38話:三人の女性に囲まれて(浅倉朝太郎)
「うわ。かなり年季が入ってますねえ」
土肥は額に汗を流しながら、自分の家に入るなり、辛辣な感想をこぼした。
「親父が独断で選んだんだよ」
「へえ。ここでお父さんと二人暮らしているんですね。ちょっと広すぎな気もしますが」
土肥はスニーカーを脱ぐと、綺麗に揃える。
「とりあえず、ビアンカさんがくるまでちょっと待ってて」
「あ。本当に来るんですね。てっきり」
「ばか。そんなんじゃないよ」
土肥はへへ、と笑ってみせる。
冷蔵庫を開けると、見覚えのない麦茶パックが浮かんだポットが並んでいた。
柊木が準備しておいてくれたのだろう。彼女の何も言わぬ配慮に感謝しつつ、コップに注ぐ。
「どうぞ」
「どもども」
彼女はぺこりと頭を下げた。注いだ麦茶を一口で飲み込み、体に染み渡った時、玄関のチャイムが鳴る。
「こんにちは、で今の時刻はあっていますか」
そこには、茶色い麦わら帽を被ったビアンカが現れた。
「スミマセン。待ち合わせに行けなくて」
青い瞳をパチクリとさせ、これまで以上に上達した日本語で丁寧に謝罪する。
「いや。いいんです。こちらこそ、変なお願いですみません」
「とんでもないです。あら。誰かいるの」
ビアンカは揃えられた比較的小さなスニーカーを見て尋ねる。
「コータローさん、じゃないですよね」
「あ。違います。父は今アメリカに。LIMEしたと思いますけど、ちょっと今新聞を一緒に作っている後輩がいるんです」
「ワオ。そうでしたか。しかし、つくづくコータローさんとは縁がないですね」
ビアンカと共に、居間に向かう。
「うわ! すごい美人」
土肥は彼女の姿を見るなり、驚いた。
それに反し、彼女は訝しげな目を自分に向ける。
「また女ですか。アサタローさん。モテモテです」
「え? また?」
よく分からない彼女の質問にたじろぎつつ、座るよう促した。
「ええと。こちらはビアンカさん。親父がアメリカで働いていたんだけど、その時知り合った大学生で、今ミンゾクガクでしたっけ?それを学ばれている」
「ビアンカです」
す、と腰を浮かせ手を差し出す。土肥はそれに数秒の間を持って、応じる。
「土肥さつきです。一年生で、歴史が好きです。浅倉先輩といっしょに夏に新聞を作ることになりました」
「歴史。いいですね。わたしも歴史好きです」
ビアンカは何度も頷く。
「ビアンカさん。この辺の歴史も詳しいんだよ。それこそ、昔住んでいた俺なんかよりもずっと。五頭龍、でしたっけ。その話をしてもらった時に『登鯉会』の話もしてくれて」
「五頭龍、ですか?」
土肥の質問に対して、彼女は簡単に説明をした。
時は鎌倉時代。五つの頭を持つ龍が現れたこと。伝説では悪さを続けていたが江ノ島に舞い降りた天女に恋をして、心を入れ替え、その後は守神となったこと。
しかし、実際には鎌倉幕府の勃興時、登鯉会の神事、金といったあらゆる力を使い封印したという伝承も残っている事。しかし、それは結局、ただの逸話だという事。
「うーん」
土肥は話を聞き終わった後に少し訝しげな顔をした。
「どうした?」
自分の質問に対して彼女はさらに眉を広める。
「どこかで聞いたことがある気がしますね。あ、登鯉会の件は初耳ですが、五頭龍の話、ええと。天女に恋をした話は有名ですよね。でもその後の封印されたって話はどこかで」
土肥は何かを思い出そうとしているが、答えには至らないようだった。
「登鯉会。ユニークですよね。それこそ千年の歴史がありますからね。テーマに選ぶことは納得です」
「まあ、情報としてはこの江ノ島らへんで、今も昔も色々なお店を助けていることぐらいですけどね」
──その名家に藤井の姓があるという話もだが。
ビアンカは興に乗ってきたのか話を続ける。
「頼朝や義経といったショーグン、ブシの名前が残るのはわかりますが、この時代では珍しく商人、寺院の集団にも名前が残っているのはおもしろいですよね。あ、でも」
彼女は少し間を置く。
「ちょっと気をつけたほうが良いかもしれませんね」
「気をつける?」
すこし引っかかる言い回しだったので、土肥も気になったようだった。
「ええ。登鯉会は深くは入り込まない方が良いと思いますよ」
「どうしてですか」
自分の質問に対し、彼女は静かに答える。
「力を持っているからです」
「ちから?」
土肥はオウム返しをする。
「Power。権力になります。彼らにはなぜか激動の時代。それこそ、鎌倉幕府の討幕から始まり、戦国時代。江戸幕府の台頭、数々の戦争。政変、時代が変わったとしても登鯉会は生き続けた。それは、変わらない権力と金があったからです」
「いやいや。確かに今も残っているのかもしれないけど、たかだか町の商工会だよ」
「それが、ミステリーなんですよ。どうして、そんな町の商工会が数千年という時を長らえているのか」
ビアンカの言葉は確かにいう通りであった。
「先に資金があったのか、それとも権力があったのかは分かりません。しかし、今でもなお力を備えている団体、私はそう聞いています」
「さっきのおばあちゃんのお話と同じですね」
土肥は話のスケールに少し驚いているようにもみえた。
「今も日本の政界にも通じている話も聞いています。それに多額のお金も集まっていると」
「お金……。いったいどこで。商店街から集めた規模ではないってこと?」
「ええ。規模は不明ですが。ここ最近、企業からの援助もあったと」
「最近できた企業っていうと、あ。シリウスインダストリーとかいう海外の会社、最近のこの辺でできましたよね」
土肥の言葉に思わずピクリと反応してしまった。
父の企業。そんなことあるのだろうか。
「シリウス……」
ビアンカが話を補足しようと口を開いた時、ガラリと家の扉が開いた音が聞こえた。
その瞬間彼女はずっと立ち上がり、玄関に向け身構える。
「だ、だれです?」
土肥は彼女の反応に驚く。
「静かに、姿勢を低くして」
ビアンカはそのまま中腰のまま、警戒を続ける。
「いや、たぶん」
「ちょっと。これどういうこと?」
そこに現れたのは、額に汗を流した柊木であった。
「あれ? バイトは?」
「いや。なんか、ええと。あれだったから上がってきたけど、なんでアンタがいるわけ?」
柊木はビアンカを指差す。
「ミス柊木……」
ビアンカは柊木の姿を見ると、安心したような顔で再び座る。
「ミス柊木。じゃないわよ。どうしてアンタがここに」
「いやいや。柊木先輩ですよね。なんで、先輩が浅倉さんの家に……」
土肥は唖然としたまま柊木を見つめる。
なんだか嫌な予感がしてくる。
「え! うそ。まさか、そういう事なんですか!?」
土肥は立ち上がり妄想を飛躍させていた。いや、もしかしたらそれは事実なのだけれど。
「ちがうって。って、そもそもあんたも誰よ」
柊木は土肥を指差す。
とりあえず状況を、すべて理解している自分が場を制するしかなかった。
何故だか分からないが、父と二人で過ごしていたカビ臭い我が家に、女性が三人並び自分と対峙する滑稽な状況が生み出された。
とりあえず、動転している柊木に状況を説明する。
「──つまり、土肥さんだっけ。あなたが今浅倉と新聞を、一緒に書いている人で、そこにいるビアンカさんが大学生で、『登鯉会』だっけ。それに詳しくて話を聞いていた、そういうこと」
「ザッツライト」
ビアンカは茶化すように指を鳴らす。
「いやいや。浅倉。今日こんなことになっているなんて聞いてないんだけど」
「あ。ええと、これは成り行きで」
「成り行きで、女二人連れ込んだってわけ?」
「いや。まあ、結果的にはそういうことなんどけど、違うんだって」
柊木は分かりやすく怒っていた。
「それじゃあ、柊木さんはご家庭の事情で先輩の家に今は住んでいると……。少女漫画じゃないですか」
土肥は口に手を当て茶化すようにこれまた笑う。
「少女漫画! 私ダイスキです」
「あー! もう」
カオスな状況にいてもたってもいられず、立ち上がる。
「土肥。ビアンカさん。とりあえず今日はここまで! 今後の進め方はまた相談しよう」
ピシャリとそう言い放ち、それぞれに帰り支度をさせる。
「それは残念。じゃあアサタローまた、今度」
「先輩それじゃあ。柊木さんと仲良く……。いやん」
二人を玄関まで見送り、扉を閉める。
リビングにもどると、柊木はこちらを睨んでいた。
「見損なった。簡単に家に女の人上げるなんて」
「いや。その、ごめん」
なんで自分の家なのに謝らなければいけないのか、分からなかったが反射的に謝ってしまう。
「まあ、アンタが新聞をまた書かなきゃいけない話はしってたけどさ。あんな、綺麗な知り合いがいるなんて知らなかった」
「ビアンカさんは、まあ知り合いではあるけど、親父の友達らしいんだ」
「ふうん。でも、なんでそんな人に私の話をするわけ?」
「え?」
「いや。どんな、会話の流れで私の名前が出たのかなって。ビアンカさんと」
「え? 俺は柊木の名前を出した事なんてないぞ」
「そうなの?」
──柊木の話を、したことはあっただろうか。記憶を遡ったが、心当たりはない
「じゃあなんで、私のこと」
「てっきり、柊木はバイトか何かの知り合いなのかと」
「いや。今日私のバイト先に来て、私が浅倉の家に来たこと知っていたから」
ビアンカ。なぜだか彼女は、柊木を知っている。
「どういうことだ」
カオスの空気から一転。
謎がさらに生まれた。




