3-21 ふたたび始まるカウントダウン
シフォー・カロユが襲われた次の日、身構えつつターナ家を訪ねた津島と空を出迎えたエグバリーとチオリはいたって普段通りの様子だった。ただ一つ、ひどく眠そうなことを除けば。もうほとんど、毎日の恒例となりつつあるチオリの視線を受けながらの料理も終え、皆で昼食を囲もうとしたところで、大きなあくびを漏らしたエグバリーが、空の視線にバツの悪そうな顔をする。
「悪いな」
「きのうの晩、また軍人がこないかどうか一部の人で見張っとったんよ。杞憂やったけども」
同じように目元をこすりながら言ったのはチオリ。
津島と空がロユの家で頭の中を整理している間も、なにかとバタバタしていたようだ。
「昨晩、お前らがずっとロユの家にいてくれたという話を聞いた…………気がする。うん。メリィから聞いたな。会わせてあげられなくてごめんと謝りたがっていたぞ。朝方にミヨのぶんも含めて飯を持って行ったが……やつらとなにを話したのか大分曖昧だな」
「さっきまで寝とったから頭は若干すっきりしとるけどね。変なこと口走っても、寝言だと思って大目に見てや」
「わ、わかりました。そういえば昨日は……ロユ、どういう状況で襲われたんですか?」
大目に見る代わりというふうに口を開いた空に、エグバリーが息を吐きつつ、頭をがしがしと掻く。一つに結い上げられた艶やかな髪の乱れを気遣う様子はかけらもない。
「説明……するか。昨日、俺は朝早くに奴から呼び出しをくらったんだ。そこで一日の行動を共にするよう頼まれた。事情もなにも知らされずの頼みだったが……今思うと奴も奴で何かを感じていたんだな。一冊の本……クロメールと世界の幸を鞄の中に入れて、絶対に離すまいと言うように抱え込んでいた。……しかし、頼まれごとを引き受けてから間もなくして軍人に襲われた。
そいつらは気配を感じさせることもなく俺らに近づいて、気が付いたら地面に組み敷かれていた」
普段の仏頂面を微妙に歪ませ、悔しそうにそう言ったエグバリーに空は息を飲む。
「その本は……」
「軍人共に奪われた。どの死骸にも見つからなかったから、取り逃がした奴が持ち帰ったのだろう」
「なんで……」
津島の脳裏に、学問の街パナーダでのことが思い浮かぶ。そこでも、図書館に忍び込んでまでその本を奪った人がいた。
今回は規制目的だろうが、なぜそこまで強く規制をする必要があるのだろうか。
難しい顔をして俯いてしまう空たちに、チオリは軽い調子で声をかける。
「ほれほれ、とりあえずごはんたべよ。せっかく二人が作ってくれたのに冷めてまうやろ」
その日の昼食は、気を抜くとまぶたが落ちてきてしまいそうな、とろとろとした時間となった。
シフォー・カロユへ会いにゆく許可が下りたのは、それから数日後のことだった。
「親しい友人あたりだったら様子をみにくるくらい大丈夫だよ。ある程度までは回復したから」
というミヨ・トッペスの言葉を受けた集落長が一番仲良い相手と判断し、エグバリー・ターナへ声をかけたのだ。
エグバリーはチオリを呼び、チオリは空と津島を呼び、結局普段とさほど変わりない面子でシフォー・カロユの家へ足を踏み入れる。
リビングではメリィがテーブルに伏せており、一行はその隣で立つミヨ・トッペスの大きなあくびに迎え入れられた。
カーテンで外からの光を完全に遮断した暗い部屋のなか小さな明かりに照らされたロユの寝顔はお世辞にも良いとは言えなかったが、津島と空が以前に見たときに比べると呼吸も表情もかなり落ち着いていた。
シフォー・カロユが生きている。その事実に安堵したからか、一行の一番後ろに立っていた津島の中で、それまで息を潜めていた怒りという感情が静かに膨らみ始める。
家の中なのに、なにかに吹かれて津島の黒い髪が揺れた。
突然家へ押しかけたのにもかかわらず、自身の知識をわかりやすく教えてくれた優しい彼女がなぜ、たかが本一冊のためにここまでされる必要があるのだろう?
軍人たちはなぜ、そこまでして。
津島の感情の変化に真っ先に気がついたのはエグバリーだった。ベッドの前で目線だけを後ろへ向ける。
そのわずかな身の構えに津島は気がついた。
「……はじまりの樹」
自分のことをより以前に、気にすることがあるだろうというように言葉を紡ぐ。
それ弾かれるように、今度は隣にいた空が顔を上げた。
「そこになら、ロユがこんなにされた理由もあるんでしょうか」
目指そうと言っていた場所。鉱資源の街テンティノから真っすぐ内地へ行き、ルベルグ山を越えた先の盆地に。疑問形でありながらも、その心の内はほぼ決まっていた。津島は一歩、シフォー・カロユから距離を置く。
「……軍の圧力には屈しないってことでええんか」
その低い声に津島は引きつった口角をさらに引き上げる。闇に隠れて見えなくとも、彼の表情が険しい事など容易に想像がついた。
クロメールと世界の幸に関してなにやら軍は非常に気を使っているらしいから、今回のルベルグ行きでも軍の急襲がある可能性が0では無いだろう。でも、だからこそ
「ここまでしないと本の一冊も奪えないような、軍の圧力なんて痒くないですよ」
「おお、言うねえ。 なら……」
苦笑まじりの返答。続く言葉を予想して身構えたところで、隣の空が口を開く。
「俺も行きます。 止められても仕方がないことだけれど……でも」
緊張感のあるそれは、普段の張っているやかましい声とは違って落ち着きのある津島の好きな声だった。それまで無言だったエグバリーが肩の力を抜き、目線をシフォー・カロユへと戻す。
「————別に止めるとは言っていないだろう。俺の気持ちはカロユから依頼を受けた時と変わりない。行きたいという人がいるのなら、当然ついていく」
「でもソラくんはともかく、カズくんはこーゆう暴力沙汰が苦手やと思っとったから、ちょっとばかし驚いとるよ」
二人の言葉に、津島と空は顔を見合わせる。チオリは小さく口角を上げた。
「わたしにだって、やめる気はさらさら無い。行こう。ロユには悪いけど、はじまりの木へ。明日……いや、メリィの支度も考えて五日後くらいかな。どう?」
津島と空は大きく頷いた。エグバリーは目を覚まさないロユを一瞥し、目を閉じる。
「ついでに二番隊にも、痛い目を見せてやりたいな。 力任せに好き勝手で調子付きやがって」
「うひゃあ。怒ってる! エグ兄がここまで怒るなんてめずらしいでー。怖いな〜!」
チオリが津島と空に囁く。
あくまでふざけた調子の彼だったが、その瞳の奥にも怒りの色があることを、津島は見逃さなかった。
——ルベルグの山へ出発するまで、あと五日