70話:束の間の休息(浅倉朝太郎)
ビーチボーイズは海外、欧米の海小屋を意識した作りをしていた。木造の平屋で、看板には何処かで見たような霞がかったエビのキャラクターがにこやかな笑顔を見せる。そんな陽気な佇まいだった。
店は江ノ島から少し外れた丘にあった。しかし、それは今晩の激しい突風を受けたせいか、完全に消し飛んでいた。
「なんてこと」
ビアンカは強まる海風を受け、髪を抑える。彼女と自分は木々の瓦礫と化したビーチボーイズを見て驚いた。
「きっと、どこかに逃げたんじゃありませんか?」
「そうね。そのはず。もしかしたらB地点に……」
ビアンカはそういうと、ビーチボーイズだった場所から迂回し、砂浜の方へと向かっていく。
自分もそれについていく。
五頭龍は動く様子はなく、周りを観察するように長い首をぶらり、ぶらりと振るっている。
丘から降りると、一軒の小屋があった。どうやら彼女がいう場所はここであるらしい。丘の岩肌がちょうど五頭龍を遮る形で存在していたため、風の影響をそこまで受けなかったのかもしれない。
夜の砂浜を進んでいく。遠くには、シリウスインダストリーの工場が、真っ暗闇の中にそれよりも濃い黒色をまとい存在していた。
「入りましょう。ドミニクはここに避難しているはず」
彼女は遠くを見る自分に声をかける。
オールドスクールといえば聞こえが良い、軋んだ木製のドアをノックする。どうやら暗号が決まっているらしく、リズミカルよく決まった間隔で数回叩くと鍵が開いた。
「あれ」
ドアが開くと、非常用のランタンなのか暗闇に慣れた目には厳しいが、温かな光が漏れ出す。
そして、そのドアを開けたのは峰岸であった。
「どうして、峰岸がここに」
「──浅倉くん無事だったんだ。それにビアンカさんも」
古屋に入ると、十畳ほどのスペースにビーチボーイズの店長もとい、ドミニクはいた。
「あ。浅倉くん! よかった」
浜辺は水着。上はビキニに、下はダイバースーツというこんな時には無相応な格好であった。しかし、目のやり場に困る。
「どうして二人がここに」
「私たち、あの後別れて江ノ島で入道さんを探していたら、急に龍が現れて避難していたの」
自分の質問に対して、浜辺が答えるも、ドミニクも口を開く。
「それは、こっちのセリフでもあるぜ。ビアンカ。何故、アサタローと一緒にいる。そして、どうしてここに来たんだ?」
「いいえ。そのセリフもこちらにも言えること。どうしてこの場所に可愛らしい女子高生二人がいるのかしら」
ビアンカはさらに彼の返事に対して上乗せで返す。
「ちょっと待った。今はそんな時じゃないはずです。俺はビアンカさんから全て聞きました。あなたがCIAであり、その真の目的としていることも」
「ちょ、ちょっと待って。わけわからないよ。変な龍も現れるし、私もう頭が。え、店長がCIA。そんなばかなぁ」
浜辺は一連の出来事に思考が追いつかず、髪をもみくちゃにする。
先ほどのビアンカとの会話、自分達がなぜここにいるのか説明をする。
「なるほど。やはり、ビアンカも同じ状況だったってわけか」
「やっぱり、あなたには何かあると思っていましたが、CIAだとは」
峰岸とドミニクはそれぞれ違う観点で驚きと納得を見せた。
「私は、入道さんの捜索をしていた。けど結局見つからなくて、一旦ハマちゃんと合流しようと思ってここにきたの。ギャザラーズのみんなも今どうしているのか」
メガネを拭く峰岸。
「店長が私を誘って、浅倉くんのことを調べるように言ったのは、お父さんがこのすべての事件に関わっているって知っていたからですか」
浜辺はドミニクに尋ねる。彼はゆっくりと頷き、答える。
「ごめんね。浅倉くん。でも私も知りたかったんだ。波の流れが変わって、私もうまく波に乗れなくなって。その時に店長から教えてもらったんだ。登鯉会にお金が流れていて、それは浅倉くんのお父さんが行っていたって聞いて、私はこの街が好きだから、波も乗れなくなってしまうような環境に変わった理由が、シリウスインダストリーなら、その正体を知らないといけないと思って」
浜辺は頭を下げた。まさか自分の知らないところで、そんな動きがあったことなど知らなかった。
「それじゃあ、今後のことを話し合いましょう」
互いの状況を理解し、ビアンカが口を開いた時、峰岸が素っ頓狂な声を上げた。
「なに、これ」
部屋で流れていたテレビの通信は生きているらしく、緊急速報が流れた。
「先ほど、謎の正体不明の生物を操っていると思われる人物から、海外のサーバを経由して、一つの動画が放映された模様です。それがこちらです」
テレビに映るアナウンサーから、画面が切り替わる。
そこに写っていたのは、源であった。そしてその背後には椅子に座る柊木の姿があった。
「生きていたのか」
思わず、その画面を見た瞬間叫んでしまった。洞窟の崩落から少なからず、二人は生き延びていた。
そして、源は演説をしていた。相手は日本の人々らしく、征夷大将軍、教科書で見たかつての武士、将軍と呼ばれた人たちが就いた役職を求めるものであった。そして、明日の昼まで彼は政府の判断を待つということ。
「随分とまあ、面白いことを言うわね。源さん」
一連の動画が終えた後、峰岸はつぶやいた。
「ですが、これはチャンスかもしれません。少なからず明日の昼までは、彼はアクションを起こさないつもりです。それならば、私たちも仲間を集め、浅倉孝太郎に迫る猶予がある」
ビアンカはドミニクを見つめる。
「──おそらく横須賀に俺たちの仲間は少なからず逃げているはず。ほかにもこの街に隠れている仲間たちとも合流できるタイミングはあるはずだ」
彼は机からサングラスを取り出し、それをかける。
「私達は、一旦仲間を集めます。朝太郎は一旦眠りなさい。それに峰岸さん、浜辺さん、あなたちを巻き込むつもりはありません。五頭龍が復活した今、今回の一件の責任は私達にあります。浅倉くんは協力してくれると言いましたが、君たち子供達に協力を強いるつもりはありません。ご両親も心配しているでしょう」
ビアンカはそれぞれに諭すように言う。
「ちーちゃん。どうしよう」
浜辺は峰岸に尋ねる。
「そうですね。きっと、家族も心配しているはず。一度私たちは、どこかの避難所に行って、無事であることを伝えるようにします。ですが」
峰岸はきりり、とした目線をドミニクに送る。
「ギャザラーズの力が必要となった時は、言ってください。私たちもこの街は好きです。何かできることがあれば、協力します」
「わ、私も。私ができることなんてあまりないかもしれないけど、店長や、浅倉くん。それに村尾も頑張っているなら、何かできるかもしれないから」
峰岸と浜辺は皆に、いや。自分に向かって言った。
「浅倉くん。お父さんと会うべきよ。それで一度話をした方が良い。なぜ、こんなことを行おうとしたのか、本当の目的は何なのか」
「ありがとう。峰岸、それに浜辺」
頭を下げる。新聞部の活動で自分達の関係性が繋がっていたわけではなかったことを感じる。
「それじゃあ。店長。また」
「うん。ちーちゃんも、浜ちゃんも。気をつけテ」
ドミニクは一瞬、親しみやすい片言の店長の顔に戻った。小屋から出ていく二人を見送り、一つ深呼吸する。
「それで、俺は何をすればいいんです」
「言ったはず。今、君にできることは体を休ませること。昨日からろくに休んでいないでしょう」
思えば、祭りの後、柊木と共に逃げ続け、気がつけば今日になっていた。
緊張の糸は限界まで引っ張られ、今にも弾けそうになっていることには気がつき始めていた。
「けど、俺も」
「アサタロー。この部屋の奥には一応まだお湯が使えるシャワールームがある。一度、汗と泥を流すんだ。そして、目を閉じる。それが今君に求められる任務だ」
ドミニクは冷たく言い放った。
「でも、俺だって何かできるはず」
「いや。ここからはプロの話だ。君は来る時に備える必要がある。疲労は全てにおいてネガティブな影響しか与えない。ミス柊木を助けにいくのだろう。おそらく明日、我々の全てが試されるタイミングが来る。戦士というのは、何も毎日戦場に出ているわけではない」
ドミニクはやはり自分の提言を一蹴する。
「わかりました」
観念して、彼らの言う通り、一度シャワーを浴びた。
裸になると、体のあちらこちらは生傷だらけ。シャツも何もかも泥だらけだ。
暖かいお湯に体を濡らすと一つため息が出た。
「着替えはここにおいておく」
バスルームは先ほどまでの一室の隣であるらしくドミニクの低い声が聞こえた。
「ありがとうございます」
一つ礼をする。彼の気配は消えない。
「──私からも謝らなければいけない。申し訳ない。俺たちのミッションのために、少なからず君達子供達を利用したのは変わらない。これは許されざるべきことだろう」
ドミニクはそう言うと、立ち去った。
一通り、体を洗い流す。シャワー室から出ると随分と大きめの緑のタンクトップと、新緑の迷彩柄のズボンが置かれていた。サイズは自分に合うものではないが、それを着込む。
そして、これらはよくテレビで見ていた軍人が来ているものに近いものだと気がつき、本当に彼らがCIAであることを改めて実感した。再び部屋に戻ると二人はもくもくと作業をしていた。
「私の拳銃はそのまま持っておいてください。何かのためになるかもしれないから」
ビアンカは出てきた自分に一瞥もくれず、言った。
ドミニクは何かの無線機を取り出し、机の上に広げる。
「分かりました」
返事をして、床にそのまま横たわる。
時折飛び交う英語の会話はわからない。しかし、疲れがどっと帰ってきて、情けないほどの睡魔に襲われ始める。
「朝太郎。こんな話を知っていますか」
徐々に意識が途切れかけた時、ビアンカは自分に話しかけた。
「日本という国には、全国の至るところで『龍』にまつわる伝説、伝承が残っているのはご存知でしょうか。例えば、島根。八岐大蛇と言われる五頭龍にも似た、多頭の龍の伝承です」
「──知っています。もちろん」
「八岐大蛇はスサノオノミコトの草薙の剣によって退治された。神話上の話です」
「いろんな龍の伝説があることは、知っていますけど」
ビアンカの言っていることの真意がわからない。
「草薙の剣。それは今、愛知の熱田神宮に神体として祀られていると言われています」
「そうなんですか」
「しかし、それが本当に実在するものであるのか、それは不明なのです」
「どういうことですか」
「その神体は、人の目に触れてはいけないという理由から、誰一人その姿を見たことがないのです。それはつまり、本当にそこにあるのかもわからないということなのかもしれません」
草薙の剣。それは伝説で昔から存在していることは知っていた。それこそゲームでも出てきて、見聞きしたことはあった。
「草薙の剣が何か関係するんですか」
「いえ。そんなドラゴンバスターがこの国にあるとするならば、それを使えば今、封印から解かれた五頭龍も退治できる、そういうふうに思っただけです」
ドラゴンバスター。要は龍殺しということか。
「確かにそんなものがあれば、いいんでしょうね。でもどうして、どうしてそんな話を自分に」
ビアンカはふ、と笑って見せた。
「どうしてでしょうね。すみません。私達から眠りなさいと、言いながら申し訳ありません。おやすみなさい」
そう言って彼女は作業に戻る。
五頭龍。なぜかはわからないが、自分はこの街に来た時、その巨大な龍の夢を幾度となく見た気がする。
そしてなぜか。じぶんの横に置かれたリュックサックに触れる。
この中には、北海道の実家から愛用していたカメラが入っている。そしてそれは、なぜか龍に近づくにつれ、震えだした。
まるで、呼応するかのように。
理由を考えていたが、次第に睡魔が駆け寄り、眠りの海に落ちてしまう。




