3-28 やがて世界に溶けるもの
どこまでも続く砂の大地。軽い砂が趣味の悪いいたずらをするように髪を撫で、じわじわと発汗を助長する。
それは、寒いなかで生活していた身体には少々強すぎる温度だった。もしかしたらここは鉄板の上で、天の上から覗く誰かに調理をされているのかもしれない。
そんなくだらない考えに自分で失笑しながら、空はバケツツールで塗りつぶしたような天を見上げる。
飽和状態だからか、他の場所に比べると幾分協力的な魔力たちが言葉に合わせてさわさわと揺れていることがわかる程には、魔力の圧迫感にも慣れてきた。とはいっても現在津島たちがどういう動きをしているのかを把握できるほど余裕があるわけでもないのだが。
終わりまで組み立てた構文を締める大切な一文を口にした。それまで耐えずこの身を襲った圧迫感がとたんに消え、開けた視界で目的を認識する。それは前脚を地面につけていながら、成長しきった男性を縦に三人積み上げても足りないほどに大柄な魔物。形状を例えるならば虎といったところか。
メリィから借りた杖があってよかったと心底思う。「安物だけど、ないよりはマシでしょ!」と渡された太く短い杖。使ってみて、空は初めて杖の役目を理解した。いわゆるそれはより遠くへ、安定して魔法構文を発動させるための補助器具だ。魔法構文は発動地点が遠ければ遠いほど、伝言ゲームの内容が人を経るにつれ変わってゆくようにブレが出る。良品質のものであればあるほど、遠い地点をめがけて発動しても思った通りに効果が現れるらしい。
ぎりぎりまで魔物の動きを見極めて「行って来い!!!」と送り出す。水質のない空気を魔法構文由来の爆発が引き裂いた。巻き上げられた砂に七人の視界が遮断される。そのなかでも特別大柄な武器を持った片方、軍の制服に身を包んだフォーンが声を上げた。
「まだ倒れていないよ! 気は抜かないで!」
直後、砂煙を引き裂いて魔物の顔が現れた。腹の底を震わせる鳴き声を1つ上げ、立ちすくむメリィに飛びかかろうと前足を出す。しかしその前足が地面につくことはなかった。分断したのはブンと厚みのある音を残すエグバリーの大鉈。その脇を踊るような燕色が飛び出してゆく。
「ナイスや、エグ兄! 」
器用に魔物に駆け上がった燕色——チオリは、太い首に巨大包丁をねじ込んだ。その瞬間、断末魔のような叫びを一つ上げて魔物は地面へ崩れ落ちる。
「やった!」
思わず拳を握った。いままでの闘いがまるでなかったかのように忽然と消えた虎は空気に溶け、姿を消す。今回の魔物はハズレの魔物だ。上手に神経を殺さなければ消えてしまう魔物は、得ることを目的とした狩猟民族からすればハズレ以外のなにものでもない。そのくせ普通の魔物より強かったりするからなおさらだ。
湧き上がる安堵によって体は重力に逆らう力を失い、どうせならと空はブーツを脱ぎ捨てる。逆さにすると、驚くほどの砂が流れ出た。シフォー・カロユが魔物の足跡へ歩きはじめるのを視界の端にその砂を掻き出す。
「おげ、口の中に入ってる」
メリィが低い声を上げ、その隣のチオリは少量の水で口をゆすいだ。はじめは分厚い羽織を身につけていたが、今やそれらもリュックの中。黒いインナーだけになっている。
「あっついなぁ。 気が滅入るわ……兄貴、大丈夫? 上着脱いだら?? 倒れちゃうよ」
「……ああ。そうする」
チオリの言葉に従って、気だるげに上着を脱ぐエグバリー。顔には一滴も汗をかいていなかったが、インナーの黒シャツは汗を吸い込んで色が変わってしまっている。
「顔に汗をかかない体質なんですね。いいなぁ」
ぼやく津島は顔もシャツもびしゃびしゃだ。目に入らないようこまめに袖で拭っているが、その行為ももはや意味を成していない。
空はそんな津島の、久しぶりのシャツ姿をみて目を見張った。ブラウにいた頃よりわずかながらしっかりした体つきになっていたからだ。
最初はあんなに頼りないヘロヘロだったのに。と、ポンチョを脱ぎつつ自分の体を見下ろして唇を尖らす。
そんな空の視界に、一つのブーツと狐の魔物が入り込んだ。見上げると、明るい天を背にしたシフォー・カロユが正三角形の黒い石を両腕に抱え込み空のことを見下ろしていている。
「二人がエリギに来てすぐのとき、あたしの家で魔物の核について話したの覚えてる? これがそれなのだけど」
わずかに砂を巻き上げて乱雑に地面へ置かれたその石は、どこまでも沈み込む闇を湛えていた。形が形なため、どこか人工的な雰囲気を感じる。
覚えていると頷きつつ、座ったままその核を覗き込めばつるつるとした表面に自分とインピィの顔が映って見えた。チオリが「うげえ」と眉を寄せる。
「ロユ拾ってきたん!? やっぱりあの強さやとサイズもえらい大きいな……。いっとっけどウォルノール国でこのサイズの核の加工は」
「禁止でしょ。それくらい知ってるわよ。ただ前にせっかく話をしたんだから見せたいじゃない。カズはどうやら知ってるみたいだったけど」
尖っている部分は鋭く、人を傷つけることも容易そうだ。
急所を突くと消えてしまうハズレの魔物が、肉や皮の代わりに落とす核。放置すると空気に溶けて消えてしまうそれは、特殊な加工によって人間の生活を支える要素となってくれる。しかし核を狙って命を落とす狩人があまりに増えすぎたため、ウォルノール国ではある一定の大きさの核の加工は禁止とされた。そうすれば強い魔物に立ち向かう狩人は減るという算段である。
いつのまにか空の隣で同じように核を覗き込んでいた津島の顔を、核ごしに見る。
「津島はなんで知ってたの?? 魔物の特殊能力こととか、核の価値のこととか。詳しかったよな」
「えっ、ええと。親が、狩人だったらしくて。いろいろ聞かせてもらっていたんだ」
悪く言えば深い呪いを湛えていそうな、よく言えば純粋さといさぎよさを感じるほどの黒。核の色と津島の瞳の色はよく似ている気がした。
メリィが目を輝かせる。
「へえ!! じゃあ、カズの強さは遺伝かもしんないね」
「そ……そうですね、そうかも」
汗で濡れた髪を結び直す彼は、なぜか焦るように視線をそらした。
そこで津島と空の上からエグバリーが顔を出す。
「そちらの世界にも狩人がいたのか」
「居たらしいですよ!! もう必要性が薄まってきて数は減ってきているそうですけど……」
かつては魔物討伐の名がつく同好会などを抱える大学があるほどだったらしい狩人も、魔物の減少とともにいなくなっていった。
現在日本に残っている狩人といったら、三桁に届くかどうかといったところらしい。魔物討伐同好会だなんて冗談だろうと笑いたくなるが、本当にあったのだろうか? なら、少し入ってみたかった。
ブーツの紐を結び直し、ポンチョをリュックの中にしまいこむ。最後に少しだけ……と核に手を伸ばし、指先が触れるか触れないかという瞬間。核は淡い光を放ち、割れるようにして消えてしまった。
「あら、もう溶けた」
メリィの声に、離れていた一行が視線を向ける。それまで特に核へ興味を示していなかったフォーンが声を上げた。
「もう!? 少し早くないかな」
「まあ大きければ大きいほど溶けるのも早いというし、妥当なところなのかしらね」
「……なあ。話の腰を折るようで悪いけど、みんないつまで休んどるん? とっとと進まん?」
チオリの半ば呆れるような声色に、空と津島はあわてて立ち上がった。
「すみません、ゆっくりしちゃって!!」
「いや、構わない……メリィ? なにをぼーっとしてるんだ」
「あっ、ううん。大丈夫。ごめん、あのサイズの核なんて初めて見たから、びっくりしてしまって」
慌ててそう言い、眼鏡を押し上げるメリィ・ターナ。
皆が準備万端であることを確認するように、フォーンは六人をぐるりと見渡しへらりと笑顔を浮かべた。
「それなら、行こうか」
直後、ひゅるるるると風をきるような甲高い鳴き声が天に響いた。
「進めると思ったらまたか!!! ったくもう、キリないなあ!」
歯を見せて叫びながら包丁を引き抜くチオリ。同様に一行は慌てて武器を構える。
その七人の視界の先で、明らかに一行を狙うべく瞳をぎらつかせた鳥型の魔物が甲高い声を上げた。




