初めての笑顔
何とか帰す方法が見つからないか……と休憩時間も資料を探していたら、祐介からLINEが来た。
『悪い。少し前まではあったらしいんだけど、育児きっかけに辞めてるヤツらばっかりだったわ。声掛けてみようか?』
『ありがとう。助かる』
と返事をすれば、すぐさま既読とともにOKのスタンプが来る。
『で、なんで社会人野球? その辺も詳しく聞きたいし、今夜飯でも行こうぜ』
(そうだ、祐介には高瀬くんのこと言っていないんだった)
今更紹介するのも遅い気がするし、祐介には悪いが今は時間が一秒でも惜しい。
『ごめん、しばらく忙しい』
そう返事をして、夢乃はトークルームを閉じた。
次の日は仕事が定時で終わったので、高瀬くんをバッティングセンターに連れていった。前行ったところとは違う、少し遠いが設備の整ったところを探した。
今までは化粧直しをしてから彼のいる家に帰っていた。けれど、一分一秒でも彼に練習をさせてあげたくて、崩れたままのメイクで向かう。
(別に、好きな人に見せるわけでもないし!)
内心でそう言い訳しながら、高瀬くんと駅で合流した。
バッティングセンターのある駅まで乗り継いで十分。
「バッティングセンターってあのとき以来だけど、なんかここは最先端だね」
そんなことを言うが、もちろん夢乃と高瀬くんは別の設定だ。夢乃は最低球速、高瀬くんはマックスの球速百四十キロで変化球あり。
原作では百五十キロのストレートをホームランにする高瀬くんはもちろん快音を鳴らす。その隣で夢乃はかするどころか、ボールが来る全く別のタイミングでバットを振っていた。
「なんなのっ 悔しい……!」
「松崎さんは見るだけにしとく?」
以前は見ているだけだった夢乃だが、キャッチボールを経て野球に少し興味が湧いていた。それに高瀬くんに良いところを見せたい。
(二度とへたくそなんて言わせるものか!)
「やるに決まってるでしょ!」
元々ブラック企業で働いていただけあって、夢乃は我慢強い方である。そして、相当な負けず嫌いでもあった。
「もっと腕を閉じて、肘はこの角度、膝は曲げて」
高瀬くんが手取り足とり教えてくれる。
顔面国宝のような人、しかも推しと密着してドキドキしないわけじゃないけれど、彼は恋愛対象ではなく護るべき存在だ。
一緒にいるうちに出なくなった鼻血のことも忘れてボールとバットに集中する。
「ふん!」
ブン!
「ふうん!」
ブーン!
「ふーーん!」
「松崎さん、バットごと飛んでくってそれ!」
高瀬くんが焦って声をかける。そんな前途多難な夢乃のバッティングに、奇跡が起きた。
(腕は閉じて、肘はこの角度。膝は曲げて、ボールをよく見て……)
カキン!
「え!?」
一度だけバットにボールが当たって前へと飛んでいく。
「高瀬くん、今の見た!?」
「おー、見てた見てた。すげーじゃん」
「当たった! 当たったよー!」
自分のゲームを終えてフェンスの外にいた高瀬くんにハイタッチしにいく。
「松崎さんてそんな風に笑うんだ」
「え、」
「俺のことで笑うことはあっても、自分自身のことで楽しそうに笑うところ初めて見た。できるじゃん、『人を元気にする笑顔』」
高瀬くんが目を瞬かせる。よほど衝撃だったらしい。
高瀬くん命名、『微妙な人に言い寄られたときの顔』は卒業できたようだ。
「そう、そうかな……たしかに自分のことであんま笑わないかも」
「白熱したところは見たとこあるけどな。センバツとか、キャッチボールとか」
球を取りこぼし続ける夢乃の姿を思い出したのか、高瀬くんが口許を覆って笑い出す。
「もう!」
ハイタッチの距離のまま肩を押すと、その衝撃で高瀬くんの手が口から離れた。
(あれ、高瀬くん、顔が赤い……?)
「……さっきから近いんだって」
「あ、ごめん」
(え? なんで照れてるの? こっちが照れるじゃん……!)
まるで中学生のデートのように、二人とも妙にそわそわしながらバッティングを続けたのだった。
◇
結局その日は高瀬くんを付き合わせてしまった。
「ごめんね……全然練習にならなくて」
「いや、いい場所教えてくれてサンキューな。松崎さんに教えてたら息抜きにもなったし、あと」
「あと?」
「改めて、俺って最強だなと思った」
「体育二の人間と比べない方がいいよ……」
「それもそっか」
堪えきれずお腹から声を出して笑う高瀬くん。その頃には妙な気恥ずかしさも消えていて、つられて夢乃も笑った。社会人特有の笑みでも、練習した笑顔ではなかった。そして続ける。
「野球って楽しいね」
「だろ?! わかってもらえて、すげえ嬉しい」
すっげー楽しくて、好きなんだよ。高瀬くんが満面の笑みで言った。




