81話:私の存在理由(ビアンカ・アルバイン)
ただ空高く伸びていき、まるで落ちてくるのではと錯覚するほど巨大な雲。
それを日本の妖怪とかけて、入道雲と呼ぶことを初めてしったのは、学生の頃に家族と共にこの鎌倉の地へ来た時であった。
日本の歴史を含め、東洋の歴史学者であった父と色々な話をする中で、自分自身が日本という国にルーツがあると聞き、興味があって調べていたのだ。
「この鎌倉という地に、グランパは住んでいたようなんだな」
この地の息遣いが、少しだけ馴染み深く感じた理由はそれなのかもしれない。自分に流れる血が、この生暖かい空気と蝉の声に呼応しているようにも感じた。
父は鎌倉の寺院を巡る中色々な話をした。日本には様々な龍の伝説があること。八岐大蛇を草薙の剣により倒したこと。この地にも五頭龍の伝説があること。
そして江ノ島へと向かう最中。ある予感が過ぎりつぶやいた。
「お父さん。私きっとまたここに来る気がする」
「なぜだいビアンカ」
「分からない。でも、そう遠くない将来に私は、またここにいる。そんな気がするの」
ハーバードを卒業した後、中央情報局に自分が務めることなど、この時は全く予感などしていなかった。
この時の戯言を父は真剣に聞いてくれた。
「もし、ここを再び訪れることがあるならば、それは運命なんだろうね」
「運命」
海に面した歩道を歩きながら父の言葉を反芻した。
「そう。血というのは、私は面白いと思っている。それは、はるか遠い先祖。言うなれば地球に命が生まれたある一点から、魚類の時代を経て、恐竜となり、そして哺乳類。さらには遠い遠い私たちの先祖の人間の始祖がいて、そしていま私が。幸せなことに美しい娘まで授かった」
父は海を眺め続ける。
「もし、ビアンカがこの地を再び訪れる予感があるとするならば、今日こうして家族で鎌倉を訪れなければ、ビアンカ。君のその予感も生まれなかったことになる。さらに考えると、グランパが日本の鎌倉という地に生まれなければ、ここを訪れるという選択肢もまたなかった。さらに遡るならば、グランパの父と母が、ここでグランパを育てなければ思い入れのある場所にもならなかっただろう」
「なんか、壮大な話ね」
彼は楽しそうに頷く。
「そう。これは壮大な話さ。一件、なんの変哲もない出来事だったとしても、そこに至るまでは、無数の命の集積があったんだな。そして、その集積の中の一雫が、今ビアンカ、君の器に落ちたのだろう」
「お父さんって、そんな詩人だったっけ」
「昔から僕は詩人だよ。ママもこうして口説いたんだから」
ふふ、と思わず笑ってしまう。日本の太陽はアメリカほど強くはない。しかし、湿気を纏いじっくりと私の肌を焼く。
あの時の予感は、奇しくも現実となった。CIAの任務として、浅倉孝太郎を追う。その舞台がまさか江ノ島の地であるとは思わなかった。
だが、その息子である浅倉朝太郎と出会い、わずかな交流を,重ねていく中で、なぜあの時、この地をまた訪れるという予感を覚えたのか。どうして、私はここに来たのか。なぜ、死の淵にいる今も彼と共にいたのか。その理由がわかった気がした。
彼は今、自分から背を向け走り出す。
初め感じていた腹部の痛みは消えつつあった。ただ自身の血の温もりを感じるだけだ。そう。何故、私はここに来たのか。
全ては彼を守り、導くためだったのだ。そう思いながら、眠りにつく。




