第十七章:死神の鎌(デス・サイズ)と呼ばれた男
17-1 死神の憂鬱と、消えた新米冒険者
迷宮都市フィオレンテの朝は早い。
日の光が差し込む前から、一攫千金を夢見る者たちが武器を鳴らし、活気に満ちた声が通りを行き交う。
キースは定宿の一階で、効率的な栄養摂取のみを目的とした簡素な朝食を淡々と口に運んでいた。
「よう、デス・サイズ。今日もダンジョンか?」
カウンター越しに、宿の店主が気さくな声で話しかけてくる。キースは表情を変えることなく、短く頷くだけで返した。
食事を終えて冒険者ギルドへ顔を出すと、今朝の一階ロビーは普段とは比べ物にならないほどの熱気と喧騒に包まれていた。
人だかりの中心にいたのは、最高級の魔法金属で誂えられた重装備に身を包む、数十人の冒険者たちだ。彼らの外套には、漆黒の剣を模したエンブレムが刻まれている。
(……迷宮都市フィオレンテの最強クラン、『黒曜の剣』か)
キースの記憶が正しければ、彼らは今日から迷宮の最深部――第五十一階層以降の『深層』へ向けた、数週間にも及ぶ長期遠征に出発するはずだった。
周囲の冒険者たちが羨望と畏怖の眼差しで見送る中、彼らは整然とした足取りでギルドを後にし、ダンジョンへと向かっていった。
(深層の未知のドロップ品や情報は魅力的だが……今の僕が背負えるリスクではないな)
キースは早々に興味を切り離し、受付カウンターへと向かった。顔馴染みとなった受付嬢が、少し興奮冷めやらぬ様子で笑顔を向けてくる。
「おはようございます、デス・サイズさん! 今朝はすごい熱気でしたね。あっ、昨日の魔物の素材の鑑定金額が出ましたよ」
「確認する。……妥当な金額だな」
報酬の入った革袋を受け取って振り返った直後、今度は大剣を背負った古参の冒険者――Bランクパーティー『暁の戦士』のリーダーであるカイルが肩を叩いてきた。
「おっ、デス・サイズ! ちょうどいいところにいたな。さっきの『黒曜の剣』の連中、すげえ迫力だったよな! 最強クランの背中を見せられちゃあ、俺たちもくすぶってられねえ」
カイルは野心に満ちた笑みを浮かべ、声を潜めた。
「実は20階層に、見た事も無いライカンスロープの変異種が目撃されたらしいんだ! 腕の立つ魔法使いを探してたんだが、俺たちと一緒に狩りにいかねえか? デカい獲物を仕留めて、俺たちも名を上げる絶好のチャンスだぜ!」
「遠慮しておく。ソロでの立ち回りに慣れているのでね。足手まといになるつもりはない」
キースは無駄なパーティー行動を避けるため、適当な理由をつけて誘いを断った。だが、その頭脳には『20階層における未知のライカンスロープ』という有用な情報だけをしっかりと刻み込んでいた。
ギルドを後にし、街の中央にぽっかりと口を開けるダンジョンの入り口へと向かう。
入り口を固める衛兵の一人がキースの姿を認めると、道を空けつつ申し訳なさそうに声をかけてきた。
「デス・サイズさん、おはようございます。実は昨日から、Cランクパーティーの新米冒険者がダンジョンから帰って来てないようでして。もし見かけたら、保護をお願い出来ますか?」
「……自分の探索目的の範囲内でなら、善処しよう」
キースはドライに返しつつ、地下へと続く長く暗い階段を下りていった。
ダンジョンのひんやりとした空気に触れながら、キースは微かに溜息をついた。
アルタリアから与えられた『エルフィアス』という偽名は、今や書類上のものに過ぎない。この迷宮都市で、彼は街の住人や同業者から『死神の鎌』という、目立ちすぎる不穏な二つ名で呼ばれるようになっていた。
(全く、不本意極まりない)
目立つことを何よりも嫌い、裏で暗躍することを好むキースにとって、この大仰な二つ名は百害あって一利なしだ。
こうなってしまった事の発端は、彼がこの迷宮都市フィオレンテに転送されてから、ちょうど3ヶ月が経った頃の出来事だった。
17-2 愚者の奇襲と、死神の誕生
全ての発端は、キースがこの迷宮都市フィオレンテに転送されてから、ちょうど三ヶ月が経過した頃の出来事だった。
迷宮都市に着いた当初こそ、国境から遠く離れた未知の環境に対し、キースは極限の警戒を持って慎重にダンジョン探索を行っていた。だが、三ヶ月も経つ頃には、浅い階層から中層に差し掛かる領域での立ち回りに、完全に余裕が生まれていた。
その最大の理由は、彼独自の魔法運用による「魔力枯渇の完全なる克服」にあった。
薄暗いダンジョンの第十階層。
湿った石壁に囲まれた広大な空間で、十体を超えるオークの群れが、血走った目を剥いてキースを取り囲んでいた。
豚のような鼻息を荒くし、錆びた鉈や棍棒を振り回す巨漢の魔物たち。通常の同ランクパーティーであれば、陣形を組んで前衛が引きつけ、後衛が魔法で数を減らすのが定石の相手だ。
だが、キースはたった一人で、無言のままその群れの中央へと歩みを進めた。
「ブギィィィッ!」
先陣を切ったオークが棍棒を振り下ろす。その凶器がキースの頭を砕くよりも早く、キースの足元で圧縮された空気が炸裂した。
風魔法による爆発的な推進力。キースの身体は文字通り「弾丸」となって石畳を蹴り出し、オークの包囲網を一瞬にしてすり抜ける。
すれ違いざまに、キースは視界に捉えた三体のオークの頭部周辺に向けて、極めて局所的な気圧操作を行った。
エアフィルターの応用による、強制的な真空地帯の形成。
突如として酸素を奪われた三体のオークが、喉を掻きむしりながら白目を剥いて膝をつく。
その無防備な首筋に向け、キースは振り返ることなく右手を払った。
不可視の真空刃、『ウィンド・シア』。
空気を切り裂く鋭い風切り音と共に、三体のオークの太い首が胴体から滑り落ち、どす黒い血の噴水がダンジョンの天井へと舞い上がった。
残りのオークたちが仲間の死に混乱する中、キースは流れるような動作で風の刃を連発し、次々と魔物たちの急所を的確に断ち割っていく。
しかし、これほどの無詠唱魔法の連続行使は、いかにキースといえども魔力の激しい消耗を免れない。十体目のオークを切り伏せた瞬間、キースの体内の魔力が底をつきかけ、強烈な倦怠感が全身を襲った。
魔法使いにとって、迷宮内での魔力枯渇は「死」に直結する。
だが、キースの表情に焦りは微塵もなかった。
彼は虚空に手をかざし、『空間収納』から小瓶を取り出した。中に入っているのは、青く澄んだ液体――高純度のマナポーションだ。
キースは迷うことなく蓋を親指で弾き飛ばし、その液体を一気に喉の奥へと流し込んだ。
焼け付くような熱を伴って、枯渇しかけていた魔力が瞬時に全身を駆け巡り、完全に満たされる。
通常、これほど高純度のマナポーションは大銀貨2枚に匹敵する高価な代物であり、駆け出しの冒険者が湯水のように使えるものではない。
しかし、キースには『物質創造』と『魔法錬金』を組み合わせた独自の術式があった。キースは毎晩、宿での空き時間を利用し、時間経過で蓄積するSPを消費して『物質創造』で希少な錬金素材を無から創り出していた。そして、それに自身の魔力を注ぎ込む『魔法錬金』によってアイテムへと変換する。
キースはこの原材料の対価を一切払うことのないチート行為を日々の絶対的なルーチンとして課し、毎日欠かさず最高品質のマナポーションを六本作成しては『空間収納』にストックし続けていた。だからこそ、彼はこの高価な回復薬を、安全マージンを確保するための経費として気軽に使い捨てることができるのだった。
魔力を全回復させたキースは、再び風魔法で加速し、残ったオークを蹂躙した。
魔力が尽きるまで魔法を限界行使し、空になった瞬間にポーションで強制的に満たす。
この「極限までの魔力消費」と「強制的な急速回復」という、常軌を逸したローテーション。本来であれば魔力が焼き切れるほどの荒業だが、キースはこの三ヶ月間、ダンジョンに潜るたびにこれをひたすら繰り返し続けていた。
筋肉が破壊と修復を経て肥大化するように、キースの「魔力の器」もまた、限界突破を繰り返すことで劇的な拡張を遂げていたのである。
結果として、現在のキースの魔力総量は、レベル20のソロ冒険者という枠を遥かに逸脱する領域へと到達していた。彼が連日ギルドに持ち込む魔石や素材の量は、同ランクの6人パーティーが稼ぐ量に匹敵していた。
だが、出る杭は打たれる。圧倒的な実力は、時に愚か者たちの自尊心を無意味に刺激する。
その日の夕刻、迷宮都市の冒険者ギルドは喧騒に包まれていた。
換金カウンターにキースが持ち込んだ、麻袋三つ分にもなる大量の魔石とオークの素材。それを査定する受付嬢の驚愕の声が、周囲の冒険者たちの耳にも届いていた。
「す、素晴らしい成果ですエルフィアスさん! これほどの量をたった一日で、しかもソロで……!」
キースが淡々と報酬を受け取ろうとしたその時、背後から無遠慮に肩を掴まれた。
「おい、ちょっと面貸せや。生意気な新入りが」
振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。『赤銅の牙』と名乗る、Cランクの冒険者パーティーの六人組。身なりはそれなりに整っているが、酒と安酒場での自慢話ばかりで、実力はとうに頭打ちになっている連中だ。
巨漢のリーダーが、血走った目でキースを睨みつけていた。
「この街に来てたかだか三ヶ月の若造が、毎日毎日、俺たちより稼いでふんぞり返ってんじゃねえよ。どうせ、誰かを囮にして素材を掠め取ってるとか、セコい不正でもしてんだろ?」
周囲の冒険者たちが「またあいつらか」と呆れた視線を向ける中、キースは肩を掴む男の手を静かに、しかし冷酷な力で払い除けた。
「無駄な推測で僕の時間を奪うな。そもそも、僕が狩場としているのは第十階層以降の階層だ。お前たちのような適正階層が五階層以下のパーティーと、獲物や素材が競合するはずがない」
「なっ、てめえ……俺たちを見下してんのか!」
図星を突かれたリーダーの顔が、怒りで一気に赤黒く染まる。だがキースは、一切の感情を交えない氷のような声で論理的な追及を続けた。
「事実を述べたまでだ。それに、ギルドの規則において個人の討伐数に上限など存在しない。僕が不正を行っているという明確な証拠があるのなら、僕ではなくギルドの調査部に提出するべきだ。確たる証拠もないまま公衆の面前で言いがかりをつける行為は、ギルド規約の『他冒険者への名誉毀損および営業妨害』という明確な違反行為に該当するが……その覚悟があっての言動と受け取っていいのだな?」
一言の隙もない正論の連打。
周囲の冒険者たちからクスクスと失笑が漏れ始め、完全に面目を潰された六人組は、歯をギリギリと鳴らして武器の柄に手をかけた。
「ごちゃごちゃと理屈ばっか並べやがって……ぶっ殺してやる!」
男が剣を抜こうとした瞬間、凄まじい威圧感がギルド内に放たれた。
「そこまでだ、愚か者共。ギルド内での僕闘は、即刻ランク降格および追放処分だぞ」
騒ぎを聞きつけたギルドのサブマスターが、屈強な体躯を揺らして二人の間に割って入った。
圧倒的な実力者であるサブマスターの睨みに、六人組は舌打ちをして武器から手を離すしかなかった。
「……覚えてろよ、クソガキ。迷宮の暗がりを歩く時は、背後に気をつけることだな」
捨て台詞を吐いて、六人組は逃げるようにギルドから立ち去っていった。
周囲は「運の悪い奴に絡まれたな」と同情の声を寄せたが、キースの目は極めて冷ややかだった。
(あの目……単なる脅しではない。明確な殺意が宿っていたな)
キースは彼らの殺意の匂いを、自身の脳内に冷徹に記憶した。
翌日。
キースはあえて、普段の狩場ではなく浅い第五階層の迷路区画を歩いていた。
視界が悪く、死角が多いこのエリアは、待ち伏せや奇襲に最も適している。もし彼らが行動を起こすならここだろうという、キースの計算に基づいた「誘い」だった。
湿った風が吹き抜ける十字路を曲がろうとした、その瞬間。
背後の完全な死角から、突如として強烈な熱波が膨れ上がった。
魔法の発動予兆。キースが咄嗟に薄い風の結界を背面に展開した直後、巨大な火球が炸裂した。
「――ッ!」
轟音と爆風。
エアシールドで直撃こそ免れたものの、凄まじい衝撃波がキースの身体を前方に大きく吹き飛ばした。
石壁に背中から激突し、肺から空気が強制的に吐き出される。
(この浅い階層に、火炎魔法を操る魔物は存在しない。……やはり、誘いに乗ってきたか)
空を舞い、地面に叩きつけられるまでのわずか一秒未満の間に、キースは冷徹に状況を整理していた。
身体が石畳に激突するのと同時に、キースは『空間収納』から中級回復ポーションを取り出し、蓋ごと噛み砕くようにして中身を飲み込んだ。
衝撃による内臓へのダメージや、背中の軽い火傷が、瞬きする間に完全に癒えていく。
しかしキースは立ち上がることなく、土埃と自身の血の匂いが漂う中、うつ伏せに倒れたまま微弱な呼吸を演じ続けた。
ザッ、ザッ、ザッ。
複数の足音が、迷路の奥からゆっくりと近づいてくる。
足音は全部で六つ。
「はっ、小賢しい理屈を並べてた割には、呆気ない幕切れだったな」
「どんな天才気取りでも、完全な死角から魔法を撃ち込まれりゃ終わりだ」
現れたのは、昨日ギルドで因縁をつけてきた『赤銅の牙』の六人組だった。火球を放ったのは、彼らのパーティーの最後尾で杖を構える魔法使いだ。
「おい、一発殴ってやろうと思ってたのに、死んじまったのかよ」
リーダーの巨漢が、下劣な笑みを浮かべながら剣を抜き、キースを見下ろして歩み寄ってくる。
彼らは、キースがエアシールドで直撃を避けたことにも、すでに無傷まで回復していることにも全く気づいていない。背後からの魔法直撃で、キースはすでに虫の息か、あるいは絶命していると完全に油断しきっていた。
「ギルドの目が届かない迷宮の肥やしになれ。安心しろ、お前の持ってるその上等な装備と金は、俺たちが有効活用してやるよ」
嘲笑を浮かべ、武器をだらりと下げたまま無防備に近づいてくる男たち。
キースは伏せた顔の奥で目を細め、聴覚を極限まで研ぎ澄まして彼らの足音から距離を測った。
十五メートル。
まだだ。ここで動けば、後衛の魔法使いや弓使いに逃げられる可能性がある。
十二メートル。
もう一息。
十メートル。
全員が、完全にキースの必殺の間合いへと踏み込んだ。
「――無駄な時間だったな」
地面に伏せていたはずのキースが、バネが弾けるような異常な速度で跳ね起きた。
「なっ――生きて……!?」
男たちの顔に、嘲笑から驚愕、そして恐怖の色が浮かび上がる。
だが、キースは彼らが言葉を紡ぐ時間すら与えなかった。
キースは、この三ヶ月間の過酷な魔力循環によって底上げされた、膨大な『全魔力』を一気に練り上げた。周囲の空気が悲鳴を上げ、気圧の急激な変化によって突風が巻き起こる。
極限まで魔力を圧縮し、たった一撃の魔法へと変換する。
それは、かつて雪山で『アイス・エイプの亜種』と死闘を演じた頃のキースが放ったものとは、根本的に出力の次元が違っていた。
「ウィンド・シア」
氷のように冷たい声と共に、キースは右腕を真横へと振り抜いた。
放たれたのは、極大の真空刃。
目に見えない巨大な大鎌が、空間そのものを断ち切るかのような凄まじい速度で直進する。
空気を切り裂く音すら、刃の到達より遅れて響いた。
「あ――」
六人の男たちは、防御魔法を張ることも、盾を構えることも、ましてや逃げることなどできるはずがなかった。彼らの表情が驚愕に固まったまま――その胴体を、不可視の刃が何の抵抗もなく通り抜けた。
一拍の、不自然なほどの静寂。
次の瞬間、六人の男たちの上半身が、重力に従ってズルリとズレ落ちた。
「ゴバァッ……!」
切断された断面から、鮮血が狂ったような勢いで噴水のように吹き上がり、灰色の石畳を一面の赤へと染め上げる。内臓がこぼれ落ち、大量の血だまりの中に六つの肉塊が崩れ落ちた。
悲鳴を上げる隙すら与えられない、完全なる一撃必殺の蹂躙。
凄惨な死体と化した六人を前に、キースは冷たい目で見下ろした。
「自らの実力を弁えず、感情に任せて牙を剥くからこういう結果になる。……本当に、無駄な命の浪費だ」
キースは血の海を避けながら歩み寄り、『空間収納』から取り出した布で手を覆いながら、彼らの身分を証明するギルドカードだけを証拠品として回収した。
その後、キースは自らダンジョンの入り口へ戻り、詰め所にいる衛兵に向かって「同業者から命を狙われ、背後から魔法で奇襲されたため、やむを得ず撃退した」と冷静に報告した。
すぐさま衛兵数名と、ギルドの調査員が現場へと急行した。
血の海と化した惨状に衛兵たちが顔をしかめる中、調査員は鞄から奇妙な形をしたランタンのような魔道具を取り出した。
それは『過去投影機』と呼ばれる、ギルドが厳重に管理するアーティファクトだった。現場の残留魔力を読み取り、過去十二時間以内の出来事を、その場に幻影の映像として投影することができる代物だ。
魔道具が起動し、空間に淡い光の映像が浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、背後からキースを狙い撃ちにする魔法使いと、倒れたキースを嘲笑いながら、明確な殺意を持って近づいていく六人の男たちの姿だった。
これにより、キースの主張が真実であり、彼が完全な被害者であることが証明された。正当防衛は成立し、キースの無罪(白)は確定した。
だが――映像はそこで終わらなかった。
立ち上がったキースが腕を振り抜いた瞬間。
一振りの不可視の魔法が、六人の冒険者を「一瞬にして真っ二つに切断する」という、あまりにも凄まじい光景が鮮明に映し出されたのだ。
「ひっ……!」
映像を見ていた衛兵の一人が、恐怖のあまり後ずさり、腰を抜かしてへたり込んだ。ギルドの調査員もまた、顔面を蒼白にして震え上がり、キースを化け物でも見るかのような目で見つめていた。
レベル20そこそこの若者が放ったとは到底信じられない、理不尽なまでの破壊力と、一切の躊躇なく命を刈り取るその冷酷な振る舞い。
この事件の映像と噂は、恐怖の尾鰭をつけて、瞬く間に迷宮都市フィオレンテ中に広まった。
『あいつは人間じゃない』
『見えない大鎌で、一瞬にして六人の首を刈り取った死神だ』
以来、キースは偽名の『エルフィアス』で呼ばれることはほとんどなくなった。
その容赦のない戦いぶりと、命を刈り取る見えない刃の恐怖から、街の住人や同業者たちは畏怖の念を込め、彼を『死神の鎌』という大仰な異名で呼ぶようになってしまったのである。
17-3 過去への手掛かりと、計算外の救出劇
三ヶ月前の鬱陶しい記憶を脳の隅へと追いやりながら、キースは地下深くへと続く石階段を淡々と下りていた。
現在のキースのレベルは『29』。
迷宮都市に来てからの半年間、ソロで死地を潜り抜け続けた結果、その成長速度は常軌を逸していた。主力である風魔法の威力と精密さは極限まで研ぎ澄まされ、『物質創造』と『魔法錬金』による対価なしのマナポーション生成術も、今や歩きながら無意識に発動できるほどに洗練されている。
この巨大なダンジョンは、大きく四つの層に分類されている。
第一階層から第十五階層までの『浅層部』。
第十六階層から第三十階層までの『中層部』。
第三十一階層から第五十階層までの『下層部』。
そして、第五十一階層以降の未知の領域である『深層部』だ。
現在のキースの到達点であり、主戦場としている狩場は、中層部の最下層である第三十階層だった。これより先の下層部以降は、地形が劇的に変化し、敵の種類や強さも跳ね上がるため、現在は慎重に情報収集を行っている段階である。
「……やはり、魔力伝導率は申し分ないな」
キースは歩みを止めず、右手に握ったロングソードの刀身を見つめた。
微かに赤く発光するこの剣や、身につけている黒い光沢を放つ鱗鎧、硬革のズボン、頑強な脛当て(グリーブ)、そしてブーツ。これらは全て、ダンジョンで拾ったものではない。
迷宮で高品質な魔道具や装備品がドロップしたり、宝箱から入手できるのは『下層部』以降の話だ。そのため、キースは現在の装備一式を、全て迷宮都市の武具屋を巡って「掘り出し物」を買い集めることで揃えていた。
ソロでのダンジョン探索において、たった一度の被弾やミスは即座に「死」を意味する。回復ポーションやマナポーションを自給自足できようと、即死してしまえば意味がない。絶対的な安全マージンを確保するため、キースは装備の質には徹底的にこだわっていた。
だが、当然ながら高品質な武具は値が張る。連日のように大量の素材を換金し、大金を稼いでいるように見えるキースだが、その懐事情は常にカツカツだった。
このロングソードも、元々は武具屋で長らく埃を被っていた代物だ。
魔力を流し込むことで刃の周囲に不可視の風の刃を形成し、斬れ味を飛躍的に向上させるという優れた特性を持つ。しかし、純粋な戦士職には魔力が足りず扱いきれず、逆に魔力を持つ魔法使いや聖職者にとっては、近接戦用のロングソードなど重くて振り回せない。結果として「性能の高さの割に誰も使えない不良在庫」として、大金貨十枚という強気な値付けのまま放置されていたのだ。
キースはその本質を見抜くと、店主に対して極めて論理的な値切り交渉を持ちかけた。
『この剣はコンセプトの時点で矛盾を抱えた欠陥品だ。今後数年待ったところで、魔法剣士などという希少な物好きが現れる確率は極めて低い。店の在庫スペースと維持費を無駄に圧迫し続けるくらいなら、僕が適正価格で引き取ってやるのが最も合理的な判断だと思うが?』
そう理屈っぽく、かつ執拗に店主を追い詰め、最終的に大金貨三枚という破格の値段まで叩き落として購入したのである。防具一式も同様に、理詰めの値切り交渉を駆使して大金貨五枚で揃えた。
総額で大金貨八枚。当時の全財産をほぼ使い切る痛い出費だったが、それだけの価値は十二分にあった。
そして、キースがこの半年間で得たもう一つの、そして最大の成果。
魔道具『過去への跳躍』の調査状況である。
キースがギルドの過去資料や情報屋を使い徹底的に情報を洗い出した結果、その魔道具は今からおよそ十年前に下層部で出土しており、当時のオークションにかけられていたことが判明したのだ。
落札額は、大金貨五枚。時間を操るという大仰な触れ込みの割には、発動条件が極めて限定的で汎用性が低いと判断され、思いのほか安値で取引されていた。
落札者は、アステリア王国の貴族――ベルモンド子爵家。
貴族の手に渡ってからの詳細な情報は掴めていないが、美術品やコレクションとして、現在も子爵家の宝物庫に眠っている可能性が極めて高い。
(目標の所在は割れた。今すぐにでも迷宮都市を離れて回収に向かいたいところだが……現状では不可能だ)
キースは、現在の自身の境遇を冷徹に再確認する。
彼は東部派閥の重鎮であるアルタリアによってこの迷宮都市に送り込まれた身であり、当面の行動の自由はない。もし不自然にこの街を離れようとすれば、どこかに潜んでいるであろう監視の目に必ず察知され、即座に離反とみなされて「処理」されるだろう。
(まずは、アルタリアの呪縛を断ち切り『完全な自由』を手に入れること。王国の貴族から『安全に』あれを奪い取る手段を構築するだけだ)
キースが今日の探索計画を頭の中で組み立てながら、第九階層から第十階層への連絡通路を抜けた、その時だった。
「くそっ……来るな、来るなァッ!」
「いやっ、誰か助けて……!」
薄暗い石造りの通路の先から、金属が激しく打ち合う音と、悲痛な叫び声が響いてきた。
キースが足音を消して気配を伺うと、開けた広間のような場所で、四人の若い冒険者たちが十体近いオークの群れに完全に包囲されていた。
彼らの状況は、誰の目から見ても「完全なる絶望」だった。前衛の少年の盾は砕け、後衛のポーションは尽き、連戦による疲労で立ち上がることすらままならない。
「ガハッ……グ、ルォォ……ッ」
一体のオークが、へたり込んだ後衛の少女に向けて錆びた鉈を振り下ろそうとした、その瞬間。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、一本の赤い軌跡が暗闇を切り裂いた。
「え……?」
少女が恐る恐る目を開けると、目の前にいたはずのオークの首が、ズルリと音を立てて滑り落ちていた。
それだけではない。彼女たちを包囲していた群れが、突然現れた黒衣の青年のロングソードから放たれた『不可視の風の刃』の連撃によって、たった一瞬のうちに一網打尽に切り刻まれていた。
「……入り口の衛兵から、お前たちの保護を頼まれていてね」
血の雨が降る中、一切の返り血を浴びることなく、キースが静かに剣を振り抜いた。
「あ、あなたは……」
「助かっ、た……のか……?」
圧倒的な死の淵から突如として救い出され、目の前で起きた凄まじい光景に理解が追いつかないまま、四人の冒険者たちはその場に泣き崩れた。
今朝、入り口の衛兵が言っていた「帰ってこない新米のCランクパーティー」に間違いないだろう。
キースは彼らの消耗具合を冷徹に分析し、『空間収納』から下級の回復ポーションを四本取り出して足元へ放り投げた。
「自力で歩ける程度には回復するはずだ。第九階層への階段はすぐ後ろだ。すぐに地上へ帰れ」
用件は済んだとばかりに、キースが背を向けて第三十階層への歩みを進めようとした時だった。
「ま、待ってください! お願いです、仲間を……助けてください!」
リーダーらしき剣士の少年が、震える足で立ち上がり、キースの外套の裾に縋り付いてきた。
「俺たち、十階層の奥地でオークジェネラルに遭遇して……! 一緒にいたエルフのミリアが、自分が囮になるから走れって……。彼女、俺たちとパーティーを組んでまだ間もないのに、一人で残ったんです!」
その言葉に、キースは微かに眉を動かした。エルフ。この街では珍しくないが、新米の人間パーティーに混じって活動する者は少ない。
「……無謀だな」
キースは冷たい声で吐き捨てた。
「CランクがBランク上位の個体に一人で挑むなど、自殺行為だ。ましてや仲間を逃がすために一人残るなど、計算の合わない自己犠牲でしかない。僕が奥地へ向かったところで、回収できるのは彼女の亡骸だけだろう」
理にかなった、極めて冷酷な正論。
だが、その言葉を口にしながらも――キースの脳裏には、半年前の黎明の朝、王国という巨大な力を前にして、ガラムたちを逃がすために自らの未来を投げ打とうとした、自分自身の姿が鮮明に浮かび上がっていた。
自分と同じ「計算の合わない馬鹿な自己犠牲」を選んだ者が、今、迷宮の奥で孤独に死の淵に立っている。
(……下らない。赤の他人を助ける義理などない。無関係なリスクを背負うのは、僕の戦術思想に反する)
理性が、強く警告を発する。
しかし、キースの身体はすでに、合理性では説明のつかない熱に動かされていた。
「……チッ」
キースは短く舌打ちをすると、外套の裾を乱暴に振り払い、十階層の奥地――オークジェネラルがいるであろう暗闇へと身体の向きを変えた。
「オークジェネラルの魔石は、高く売れる。……ついでだ」
「あ、あの……!」
彼らの戸惑う声を聞くよりも早く、キースは自身の足元で風を爆発させた。
合理性も損得勘定も全て置き去りにした、文字通りの『最速の風』となって。キースは一人絶望と戦う名も知らぬエルフの少女の元へ、一陣の黒い疾風となって迷宮の奥地へと消えていった。
17-4:孤独なエルフの少女と、理詰めの契約
薄暗い第十階層の奥地。
腐敗臭と獣の体臭が入り混じる石室の中で、エルフの少女フィーリアは、自身の命が尽きるカウントダウンを静かに受け入れていた。
「ハァッ……ハァッ……」
限界まで酷使した肺が悲鳴を上げ、全身の傷から流れる血が石畳を黒く染めている。
精霊魔法と弓術の腕前は彼女の故郷の集落でも上位に位置していた。だが、その実力は今の絶望的な状況を覆す何の役にも立っていない。
眼前にそびえ立つのは、通常のオークの倍近い巨躯を誇り、全身を分厚い黒鉄の鎧で覆ったBランク上位の魔物――オークジェネラル。そして、その周囲を固める数体のオークたちだ。
フィーリアの矢筒はとうに空になり、精霊魔法を行使するための魔力も完全に枯渇していた。
「……グルルォォォッ!」
オークジェネラルが、天井に届くほどの巨大な戦斧を振り上げる。
(ここで、終わり……ごめんね、お姉ちゃん……)
フィーリアは静かに目を閉じた。だが、彼女の心に後悔はなかった。自分が囮になったことで、あの若い冒険者たちは無事に逃げ延びただろう。それだけで、自分の命を投げ打った価値はあったのだから。
だが、死の刃が彼女の体を断ち割る寸前。
閉じたまぶたの裏に、凄まじい風の爆発音が響き渡った。
「ブギィッ!?」
目を開けたフィーリアの視界を、一陣の『黒い疾風』が駆け抜けた。
それは、黒い外套を翻した一人の青年だった。彼は一切の詠唱も大きな予備動作も見せることなく、ただ静かに、しかし目にも留まらぬ神速でオークの群れの中へと滑り込んだ。
青年の右手に握られたロングソードの刀身が微かに赤く光ったかと思うと、その軌跡から生み出された『不可視の刃』が空間そのものを切り裂いた。
一閃。鋭い風切り音。それが聞こえた時には、既に勝負はついていた。青年の魔剣が描いた軌跡は、そのまま魔物の死線となった。風の奔流をまとった一撃は、鎧ごとオークジェネラルの巨体を無残に切り裂く。悲鳴を上げる隙すら与えず、絶対的な脅威だったはずのオークジェネラルと数体のオークたちは、一瞬にして細切れの肉塊へと変わり果てていた。
「な、に……?」
崩れ落ちる魔物の巨体から、おぞましい量の血が噴き出す。しかし、青年は風の結界に守られ、外套の一片すら汚すことなくそこに立っていた。静寂が戻った石室で、剣を納める彼の背中は、フィーリアの目に死神そのものとして映った。
青年は倒れ込むフィーリアを冷徹な目で見下ろすと、『空間収納』から下級の回復ポーションを取り出し、彼女の足元に無造作に転がした。
「飲め。歩けるようになったら、上の階層にいる仲間と合流するぞ」
圧倒的な蹂虙劇。それが、フィーリアとキースの最初の出会いだった。
◆ ◆ ◆
その後、フィーリアはキースに先導され、第九階層の階段付近で身を潜めていた新米パーティーと無事に合流を果たした。そのまま迷宮の入り口まで送り届けられた彼らは、生還の安堵からその場に泣き崩れた。
「フィーリア……! ごめんなさい、俺たちのせいで、俺たちが弱かったばかりに……!」
「あなたが一人で残った時、何もできなくて……本当に、ごめんなさい……!」
リーダーの少年たちは、フィーリアの無事な姿を見て号泣した。
だが、その涙の奥にあるのは、純粋な喜びだけではない。「自分たちの力不足のせいで彼女を見捨て、死なせかけた」という、強烈な罪悪感と負い目だった。彼らの目には、拭いようのない自責の念が暗い影を落としていた。
その出来事から、しばらくの時が流れた。
キースが日課の探索と情報収集に向かう途中。第十階層の迷路区画で、見覚えのあるエルフの少女が一人で魔物と戦っているのを見かけた。
「はっ……! うそっ!?」
フィーリアが放った矢は、狙いを大きく逸れて薄暗い石壁に弾かれた。
開けた森での戦闘に特化した彼女の弓術は、狭く死角の多いダンジョンでは長所を完全に潰されていた。さらに、精霊の力が及びにくい地下空間では魔法の威力も著しく落ちており、第十階層に棲む数体のオークの連携に対して、完全に後手に回ってしまっていたのだ。
飛びかかってきたオークの錆びた剣が、フィーリアの肩を掠める。
「チッ」
キースは短く舌打ちをすると、足元で風を弾かせ、瞬く間にフィーリアの前に割り込んだ。
不可視の真空刃『ウィンド・シア』が一閃し、群がっていたオークの首をまとめて刈り取る。
「あ……あなたは、あの時の……」
尻餅をついたフィーリアが驚きに目を見張る中、キースは一切の同情を交えずに冷たく言い放った。
「ダンジョンの環境に適応できていない現状で、単独行動を取るなど無意味な自殺行為だ。……以前のパーティーはどうした? 安全な浅層でするものと思っていたが……」
理屈っぽく、身も蓋もないキースの正論。
その痛いところを突かれたフィーリアは、悔しそうに俯き、やがてぽつりと口を開いた。
「……あの事件の数日後、私からあのパーティーを抜けたの」
フィーリアの話によれば、あの一件以来、パーティーの人間たちはフィーリアに対して極端に遠慮し、常に「自分のせいで」という負い目を抱えながら探索をするようになってしまったらしい。真面目で気遣い屋のフィーリアは、自分が彼らの心の傷になり続けていることに耐えられず、自ら身を引く道を選んだのだという。
「それに……私はどうしても、『下層』へ行かなきゃいけない事情があるから。彼らを巻き込むわけにはいかなかったのよ」
フィーリアの故郷であるエルフの集落は、三ヶ月前に魔物の大規模な群れに襲撃された。
被害は甚大で、その戦いの中で、フィーリアを庇った彼女の姉が右腕を失ってしまったのだという。姉は集落でも一、二を争う弓の使い手だった。自分のせいで姉の腕を、エルフとしての誇りを奪ってしまったという強烈な罪悪感が、彼女を突き動かしていた。
「長老様から、部位欠損すら治癒するエルフの『秘薬』の存在を聞いたわ。でも、その最重要素材である『アンブロンシアの花』は、この大迷宮の第四十階層……下層のセーフティエリアにしか咲かないの。市場価値がないから街のお店には出回っていないし、私には高ランクの冒険者を雇うような人間のお金もない。だから、自力で下層へ行くしか道はなかったのよ……」
フィーリアは震える手で自身の弓を握りしめた。
自分の適性がダンジョンに向いていないことなど、彼女自身が一番よく分かっていた。それでも、立ち止まるわけにはいかなかったのだ。
だが、その悲痛な覚悟を聞いたキースの脳内では、全く別の計算が猛烈な勢いで稼働していた。
(エルフの秘術……複数の特殊な素材を掛け合わせ、魔力を通して部位欠損を瞬時に治癒する超常の薬……。なるほど、それは魔法などではない。極めて高度な錬金術のレシピそのものだ)
キースは、錬金術師としての視点でその価値を看破した。
腕や脚が欠損しても即座に完治する秘薬。それは、数年後に確実に起こる帝国との大戦争や、アルタリアとの対立を見据えた時、キースの生存確率を飛躍的に高める「最高の切り札(安全マージン)」になり得る。
キースはフィーリアを見下ろし、極めて事務的で、冷徹な提案を口にした。
「なるほど、事情は理解した。……なら、僕と契約を結ぼう」
「え……?」
「僕の主戦場は現在第三十階層だが、近いうちに下層の探索も視野に入れていたところだ。僕が君を第四十階層まで連れて行き、その花の採取を手伝う事にしよう。その代わり――君は、その秘薬の完全なレシピの全容を僕に開示しろ」
あまりにも合理的で、感情の欠片もない提案。
だが、その言葉は今のフィーリアにとって、暗闇に差し込んだ唯一の蜘蛛の糸だった。
「……本当に、私を下層まで連れて行ってくれるの? 私のレシピと引き換えに?」
「僕は無駄な約束はしないし、契約は必ず履行する。互いの利益を最大化するための、極めて合理的な取引だ。……どうする?」
キースが差し出した手を、フィーリアは少しの躊躇いの後、力強く握り返した。
「……分かったわ。私の知りうる情報は全てあなたに教える。だから……どうか力を貸して」
互いの目的を果たすための、完全なる利害の一致。
ここに、感情を切り捨てた「死神」キースと、罪悪感に突き動かされる「エルフの少女」フィーリアによる、下層踏破に向けた特異なバディが結成されたのだった。




