2-3 転:だめだこの娘、見とれちゃってるよ
追跡を開始してから十分ほど経過した頃、爺が呟いた。
「多いのぅ」
「気配を感じるのか」
「これは三人には荷が重い、引き返すがいいじゃて」
「了解」
爺はガットより広く気配を察知できる、また戦歴も長いので爺のアドバイスを彼は素直に受け取っていた。
後退しようと体を反転させると、離れて追尾するよう依頼していた二人が、足早に近づいてくる。
「ガット、後ろから大狼だ」
「まずいな、この先に多く潜んでいる。――先に後ろの敵を片付けよう」
三人は荷物をその場に置き戦闘態勢に移行する。
「ハスエルはケインの後ろにいてくれ、俺は横から攻撃する」
「わかったわ」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
気配を殺し二人から離れ木陰に身を潜めるガット。
大狼は臭いで二人を追っていたのだろう。
クンクンと地面の残り香を確かめつつ移動している。
近くに二人の臭いを嗅ぎ取ったのだろう、顔を上げ、口を開きニタリと笑うように舌なめずりをする。
体勢を低くし獲物を狩るタイミングを見計らっている……。
タタッと地面を蹴り加速する大狼、一瞬にして彼らとの間合いを詰める。
それとほぼ同時に飛び出すガット。
敵も彼に気がついたが、最大速度に到達している、急には止まれない。
彼は体当たりしつつ、敵の横腹に、両手で爺を押し込んだ。
あばら骨の隙間から深々と刺さる剣先は敵の心臓の少し手前で止まった。
彼は手首を回し、刃を縦から横に傾かせ敵の傷口を広げる。
これで敵を放っておいても死ぬだろう、しかし反撃され傷を負うのは好ましくない。
片手を爺から放し、腰にあるククリナイフを抜き、敵の首筋にとどめの一撃を叩きつける。
敵が絶命すると煙となってガットの拳に吸い込まれていく。
両手の剣を地面に向かって振り下ろし付着した血を吹き飛ばす。
彼が木陰から飛び出してから一瞬の出来事だった。
敵に断末魔の悲鳴を吠えさせる暇も与えずに。
「ふぅーっ……」
一仕事終えた彼は安堵のため息を漏らした。
盾を構えハスエルを守っていたケインが、
「いつ見ても不思議な光景だな」
「ああ、この魔剣の力だ」
ガットは二人に嘘をついていた。
命を奪った者を吸収するのは、彼が持つ魔人の能力である。
しかし正体を隠しているため剣の能力だと説明していたのだ。
「まずい、囲まれた」、気配を察知するガット。
三人を取り囲む獣たち。
今から始まる宴のメインディッシュを前に、口からはだらしなく涎を垂らす。
荒々しく吐き出される息は獣独特の生臭さを含んでいる。
喉からは低い唸り声を出し場の空気を重くしていた。
「ハスエル、木を背に。ケインはその前で防御に徹してくれ」
「おう」
「あと、襲ってくる順番を教えてくれ」
「まかせとけ」
この世界の人間は特殊な能力を持って生まれてくる場合がある。
それは祝福と呼ばれ一人につき一つと限られていた。
「ガット、右、次はその隣だ」
ケインの祝福は【先読み】だ。
受動的発動型と呼ばれ、周囲に危機的状況が発生すると自動で発動し、数秒先までのビジョンを見ることができる。
「【加速】っ!」
ガットの祝福は【加速】、自身の思考、行動を三倍まで早くすることができる。
能動的発動型と呼ばれ、発動タイミングを自分で決められるが、体力を激しく消耗するため発動時間や回数に制限がある場合が多い。
集団での戦闘は挟み撃ちが基本である。
注意を片方が引きつけ、相方が背後から襲うのが効率的だ。
狼の狩猟も基本的に同じで獲物を囲い、隙を突いて敵の体力を奪っていく。
しかし、ケインの【先読み】により敵の攻撃順序は予測されている。
よってガットは一対一の戦闘を繰り返せばよく、隙を突かれる心配も減るのだった。
「次! 左後方、左前方、右」
「右は任せた」
加速中のガットは、敵の動きがスローモーションに見えている。
前方の敵は飛び上がり頭上を制しようとする、対する後方の敵は体勢を低くし足を狙う。
彼は無駄のない円運動をしていた。
頭を中心に左右の腕を伸ばし左手のククリナイフ、右手の爺を巧みに操っていた。
上空の敵の喉へククリナイフを差し込み、すぅっと胸元まで引き裂く。
弧を描くようにククリナイフは上空から急下降し、地面すれすれの低空飛行ののち後方の敵の鼻頭を捕らえる。
右手の爺は上空をまだ彷徨っている敵の腹に刺さり、そのまま足の付け根まで切り裂く。
ククリナイフを顎下から上に向かって食らった敵は、釣り上げられた魚のように空へ持ち上げられた。
二匹の敵は空中で衝突したのだった。
「ハアーッ、ハアーッ、ハアーッ」、三倍以上の速度でスタミナを削るガット、
「ハスエル回復を頼む」
「はいっ」
ハスエルの祝福は【魔力】。
この世界の人間は魔力を持たないが、この祝福を授かりし者は魔力を消費し魔法を唱えることができる。
永続的発動型と呼ばれ、発動条件や発動タイミングなどの制限がない。
逆再生された映画のようにガットの傷口が塞がっていく。
チアノーゼ(血液中の酸素が欠乏し皮膚が黒くなる)も回復し肌の色が鮮やかに蘇る。
失われた体力も回復し顔に覇気が戻った。
「ありがとう、もう大丈夫だ」
「がんばって」
「おう」
「左前方、右、右斜め後方、左、左後方、前!」
数体ずつでは歯が立たないと悟ったのか敵が残り戦力をほぼすべて投入してきた。
「はあぁぁぁっ、【加速】っ!」
二本の刃が宙を舞う。
その鋒からは血の雫が線を描き何本もの赤いアーチを描く。
それはまるで、追いかけっこをする赤い二匹の蝶のように、華麗にそして留まることなく宙を飛び回っている。
ハスエルはその光景に目を奪われていた。切り刻まれ血を流す敵は一切目に入ってこない。
戦場で踊る年端もいかぬ少年がとても幻想的に見えたのだった。
「ハアーッ、ハアーッ、ゴホッ、グエッ――」、体力を限界ギリギリまで引き出したガット。
残り数体の大狼が身を翻し退散していく。
「ケイン、傷治すね」
ケインもハスエルを守りながら大狼と戦っていた。
何箇所か噛み付かれ、血を流している。
「ああ頼む。――大狼引いたな」
「残り少なくなったから逃げたのかな?」
「ゴホッ、ゴホッ、ソレだといいがな、ゴホッ」
「ガット、ちょっと待ってね、今回復ッ――」
地面が揺れる。地震ではない、ドンドンと地面を叩く足音がする。
木々が倒れる音とともに、足音と振動が近づいてきた。
「原因はこいつかっ!」、ガットが敵をにらむ。
「大猪なのか? 大狼を追い詰めていたのは」、眉間にシワを寄せるケイン。
「危ないっ!」
ガットはハスエルを脇に抱えるとブルウィップを木の枝に巻き走り出す。
ぴんと張ったブルウィップは振り子のように彼らを空へ舞い上げる。
その下を勢いよく突進してきた大猪が通過した。
そのまま木々を蹴り勢いを増しながら彼らは幹の一番太い木の枝に登った。
「ゴホッ、ゴホッ、回復頼む」
「うん」
大猪は成人男性を超える高さまで成長する。
太くて丈夫な牙が生えており突き上げられたら一溜まりもない。
突進力が凄まじく軽々と五十キロを超える速度が出る。
堅い体毛と分厚い脂肪で守られており致命傷を与えにくい。
「ケイン、回避できるか?」
「早いし横幅がある、ちょっと厳しいかも。――なぁ俺も引き上げてくれないか、そして通り過ぎるのを待とう」
「駄目よ、大猪が村を襲ったら大変なことになる」
治療されているガットがため息を漏らす。
――無茶を言うお姫様だなあ。
「ケイン、太い幹の前に立ってくれ。奴を足止めしたい。ハスエルはここから動かないで」
Uターンしてきた大猪が加速をつけ突進してくる。
「回避よろしく」
「気軽に言うなよぉ」
まるでブレーキの壊れたダンプカーだ。
周囲の木々など気にもせず獲物に向かって一直線で突進する。
「ぐっ」
敵はケインが背にしていた木をなぎ倒し通過する。
彼の【先読み】でも対処しきれていない。
なぎ倒された木の破片が彼の頭をかすった。
赤い髪が流血によってさらに赤く染まる。
「ケイン、もっと太い木の前に」
「おう」
再びケイン目掛けて突進してくる。
二本の牙で狙われる恐怖に足のすくむ彼は反応が鈍くなっていた。
ヘッドスライディングのように、その突進を回避するケイン。
ドンという重い音とともに地面が揺れる。
大木に道を塞がれ停止するダンプカー。
「よしっ」
ガットはジャンプし、木の上から大猪の脳天を目指し落下。
全体重をかけ爺を敵に突き刺そうとする。
しかし、ゴツッという鈍い音とともに彼がはじき飛ばされた。
軽い金属音を響かせながら爺が転がる。
「ッツツ、なんて石頭だ、このブタ!」
敵はガットに無関心だ、それほど攻撃に効果が無かったことを意味している。
彼は衝突の衝撃で手首を痛めたが、それでも敵の目を狙い投擲杭を投げる。
五本投げるが、どれも顔の周囲で体毛に遮られた。
「クッ、手の痺れが……」
ようやく六本目で片目に刺さる。
「プギー」、叫び声は豚である。
その図体には似合わない可愛い声、しかし音量は凄まじかった。
周囲の空気を激しく振動させるその咆哮は耳を塞がずにはいられない。
「があっ」、「うわっ」、「ひっ」
敵に近い順に鼓膜へのダメージが異なる。
モロに食らったケインは身動きが取れない。
耳を押さえてしゃがみ込んでしまった。
大猪はガットを敵とみなしたようだ。
体の向きをかえ、怒りに燃える残った目で彼を睨んでいる。
「さあ、来いよ」
手のひらを上に向け指をクイクイと曲げ奴を呼び寄せる。
まるで大砲の発射音のようにドンという地面を蹴る音とともに敵が突進した。
「【加速】っ!」
敵を回避するガット。
通過する敵の側面から、残る片目に投擲杭をくれてやる。
再び大猪の咆哮が鳴り響く。
学習した三人は事前に耳を押さえていた。
完全に視界を塞がれた敵は、木にぶつかりながら右往左往する。
それは飲酒運転のダンプカー、迂闊に近寄ればひき殺されかねない。
ガットは落とした爺を拾い上げ、ブルウィップで体を宙に浮かせ敵の背中に乗る。
振り落とされないように爺を突き立て持ち手とする。
暴れる敵に跨がる姿は、まるでロデオだった。
体重移動でなんとか振り落とされずに済んでいる。
ククリナイフを腰から抜き、敵の首めがけて何度も叩きつける。
体を裂かれる度に大猪の咆哮が鳴り響く。
堅い体毛を刈り落とし、分厚い脂肪とその下の肉を削ぎ落とし、ようやく頚骨 《けいこつ》 を露出させた。
返り血で真っ赤に染まるガット。
骨と骨の間に爺を差し込み頭と体を繋ぐ神経を切断する。
ビクビクっと痙攣した大猪は動かなくなり煙になってガットに吸収される。
「ふぅーっ……。やばかったー」
「やったな、ガット」
「ねぇ-、下ろしてー」