あの夏
時は夏頃に遡る。
ぼくはクラスにめちゃくちゃ大好きな子がいた。
名前は佐伯李梨花。(さえきりりか)
クラスではそこまで目立つような子ではなかったけれど、
どんなにいじめられている僕にも彼女はみんなと同じ態度で接してくれた。
そんな時クラスで行われた席替えで運がいいことに僕は佐伯の隣になった。
「よろしくね。優くん」
「あ、よ、よろしく。」たどたどしい喋り方だったけれど、何とか会話を交わすことができた。
彼女は、彼女は僕にとって天使や女神のような存在だった。
教科書を忘れれば机をくっ付けてでも見せてくれるし、
僕がプロレスでボロクソに負けて、泣いていると
剛たちは大声で笑っているが、佐伯だけはいつも心配そうにこちらを見ている。
そして、その後決まって「本当に最低だよね。痛くない?保健室行かなくて大丈夫?」と声をかけてくれる。
ああ。神様、僕を救ってくれて、ありがとうございます。
僕は天に向かって届くはずのない声を何度も心の中で唱えた。
でも、その幸せはそう長くは続かなかった。
秋になり、クラスでは運動会の種目として
借り物競争と二人三脚をやることが決まった。
しかも、しかも二人三脚は席の隣の人とペアになって行われるのだ。
僕はいままで運動会が大嫌いだった。(理由は言わずとしても分かると思うが。)
だけど今年はあの佐伯が、あの佐伯が僕をいつも助けてくれる佐伯が近くにいる。僕は心の中で盛大な雄叫びとガッツポーズを決めた。
「頑張ろうね。優くん。」
「うん!頑張ろうね!」つい自分でもびっくりするような気持ちの悪い声が出てしまったせいで剛がこっちを見ながら取り巻き、いや下僕である金城要と何やらヒソヒソ、ニヤニヤしている。
僕は運動会の日ある覚悟を決めていた。
「佐伯に告白する」
こんな劣ってばかりの僕だが、いままでイヤだった学校も佐伯のおかげで頑張れたんだ。
もしかしたら神様は本当にいるのかもしれない。
小学校最後の運動会で絶対に成功させる。
僕は決心した。
運動会当日僕はやけに緊張をしていた。
緊張をしすぎたせいで、喉が異常に乾き水筒に入れていたお茶はすぐに無くなった。
周りのみんなは友達同士で、応援歌の練習や、昨日見たテレビの事など他愛もない話をしては盛り上がっている。
当然僕にはそんな話を出来る友達もいるはずがなく、ただ一人で地面と睨めっこをしては、つま先で小石を突いたり、蟻の行列が運んでいるすでに原型を留めていない何かの虫の死骸を運んでいるさまを見ることしかできなかった。
ちらりと横を見やると佐伯が他の女子たち数人と油性ペンで手に何やら書いては盛り上がっている。話を聞いていると、「必勝」のおまじないだそうだ。
可愛い。可愛すぎるだろう。
もう僕の頭の中には佐伯のこと、そして運動会が終わった後、
どうやって佐伯に告白をするか。場所はどこが良いかなどのシミュレーション合戦が始まっていた。
そんなことばかりを考えていると、笛が鳴り
担任からの「白組〜!集合!」の合図が聞こえてきた。
「はい!」
同じクラスの全員が一斉に声を合わせる。その年、僕たちは白組だった。
まず初めに運動会の恒例行事として行われる、選手宣誓が行われた。
その年、その役兼応援団長に選ばれたのは僕が最も憎くて、嫌いでたまらないとするあの大内剛だった。
「宣誓!僕たちは日頃の練習の成果を存分に発揮し、仲間と共に戦い抜くことを誓います」
ー何が「仲間と共に」だよ。
僕は心の中で日々剛から受けている屈辱を思い出し、怒りを込めた、ため息を誰にも聞こえないくらいの小さな声で吐き出した。
準備体操が終わり僕たちは席へと戻った。
僕たちの出番は最初から数えて三番目だった。最初は「借り物競走」
これは僕が思うに、瞬時に紙を見て
何を借りなくてはならないかの
判断能力と速さが求められる種目だと思っている。
当然僕にとっては最も苦手とする競技だった。
だが、それが終われば残りはあと、
あの佐伯と横並びになって走ることができる「二人三脚」だけだった。
頼むから、簡単なものにしてくれ。
僕はまた、決して聞こえるはずのない声を天に向かって心の中で唱えた。
さっきまで流れていた音楽が徐々に小さくなり、
放送委員の声で
「プログラムナンバー3次は白組による借り物競走です。」という声が響き渡る。
「みんな、いままで練習したことを思い出すんだ。そうすれば絶対にうまく行く。絶対に白組が優勝するぞ!」大内剛に引き続きみんなが目を輝かせながら
「オー!」と大声を上げた。
僕はそれをお前がいうのはどうなんだ。と
正直あまり納得がいってはいなかったが、運動会や団体競技というのはどうも不思議で、
アドレナリンのせいからか何故かこの僕でさえも闘志に火がつく。
競技が始まり、初めに走る子達が並んだ。
ピストルを持った先生が「位置についてヨーイドン!!」の合図でピストルをパンと打ち鳴らす。
白組の応援歌が始まった。
「いっけーいけいけいけいけ白組!」
その声に合わせてみんなが後に続いた。
当然僕も自分の出せる力を振り絞って
全力で応援に挑んだ。
その時だった。
運動場の鉄棒の前に派手な女性が座っているのが目に入った。
胸元が開いたピンクのワンピースに目には
かなり大きめのサングラスをつけ、
帽子を深くまで被り、
「勝てーーーー!!白組ー!!!やっちまえーー!!」
と大声を上げている。一瞬にして分かった。
ーママだ。
周りの保護者達は何か奇妙なものでも見るようにヒソヒソと小声で何やら話している。
僕がきっと「思春期」というものを感じるようになったのはその頃くらいからだったように思う。
なんだか、
すごく恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。
当然僕たちのクラスの子達もその「ド派手な女性」の方に目を向けている。
「何あれ。誰のお母さん?すごいね。」
くすくすという笑い声と共に望んでもいない詮索が始まった。あの佐伯でさえも同じグループの子達と一緒に笑っている。
絶対にバレたくなかった。
そして、
不運にも僕の番がとうとう回ってきてしまった。
その時だった。「優ー!!!!!いけー!ママはみてるよー!」
今まで大好きだったはずの声がどんどん耳鳴りのようにキーンという音を響かせ、目の前がクラクラした。
みんなが一斉に僕を見る。
「スッゲー!あれ劣の母ちゃんか。お前の母ちゃんどの保護者よりも一番目立ってるな。どう考えても運動会にきてくるような格好じゃないよな」剛の奴がみんなを誘うように嘲笑っている。取り巻きである金城要も続いて
「お前の母ちゃんピンクが強すぎるぞ。」と馬鹿にしてくる。
僕はみるみるうちに顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。心臓の鼓動が途轍もない速さで僕の耳元まで聞こえるほど大きな音を響かせている。
泣きたくなった。
だがしかし、佐伯が見ている。
そんな中で逃げるわけにも泣くわけにもいかない。
だって、不運にも僕の番は回ってきてしまったのだから。
僕は周りの嘲笑に対して絶対に聞いてやるものかと頭を何度も横に降り、位置についた。後ろからはまだみんなの馬鹿にするような声や、ヒソヒソ話、嘲笑が聞こえてくる。僕の描いていたシミュレーションも、佐伯に告白するといった希望もその時にはすでに落とした花瓶のようにもう、元には戻らないほど粉々になっていた。
そんな絶望をよそにピストルは大きな音を上げて
打ち鳴らされた。
僕は走った。
だが、ずっと大好きだったはずの声も今となっては鬱陶しいと思えるほど僕の頭に嫌な雑音となって響いた。
「優ーー!!頑張れー!!いけー!」
うるさい、うるさい。うるさい。うるさい。
もう、どうにでもなれと思った。
ただただ、我武者羅に走った。
そして用意されていた紙を捲る。
そこには「好きな人」と書かれていた。
頭が真っ白になる。
誰も紙に書かれていることは何か知らないだろう。
そして置いた人もきっと適当に置いたに決まっている。
そう思い僕はただ一心に佐伯の元へと駆け寄った。
「お願い。一緒に走ってほしい。」
佐伯は目をまん丸くし、キョトンとしている。
「なんて書いてあったの?」
「隣の席の人。だよ。」
苦し紛れの嘘をついてしまったせいで、
早口になってしまったけれど、
僕は紙をグシャリと握り、ポケットに突っ込んだ。
そして、佐伯の腕を掴み何とかゴールまで行くことができた。
結果は何とか最下位を免れる事はできたが、
僕の頭の中には全て終わった
ー「終了」という文字だけが信号機のライトのように点滅していた。




