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紙上史  作者: こーりょ
4 紙に例えられた世界の上で、二人が綴る短い歴史
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4-01 記憶

「ゆびきりげんまん……僕もしらないな。君たちが住んでいたところの儀式だったりするの?」


 ころころと質問を投げかける人懐こい男の声に、津島は「簡単な、約束のおまじないです」と小指をたてる。

 たてたところで、男に見えないとはわかっていても。


「へえ……それでそれで? それがどうかしたの?」


 話の続きをねだる声に津島はうーん、と小さく唸り声を上げる。


「そのとき、この国では誰にもゆびきりは通じないんだと察したんです。でも、ベニヒさんは知っていました。以前、自分たちが港町ブラウを出ることになったときに交わしたことを思い出して、その理由が気になって落ち着かなくなったんです」

 思い出しては、思わず失笑してしまう。そのときの自分といえば、新しい手がかりの可能性に必死になって、夜中なのにもかかわらず転送門を使いたがった。

 当然総合施設は閉まっていて、空を困らせたものだ。


 続きを話そうとして、喉がひくつく。

「その日は渋々借家に戻り、次の日の朝を待ちました。でも……目はすっかり冴えていて、全然眠れなかったような気がします。それで……ええと」


 詰まった言葉に、男は気遣うよう口を開いた。


「それ以降はまだ、思い出せないかな?」

「……はい。ちゃんとブラウには行ったと思うんですけど」

「無理に思い出そうとする必要はないよ。またなにか思い出したらお話して? ずっとここにいると話題もなーんもないからさ」


 それは、この空間で十はくだらない数を繰り返したやり取りだった。

 優しい声色に礼を言い、天井まで伸びた鉄格子の先にあるこの部屋唯一の明かりで、自分のつま先に視線をやった。焦げ茶色をしていたはずのブーツも、その冷たい青のせいでわずかに色が変わって見える。響く声は二つ。自分と、もうひとりの男。それ以外の音はなにもなかった。時折見張りの交代で衣擦れや話し声が聞こえる程度。やたらと辺りが静かなのは一年の終わりに差し掛かっているだからだろうか、それとも場所が場所だからだろうか。


 ウォルノール国管轄 地下牢 第1003号室。それが、今津島のいる場所だった。


 四肢を投げ出して寝転がっても三回は寝返りがうてる牢屋。津島はその隅で、小さく縮こまるように体育座りをしていた。部屋の三方を囲むのは分厚く重い石の壁。鉄格子に隣接した廊下の照明が唯一の光源だ。窓がなければ家具もない。申し訳程度に置かれたベッドは固くて寝心地はひどいものだ。

 家具の代わりというように、共に同じ石の壁を挟む仲である隣人がいた。名はフリコと言うらしい。津島が入れられる以前より牢屋に居るという彼はおしゃべり好きなのか、単なる興味か、毎日たわいもない話題を津島にふりかける。津島はその理由を考えることもなくひたすら答え、ときどき質問を返す毎日を送っていた。


 ここに入ってから何日目になるかは、わからない。


 陽の入らない暗い地下では日付だけでなく時刻もわからず、なんとなく目を閉じて休み、なんとなく目を開いて呼吸しかできることのない時間を過ごす。なにもかもがわからないままこの場所にいた。自身の記憶が抜け落ちていることを自覚したのは、牢ではじめて目を覚ましてから数日後のことだった。当時思い出すことができたのは、この世界に来て間もないときのこと。この世界に来てベニヒに拾ってもらい、空と挨拶を交わしたところまでだった。

 夢か、はたまた物の味や匂いを切っ掛けにして、氷が溶けてゆくように記憶が次々蘇り、同時にそれを忘れていた自分に驚愕したのだ

 当然話したくない記憶もあった。しかし隣人はそんな津島に「無理することはないよ、どうせ暇つぶしで聞いてるだけだしね」と優しい姿勢を崩さずにいてくれた。


「なにか大変なことがあったんだよ、きっと。忘れないと心が壊れちゃうって頭が判断しちゃうような……すっごーい大変なこと」


 フリコはそう言って小さく笑う。思い出す必要がないと言われているようで、少しだけ救われた。


 牢屋番は寛容で、ついうっかり笑い声が大きくなっても全く怒らない。それどころか手洗へ案内してもらう廊下で「楽しそうですね」と微笑まれるほどであった。牢の中ではなくわざわざ別の場所に作られた手洗。鍵を開ける音は軽く、いまいち自身の立場がわからなくなる。

 霞む最後の記憶を無理矢理にでも手繰り寄せれば牢屋に入れられた理由も思い出せたかもしれないが、思い出すことを放り出したくなるほど津島にとってこの場所は居心地がよかった。なにもする必要がない。必要以上に人と接することもない。寝心地の悪さは、その代償だ。そもそも、睡眠なんてこの体には必要なくて。所詮は自己満足で、癖のようなものだった。


 目を閉じて、石の壁にもたれかかる。この空間は居心地がいい。二度とここから出れなくても、別にいいかと思ってしまうほど。しかしその堕落を空が許さない。こうしてすこしずつ記憶をたどるのは、確実に頭にこびりついた彼という存在の影響だ。


 最後の記憶は、どこか明るかったことだけ覚えていた。


×××


 狩猟民族の集落エリギの墓前にて、敵意がないことを言葉で示した翌日の朝。

 転送門をくぐり抜けると、森野中のみずみずしい寒気にかわって潮の香りが鼻腔をくすぐった。一晩の我慢は津島を急かし、指摘されるまで拳を強く握りしめていることにすら気がつかなかった。手のひらには爪の跡がくっきりと残っていたが、それを気にしている間もなく大通りを進む。


「ベニヒさんは居らっしゃいますか」


 ぽぽーんの拠点の扉を開けながら出した声は、ひどく掠れていた。羞恥がすこしだけわきあがるも、焦りがそれを追い越してゆく。

 唯一中にいたミヨがソファーから上半身を起こした。

「ノックもしないなんて礼儀、なってないんじゃないの」

「すみません。少しばかり聞きたい事があるんです」


 切羽詰まった雰囲気を感じ取ったか、不機嫌そうなミヨは目をさらに細くさせる。


「理由を言わない限りこちらとしても教える事はできないけども」

「指切りげんまん、知っていますか?」

「何いきなり。指切り? 指を切るの?」


 やっぱり、とつぶやいた後ろの空が、即座に口を開く。

「カズ、ベニヒさんの家なら多分まだ覚えているかも。前に泊まった事があるから」

 確認を終え拠点にもう用はないと踵を返した二人に、ミヨは慌ててソファーから立ち上がった。

「待て! ソラ、カズ!!!! 今ベニヒは……」

 ミヨの制止する声へ耳を傾ける事無く、今度は空を先頭に住宅街を目指す。二人のただならぬ様子へ街行く人が目を向ける、その不快感へ空は舌打ちの代わりに歩幅を広げた。そんな二人の背へ、声がかけられる。


「ソラ、カズ。少し落ち着け、なにがあった!」


 ミヨ・トッペスだ。しかし彼女から行動を止める意思を感じられた二人は、あえてそれに応じなかった。

 助けてくれた恩がある。ミヨに悪い所はなにもない。けれど


「ベニヒさんが、自分たちに大切な事を隠しているのが悪いんです!」


 津島は前を進む背を押す。意図に気がついた空は、地面を強く蹴り飛ばす。

 相手は有名狩猟ギルドの一員だが振り切れるだろうか。……いや。それなら追いつかれる前に目的地へとたどり着けばいい。ブラウでの体力トレーニングの成果を思い知らせてやる。


 広い道から一つ、二つと角を曲がり、細い階段を駆け上がる。走る勢いをそのまま拳に込めて扉を殴りつけた。たどり着いた家の、玄関先で。


「ベニヒさん!! 居るんでしょ? ここを開けてください!!」

 空の大きな声に、間もなくしてばたばたという足音とともに扉が開けられる。二人を出迎えたのはグリエだった。

「ソ……ソラとカズ? どうしたの、息を切らして。……ベニヒは今留守にしているけど」

「嘘だな」


 空は扉をこじ開け、グリエの細い肩を壁へと押しやる。グリエがその腕へ手を伸ばした。


「空、待て!なにを考えているかしらないけど、今のベニヒだけはダメだ!!!」


 今までで聞いた事のない怒鳴り声だった。

 近所迷惑になるのではないかというほどだったが、空はその手を振り払うだけして再び奥に目線をやる。あきらめないグリエの手を、津島が捕まえた。


「一つ、質問をするだけなんです。……グリエさんは、知っていますか」

「何を」


 焦りを瞳に映すグリエの瞳をまっすぐ覗き込み、津島は問いかける。


「指切りげんまん」

「な……! そ、それがどうした」


 平然を保とうとするも明らかな動揺を瞳に写したグリエに津島は確信を得る。解放されたグリエは空の向かった方向へ目線を向けた。空を止めなければならないと。しかし、時既に遅しだった。


 空はすでに家の奥へ続く扉を開けてしまっていた。開け放たれた奥の扉の光景へ、その喉が動く。


 部屋の光景は異様であった。窓一つなく、吊り下げられたランプには燃料すら入れられていない。部屋に敷かれた畳の上に置かれているのは、一人の女性と布団のみ。唯一の光源である扉からの光に浮かび上がるその女性は、それでも空に気がついていないように虚空を見つめていた。


「あ……」

 この世の終わりを見たと言いたげな声がグリエの喉から漏れる。

「なんだ……この部屋。すごいな」


 思わず感想を漏らす空は、部屋の中心で背を向けて座る女性を視界に入れる。今は結われていない長い髪は、それでも見覚えのある女性のものだった。


「……ベニヒさん、こんにちは。質問があってここまで来ました」

 低い声でそう言った空の身体に、グリエが駆け寄る。

「見るな、 今の姉さんを見るな!!」

「グリエさん、邪魔をするのはやめてください!」

 津島は再びその腕を強く引くと同時に、息を吸う。

「教えてください、グリエさん! あなたはその指切りげんまんをどこで知ったんですか??」

 屋内に響く空の声があまりに騒々しかったか、それまで意識の伺えなかった女性が、はじめてそこで首を動かした。

「かみ……さま……?」

「……ひどい顔だな」

 後ろ姿は確かに知っている女性のそれであったが、改めて正面から見ると悲惨の一言であった。おそらく喜びの色だと伺える顔も、どこかやつれているだけでなく、頬に引っ掻き傷が浮かんでいる。

 空の隠すことない感想を耳に入れることなく、女性は————ベニヒは、痛々しい笑顔を浮かべた。


「ソラリスさま! やっとむかえに きてくれたのね! ずっとまっていたのよ、ここで! この じごくのような せかいで!! 」


 声がかすれている。立ち上がればよろけて、再び床に崩れ落ちた。水分も食料もまともに取っていないのだろう。立ち上がることを諦めた彼女は床を這い、頬よりも深い傷が残る両腕を空へ伸ばして顔を喜びの笑顔で染め上げた。

「ソラリスさま。やくそく、やくそく。はやくわたしを ころして、いますぐ。ねえ」

「触るな!!」

 腰に縋り付かれたことで全身をぶるりと震わせた空は、ベニヒの体を躊躇いなく蹴る。音を立てて壁に背を打ち付けたベニヒはしかし痛みを感じていないようで、ずるりと姿勢を崩したまま悲しそうに眉を下げた。

「どうしておこるの? ゆびきりげんまん したのに……。わたしのソラリスさま。さえ。わたしの、さえ。ひつうら さえ。いい なまえよね。あなたが ころしてくれるって いったこと わたし わすれてない」

 顔をわずかに紅潮させ、大切な飴を舐めるようにして呟かれたその名に、空は強く反応した。一瞬全身を震わせ目尻を吊り上げる。


「ひつうら……さえ!? お前今、宓浦 冴の名前を呼んだな!?」


 その張り詰めた声に驚いたベニヒは「どうして、どうしておこるの」と大声で泣き始める。津島はあわてて空とベニヒの間に入り込み、その体を外へ押し出した。

「邪魔するなカズ。これは俺の問題だ」

「何言ってんのばか、元の世界のことは二人の問題でしょ。今のベニヒさんではきっと話にならないと思うから落ち着いて、後日にまわそう。今は……」

「……わかった、説明はする。でもこちらからもききたいね」


 津島から視線を受けたグリエは、さきほどまで握られていたために赤く変色した腕をさすりつつ息を吸った。


「君たちと、かみさまの関係をさ」

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