3-5 きみのこと
リュックサックをテーブル代わりにして、津島は容器の蓋をぱかりと開ける。
「これ、ジェスが作ってくれたんだ」
その言葉とともに中から現れる食物に、空は目を細めた。
「すげえ! 成長したんだな。俺がブラウに来て直ぐの頃はさっぱりって感じだったのに!!」
「お母さんに教わって、いろいろ勉強してるんだって。 アルバイトを辞めた次の日に、家まで届けにきてくれたんだ」
二つ並べられた容器の片方にはシリアルをめいっぱい混ぜこんだ焼き菓子が。そしてもう片方にはきんぴらごぼうのようなおかずが詰められている。
その隣に少しだけ、昨日の夕飯の残りを広げて昼食の支度は完了だ。
「このお菓子みたいなのは、漁ギルドの人たちが航海に行くとき絶対に持って行く栄養食みたいなものなんだって」
津島は説明もいいところに焼き菓子をぱくりと口に含む。ぱりぱりとした食感に混ざり、広がる砂糖の甘みへまぶたが上がるのを感じた。
「おいしい」
頬を緩める彼を見た空も、我慢できないというように「いただきます!!!」と、両手を合わせた。
×××
「それで、ジェスが少しは可愛い服にも手を出したいって言っていたから、荷物をまとめた後せっかくだしって一緒に服を見に行ったんだ」
「二人で市場に行ったの??」
マジで? と目を丸くする空に頷く。
食事を終えてもなお歩く気になれない二人はぐだぐだと草の上で足を伸ばし、話を続けていた。
「ジェス、いつもツナギばかりだけどスカートも結構似合うみたいでさ。店を見て回るのなかなか楽しかったよ。といっても自分はなにも買わなかったけれど」
「前々から思ってたけどカズとジェスって意外と仲良いよな。 カズは特に、相当仲良くならないと異性と買い物になんて行かないタイプだと思ってたんだけど」
「たっ!! 確かに、そうかもしれないけれど……まあ、そこは偶然波長があったというか」
心は同性だからと言うわけにもいかずまごつく津島に、ふと空は口をへの時に曲げた。逡巡の間ののち、それを解く。
「……実際どう思ってんだ???? 気がついてないだろうなと思ってるけど、そこまで来るとさすがに可哀想になってくるよ」
「えっ! 気がついてないって何に……? かわいそうって、もしかしてジェスが?」
可哀想だと言われる心当たりがない津島は、まさかと思う。
隠していただけで、実は自分と遊ぶのが嫌だったのかもしれない。ジェスがそういう類の感情を隠すことが苦手だと決めつけて、あまり考えずにいたのは確かだ。
口を閉ざしてしまった津島に、空は苦笑いを浮かべる。
「そんな顔すんなよ!!! ジェスはちゃんと津島のこと好きだって。じゃないと飯を作ってあげるなんてこともしないだろ!!!ただ、好きだからこそあんまり思わせぶりに動いてやるなってことだよ」
「好きだからこそ? 思わせぶり……って、なにその言い方。まるでジェスが自分のことをすきみたいな」
ついつい笑いが漏れる。
空は人間関係に関して人一倍敏感であるようなのに、自分への好意へ気がつかないなんて。鈍感者のようだ、と。
しかし空は津島の言葉を否定せず薄く口角を上げた。
「……そうだな」
「確かにジェスはかわいそうかも。 ——空は、好きな人とかいなかったの? 」
「は? なんだよ突然。そんな、修学旅行でやるようなぶっちゃけ話に行き着く流れだったか? 俺の話は別にいいだろ」
慌てて表情を崩す空。あくまでジェスの気持ちを応援したい津島はごくりと唾を飲んだ。これを言っていいものか。と、少しの間だけ迷った末に息を吸う。
「気になるよ。会ってすぐの頃に空が暴露大会はもう少し仲良くなってから。って言ってくれたでしょ? ……そろそろ、仲良くなれたと自分は思うのだけど」
……いや、ジェスの気持ちをう応援したいなど言い訳、ごまかし、二の次だ。本当は、興味。
空は「まだ覚えていたのか……」と困り笑顔で目を閉じ、しばらくして健康的な色をした唇を薄く開けた。
「あるよ」
口角を少しだけ上げる。
「小学四年の秋休み」
「ほっ。よかった……。これで好きな人なんて居たことねーよ!!! って言われたらどうしようかと思」
「まあ、その子、自殺しちゃったんだけどね」
その言葉に津島の動きが止まる。空は顔を上げ、笑った。
「言ってみれば失恋だよな。生まれてから今までで唯一好きになった人だった。
時間さえあれば一緒に居たくて、名前も知らなかったんだけど。お家で遊んでたときにキッチンから飲み物を取って部屋にもどったら、窓から身を乗り出してたんだ」
「……そう……だったんだ」
津島は、こくりとつばを飲んで瞳を揺らした。そのままぽつりと言葉を零す。
「辛いと感じた世界で生き続けなくて済んだんだ」
——幸せだね。
それはあくまで無意識的な呟き。
空が薄く目を見開くのを見て、顔から血の気がさっと引くのを感じた。慌てて口に手を当てる。
「ごっ、ごめんなさい空、今の。自分そこまで聞くつもりは無かったし、今偉そうなこと言った。ごめんなさい。どうしよう……自分、あの」
「は。い、いや。 いいよ別に」
「本当に、ごめんなさい」
深々とあたまを下げる津島を前に空はすこしだけ狼狽する。そこまで気にされると逆に困るのだ。しかしそんな気持ちは届くことなく、次に頭を上げた津島の目は完全に座っていた。
「許してとは言わないけど……その、自分も一つ告白をします」
「えっ、良いよ!! そんな」
焦って腰を上げる空の言葉など聞かず、津島は地面に寝かせていた刀を手にとり刃の部分を手首に当て、躊躇なく引いた。
一瞬の間のできごとに、空の反応も少しだけ遅れる。
「ばっ、ばかお前っ。 馬鹿野郎!! 本当にやる奴あるか!!」
草原に響き渡る声。傷は深いようで、間をあけることなく血があふれ出した。
大きな声を出すことしかできない空に反し、津島は小さく口を開く。
「……この“病気”は昔からなんだ」
震えたその声につられて言葉を飲みこんだ空は、改めて痛々しい傷口と地面に溜まっているであろう血に視線を向ける。そして目を見開いた。
血は溜まっていなかった。こぼれ落ちる血が、潰れた草の上に触れたとたんに消えていたのだ。まるで空気に解けるように、蒸発するように。
「図工の時間に彫刻刀って使わなかった? 一度あれで、指を切ってしまったの」
「い、痛そうだな。大丈夫だったのか」
酷かったはずの出血はわずかの間で収まり、最後に残った血を指で拭えば、そこにあったはずの傷口もさっぱりと消えている。
空が唾を飲みこむの音が聞こえて、津島は向けられる目を思い出す。とたんに怖くなったが、ここで話をやめるのは不公平だというものだ。渇いた口の中を必死に湿らせて口を開く。
「最初はみんなもそうやって心配してくれた。だけどこうして治ってゆく過程を見た瞬間、周りの子達や先生は手のひらを返して化け物を見るような目になったんだ」
「ああ、それで津島は昨日、一緒に行動することを謝ったのか。俺が気持ち悪がっていると思って」
他の理由を話す必要性が感じられなかった津島は素直に頷く。
「えへへ……そう。それでも無事でよかったと言ってくれたから嬉しかったんだ。ありがとう。
すでに空の知ってることを暴露しても釣り合わないとは思うけど、自分に暴露できることがこれくらいしか無くて。だから、その」
正座でうつむき爪をいじる津島に、同居人は手を近づけて口を開いた。
「ちょっと謝る場所違うんじゃないの」
「あいたっ」
顔を上げると、ちょうど額に空の中指が音を立ててヒットした。でこぴんというやつだ。
突然の衝撃へ間抜けな顔をする津島に、空は座り直しながら大きなため息をついた。
「話の釣り合いなんてそんな物、求めてないし、津島の重い」
「そ、そんなこと……あ。空、今津島って呼んで……!!」
「気にする所はそこじゃないだろバカ!! あ〜〜もう。呼んだら呼んだでこう反応するんだから……」
嘆息しながら顔を覆う手と、前髪の間から見える頬が赤い。
照れているその様子に津島が口角を上げたところで、空は顔を覆ったまま口を開いた。
「……自分の体が治るからって、扱いを粗雑にされたらすごい複雑な気分になる」
理由は分かれよ、言わなくても。という空の言葉に、津島は緩んでいた口を締めて目線を下げる。
「でも」
「でもじゃない。傷が治るからというのは、自分で自分の体を傷つけて良い理由にはならない。約束して」
「約束って……」
「自分の身は大切にしろ」
「め、命令形……」
下を向くの津島のつぶやきに、空は何も言わない。
しばらくの無言が続いた後、観念したように口を開いたのは津島だった。
「わかった。……ごめん。次から気をつける」
「よし!! 言ったな! じゃあ、もう十分休んだしそろそろ行こうぜ!!!」
ぱっと態度を変えて立ち上がる空に、津島はこくりと頷いた。
これ以上休んだら前に進む気力が無くなってしまいそうだ。
二人は鞄を背負い直し、草原と対峙する。
そこから、天が暗くなるまで歩き通した二人は、晩ご飯を食べた後直ぐにその疲れたからだを寝袋へ潜り込ませた。
しかし、空は寝袋の中でその身体を小さくよじらせる。
冴えきった目では寝ることもかなわない。羊は561匹まで数えた所で飽きてやめた。
隣の静かな呼吸音を聞きながらテントの天井を見上げ、昼の会話を思い出して内心でため息をつく。
(「津島と呼んで良い」と言ったのは向こうが先じゃないか)
今日の昼、その通りにした時の津島の顔が脳裏に浮かび、恥ずかしさに眉を寄せる。
心底嬉しそうな笑顔だった。
ボロが出たと喜んだのだろうか。今までの体勢を崩し、突然本心を伝えたがった自分を笑ったのかもしれない。
それでも「身体を大切にしてほしい」という彼の気持ちに変わりはなかった。
人にこんなことを感じるのは、失恋したあの日から今日が初めてだ。
(そういえば……)
空は目を開ける。
好きだった人の話を誰かにしたのも、今日が初めてだ。
今までずっと心の中に大切にしまっていた思い出を、なぜ今日になって吐き出してしまったのか、自分自身ですら理解ができないままうつぶせになる。
(心の中にあった問題が解決できていれば、あんなに真っすぐな子が生きることを苦しく感じるはずが無かったのに)
空の好きだった人は、空の育ての親の、友達の娘だった。
遠いのか近いのかわからない縁だったし、会って話した期間はたったの四日間だ。
同い年くらいの女の子だった。
素直で、真っすぐで、人の為に心から悲しむ事が出来て、自然と他人を引きつけるような人だった。
どれも空には無いものだったから、会ったとき心底羨ましく感じたものだ。
彼女は、彼の目の前で窓から飛び降りた。マンションの七階からだった。
姿の消えた窓に慌てて近寄って、下を覗こうとした瞬間 あわてて駆けつけた育ての親に両目を塞がれた。
「見てはいけない」
焦りを多く含んだその声は、少し灰色かかった空の記憶の中に、今でも強く焼き付けられている。




