3-1 見かけより頼りになるオジサマ登場
「エダフさん、聞きたいことがあるの」
まだあどけなさの残るハスエルが自分の前に座る男性に問いかけた。
今から七年前、彼女が十歳頃の話である。
「どうしたんだい、ハスエル」
彼はエダフ・ハルサジャン。同じ村に住む三十三歳の学者だ。
中肉中背、特に際立った特徴のない無個性な男。
麻生地の長袖、長袖長ズボンに、すこし長めのカーデガンを羽織っている。
民族学や伝承を研究している。そしてここは彼の家。
膝丈のテーブルを挟みソファーに座る二人。
「村長さんに聞いたら、エダフさんなら村一番の識者だし、わかるかもって」
「それは光栄だね」、軽やかに笑いながら答えた。
「最近ね、体の回りに、ふわふわっとした何かがね、舞ってる気がするの」
「家の近くに虫の巣でもできたかな?」
「そうじゃないの、見えないけどね、暖かいの」
「もしや……」
彼は、水を注いだガラスのコップを二つ机に置き、次に薬棚から小瓶を取り出しふたを開けると、二つのコップに一滴ずつ垂らした。
コップの水は無色透明で特に変化はなかった。
「ハスエル、この片方のコップを両手で挟んで、綺麗になーれって唱えてみてくれるかな」
ハスエルは言われたとおり小さな手でコップを掴むと、呪文を唱え始めた。
「ふむ。目を閉じて、十回ぐらいやってみよう」
唱え終えたハスエルはくりくりした目で不思議そうにエダフを見る。
「さて、どうかな」
エダフは新たに薬棚から小瓶を取り出しふたを開けると、前と同じように二つのコップに一滴ずつ垂らした。
すると、ハスエルが触れたコップに変化はないが、反対側のコップは黒く色が濁りだした。
「ええー」、目の前の光景に興味をそそられるハスエル。
「なるほど、そうですか」、にこにこと笑顔のエダフ。
「ハスエル、祝福は知っていますか?」
「少しだけ」
「ふむ。――祝福を持つ者が少ないと言われるのは、特殊な発動条件や、その力に気がつかない者がいるためで、実は誰もが持っているのです」
ハスエルはうなずきながら聞いていた。
「ハスエルが触れたコップが無色なのは浄化されたのです」
「じょうか?」
「最初に入れた薬は毒、次に入れたのは毒を見分ける薬なのです。ハスエルが綺麗になれと念じたことで水から毒が消えたのですよ」
「ほぇぇー」、自分の力にまだ半信半疑という顔。
「ハスエルが感じた暖かな存在、それが精霊なのです」
「精霊!」、ちょっと嬉しそうだ。
「おとぎ話の絵本で見たことあるかな? 羽の生えた妖精を。……本当は見えないんだ」
「えー」、凄く残念そうな声をあげる。
「目には見えないけど沢山いる。この部屋にもだよ。植物や物にもね精霊はいるんだ」
エダフはハスエルの胸あたりを指差しながら話した。
「ハスエルの祝福は【魔力】だ。精霊はその力に引かれてやってきたんだよ」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
そして現在。ハスエルはエダフの家を訪れていた。
古びた本が並ぶ棚、薬品棚、すこしガタついている机と椅子、古くはなっているが幼い頃に訪れたままの室内だった。
「先生が私の力を見つけてくれてずいぶん経ちました」
懐かしそうに昔話を語るハスエルに、苦笑いするエダフ。
「先生はやめてとお願いしてるのに」
「治癒魔法を教えてくれたのは先生ですから」
「かなり上達しているようですね。村人の怪我や病気はハスエルがすべて治していると聞いていますよ」
「はい! 任せてください」、ドヤ顔である、
「ですが……」
「おや? 浮かない顔になりましたね」
「先日、森に入り大狼を追い払った話は耳に入ってますか?」
「ええ、大活躍だったそうですね」
「いいえ、私……なにもしてないんです。ケインとガットは傷だらけになって戦ったのに……」
彼女は下を向き苦しそうに語る、どうやら先日の冒険に思う所があるようだ。
膝の上に軽く置いていた手をぎゅっと握りしめ何か考え込んでいる。
暫く黙っている彼女に何か悩みがあると感じたのだろう、エダフが優しく語りかける。
「彼らは男です。少々傷が増えるぐらい勲章ですよ」
「でも……」
「君が治療してくれるから、彼らは思う存分戦えた。私はそう思いますよ」
彼の言葉を聞いても気が晴れないようで、その場で沈み込んだままのハスエル。
「君はどうしたいのですか?」
鳴きそうな顔を上げたハスエルが自分の胸の内を語り出した。
「どう……助けたいです……。ケインとガットを、村の皆を。でも……今のままじゃ」
「大切な人を守る力が欲しいのですね」
「……はい」
「私も多少魔法は使えます、君に教えられるぐらいならね。でも今より本格的に学びたいのであれば、この村を出るしかないと思います」
エダフの祝福も【魔力】だ。ただし容量も濃度も実用に耐えられないほど弱い。
基礎的な治癒魔法は書物を読み独学で使用することができるようになる。しかし本格的に学ぶなら国家に属する教育機関に通うのが通例となっていた。
「村を……ですか?」
「村を守りたいのに村から出る。矛盾した話になりますね。……もう一つの案は杖でしょうか」
「杖ですか? 今使っているのは先生に頂いた物です」
「そうですね、私が昔から使っていた物です。杖は精霊の力を借りるときの拠り所となります。無くても魔法は使えますが良い杖を使えば、より精霊の力を借りることができ魔法の威力も上がります」
「良い杖ってお高いんでしょ?」
「はっはっはっ、確かに買えば高いですよ。でも自作するという手もあります」
「作れるんですか?」
「作るといっても木の棒ですからね。問題は素材なんです。樹齢が長く精霊の宿る木、いわゆるご神木というやつです」
エダフはハスエルから杖を受け取り、懐かしむようにさすりながら、
「この杖は、私の故郷に古くからご神木として祭られていた木の枝なのです。たしか樹齢が二百年ぐらいだったかな」
エダフの話しから光明を見いだしたハスエルは目を輝かせながら、
「私、ご神木を探します!」と、張りのある声で宣言したのだった。