第4話 弟子と訓練
「さすがヨースケさんです! 洗濯も上手にこなすなんて……ヨースケさ――!!」
飛び込みを避けて、盛大に転んだセルシィを尻目に、葉介はディックに話しかけた。
「すみません、ワガママを聞いていただいて……」
「いえ、そんな……騎士服は全て、言われた通りに加工しました。後でアナタの住む小屋まで【移動】させておきますね?」
「いえいえ、そんな……加工さえしていただければ、自分で運びますから――」
「いえいえ、このくらいさせてください」
と、やりますやらせろのやり取りがしばらく続き……
「すみません……よろしくお願いします。何から何まで、ありがとうございます」
頭を下げて、敬意を表される。恐れ多く感じつつも、あのヨースケさんにここまで感謝されたディックは、嬉しさのあまり表情をふにゃらせ笑っていた。
「いえいえ、そんな……ヨースケさんも、初めてなのに、とても洗濯が上手で、教えるのもすごく楽しかったです……」
(そらぁ、この歳までずっと独り身でやってきたからなぁ)
この世界に来てからは、洗濯機など無いので、衣類は全て川の水で手洗いしていた。
だがそれ自体は、実家でもしてきたことだ。洗濯機では取れない、だがどうしても気になる汚れは、風呂場まで持っていって手洗いしていた。それで大抵は落ちていたし、落ちなければ別の方法を調べたりもした。洗濯機が使えなかった時、やむを得ず一式を手洗いしたこともある。
「ありがとうございます」
それでもわざわざ褒めてもらえたので、お礼を言いながら笑った口元をフードの下から見せておいた。
「――では! そろそろお昼の時間なので、食堂へ行きましょうか!」
何やらいい雰囲気になっている(ようにセルシィには見えている)二人の間に割って入りながら、セルシィが声を上げた。
「え? もうそんな時間?」
「はい。洗濯物の数が多いので、大抵は終わった時にはお昼になってしまいますから。もちろん、今、城門で患者たちを見ている魔法騎士たちとは、時間をずらしながら治療が途切れないよう食事に行きますが」
セルシィの説明に納得し、また手を引かれ、食堂まで連れていかれた。
「――あ、いたいた!」
ディックと向かい合って座り、隣に座るセルシィからは、肩やら胸やらを押し当てられつつ食事している。そろそろ突き飛ばしてやろうと拳を握った葉介の耳に、メアの声が響いてきた。
「やっほー、おっさん」
「やっほー、メア」
何となくクセになっている挨拶を交わした後で、メアは、セルシィに目を向けた。
「セルシィ、お昼からおっさん、どんな仕事する?」
「え? それは……」
その質問を聞いて、思わず口を噤んでしまう。そんなセルシィの耳元に口を寄せ、ヒソヒソと話を続ける。
(洗濯が終わったら、後の第3の仕事って、患者の診察だけでしょ? 第3が城下町の見回りする日はまだまだ先だし、診察はおっさんにはどっち道無理でしょ? 専門的にも魔力的にも)
(それは、そうなんです、けど……けど――)
実際、これ以上葉介に、第3でできる仕事は無い。だからこの後、適当な理由で葉介を二人きりになれる場所へ連れていって、そこで強引に、魔法を使ってでも、そのまま――
そんな身勝手な計画を立てたりもしていた。
それを知ってか知らずなのか、確認を取ったメアは笑顔になりながら、顔を元の位置に戻して――
「ちょっと貸してくんない? このおっさん」
「……へ?」
「聞いたことあるセリフだね……」
ディックはマヌケな声を出し、葉介はなぜかデジャブを感じた。
昼食を終えた後は、以前、リリアと決闘させられた、魔法騎士たちの修練場に移動させられた。そこに行ってみると、リムにメルダを含む黄色が10人ばかり並んでいる。しかも、多くが男の魔法騎士である。
「実はさ、この子たちがどうしても、おっさんに鍛えてほしいんだって」
「…………」
半ば予想はしていた物の、思わず白目を剥いてしまう。
「前に二人にも言ったけど、そういうのはまずミラに……は、謹慎中だから無理か」
「そゆこと。第一、ミラっちが人に教えるなんて、できると思う?」
「絶対に無理やね」
ミラが誰かを教えることの難しさは、葉介自身が誰よりも知っている。
「それに、この子たちみんな、おっさんに憧れてここに来た子ばっかだし……ね、教えてあげてよ」
「おねがいします!」「おねがいします!」「おねがいします!」
「おねがいします!」「おねがいします!」「おねがいします!」
「おねがいします!」「おねがいします!」「おねがいします!」
メアの声に合わせて、一斉に声を上げられ、一斉に頭を下げてくる、キラキラした目をした十代二十代の若者たち。
そんな姿を目の前に見せられると、すでに二人教えていることもあって、教えない、と答えるのは葉介でも勇気がいる。ため息交じりに、了承することにした。
「まあ、教えるのは構わんが……リム様やメルダ様に――」
「うぉっほん……」
「うぅっ、ううんっ……」
「……リムやメルダに、教えたようなことを教えたらいいのですか?」
この二人にも、この二人の体力やらを考えて、できそうな技は教えてきた。二人とも、驚くほど飲み込みが早く、今となっては教えられそうなことはあまり無い。結果、二人とも、体力が同じだけか更に弱い相手なら、魔法抜きでも組み伏せるだけの力は身についた。
そんな二人のようになりたいのか? そう聞いたが、並んでいる男子の一人が、声を上げた。
「いいえ! 俺たちは、ヨースケさんのようになりたいんです!」
「えっ……チビでデブでブッサイクなおっさんになりたいのですか?」
そんな発言を返されて、その場の全員が言葉を詰まらせてしまう。
「やめときなさい。というか、すでに長身でやせ型で二枚目なんだから、なるのは不可能かと……」
「違います!」
そこまで聞いて、ようやく大声で否定した。
「俺たちみんな、ヨースケさんのように、強くて戦える男になりたいんです!」
「見た目のことは否定してくれないんですね?」
そんな適確な返答に、誰もがまた言葉を詰まらせる。
「ていうか、強くなりたいというなら、普通に魔法を鍛えればいいんじゃ……」
「確かに、魔法を使ったら強くはなります。けど、ヨースケさんを見て思ったんです。本当の人間の強さっていうのは、魔法じゃない。自分自身の体と技を使う、それこそが、人間が目指すべき本当の強さなんだって」
(異世界要素、全否定……)
とは思いつつ、葉介にも気持ちは分からないでもない。
葉介自身、実家でも身体を鍛えてきたのは、主に健康と体型維持のためだが、ならわざわざ蹴りまで鍛える必要なんかなかった。それでも鍛えてきたのは、実家で充実していた、映像作品や映画の中の、強い男たちに憧れたからだ。
そして、この世界にも、憧れた人間はいる――
「メア……」
と、そこに、意中の人の、落ち着き払った声が聞こえてきた。
「あ、ミラっちー!」
メアが手を振り、手招きをする。ミラは眠そうな顔を擦りながらここまで歩いてきた。
「ミラ……謹慎してたんじゃないの?」
「ん……寝てたところ、起こされた」
(おい関長……)
師匠からの返答に呆れつつ――
リムにメルダ、そしてセルシィも、葉介の表情、雰囲気の変化を敏感に感じ取った。
今の今まで、メアと、集まった若者たちから懇願されている時に見せた感情は、呆然と、戸惑いと、億劫さだった。教えること自体は構わない。けど、本心では勘弁願いたいと。
それが、ミラの姿を見た途端、そういう嫌々な気持ちが一気に消えた。
「というわけで、ヨースケの特訓には、ミラっちにも参加してもらうことにしたから」
「……ヨースケはわたしの弟子」
「まぁまぁ、弟子からも学ぶことあるって」
「……仕方ないね」
口では、さも面倒くさそうに言っている。なのに、本心ではまんざらでもない。リムもメルダも複雑な気持ちになり、メアは、してやったり、という顔に変わった。
「ヨースケさん……」
「ごめんね、セルシィ。うちの子たちが、どうしてもっていうからさ」
葉介とミラが話しているのを見ながら、分かりやすく落ち込んでいる。そんなセルシィを慰めつつ――メアもまた、赤色二人へ視線を向けていた。
(それに、これ以上、美味しい思いさせるのも癪だしね)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メアが連れてきた第4関隊の希望者。加えて、セルシィも第3関隊から希望者を募った。
シマ・ヨースケが訓練してくれる……
そんな触れ込みで人が集まるわけが無い。そう葉介は思っていたが、予想外にも多くの人間が集まった。
第3関隊から、ディックを含む、若者たち9人。
城内で最も忙しいはずの第2関隊からも、若者が5人。その中には、あの双子もいた。
「お久しぶりでございます。ヨースケ殿」
「本日は、よろしくお願いします」
「アハハ……」
いつだか話した通り、礼儀正しく落ち着いた双子。
名前は思い出せないながら、敬意を向けてくれている者たちと挨拶を交わして――
小一時間後には、葉介の前にいる人間は、二人だけ。
「お前ら……みんな俺よりいい身体しといて、ヤワすぎるやろ!!」
誰もいない、道の上に向かって声を張り上げている。そんな葉介に、葉介以上に汗だくのメアは声を掛けた。
「そりゃあ、魔法騎士に限らないけど、ほとんどの子たち、顔も体も、魔法で加工して作った、作り物だもん」
「――でしょうな。でなけりゃ、ここまで美形美人だらけになるわけがない」
この世界に来た時から、何となくだが感じていた違和感だった。
来た時に馬車からチラ見して、昨日実際に歩いて回った城下町。
おととい行ってきた森の村。
何なら、ついさっき見た治療風景。
どこに行っても、見かけるのは大人も子どもも美形ばかり。ご老人やおじさま方は普通に感じたが、それ以外で顔が十人並みであったり、ブサイクだったり、もしくは膨れていたりやつれていたり……
そういう、外見上不利な要素を持ちあわせた人間は、一人も見かけなかった。
魔法騎士を見れば、それがより顕著だ。右を見ても左を見ても、美人ばかり。男はほぼほぼ背が高く、女は肌艶やスタイルがやたら良い。
これだけの不自然、それこそマンガかアニメくらいでしか見たことのない綺麗だらけの群衆なんか、魔法でも使わなければ作り出せるわけがない。
「さっき城門で見た子どもらもそうだったけど、子どもの内から顔を綺麗に整えてるの?」
葉介の問いかけに、メアは改めて、葉介が何も知らないのだということを思い出しつつ、汗を拭いながら姿勢を正した。
「そうだね……昔は、生まれたままの方が良いって考える人たちも多かったけど、やっぱ、顔とか見た目が悪いと、どうしても色々と損しちゃうからね。今時は、生まれつきよっぽど整ってなきゃ、子どもの内から綺麗に加工しておくのが普通になってるよ」
(多様性もクソもねーな……)
聞く人が聞けば怒り狂いそうな事実だが、魔法を駆使して若さと美しさを維持するというのは魔女のお約束だ。
「けど、加工って簡単に言ってるけど、そんなに上手くできるもんかね?」
「基本的には、【加工】の魔法で金取ってる連中がいるから、それ頼みかな? 第3関隊は、あくまでケガや病気の治療が目的で、そういうのできる人は少ないし……一応、ボクら普通の人でも簡単な【加工】ならできるし、親の中には、自分で子どもの顔、加工しようとする人もいたりするけど、技術が無いからどうしても変になったり、見た目ばっか重視したせいで、ちっとも子どもらしくないイケメンになっちゃったりってこともあるらしいし」
そんな説明に、想像すると思わず笑ってしまう。身体は幼い子どもなのに、顔だけキムタクやモコミチになったりしたら目も当てられない。
「確かに、よく見たら体つきも何か変だしね」
思い出したのは、おととい行ってきた森でのこと……
雨が降った時、前衛部隊の男騎士の中には、服を脱ぎだす連中もいた。全員、葉介には無いシックスパックや二の腕が眩しくはあったものの、ひじから下は妙に貧弱で、肩幅もやけに狭く、背中は単純に丸い。ズボンをまくり上げた下は筋肉らしい筋肉が見えず、下手な女性よりか細い男もいた。
身体や筋肉の仕組みをよく知らない誰かが、体脂肪だけは取り払って、理想的な見た目だけの筋肉を上から付け足したら、あんな感じになるんだろう。
筋肉やトレーニングにそこまで詳しいわけじゃない葉介にも、よく見れば分かるような、不自然な体つきをしていた。
「そう言えば、顔とか、女の子の身体を作るのは丸っこいから簡単だけど、男の子の身体はゴツゴツしてるから難しいって、どっかで聞いたことあるね……」
「……見た目自由に変えられるなら、一緒に筋力や肺機能とかも加工すれば、すぐに俺以上になれるんじゃないの?」
「はい、き……? そんな見えないもの加工できる人なんて聞いたこと無いし、どうせ魔法で【身体強化】すれば済むもん。やろうとする人いないと思う」
それもそうだ……と、大いに納得できてしまった。
いざ必死乞いて力や体力を鍛えても、使い道なんかタカが知れている。
葉介の実家ではせいぜい、重たい荷物を持ち上げるのが余裕だったり、会社や映画に遅刻しそうな時に、速く長く走れる、それくらいだ。
デスニマのような、分かりやすい脅威も無し。実家で自慢になるとしたら、タマに職場のおばちゃん方に「あら、あなた力持ちね」そう褒められるくらいしかない。
体の見た目も、ずっと醜いままだし……
なら最初から、必要な時にだけ、必要なだけ引き出せる、魔法を使った方がはるかに効率的で安上がり(?)だ。
「メアも色々とイジってるの?」
何気なく尋ねた後で、失礼かと後悔したが、メアは特に気にする様子もなく語りだした。
「まーね。顔は子どものころにイジられたし、体も時々ね……邪魔だから全部取っちゃったけど、これでも昔は、シャルとかリムちゃんよりボインだったんだよー」
「髪の毛とか肌の色も?」
「変えようと思えば変えられると思うけど……ボクのはどっちも自前だよ」
うわべの大部分は自由に変えられることが分かったところで……葉介は当然、考えた。
「俺も、イジってもらおうかな。顔と体……」
生まれつきの顔やら、幼いころからの体型のせいで、ひどい扱いを受けたり、損なことばかりだった。それを、せっかく異世界に来て、実質生まれ変わることになったんだ。
そういう専門の人への見返りがいくら掛かるものかは知れない。だが今、はからずながら、金は持っている……
「えー? おっさんはそのままがいいよー」
と、半ば本気でそうしようと決めかけた葉介に、メアはそう笑いかけた。
「そのままで十分。かっこいいよー」
「…………」
メアが今言ったのと同じような言葉を、メアと同じようにニタニタ笑われながら、嫌みったらしく投げかけられて、笑い物にされてきた。そんな葉介にとって、メアからのソレは誉め言葉でも何でもなく、煽りにしか聞こえない。
「ん……今のままが、いい」
陰惨な表情と心境と、怒りまで浮かべ始めた葉介に、今度は別の声。
「今のままがいい……わたしは、今のヨースケが、いい……」
「……そう? 分かった。じゃあ、今のまま変えないでおこう」
葉介の心境を知ってか知らずか、いつもの静かな口調でハッキリと言う。結果、葉介の表情も心境も変化する。
そんな黒色と赤色を、メアは、ホッとしつつ眺めていた。
(ビックリした……けど実際、他の男たちより、よっぽどイイ体してるんだけどなー)
何日か前、セルシィと一緒に覗いた、葉介の風呂――川での行水を思い出す。
本人がデブと言った通り、確かに、腹回りや内ももには、他のみんなは取っ払ってる脂肪がありはした。けど、そんな脂肪よりも、肩やくるぶしの筋肉が発達していて、特に背中は、今まで見たことが無いくらいにゴツゴツした、デカくて逞しい背中に見えた。
自分や他の子たちとは違う、見栄えだけ気にして人工的に整えた代物じゃない。自力で鍛え上げて、完成させた肉体。
そんな葉介の身体を見て、隣のセルシィは真っ赤になって、ヨダレを垂らしていたっけ……
「……じゅるり?」
(ハッ……いかんいかん――)
ミラの声を聞いて、急いでヨダレを拭ったメアだが……
そんな葉介にとっても、そんな二人からの評価に意味は無い。
ただ何となく、簡単に調べて漫然と鍛えてきただけの葉介からすれば、くるぶしがいくら太かろうが、内ももの贅肉が揺れている以上デブであり、肩がいくら発達しようが、二の腕がか細いから貧弱であり、胸板がいくら厚くなろうが、割れてもいない腹の贅肉がつかめるかぎりはメタボであり……
なにより、顔がブスなかぎり、ブスである。
「……お、来た来た!」
メアが言い、葉介とミラもそっちを見る。
そこには、こっちに向かってフラつき歩いてくる、紫色の影が見えた。
「第2関隊のファイ君ね。四等賞ー」
綺麗な顔を醜く歪めた顔中に汗を掻き、息も絶え絶え。それでも、ゴールを前に走りに変えて、懸命に手を振り足を進め――ここまで走ってきた。
「おつかれさまでした」
尊敬する葉介のねぎらいの言葉も聞こえないほど、疲れ果て、地面に座り込んで、生成させた水を飲み始めた。
葉介の修行――トレーニングを始めるにあたって、まずはケガをしないよう、二人一組でのストレッチから始めさせた。この時点で、魔法騎士らの肉体の良し悪し、むしろ、良しなんか見当たらない、悪しの山が露わになった。
まず前屈をさせてみると、葉介のように、足や床に顔が着く人間は、ミラとメアの二人だけ。二人とも葉介にはできないこと――メアは開脚したまま床にアゴを着け、ミラに至っては、憧れのI字バランスを余裕でこなしていた(葉介はせいぜいT字、どころかさながら、て字バランス)。
後の騎士たちは全員、顔どころか、指先が地面に、どころか足の指、どころかスネに届くかどうかという瀬戸際だった。
開脚させようにも、安物の関節可動フィギュアかと思うレベルでしか足を開くことができず、そもそも前屈するために、腰も背中もほとんど曲がらない。
背中を押しても、押しただけで、口からも体中からも悲鳴を上げる始末。
(動的ストレッチってやつのが良かったかな? よく知らんけど……)
その後、両手足や各関節を伸ばす無難なストレッチをさせた後は、城の周りを走ることにした。
距離は、城の周りを二周。魔法は一切使わないこと。途中で歩いても構わない。
葉介としては、彼らにもちょうどいいかと思える距離を示した。だが、ミラ以外の全員が顔をしかめてしまった。だから、メアの提案で、第5の二人以外は一周だけにしてやったのだが……
葉介とミラが余裕で一周を周り、二周目にさしかかった随分後にメアが汗だくになりながらゴール。それから二人が二周目を終えて、そこからまた結構な時間が経って、ファイがゴールした現在。
葉介とミラに周回遅れにされ、途中で音を上げた魔法騎士たちが次々に逃げ出していき、今やマジメに走っている人間は、両手の指で数えられるだけの人数となった。
「ミラが部下を持ちたがらない理由が、よく分かったよ」
ミラの横にしゃがみながら、ミラに対してささやきかける。
「ん……とてもじゃないけど、わたしの下で、やっていけるわけがない」
「確かに、色々とかなりヤワだわな……けどまあ、俺が、ミラやこの子らと同い年のころには、似たようなもんだったけどね」
そう話しかけると、ミラは目を見開いて葉介の顔を見た。
「まあ、さすがにもう少しマシだったけど。俺が本格的に鍛えだしたの、16のころだからな」
「16……」
「それまでも運動はしてたけど、本当に最低限だったし。16から本当にキツイことを三年間続けてね。三年たって、教えてくれてた人のもとを去った後は、自分なりに色々とね。で、今に至るってわけ」
ミラにも分かる言葉を選んで話したが……つまりは、高校三年間で苦しい部活動に励み、引退した後も今日まで独自に体を鍛えてきた。そういうことである。
「ミラはどう? 最初から、今ほど強かった?」
「わたしは……」
葉介から視線を外しつつ、過去を振り返り、ゆっくり、答えていった。
「12歳、くらいの時、師匠に拾われた。今より全然、弱かったから、強くなるために、体、鍛えた。それで、ずっとずっと鍛えて……14歳の時、魔法騎士にしてもらった。その後は、仕事のこと教わった。修行で戦ってくれた。けど、他には教えてくれなかった……だから、ただ、戦った。戦って、強くなった……それだけ」
葉介の質問に、ミラなりの答えを返す。葉介の表情に、特に変化は無い。ただ答えた。
「誰だってそう。最初からメチャクチャ強い人なんて、中々いない。強くなるってのは、時間がかかるんだよ。それこそ、一年や二年じゃ効かないくらいにね。俺自身、あと四、五年この国に来るのが早かったら、最初のデスウルフの群れにやられてたろうしね」
自身の実力を正直に示しつつ、暗に、ミラのこれまでのやり方に、物申していた。
「ミラの言った通り、強い人と一緒にいれば強くなれるなんて、そんな都合の良い話は無い。強くなりたいなら、そのために本気で目指して、本気で臨むだけの覚悟があるか……強くなる見込みがないって決めるのは、それを見定めてからでも、遅くは無いと思うよ」
「…………」
「もっとも、たかだか城の周りを一周、歩いても良いって言ってるのに、こなそうともせず逃げ出すようなヤツら、俺としてもお断りだけど」
「…………」
(ありゃりゃ……これじゃあ、どっちが師匠なんだか)
声は小さくてよく聞こえない。しかし、葉介の表情と、ミラの反応を見れば、葉介が言葉で諭し、ミラがそれを噛みしめているのは分かる。師匠の言葉を受けた弟子が、それを噛みしめ、心に刻んでいるように――
「あ、また来た!」
座り込むファイの前に立っていたメアが、再び声を上げた。
ファイに続いて走ってきたのは、黄色と紫の二色。残った連中で最も背が高い、メルダ。その後ろに、ファイの妹、フェイ。
ファイと同じく、息も絶え絶えになりながらも、懸命に走り、ゴールした瞬間倒れ込んだ。
(魔法は知らんが、さすがに基本的な体力は、体格が良い人や男の子のが上みたいやね)
この二人のゴールから、五分ほど経ったころに、メルダが、真っ赤な顔で騎士服の下の爆乳をブルンブルン揺らしながら走ってきて、ゴールに向かって転がり込んだ。
「リムちゃんもメルダちゃんも、おっさんに鍛えられてた割に大したことないね」
「そらぁ、技を教えただけで、体力の付け方まで教えてないもの」
残ったメンバーが次々ゴールを果たして、あと二人。
「……あ、来たよ!」
やはりメアが声を上げ、指さした先に、青色が二人。
まず、背の低い少年、ディックが、顔を真っ赤にしながら必死の形相で走ってきている。
そして、そのかなり後ろ。最後尾をリムと同じように、巨乳を揺らしながら息も絶え絶えに、走っている、ではなく、腕を大振りして大股歩きしているのが、セルシィである。
(男の子と言えども、さすがにねぇ……)
そんな二人の内、まずディックがゴールしながら地面に倒れ込んだ。
「走る前にも言ったけど、関長二人まで走る必要、無かったんじゃないの?」
「いいじゃん。ボクもセルシィも走りたかったんだから」
その大よそ30秒後、セルシィがゴールして、その場でうつ伏せに倒れてしまった。
「――ッ」
セルシィのゴールのタイミングで、ディックが杖を空へ向ける。
呪文を呟くと、メンバーの上空に巨大な水泡が発生。それが一気に弾けて、雨になった。
「……おととい、森で雨を降らしてくれたの、デク様だったんだ」
「……ディック、は……【水操作】の、達人、です……実家が、洗濯屋さん、なので……」
名前の訂正をする気力も、もはや残っていない。そんなセルシィに、メアが杖を取り出して、【水操作】を使ってやる。目の前の杖の先に生成された水を、セルシィは勢いよくがぶ飲みしだした。
「ボクも含めて、みんな大汗掻いてバテてるのに、二人ともよく平気だね」
「全然よゆー……」
「俺は、毎日五周走ってたし。調子がいい時は十周」
(体力おばけ……!)
城下町の外れ。小さな森と川が残る、小高い丘に建立されているヨーロッパ式の古城。小国とは言え、この国の中枢である以上、それなりの敷地面積と、それ相応の外周を誇っている。
だが、葉介からしたら、実家でいつも走っていたお城の周りに比べれば、はるかに短い距離だなぁ、くらいにしか感じられない。
(まあ、ちょっとした山城っぽいだけで、お堀も無いしね、このお城……)
小高い丘の上に建立されてはいるが、実際に今走ってきた城壁の周りの道は普通に平坦に舗装されているので、走ること自体の苦労も無い。
「やっぱ二周じゃあ、ちと物足りんな」
「まだまだ走れる……」
流していた汗もとっくに乾いて、そんなことをほざく葉介とミラの姿は、今まで普通に敬意の気持ちを持ってきたメアにも、改めて、怪物に写った。
「……何につけても、これ以上なにもできそうにありませんな」
陽が西へ傾いた、夕方が近い空の下。ディックの雨と、大量の汗に濡れながら地面に転がる、ミラとメアを除いた六人。そのうちの一人、セルシィに近づいた。
「それで、この後俺はどうすりゃいいかね?」
「……今日は……もう……終わりで……いい、です……」
しゃがんで視線を合わせた葉介からの、第3関隊の長への質問に対して、切れ切れの息と共に、終わりのセリフを告げる。
「今日はどうも、ありがとうございました」
「いえ……こちらこそ……ご一緒できて、本当によかったです――ヨースケさん!!」
最後の力を振り絞り、目の前の葉介へ飛び掛かる。
葉介はそれを、間近にいたメアに託して立ち上がった。
「それでは皆さん、この後は、最初にやったように、両手足をよく伸ばしておいてください。しばらくは筋肉痛になると思いますが、眠る時に、足の下に何かを敷いて、足を高くしておけば多少マシにはなります。いずれにせよ、よく休んでおいて下さい」
それだけ言って、ミラと手を繋ぎながら、昨日よりもだいぶ早い時間、小屋へと戻っていった。
そして、その場に残された、葉介からの言葉をやり遂げた者たち――
(ヨースケさん……いつもそばにいるのに、こんなに遠い人だったんですね)
(こんな死にそうなこと、毎日しているって……同じになれるまで、何年掛かるのよ)
いつも顔を合わせてきた葉介の力を、再認識させられた黄色二人。
(うぅ……やっぱり、あんなふうになるのって、大変なんだなぁ――)
自分の憧れへの険しさを、ようやく理解した青色の少年。
(痛感……これほどのものか、ヨースケ殿の力とは――)
(痛切……改めて、尊敬申し上げます。ヨースケさま――)
ようやく間近で、目の当たりにした葉介の強さに、懐いていた感情を再燃させた双子。
(ヨースケさんのイケズ……でも、カッコよかったですー♡♡♡)
(あー……極楽極楽♪)
……関長二人。
自分たちにとって、あまりに遠くにいる。そんな男の黒い背中を、未だに立ち上がれない身のまま、いつまでも、見つめていた。




