優と美智子
長いながい旅に出たんだよ。彼女は。
その言葉を理解するのに子供のぼくはどれほどの時間がかかったことだろう。
いや、むしろ理解さえもしていなかったのかもしれないし、理解したくなかったのかもしれない。
中学校3年生の冬、母さんが死んだ。
死因はアルコールの過剰摂取によるものだった。
僕は何故だか涙が出ると言うよりかはずっと疑問だったんだ。
「母さんをそれほどまでに苦しめたのは僕だったんじゃないか。
僕が代わりに死ぬべきだったはずなのに、何で母さんが死ぬんだ。」
渋谷 優 これがぼくの名前だ。
名前に反して、僕は何もできない、劣ってばかりな人間だ。
テストでは十点がいい方。足も遅く、泣き虫で、友達にはいつも対義語である、「劣」(おとる)と呼ばれて馬鹿にされる。
母さんは、僕をあえて「そういう名前」にすることで「出来の良い子に育ってほしい。名前の通り優れた人生を送る人間になってほしい」と考えていたらしい。この名前じゃなかったら僕の人生はもう少しいいものになっていたんじゃないかとさえ思う。シングルマザーの母親(渋谷 美智子)の元でぼくは育った。
母さんと言っても、本当の母さんじゃない。幼かった僕を本当の母さんである、(以下 美智子と呼ぶようにしよう。)美智子の友達が捨て、それを美智子が引き取った。
ー僕の人生は本当に、果たして優れているのだろうか。
大きくなってしまった今、自分に何度も問いかける。
ただ、美智子はそんな「傍から見たらとてもかわいそうで不憫な子供の僕」を
本当の母親のように、もしくは本当の母親以上に、僕のことをベタベタに甘やかし、たくさんの愛を持って僕を育ててくれた。
−
美智子はいつも酒臭かった。
帰ってくるとまず、あまりにも甘すぎるバニラのような香りの香水と、ひどいほどのアルコール臭がぼくの鼻を深く奥深い所までつく。
僕はそれが大嫌いだった。
美智子はキャバクラで働いていた。
なんとナンバーワンだったんだ。美智子は。
「毎日、毎日、下品な客ばかり。私はあんたらのママじゃねーっつーの!!!」
これが決まって美智子が帰ってくるなり言う口癖だった。
その後にはいつも決まって行われる恒例の深夜のラーメンタイム。
この時間が僕は大好きだった。
「体に悪いとはわかっていても、この時間に食べるラーメンがいっちばん美味しいのよねえ。ねえ優。」
美智子はいつもラーメンを鍋のまま出してくる。
「行儀が悪いなあ」 と思いつつも、何故だか鍋のまま食べるラーメンは
深夜に食べる事への背徳感と、美智子が家にいることの喜びが合わさっているからか、めちゃくちゃに美味かった。
美智子はラーメンには必ず決まって、玉ねぎとじゃがいも、そして卵を入れる。
小学校の頃からすでに鍵っ子だったぼくは、美智子にいつもお金を渡されていて「これで好きなもの買ってたべて、いい子に大人しく待っているのよ」と言われていた。(でも僕はそのお金を何にも使わず、部屋にあるポストの貯金箱に入れていたことはここだけの秘密)こんなにうまいラーメンを食べるのに、
他のものを胃に入れたくなかった。
「そういえば優。もうすぐ誕生日だけど何か欲しいものとかあるの?」
ぼくは悩んだが、
「ママと一日一緒にいる時間が欲しい。」そう言った。
美智子は目を大きく見開き、
「そんなものでいいの?!何かさあ。物とか。あ!洋服とかは?あんた同じ服ばかり着るでしょいつも。だから」
「そんなものいらないよ。とにかく1日一緒にいる日が欲しいんだ。」
「だめかな。」
美智子はにまあと笑った。
「優〜もちろんいいに決まってるじゃん!あんたってほんとーにママが大好きなんだねえ。かわいいねえ。よし!じゃあ旅行とか行っちゃう?行っちゃう?」
最後の言葉を連続で言うのも美智子特有の喋り方だった。
「何でもいい。ママと一緒にいられるなら。」
美智子はラーメンをたべていた箸を机に放り投げぼくにめちゃくちゃキスしようとしてきたので全力で逃げた。
誕生日まであと一ヶ月半。
ぼくはそれまでどんなに辛いことがあっても頑張れた。
小学校に行けばまず黒板消しで髪の毛をはたかれ、
「劣ジジイ!」と言われみんなから馬鹿にされ笑われた。
休み時間になると先生がドアから出ていったタイミングを
見計らって男どもがプロレスを仕掛けてくる。
当然ぼくは負ける。そもそもぼくは身長も小さい。かないっこない。
同じクラスの大内剛にプロレスを挑まれたらいやでも断れない。
体格の差はもちろんだが、奴は僕が忘れたくても忘れられないほどの弱みまでも握っている。