3-4 チオリ
「エリギから48ラテマ……。いやー遠くまで来たな。このあたりか」
草がぼうぼうと生い茂る平原の中で、ダチョウのような魔物に乗った男がぽつりと呟いた。男の、肩甲骨あたりまで伸ばし緩く一つにまとめられた雀色の髪と装飾のついた赤茶の上着は、くすんだ緑の中で少しばかり目立っている。
男は身軽に地面へ飛び降り、魔物の身体を撫でる。そして「相棒、ここまでお疲れ。 なんかあったら逃げなさいね」などと声を掛けながら、丸い瞳をあたりへ向けた。視界を遮るものは遠くにぱらぱらと立つ少ない木程度。平たい地形からよくみえるその風景は
「いたって平和。 風も気持ちいい」
途中の景色と変わらずやな。と、男はつぶやく。ゆったりと移動している群れや、単体で昼寝をしているもの。休息で相棒の足を休ませた時、頭にぴょこんと飛び乗ってきた小型の鳥。
「話に聞いた凶暴な魔物らしいもんはどこにも…………」
武器のカバーが装飾品に当たる音を聞きつつ、男は草原をあてもなく歩き始める。そこでふと遠くを走る二つ分の人影を見つける。走ってきた方角からするに、森を抜けて平原に来たのだろう。
「……タフやな。あんなドでかい森を抜けても、走る体力が残ってるなんて」
しかし何故走っているのか? しかも、あんなに必死な形相で。と、男は眉を寄せる。遠くから見てもわかる程に、二人は目を見開き歯を食いしばって、死に物狂いという言葉がよく似合う様子だった。
もしかしたら、と男はもう一度確認するように辺りを見渡してにやりと口角を上げ、てこてこと隣へ並んできた相棒の手綱を掴む。
「見つけた!! 目標 !!!」
×××
自分が「なにか聞こえなかった?」などと言ったあの時が、全ての終わりの始まりだった。
津島は疲れで朦朧とした頭で、ぼんやりとそんなことを考える。今現在、津島和音と宓浦空は走っていた。 全力で。そう、とにかく全力で。
疲れた身体に鞭を打ち、悲鳴を上げる筋肉の声には耳を貸さず、好き勝手に成長した草を掻き分けてとにかく脚を前に運んでいる。
あんなに大きく広く感じられた森は既に抜け、今二人が居るのは地平線の先まで続く平原の端っこ。津島がちらりと右隣に視線を向けると、空はまだ余裕のある表情をしていた。それもそうか。と津島は思う。彼はここ一ヶ月、必死の想いで体力造りをしてきたのだから。
津島と空が必死に草原を走っている理由がさきほど述べた音にある。音は、全長1.5メートルほどある黄色い魚のような魔物の鳴き声だったのだ。そしてその魔物は 姿よろしく宙を泳ぐように動き回り、今現在津島と空を“姿を消して”おいまわしている。
そう、今二人は、見えない鬼と鬼ごっこをしているのだ。体力の限界が近づいている津島が声を絞り出す。
「ひぃ……もう無理」
「諦めんな!!! ここであきらめたら元の世界に帰っ」
どしゃり。派手な音を立てて、津島の視界から空が消えた。袖から露出した彼の腕が地面や草花とこすれて音を立てる。
「空、嘘でしょ!?」
見事な転びっぷりであった。津島は声を上げ駆け寄ろうとしたが、草の間を縫って進む音は着実に二人に近づいていて
「俺のことはいいから先に行け!!!!」
「死亡フラグ!」
ふざけてる場合じゃないでしょうと叫んだ津島は唇を噛んで刀を抜いた。完成する前に食い殺されてしまうかもしれないけれど。と空も魔法構文を唱えはじめた所で、津島と空の視界に別の魔物が躍り出る。
ダチョウに良く似た魔物の背には一人の男。
「敵の攻撃が躱せない状況で魔法構文を唱えるんはやめたほうがええよ。声の出所と魔力の流れで敵の注意を一斉に集めてしまう」
津島や空に比べると年齢が上に見えるその男は、雀色の髪を揺らしつつ空の隣へ降り立ち、腰に下げた武器を抜いた。
乗り手の居なくなった魔物がてこてことどこかへ走り去ってゆくのを見送りつつ、津島はごくりと唾を飲む。
「どっ、どどどどなたですか」
「ん、わたし?」
すごいどもりようやな。と笑いつつ、男は両足を肩幅に開き、武器を構えて言った。
「チオリ・ターナや」
瞬間、チオリと名乗ったその男は草へ武器を振り下ろした。草に当たる直前でなにかに弾かれる彼の武器を視界の端に、なんとか起き上がった空はドキドキとうるさい心臓を服の上から押さえる。
「死ぬかと思った……。あの人、誰なんだろう」
料理用の包丁をそのまま大きくさせたような武器を振り回す男、チオリ。姿が見えているのか、続けて繰り出される彼の刃に疲弊した黄色い身体はとうとう姿を現した。それでも諦めることなく不規則に宙を泳いで包丁を躱し、チオリの隙を見計らう魔物。彼はその動きをすでにわかっているかのように攻撃を繰り出し、あっという間に倒してみせた。
ガッツポーズをする彼に、津島と空は思わず拍手を送る。
助かりましたと頭を下げると、彼は魔物の尾っぽを掴んで大きく笑った。
「こちらこそ。あんさん達があの魔物から追いかけられてて助かったわ。いい目印になった。姿を消すって聞いとったから、どう見つけようか悩んどったんよ。このタイプの魔物は“ハズレの魔物”。眉間を刺したら空気になってしまうから、中枢に繋がる神経をズバン! や。肉を消さんで済む」
彼はそう言いながら、魔物を締めて袋に入れてから顔を上げた。
「あんさん達はどうしてこんなとこに? あっ、ちょっと待って、どっから来たか当てるわ」
答えようとした空を制しつつ、チオリは眉間に手を当てた。思わず津島と空は顔を見合わせるのをよそに、少しの間をあけて自信満々に口を開く。
「ツドやろ!!」
「俺たち、ブラウから来たんです!! エリギという街に行きたくて」
空の言葉に、彼の顔は目に見えて輝き始めた。
「わたしエリギの人間なんやで! 仲良くしよ! 名前は?? わたしチオリ・ターナ!」
ピョンピョン跳ね出しかねない様子へ気圧されながらも名乗る津島と空に、しかし彼はぷーっと頬を膨らませた。
「敬語やめやめ! 堅苦しいの苦手なんよ。ソラくんに、カズくんね。覚えた! エリギで待っとるから、途中でくたばらんよう気張ってな!!
さっきみたいに姿が見えない魔物は、風と草の動きをよーく見ると動きの予測も楽チンになるで」
片手をぱっと持ち上げて、いつの間に隣へ戻っていた魔物に飛び乗った彼はくるりと二人へ背を向ける。とりのこされた津島と空は地面にへたり込み、息を吐いた。
底抜けに明るい様子の男に合わせてテンションを引き上げていたせいで、波が引いた後の疲労が大きい。加えて脚を止めたら食べられるという危機感を背負い全力疾走を続けていた二人の体力はすでに限界を通り越していた。
座ったことで目線が草より低くなり、秘密基地に居るような感覚を呼び起こす。
「……お昼にしようか」
囁くよりも小さな声でそう提案をしたのは、津島だった。




