夕焼けハイセンス
「こんにちは!一晩お世話になります早女芝深江です!」
大きなバッグを持った深江がニコニコと作り笑顔し、頭を下げる。
「えっと君が、うちの大学見てみたいって子?」
「そうなんです。夏休み前にアンケート書かないといけなくて。適当でもいいんですけど、せっかくなんだし見学でも行っておいでと親戚に勧められて」
「親戚って斎藤さんのこと?」
「そうそう!あなたは愛子ちゃんね。一晩よろしくね」
「こちらの早女芝深江さんの御親戚にあたる斎藤さんがね、お父さんがお仕事でお世話になったことのある方なの。愛子の部屋に泊まってもらうけど失礼のないようにね。それから文也、明日は大学への案内よろしくね」
斎藤が用意したシナリオ通り、深江と律子が話を進める。
文也はいかにも好青年といった感じで、
「荷物を持つよ」
と深江の大きなバッグを持ち二階へと上がっていく。
その後ろを愛子が追いかけ、
「案内しますねー」
と簡単に家の間取りを説明する。
ちょっと気が早いかもしれないが、親戚の娘のために大学の案内を知人にお願いする。
渡辺家を調査するために斎藤の用意した嘘は決して不自然ではなかったし、愛子の身辺を調査するために一晩助手を送りたいという要望を、律子はすんなり受け止めていた。
しかし、こんなのは聞いてない。
やってくるのは自身の助手、というよりもマネージメントをやってくれている一族の娘で、自分なんかよりもよっぽどこういった霊事に詳しい娘だと斎藤は言っていた。
それは良い。むしろそういった人物が来てくれるのは非常に助かる。
ただ、その娘は高校一年生と聞いていた。つまり昨年まで中学生だった、言ってしまえばもっとちんちくりんの娘が来るとばかり思っていた。
律子は愛子を良く思ってはいないが、愛子が、他のものとは一線を画す雰囲気を持っていることはわかっている。そして普通は、大概のものはこうではないことを知っている。
しかし世界は広く、この世には他にもそういうものがいる可能性だって当然ある。
もっと警戒するべきであった。
やってきたこの深江という娘、いや、女がまさにそうであった。
髪型は飾り気なくおかっぱ頭で、化粧もしていない。喋り方には幼さもあり屈託ない様子ではある。
しかしその背丈はすらりと高く、スタイルもよい。
涼しげで切れ長な視線に、はっきりとした目鼻立ちは正直流行りの顔ではないものの、その姿は大人びた、自分の3分の1ほどしか生きていないにもかかわらず、律子の脳裏に妖艶、色気と言った言葉を想起させるものであった。
しかもなんだけしからん。
上着こそ飾り気のない薄手で大きめのパーカーを着ているが、それをインしたパンツは極めて短く、そこから下に極めてけしからんゾーンがすらりと伸びている。
愛子が文也に色気を使っていることを問題視しているというのに、こんな煽情的な、文也を誘惑しかねないものを送り込むとはどういうつもりか。
律子は慌てて携帯を取り出し、斎藤に電話をかける。
しかし土曜の夕方。
すでに鈴屋のバイトですしネタを切り、酒を注ぎ、レジを打つ斎藤のスマートフォンは、奥の部屋の畳の上でぶるぶると震えるだけだった。
文也は愛子の部屋に荷物を置くと、
「せっかくだし近所も案内したら」
と言った。
愛子の部屋は広く、やはり裕福な渡辺家の生活がうかがえる。
そして可愛らしくデコレートされた。わけでもなく、居間や台所同様最低限にものが配置された様子は洗練されており、そのことで余計に広く見える。
夕方とはいえまだ日は高い。
愛子は「そうだね」と明るく頷き、「いこ」と元気よく深江の手を引き階段を下りた。
その様子を文也は二階から微笑ましく眺めた。
ぺこりと頭を下げすれ違う深江と二階から見下ろす文也の表情を、律子は強張った顔で凝視した。
愛子に手を引かれ見て回るその周囲は、渡辺家同様に一目で成功者とわかる立派な家々が坂道を登るように連なっている。
そこに停まっている車もどれも立派で、ここら一体が所謂そういう住宅街であることがわかる。
「そこにカフェとレストランがある以外は下って、信号渡ったところにコンビニがあるから、どうしても欲しいものがあったらそこで買ってくださいね」
にこにこと話す愛子に、
「いいところだね。私んちなんてすんごいど田舎だからさ。いいなー、こういう所に住めるの憧れるなー」
深江はにこやかに返す。
「お金持ちってなんか坂に住みたがりますよね。実際は上り下り大変だし。下の大通りの手前で毎朝渋滞起きるし。結構大変なんですよね」
愛子は笑顔のまま、目を合わせずにそうつぶやいた。
斎藤の言うとおりだと思った。
言動こそ年相応とはいえ、深江から見てもやはり愛子は二個下の、中学二年生とは思えぬ大人びた不思議な色気、大げさに言えば不気味にすら思える雰囲気があるような気がした。
それでも彼女の置かれた境遇を思えば、そうなってしまうのにも納得ができたし、単純にこのハイソな暮らしの中で洗練されたものを身にまとっていても何も不思議ではないだろうとも思った。
「あ、あれです。コンビニ。私も夜時々行くんですよ」
愛子が指さす。
「お兄ちゃんと行ったりするの?」
深江はそれとなく愛子と文也。二人の仲に探りを入れる。
「昔はよく二人で行ってたけど、最近は一人で行きますねー。お兄ちゃん勉強で忙しいし」
「でも女の子一人で夜行くのは危なくない?」
「この辺みんな見知った顔ですし、近所ですから」
愛子は笑って見せた。
なるほど、最近は母親の目が光り二人で出歩けないということか。
かわいそうな話だとは思いつつも、探偵気取りの深江の目が下世話に光る。
「愛子ちゃんはどんな所に住みたいの?こういう所嫌い?」
「別に嫌いじゃないですよ。ただいろんな、まだ行ったことないところに行ってみたいなとは思いますね。深江さんの住んでるところはどんなところなんですか?」
「わたしの家は福池町って言って…」
「わあ、スマートフォン!」
最新家電の取り揃えられた渡辺家であったが、さすがにまだスマートフォンはないらしく、愛子は深江の出した無機質な板切れに驚きの声をあげる。
「こう行ってこう、山と田んぼと…あと山があるような所ですな」
深江は地図アプリで場所を示す。
「福池町か…、まだ行ったことないんですよね」
「まぁ、特段有名な場所でもないしね」
愛子はスマートフォンを眺めながら微笑んだ。
「でもどっちかって言うと海が好きかも。海が見えるところに、特別きれいじゃなくてもいいから、砂浜とか、磯とかが見えるところに住んでみたいかな」
愛子の言葉に、深江の目が再び下世話に光る。
「へー、誰か一緒に住みたい人とかいるのー?」
「えー、いないですよそんなのー」
きゃっきゃっと盛り上がる。
海の近くに住みたいというのは、斎藤から聞いた浜辺で拾われたという話と関係しているだろうか。
しかしこの会話だけでは愛子が文也をどう思っているか、そこに恋心があるか確信は得られない。
「あ」
ふと、二人の前を黒猫が通った。
猫は二人に気がつくと、深江に警戒しながらも愛子にすり寄った。
「可愛い猫だね。飼い猫…じゃなさそうだけど」
「よくうちにも来るんですよ」
愛子は猫を撫でた。
「名前はあるの?」
「つけてないんです。お母さんが飼っちゃだめって言うし、ちょっとでも飼い主っぽいことはしないようにって思って。だからこうして、撫でるだけ」
「そっか」
猫を撫でる愛子を眺めながら、相当に母親に気を使って生きてきたのだなと深江は思った。
それなのに律子は愛子を今相当に拒絶しているのだという。
やはり律子一人を、そのヒステリーを暴き悪者に仕立て上げ、何か美談のように解決することはできないだろうかと考える。
しかし今回自分は斎藤に言われ二人の、兄妹の様子を探りに来ただけだ。あまりに愛子に肩入れして勝手なことをするわけにもいかないし、できるだけフラットなものの見方で斎藤に報告しなければならない。
人間関係の、しかも他所の家庭の問題であるなら、それこそいまだ学生の身分で世を知らぬ自分にできることは少ないなと思うのだった。
「そうだ!深江さんなら名前なんて付けます?」
愛子への同情に耽っていた深江はその大きな声にハッとした。
「この子!深江さんならなんてつけるか知りたくて!」
「えでも、飼っちゃダメなんでしょ」
「うん!だから聞くだけ!」
愛子の突然の大声には猫も驚き走り去ってしまった。
その後姿を眺めながら深江は唸った。
突然そんなことを言われても何も思いつかない。せっかくだか気の利いた、イカす名前を提案したいがそんなの思いつかない。
愛子の期待の目が深江を攻める。
「く…クロピン…」
「クロピン?クロピン…」
「そう、黒くて、尻尾がぴんと立ってるから、クロピン…」
夕日に照らされ深江の顔が色づく。
「別にいつもぴんと立ってるわけじゃないですよ」
「あ、アハハ…、ですよね」
深江の顔がいい感じに崩れる。
「でもクロピン。いいですね覚えておきますね。そのネーミングセンスは初めてかも」
何やらご満悦の愛子に
「はは…、そうでしょー」
と苦笑いしながら情けないダブルピースを向ける深江。
「クロピン…クロピン…」
我ながらしょうもない名前を考えたものだと思いつつも、それを繰り返し、反芻するような愛子の後ろを深江は無言でトボトボとつけた。
「深江さんは一緒に住みたい人とかいないんですか?」
愛子は急に振り返る。
「ええ、何です急に?」
思わず敬語になる深江。
「わ、わたくしのようなものにはまだちょっとそういうのは早いですかね」
なんか知らんが自信を無くした様子の深江が卑屈な口調で答える。
「わたしね、思ったんです。どこに住みたいか。そんなの、もし一緒に居たい人がいるんなら、それはどこだっていいんじゃないかって」
深江とは対照的な、ぱっちりとした、しかし決して子供らしくきらきら光らせたわけではない大きな瞳がこちらを見つめる。
深江は息をのみ、硬直し、何も言えない。
「一緒に住めたら、いや、そうしたいって思える人がいるなら、それだけで、すごく幸せなことなんじゃないかって思ったんです」
愛子はそう言うと、再びくるりと前を向き、家に向かった。
それは兄の、文也のことを言っているのだろうか。
何か格別の文言を浴びせられたわけではない。思春期の子なら言いそうな、あるいはそういう歌詞でもありそうな、そんな内容だった。
それでも愛子の視線、放たれた言葉に、深江は動揺し何も返せなかった。
深江は、江戸中期より続く陰陽師、えみ伯楽を守護するという特別な使命を持つ神社に生まれた。
神社の歴史はそれよりもさらに古く、千年以上の歴史があるともいわれる。
幼いころよりその特別な使命、特別な血のために自分が他の子とは違うと思うことはこれまで何度かあった。
しかし今、面と向かい、おそらくは愛子の真正面からの言葉であろうものを受け止めた時、「他と違う」というのはこういうことを言うのだろうと深く感じさせられていた。
そしてアイアの言っていた「魔性」という言葉を思い出していた。




