち回り。これほど後衛にとってありがたい前衛は存在しない。


「君の狙撃能力がこれほど有用なら、僕の負担も減る。悪くない取引だった」

「ふふっ、言ったでしょ? お姉さんに任せなさいって!」


得意げに笑うフィーリアに、キースは小さく溜息をついたが、これ以上の論破は不要だと判断した。

互いの戦闘スタイルの完璧な相性を確信した二人は、第四十階層への到達が現実的なものであると確かな希望を抱き、迷宮のさらに深くへと歩みを進めるのだった。




18-2 祝杯の落とし穴と、死神の逃避行


互いの連携と役割を確認した二人は、その後、中層の入り口である第十五階層まで足を伸ばして狩りを行った。


結論から言えば、キースとフィーリアの相性はすこぶる良かった。

元々キースは、かつての仲間であるリィンやシノといった「遠距離・魔法支援職」との連携ノウハウが身体に染み付いている。後衛が最も攻撃しやすいように敵を誘導し、射線を空け、反撃の隙を完全に潰す。

対するフィーリアも、前衛が敵のヘイトを完璧に管理してくれるおかげで、ダンジョン特有の閉塞感から解放されていた。彼女は生まれ育った森での狩猟時と全く同じ、リラックスしたメンタルで獲物を一方的に狙い撃つことができ、本来のポテンシャルを遺憾なく発揮していた。


さらに狩りの効率を極限まで押し上げていたのが、キースの『空間収納アイテムボックス』だった。


「はい、これもお願いね!」

「……ああ」


フィーリアが討伐したオークやゴブリンの死骸を、キースは解体することなく片っ端から虚空へと飲み込ませていく。

「ちょっと容量の大きいマジックバッグだ。解体は地上でギルドに丸投げした方が時間対効果が高い」というキースの適当な偽装を、純粋なフィーリアは「さすが凄腕ね!」と完全に信じ込んでいた。

結果として、解体と素材選別の時間を丸ごと省略できた二人は、想定の何倍もの速度で魔物を狩り続けることができたのである。


(ふふっ、これならかなりの金額になりそうね!)


フィーリアは、次々とマジックバッグに吸い込まれていく獲物の山を見て、内心ホクホクしていた。

その最大の理由は、彼女の「深刻な金欠」にあった。

生まれてからずっとエルフの里で過ごしてきたフィーリアは、人間社会の通貨価値や物価を全く知らなかった。故郷を出る際、両親が餞別として持たせてくれた大銀貨十枚も、迷宮都市での不慣れな生活の中ですでに底を突きかけていたのだ。

今日、あるいは明日にある程度の稼ぎがなければ、彼女は間違いなく「野宿」が確定する崖っぷちの状態だった。


そこで、フィーリアは恐る恐る懸念事項を口にした。


「ねえ、エルフィアス君。討伐素材の分配についてなんだけど……。私は遠くから弓を撃ってるだけだし、前に出て敵の注意を引いてくれてる君の方が負担が大きいじゃない? 私の取り分って、いくらくらいになるのかしら……」


自分の取り分はせいぜい二割か三割だろう。そう覚悟していたフィーリアに対し、キースは立ち止まることもなく即答した。


「折半だ」

「えっ?」

「君の狙撃があるおかげで、僕の魔力消費は抑えられ、安全マージンが大幅に向上している。戦力としての貢献度は申し分ない。総額を二等分するのが最も妥当な判断だ」


(やったぁぁぁっ!!)


予想外の好待遇に、フィーリアは内心で派手なガッツポーズを決めた。

だが、そんな余裕のなさをキースに見透かされるのは、なんだか恥ずかしい。彼女は必死に表情を取り繕い、お姉さん風を装って髪をかき上げた。


「ふふっ、そう? まあ、お姉さんとしての貫禄を見せちゃったから、当然の評価ね。これからも頼りにしていいわよ!」

「……そうか」


キースは無表情のまま短く返し、狩りを続行した。


戦闘時の連携を十分に確認した二人は、街への帰路についた。


迷宮都市フィオレンテの冒険者ギルドに到着し、マジックバッグから山のような魔物の素材を換金窓口に提出し終えると、キースの腕をフィーリアがぐいっと引っ張った。


「よしっ! 今日のコンビ結成の祝いに、お姉さんが夕食を奢ってあげる!」

「いや、食事なら自分の宿で取るから大丈夫だ。それに無駄な出費は――」

「だーめ! これから下層へ向かうバディなんだから、親睦を深めるのは絶対に必須でしょ!」

「……チッ」


キースの合理的な抗議も虚しく、気を良くしたフィーリアは強引にキースをギルド近くの酒場へと連行した。


薄暗い酒場で、キースは運ばれてきた肉料理を淡々と口に運び、フィーリアは果実水(人間のお酒は強すぎて飲めないため)を片手に上機嫌で食事を楽しんだ。


「それにしても、今日の戦果は本当に凄かったわね。獲物を全部マジックバッグに放り込んで解体作業をスキップできたおかげで、普通のパーティーの数日分は狩れたんじゃないかしら?」

「ああ。無駄な時間を大幅に圧縮できた。このペースなら安全マージンを確保するための資金作りも、下層への適応もスムーズに進むだろう」

「ふふっ、あれだけの量を折半なんて……私、これからすごいお金持ちになっちゃうかも!」


フィーリアは目を輝かせながら、これからのバラ色の生活を妄想して満面の笑みをこぼした。


そして会計時。

「ごちそうさま。ここは私が払うわね!」と気前よく宣言したフィーリアは、財布に残っていた全財産をほぼ全て出し切って支払いを済ませた。


酒場の外へ出たフィーリアは、上目遣いでキースに尋ねた。


今日稼いだ分のお金をもらい、暖かいベッドで眠る。そんな完璧な計画を描いていたフィーリアに対し、キースは一切の悪気なく、冷酷な事実を告げた。


「あんな大量の素材が、今日中に査定・換金できるわけがないだろう」

「……え?」

「解体と査定が終わるのは明日の朝だ。金額が出るのも当然明日になる。明日の朝、ギルドで落ち合った時に折半だ」


ピシッ、と。

フィーリアの全身が、文字通り石像のように硬直した。


(あ、明日の朝……?)


フィーリアの脳内で、絶望的な計算式が弾き出される。

今日の換金分を見越して、先ほどの食事代で全財産を使ってしまった。つまり現在の所持金はゼロ。宿に帰っても、部屋代を払うことができない。

無一文。即ち――今夜の野宿、確定。


「ま、待って、お願いっ!」


パニックに陥ったフィーリアは、酒場の出入り口という公衆の面前で、涙目になりながら勢いよく地面に膝をついた。


「土下座するから! 今晩の宿代だけでいいから貸してぇぇっ! 野宿はいやぁぁぁっ!」

「おい、何をしている。立て」


いきなり道端で土下座を始めたエルフの少女に、キースは眉をひそめた。

だが、事態はキースの予測を超えた方向へと急転直下する。


酒場に出入りする冒険者や、通りを行き交う群衆が、足を止めて二人にざわめき始めたのだ。

彼らの目に映っているのは、冷酷そうな黒衣の青年と、足元で涙を流して土下座をする「十二歳前後にしか見えない美少女」の図である。


『おいおい……あの子から金を踏んだくったのか?』

『いい歳して、あんな小さな子に奢らせた挙句、泣かせてるぞ……』

『ロリコンのヒモかよ。最低だな……』


周囲から、明らかなドン引きと軽蔑の視線が突き刺さる。

さらに、野次馬の中にいた冒険者の一人が、キースの顔を見てハッと息を呑んだ。


『……おい、あれって……死神のデス・サイズじゃねえか?』

『えっ? マジかよ。あれがデス・サイズだよな……?』

『ってことは、あの死神、幼女を脅して金を巻き上げるロリコンのヒモだったのかよ……!』


最悪の形で身バレが発生した。

瞬く間に広がる、「幼女の金を巻き上げる死神」という絶望的な風評被害。


(……ッ!?)


この時、キースはこれまでの人生で最大の危機的状況に陥った錯覚を覚えた。

コンラッドの魔道具を前にした死闘や、アルタリアとの息詰まる心理戦ともまた違う、全く別次元の緊張感。

ここで対応を間違えれば、自分は社会的に死ぬ。今後、この迷宮都市で『過去への跳躍』の調査を行う上で、致命的なデバフとなることは明白だった。


キースの冷徹な脳内コンピューターが、コンマ一秒で最適解を弾き出す。


『群衆への論理的な説明による事態の収拾確率はゼロ。――緊急離脱一択』


「ひゃうっ!?」


キースは一切の躊躇なく、土下座していたフィーリアを無言で横抱きに抱え上げた。

そして、足元で極大の風魔法を爆発させる。


「おい、逃げたぞ!?」

「ロリコン死神が幼女を攫ったぞォォッ!!」


群衆の怒号を置き去りにして、キースは風の推進力を全開にし、迷宮都市の屋根から屋根へと全力で跳躍した。それはもはや、見事なまでの逃避行だった。


数分後。

何とか撒ききり、自身の定宿がある路地裏へと降り立ったキースは、横抱きにしていたフィーリアを乱暴に下ろした。

そして、自身のアイテムボックスから『大銀貨十枚』を取り出すと、それを無言でフィーリアの手の中に押し付けた。


「エル、フィアス君……?」


キースは何も答えず、疲労困憊した様子で、逃げるように自分の宿屋の中へと消えていった。


一方のフィーリアは、突然の出来事に呆然としていた。

突然力強くお姫様抱っこをされ、夜の空を飛んだこと。そして、無言で大金を握らせて去っていった青年の不器用な背中。


「……えへへ」


少しだけ顔を赤くして胸を高鳴らせつつも、フィーリアは手の中の大銀貨をぎゅっと握りしめた。


「これで、野宿しなくて済むわ!」


社会的死の淵を彷徨った青年の苦悩など露知らず、ポンコツなお姉さんエルフは、無事に今夜のベッドを確保できた喜びにただただ浸るのだった。


18-3:露呈する二つ名と、第二十階層の惨劇


昨夜の『ロリコンのヒモによる幼女土下座事件』のせいで、キースは迷宮都市フィオレンテに来てから最も憂鬱な朝を迎えていた。


(……致命的な失態だ。群集心理というものは、一度植え付けられた悪意あるバイアスを容易には覆さない。ほとぼりが冷めるまで、極力人目に付く行動は控えるべきだな)


宿の一階で提供される簡素な朝食を無表情で胃に流し込みながら、キースは今後の隠密行動の修正案を脳内で練り上げていた。

食事を終え、昨日の規格外な量の魔物素材の換金額を受け取るため、キースはフードを深く被り、足早に冒険者ギルドへと向かった。


だが、キースの計算はギルドの扉を開けた瞬間に崩れ去った。


「おいおい、昨日のロリコンのヒモ男じゃねえか」


運悪く、ギルド内のテーブルで朝から酒を飲んでいた冒険者の一人――昨日の酒場での一部始終を目撃していた男に絡まれてしまったのだ。

男の言葉に、周囲の冒険者たちが一斉にキースへと冷たい視線を向ける。


(……チッ)


キースの脳内で、極端かつ冷酷な防衛本能が瞬時に起動した。

『このまま昨日の冤罪を言いふらされれば、迷宮都市での活動に致命的な支障をきたす。……いっそのこと、こいつを今ここで「ウィンド・シア」で真っ二つにし、物理的に口を塞いで事態を収拾すべきか?』

本気で魔法の無詠唱発動を検討し、キースの右手に魔力が集中しかけた、その時だった。


「ああっ! エルフィアス君!!」


ギルドの入り口から、弾んだ声と共にフィーリアが駆け込んできた。

彼女は周囲の異様な空気など一切気にせず、キースの前に立つと、満面の笑みでペコリと頭を下げた。


「昨日は本当にごめんなさい! それに、お金を貸してくれて本当に助かったわ。エルフィアス君がいなかったら、私、今頃路地裏で野宿して泣いてたところよ!」


大きな声で告げられたその言葉に、絡んできた冒険者や周囲の野次馬たちがキョトンと顔を見合わせた。


「……なんだ。ただの痴話喧嘩かよ。金を踏んだくったんじゃなくて、宿代を貸してやったのか」

「驚かせやがって、デス・サイズ! 見た目に似合わず面倒見がいいじゃねえか!」


男はガハハと笑いながらキースの肩を叩き、周囲の冒険者たちも「なんだ、つまんねえ」とそれぞれの会話へと戻っていった。

物理的な殺戮に頼ることなく、自身の社会的死と冤罪が見事に晴れた瞬間だった。キースは安堵のあまり、微かに肩の力を抜いた。


だが、今度はフィーリアが不思議そうに首を傾げた。


「……ねえ。今の人、君のこと『デス・サイズ』って呼んでなかった?」


ギクッ、とキースの肩が跳ねる。

自身の不本意で大仰な二つ名を、これからのバディに知られるのは何としても避けたかったキースだったが、不運は続く。


「ああっ、デス・サイズさん! ちょうどいいところに! 昨日の素材の査定額が出ましたよー!」


受付カウンターの奥から、受付嬢がギルド中に響き渡る大声でキースを呼んだのだ。

完全に逃げ道を塞がれたキースは、フィーリアに「どうしてそんな物騒な名前で呼ばれてるの?」と目を丸くして詰め寄られ、重い口を開くしかなかった。


「……三ヶ月前、僕の戦果を妬んだ愚か者六人に、迷宮で背後から魔法で奇襲された。僕は正当防衛として、見えない風の刃で六人全員を……真っ二つに両断した。その時の現場検証の映像がギルドに出回り、以来そう呼ばれている。不本意極まりない名前だ」


残虐で冷酷な一撃必殺。その事実を聞けば、普通の人間なら恐怖し、あるいはドン引きして距離を置くはずだ。

キースは好奇や畏怖の目を向けられることを覚悟して息を吐いた。だが――


「見えない刃で、一瞬で六人を真っ二つに……?」


フィーリアは両手で口を覆うと、その大きな瞳をキラキラと星のように輝かせた。


「な、なんて格好良いの……!!」

「は?」

「死神のデス・サイズ! 暗闇から忍び寄り、見えない刃で悪党を一掃する……すっごくクールじゃない! 私、そういうの好きよ!」


(……エルフの感性は狂っているのか?)

キースは本気で頭痛を覚えた。だが、街で見かける他のエルフの冒険者は極めてまともだったことを思い出す。

つまり、エルフの感性がおかしいのではなく、この三十歳(エルフ基準では子供)のフィーリアが、いわゆる『中二病』的な格好良さに憧れる思春期の真っ只中にあるだけなのだと結論づけた。


「ねえ、デス・サイズさん! 今日の換金額、どうなったか早く聞きに行きましょ!」

「……頼むから、普通にエルフィアスと呼んでくれ」


朝からフィーリアの無自覚なペースに巻き込まれ続け、キースの肉体は無傷だが「精神的なHP」は完全に削り切られていた。

無事に大金貨数枚に上る換金額を受け取り、きっちり折半してフィーリアに渡した後、キースは深い溜息をついた。


「……今日はダンジョン探索は中止だ。精神衛生上、休暇とする」

「ええっ? 私、やる気満々なのに!」


フラフラと足取り重くギルドを出ようとするキース。

だが、彼が木扉の取っ手に手をかけたその瞬間。


バンッ!!


扉が外から勢いよく蹴り開けられ、全身血まみれの傷だらけの冒険者が、ギルドの床に転がり込んできた。


「た、大変だ……!」


男は息も絶え絶えに、血を吐きながら叫んだ。


「第二十階層に出た……ライカンスロープの変異種に……カイルたちのパーティーが、やられたッ!!」


その報告に、喧騒に包まれていたギルド内が、水を打ったように静まり返った。


カイル率いる『暁の戦士』。それはこの迷宮都市フィオレンテでも名を馳せるBランクのベテランパーティーだ。キースを先日、ライカンスロープ討伐に誘ってきたのも彼だった。

彼らの実力は本物であり、過去には下層での探索を成功させ、Aランク中位の魔物を単体とはいえ討伐した実績すら持っている。


本来、ライカンスロープはBランク中位の魔物だ。それがいくら『未知の変異種』であったとしても、事前の見立てではせいぜいBランク上位からAランク下位程度だろうと推測されていた。

だが、その実績ある『暁の戦士』が全滅させられた。


その事実は、ギルドの認識を根底から覆すものだった。

「たかが変異種」ではない。それは、Aランク上位、あるいはそれ以上の災害級の脅威が、中層の第二十階層を徘徊しているということを意味する。


「お、おい嘘だろ……カイルのたちが全滅!?」

「ただちにギルドマスターを呼べ! 治療班、急げッ!」


静寂は一瞬にして破られ、ギルドは阿鼻叫喚の騒ぎへと変貌した。

事態を重く見たギルド上層部は即座に動き出し、ダンジョンの一時閉鎖――特に第十五階層以降の『中層下部および下層への立ち入り禁止』を緊急決定した。


「……迷宮が、閉鎖?」


フィーリアが不安そうにキースの外套の袖を掴む。下層にあるアンブロンシアの花を求める彼女にとって、それは計画の致命的な頓挫を意味していた。


一方のキースは、阿鼻叫喚のギルドの隅で、一人冷徹に思考を巡らせていた。


(Aランク中位を討伐できるパーティーを、Bランクの変異種が全滅させる……単なる突然変異で片付けるには、あまりにも不自然だ)


キースの脳裏に、不穏なロジックが浮かび上がる。

迷宮の生態系を逸脱した、異常な力を持つ魔物。それはまるで、何者かの手によって意図的に『改造』されたかのような――。


キースは騒然とするギルドを見つめながら、静かに魔剣の柄に指を這わせた。

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