元東大生の脳内デフラグと、解せぬ美少女の肉体
「ええっと、質量公式はここ、速度公式はこっち、これはここ、それでこれは……ええい、これはどこに仕分ければいいのよ!」
私は巨大な門の近くにある、とある大木の太い枝の上に腰掛け、ぶつぶつと独り言をつぶやいていた。他には何もすることなどないのだから。
それにしても、この世界の木々はどれも異常なほど巨大だった。
今座っている枝にたどり着くためにいくつかの足場を飛び移ってきたのだが、すでに地上から二十メートル以上の高さがある。高所恐怖症でなくとも足がすくむ高さだ。しかも、これでもこの巨木のほんの「根元」に過ぎないのだから恐ろしい。全高は優に百メートルを超えているだろう。幹の太さに至っては、根元の空洞をくり抜けば、ちょっとした広めのワンルームマンションがすっぽりと収まりそうなほどだ。
もし元の地球にこんな植物があれば、一瞬で世界遺産かギネス記録に登録されるだろうが、この世界ではただの「どこにでもある背景アセット」に過ぎないらしい。
私のぶつぶつという呟きは、客観的に見ればただの精神的に危うい不審者だった。しかし、その実、私は非常に重要な作業を行っていた。具体的に言えば、システムのクエストを遂行中なのだ。さらに大雑把に言えば、自分の精神の深淵に潜り込み、脳内にあるすべての情報を整理・ソートしていた。
設計図、学校の数学の公式、映画のプロット、小説、アニメやゲームのデータ……私の、元・東大生としての膨大な知識のすべてを分類していく。
一番厄介なのは、「削除」という機能がないことだった。できれば脳内から永久に消し去りたいような、黒歴史や恥ずかしい思い出もきっちりそのまま残っている。それらがない方が、これからの異世界生活がどれほどイージーモードになったか分からないのに。仕方がないので、私は頭の中に新しい『フォルダ』を生成し、未分化の記憶を力技で叩き込んでいった。
それにしても、この新しく手に入れた美少女の身体は、男だった前世に比べて色々と不便で、何より刺激が強すぎた。
狭い枝の上で体育座りをしていると、自分の細い腕に押し潰された胸の膨らみが、形を変えて太ももに優しく押し当てられる。前世にはなかった圧倒的な柔らかさと、密着した皮膚の熱が、いや応なしに「女になった」現実を突きつけてくるのだ。
さらに、記憶を整理するために少し身をよじるだけで、元の世界から穿いてきたジーンズがデリケートな部分に容赦なく食い込み、妙なむず痒さを感じさせた。汗ばんだシャツが薄い肌に張り付く感触すらも、今の私にとっては過敏なほど鮮明だ。元の男の感覚が残っている脳には、この肉体は色んな意味で神経が磨り減る。
驚いたことに、ソート作業を進めるうちに、自分でも完全に忘れていた古い記憶までが鮮明に蘇ってきた。いつ、どのようにして初めて幼稚園に行ったのか。あるいは――自分がこの世に生み落とされた「誕生の瞬間」の光景まで。
(私、生まれてすぐに神社に連れて行かれたんだ……生後三ヶ月くらい? いや、もっと前かも……あの鳥居を見た時の既視感はこれだったのね)
そんな奇妙な記憶すらも、『モノローグ』部門の『初期経験』サブフォルダへと放り込んでいく。
時間が泥のように流れた。
座りっぱなしの作業に、次第に猛烈な睡魔が襲ってきた。気がつけば、仕分けたフォルダは百を超え、サブフォルダは三百四十に達している。だが、これもすべてあの忌々しい言語の壁をぶち破るためだ。
あと一ポイントさえ知力を上げれば、現地の言葉を習得できる。詳細な仕様は不明だが、とにかく言葉さえ通じれば、あの不気味な門番と交渉して、このオークの木の上での最悪な野宿を回避できるはずだ。何かがこの枝の中に潜んでいるかもしれないという、嫌な予感もずっと消えない。
最後の記憶をフォルダに収めた瞬間、ようやく待ち望んでいたシステムの機械音声が脳内に響き渡った。
【長期クエスト:『精神トポロジーの再構築』 ―― 完了】
仕分け済み記憶: 45,710 / 未仕分け: 0
[ 判定:クエスト達成 ]
【報酬】 知力ポイント(IP)1個を獲得しました。
パチリと目を開けると、木の葉の隙間から差し込んだ月光に視界が眩む。
目の前に現れたのは、いつも通りのミニマルな漆黒のシステムウィンドウ。しかし、今の私にはそれが何よりも美しく見えた。
手動で門を開けようと試みてから、すでに七時間が経過していた。私はただひたすらに、知力ポイントを求めて脳内デフラグをグラインドしていたのだ。
「システム、部門『知力』を開いて」
あくびを噛み殺しながら命じる。完全にエネルギー切れだ。
【実行中……少々お待ちください。……成功しました】
画面に映し出されたステータスを確認した瞬間、私は思わず息を呑んだ。
――その時だった。私の足元から、パキリと不穏な亀裂の音が響き渡った。
マリカが精神の深淵(脳内)に潜り込んでいる間も、新しく手に入れた美少女の肉体という『外殻』のせいで、極限の集中状態の中でもどこか落ち着かない様子でしたね。
さて、その描写についてなのですが……作者から少しお詫びと、執筆の裏話です。
今回の身体に関するディテールにおいて、もしかしたら「少し描写がくどいかな」「場違いではないか」と、不快感やご不満を抱かせてしまっていたら申し訳ありません。
実は私、いつも「まずエピソードのタイトルを決めてから、中身を執筆する」というスタイルをとっておりまして、今回はタイトルを100%回収したいという気持ちが強くありました。
それと同時に、「もし元男の人間が突如として女性の身体に放り込まれたら、一体どんな過敏な感覚や戸惑いを抱くのだろう?」というリアルな心理を、どうしても表現してみたかったという意図もあります。
今回のこういった細かい演出や設定について、皆様がどう感じられたか、ぜひ率直なご感想をお聞かせいただけますと幸いです!
皆様からいただく一つひとつの声やご意見は、私にとってまさに【千金に値する宝物】です。どんな些細な感想でも大歓迎ですので、コメント欄などで教えていただけると励みになります。
今後ともマリカの旅を温かく見守っていただけると嬉しいです!




