こういうタイプ苦手みたい
「急いで警察に届けて大騒ぎになりました。せっかくの家族旅行が台無しになりました」
「それは大変でしたね」
斎藤は眉をひそめ、同情をしてみせる。
「それから愛子は病院に運ばれ、擁護施設に運ばれ。それで終わるはずだったんですが」
律子は顔を曇らせた。
斎藤はメモを持ち顔を近づける。
メモには大したことは書かれていない。話をまとめると数行になり、それ以外は髪ふさふさのへのへのもへじや、昔の少女漫画チックな愛子が描かれている。
「文也が、あの子はどうなるの。あの子はどうなるの。って毎日のように聞くんです。」
律子は顔を押さえ、唇を震わせている。
「本当に毎日。それ以外口にしないんです。テレビを見せても、本を読んであげても。いい子だった文也が、幼稚園の宿題もせずにそればかり聞くんです」
「教えてあげればいいじゃないですか。養護施設の話なんて。子供だからって別に話せない内容じゃない」
「言いましたよ。そういう子が集まる施設があって、そこで大きくなっていくのよって。でもあの子ったら、どうしてあの子はあんな所にいたの、あの子のお父さんとお母さんはどこにいるのって。本当にその話ばかり。私はそれが不気味で、まるで憑りつかれたようで」
うんうんと頷きながらも、斎藤は「そんなに変な話じゃないだろう」と心の中でつぶやいた。
「でも夫は何を勘違いしたのか、それを優しい子だと心打たれたみたいで。いえ、確かに文也は優しい子なんです。でもあの人ったら、うちは他所より金銭的にも余裕があるしって、これも何かの縁なんじゃないかって言って…」
「そしてあの子を、愛子ちゃんを養子に迎えたと…」
斎藤は渡辺文昭から養子をもらった話を聞いたことを思い出した。込み入ってそうで詳しくは聞かなかったが、なかなかできることではないと感心したものだが、まさかこんな話だったとは。
顎に手をやり、首をひねって唸る。
「しかしね、奥さん、娘さ…愛子ちゃんが人間じゃないなんて話はどこから。息子さんが海に行きたがったから、愛子ちゃんを気にしてたからなんて、それだけではないでしょう」
「もちろんそれだけではありません。今思えばあのころからおかしかったというだけです」
女は目を見開き斎藤を見る。
斎藤は怖いと思った。
「昨年春、文也が大学に、愛子が中学に入学しました。そのころからおかしいと思いだしたんです。愛子の文也を見る目が異常なんです」
親指を顎に、人差し指を唇に当て「ふむ、なるほど、つづけて」と冷静な態度をとるも、内心もう帰りたい斎藤。
「まるで文也のこと何でも知ってるようなしゃべり方をするし、目が、そう!色目を使ってるんですよ!兄に!」
「あー」と斎藤はしばし天井を眺め、何事か考え、
「失礼ですが二人に血のつながりがないことを本人たちには?」
「もちろん話しておりますわ。文也が愛子の命の恩人であることをしっかりと!それなのにあの女…」
斎藤は目を瞑り、険しい顔で深々と考えた。この母親のキャラをもう少しマイルドにしてラブコメにできんものかと。
「なるほど、その視線に人間ならざるものを感じたと。で、その息子さんはどうしてるんです。大学…というと一人暮らしですか」
とりあえず母親に話を合わせる。
「いえ、ここから通えるところなので通学しております。ただ、こんなことになるなら一人暮らしをさせればよかったと。幸いに息子は愛子の誘惑など気にもしていないようなんですが」
「ここから通えるということは…、あの…。いやあ、さすがですなあ」
律子の顔が急にほころぶ。
「ええまあ、文也は小さいころから成績が良くて…。斎藤さんはどちらの大学に」
ちょっとこの女の雰囲気に、話の内容にうんざりしていた斎藤。
息子を褒め、空気を換え、話のベクトルを変えることに成功したため、一気に舵を取る。
「いやあ、私もなんとか入学はできたものの。あとはまあ、末席を汚すというかですね、ダメ学生のお手本でしたよ、ハハハ…」
「まあ、そうなんですね」
女もふふふと笑う。
その様子に、こここそタイミングとメモ帳をパンと音を立て斎藤は立ち上がる。
「いやあ、これはひょっとするとひょっとしますなあ。しばらく調査の時間をいただきます。こう、大きく3パターンほど見えております」
➀母親がヤバい
②愛子が文也に恋している
③両方
「思い当たる妖怪が3体いるということですか?」
女はすがる目で斎藤を見る。
「いや、生霊、怨念…何と言いましょう、第三者の介入も視野に入れねばなりませんな」
④事件が起こる前に児童相談所への通報
「第三者…。ひょっとして私が思っているよりも大きな話になるのでしょうか…」
女の顔がわかりやすく青ざめる。でもちょっとうれしそう。
「まだ何とも言えません。方々に相談してみたいと思います。私一人ではどうも力不足で。ただ、本当に文昭さんには恩があります。できるだけ、可能な限り大事にならないよう対処できればと。これはあなたではなく文也君のためです」
息子のため。そう言ってくれた斎藤に女はふんふんと紅潮した顔で何度も頷いた。
「ではすぐに発ちます。いや、ここで。見送りは結構」
斎藤は立ち上がる女の肩を掴みソファに座らせた。
「ここで体と心を落ち着かせて。さあ、これ、お茶です」
そういって斎藤の飲みかけのコップを女に渡した。
外に出れば母親と愛子が鉢合わせになる。
もちろん一緒に暮らしているのだから日常茶飯事なのだが。興奮している状態のこの女と愛子を合わせたくなく、そして何よりそこに自分がいることが面倒臭く、じっとしとけと雑に扱った。
ではさらばと格好つけ、居間のドアを開ける斎藤を律子は呼び止めた。
「はい」と凛々しく、内心面倒くさく振り向く斎藤に、
「私聞いたんです」
律子は冷静に話す。
「あの時聞いたんです。愛子を拾った時」
急に落ち着きを取り戻し、静かに話す女の様子に、何事かと思い斎藤は体を向ける。
「みつけた。って」
うつむいて焦点の定まらない目で女はつぶやき、そして斎藤を見る。
「愛子はその時、生まれて二、三か月の見た目でした。でも確かに言っていたんです。文也を見つめて…」
その、女のこれまでの物とは違う迫力に斎藤は息をのんだ。
「みつけた。って、そう、言っていたんです。今の愛子と、同じ声で」
女の目には力がこもっている。
斎藤は律子の目を見て力強い笑みを見せ頷いた。
そして居間を出ると急いでドアを閉め、速足で玄関に向かった。
マジで怖かった。
女の顔が怖かった。
外に出るや「ほら帰るよ」と手を伸ばした。
アイアは「わかりました」嬉しそうな笑顔を斎藤に、寂しそうな笑顔を愛子に見せた。
「ああ、ところで愛子ちゃん」
斎藤は声をかけた。
愛子はその年に似つかわしくない雰囲気ながらも、あどけなく「はい」と首を傾げる。
「小さいころの記憶っていつくらいからある?最近仕事の関係で記憶と感受性の調査をしててさ、参考までに」
斎藤はすました顔でそれっぽいことを言う。
「調査!かっこいい!アカデミックですね!」
楽しそうに笑う愛子に
「そうですよ。おじさんはかっこいいんです」
とアイアは手を広げ誇らしげに言った。
「そうですね、幼稚園の年長…もっと前か。5歳くらいですかね。兄と猫を飼いたいとお父さんとお母さんにお願いしたのを覚えてます。ダメだったけど」
「そっか」
斎藤は安心したような顔を見せた。
その表情に愛子はキョトンとした顔を見せ、再び首を傾げた。
「いやあ、また来るかも。じゃあね、愛子ちゃんまたね」
「次の議題は事務所を離れた、独立後の社名ですな。その際はおじさんを運営に立てることもございます。時間を作りおじさんも我々の議論にも参加すべきですな」
「思ったより話進んでるんだな…。わかったおじさんも前向きに考えよう」
ボロ車の妙に似合う中年と、体が小さすぎて顔にシートベルトがかかる妖怪に、愛子はにこやかに手を振った。
アイアも元気よく手を振り、斎藤は笑顔を見せながらハンドルを切った。
ボロ車が見えなくなるまで手を振る。
そしてだらんと手を、肩を落とした。
笑顔のまま眉間に皺を寄せ、斜め上を見て何事か考え、
「ふう」
そして静かにため息をついた。