2-16 合わせられない視線
次の日の朝、津島は海からの聞き慣れない重低音で目を覚ました。寝ぼけ眼でカーテンの間を覗き見るも、薄暗い外の景色ににおかしいところはない。
いつのまにかそのまま床に寝落ちて、二度寝から目覚めた視界には明るい天が写り込んだ。
「あー、それ船の音じゃないかね」
仕事の最中、隣の畑で作業をしている女性が顔を上げた。
「そろそろ季節が変わる時期だから、風向きも海の方から山の方へ流れるようになるんだよ。しばらくしたらまた戻るさ」
「季節風なんですね。よかった。またなにかの爆発の前兆だったりしたらどうしようかと思いました」
「そういえば昨日の爆発音すごかったねえ!! 聞いた?」
続く雑談に応えつつのんびりと仕事を進めてゆく。そのペースが仇となったか、津島が仕事から解放されたのはお昼を十分に過ぎた時間帯だった。
空腹感の主張が激しいお腹を押さえつつ、畑の主人へと報告を行う。
給料を頂けば、もう自由の時間だ。少ない荷物をもっていつもの柵から外に出ようとしたときだった。
「カズ! ちょっと待って!」
突然ひっかけられた明るい声に、津島の足が止まる。声の主は赤茶色の髪の毛を跳ねさせて津島の隣に駆け寄り、少しの間肩で息をした。
この畑に住む一人娘のジェスは、そのまま勢い良く顔を上げる。
「呼び止めてごめん。えっと……さ、ソラが狩猟ギルドに入るって、マジ?」
「あっ、うん。本当らしいよ。ちょっと心配だよね。今まで剣すら持ったことのないような人が狩猟ギルドなんて」
津島の言葉にジェスは目を丸くする。
「嘘!! 剣すら持ったことがないって……もしかしてカズも?」
「うん、包丁なら沢山握ってるけれどね」
「学舎の授業で必修課題として設定されているから、絶対一回は持っていると思ってた」
「へえ。学舎か。…………あれ、そういえばジェス。こんな時間にここに居るっていうことは、今日は学舎おやすみなの?」
「ううん、やめたんだ。お金に余裕があるわけでもないし、勉強するべきことはしたつもりだからね。これからは畑の手伝いに専念するよ!」
そう笑ったジェスに、津島は少なからずショックを受けた。
見た所ジェスは津島たちとそう年齢も変わりない。高校生か、中学生程度だ。学校という共通のものへの、価値観の差異を強く突きつけられた気がした。
先日学問の街の郊外でフォーンが言っていたことは嘘ではなかったのだ。
「そ……それなのに空が仕事をやめちゃったのは残念だね」
「何言ってんの!? もう……。そういえば先日撮った念写。さっき完成体が家に届いたんだけど、ソラもカズも途中でどっかに行っちゃったから写ってなかったじゃん? だからまたみんなで撮ろうよ、あたしお金貯めるからさ」
「へえ、完成形になるまで、結構時間がかかるんだ。その時は自分も出すよ、三人で割り勘でって……どうかな」
恐る恐るの提案に、ジェスは「いいね」と頷いた。
「お金貯まったら声かけるから!! じゃあまた明日。気をつけて帰ってね!」
元気よく手を振り離れて行くジェス。取り残された津島はくすりと笑顔を浮かべて畑の敷地を後にした。
朗らかな笑顔の人が多い街中で一人難しい顔をした津島は、そのまま街の転送門施設へと足を向ける。目的は、花の街 メー・ウビウスで聞いた『星の街』に関する情報収集だ。
その途中で見覚えのある背中が視界に入り、津島はそっと駆け寄った。
「フォーンさん」
小さな呼びかけに振り返った軍人 フォーンは、直後ぱあと笑顔を柔らかくする。
「カズくん!! カズくんじゃないか。無事帰って来れたんだね。おつかれさま。今からどこかに?」
「転送門の施設に行く途中なんです。フォーンさんは?」
フォーンはそれに何かを考えるように一度目線を逸らし、にこりと笑顔を浮かべた。
「散歩かな。転送門って、また、どうして」
「あっ、えっと、星の街っていう場所を知りたいと思ったんです」
津島の言葉に、フォーンの表情がなにやら難しいものになった。
「カズくん、そこへ行くのは止めておいた方がいいかもしれない」
「どうして……ですか」
「理由を聞きたい?」
困り顔での問いかけに迷わず頷く津島へ、フォーンは仕方ないと息を吐く。
「場所をかえようか。時間は大丈夫かな?」
市場の合間を縫って歩くフォーンを追う。目に付いた店でなにやら食べ物を購入してゆくフォーンの背に、ふと自分も昼食がまだだったことを思い出した。
彼はふらふらと歩き回った後、津島達と初めて会った場所である港でその歩を止める。
「少し寒いね。休憩場所もそろそろ変え時かなー」
喋りながら海に足を垂らすように座り込むフォーンの隣に、津島もいそいそと腰を下ろした。
「フォーンさんの場合、休憩場所というよりはさぼり場所、なんじゃないですか?」
「あはは。間違ってない」
笑うフォーンにつられて笑う津島。
初めてここに来たときより幾分か風が冷たくなっているのは確かなようで季節の変わり目を実感する最中、フォーンが口を開いた。
「星の街は、バクサアロ領所属の街なんだ。遠いし国が違うぶん、転送門の使用量がかさばるし面倒な手続きがあるのさ。それと、もう一つ理由あるんだけど……絶対に口外無用でお願いね」
喋りながら取り出されたおかずの美味しそうな匂いをかぎながら、パスポート手続きのようなものかな。と飲み込みながらうなずく津島。
ふとフォーンの右手におにぎりが握られていることに気がついた。先ほどまで何も握られていなかったはずだ。一体どこから出したのか。
津島の疑問に気がつくこと無くおにぎりにかぶりついたフォーンは続ける。
「今、ウォルノール、バクサアロ間の空気が、なんと言えばいいか……すこしよろしくないのさ」
「緊迫しているってことですか?」
「いや、そこまでじゃない。ただ、ほんの少しだけぴりぴりしているだけなんだけれど」
一口飲み込み、鞄から新しく出したおにぎりを津島へ放る。
慌てて受け止めながらその行為の意味を伺い見ると、彼は垂れた目尻を優しく細めた。
「どうぞ。お腹すいてるって顔しているよ」
「あっ、ありがとうございます。いただきます! でも、ぴりぴり程度だったら行っても問題ないんじゃ……」
「普通の、ウォルノールの住民だったら問題は無いさ。現に行っている人は居る」
「なら――……」
「君は、普通かな?」
なにかを言いかけた津島を遮ってのフォーンの言葉に、津島は思わず息をのんだ。
自身の立場を忘れていたその不甲斐無さに気がつき、俯く。
「じゃ……ないですね」
「ね。僕も一応軍人だから、バクサアロ領に入ったりなんてしたら余計に刺激させてしまうかもしれないからついて行けない。ベニヒ達だってあんな“おっぺけぺえ”でやってるけど、暇って訳じゃないし。なにより転送費の問題が大きい」
一息
「だから申し訳ないけれど、せめて両国の空気が改善されるまでは行くのを我慢してもらえないかな」
「いっ、いえ! 申し訳ないなんてことないです!! 自分の立場も忘れて調子に乗ってました。すみません」
頭を下げる津島に、フォーンは悲しそうななんとも言えない表情をした。
「大丈夫かい」
「えっ、はい。大丈夫ですよ……? 何が……」
いまいち要領を得ない質問に、津島は顔を上げる。
その表情を見たフォーンは、突然おにぎりを口に押し込みはじめた。
「ふ、フォーンさん!? どうしたんで……す、か」
津島の背に、太い双腕が回された。とたんに津島の鼻腔を、ふわりと汗と塩と、陽の匂いがくすぐる。
温かな体温に包まれた津島は突然のことへ驚き、現状を理解する少しの間の後、羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。
口をぱくぱくと動かし、視線を忙しなく泳がせる。
「あっ、あの……フォー……」
「前にも言った気がするけど、大丈夫じゃないときに、大丈夫なフリをするのは止めた方がいい」
「え……い」
「ん? なんて言って…………えっ、ちょっとどうしたのカズ君!? 顔が真っ赤!!!」
身体から離れてゆく体温と、その匂い。少し寂しさを感じつつ、それに気がつかないまま津島はぷはあと息を吐く。
見た目は男でも、中身は男性経験皆無の華すらない女子高生なもので。と軽口を叩く余裕は無く、考えていたことはすべて吹き飛んでしまった。
なんでもない。大丈夫だという意味を込めて首を勢いよく横に振ると、フォーンは首を傾げつつ困ったような笑顔で口を開く。
「力になれないことが僕ももどかしくはあるし、すごく申し訳ないんだけれど……」
切れる言葉
二人の間を静かな波の音だけが包んだところで、フォーンは頬を掻き視線を海の方へ逸らす。
「あの……ちょっと照れすぎじゃないかな? こっちまで恥ずかしくなるんだけど」
「……すみません」
そして再びの静寂。顔を上げ互いの視線がかち合うも、その瞬間に二人して視線を逆方向に逸らす。
しばらく続いたその落ち着かない空気を打ち破ったのは、一人のやかましい笑顔だった。
「カズとフォーンさん! こんなところで何をやってるんですか!?」
空気を読まないその笑顔が、津島にとってこれ以上救いに感じられたことはおそらく今までに一度もないだろう。
二人が振り返ると、少し離れたところに大きな荷物を抱えた空とミヨが立っていた。随分と重たそうな荷物だ。それにフォーンが姿勢を変える。
「ソラくんとミヨちゃんじゃないか。 こんにちは。ちょっと世間話をね」
「世間話!? いいな!! 今度、俺も混ぜてください!!! じゃあ、これで!」
一瞬で通り過ぎる台風のように挨拶を残し、二人は津島たちに背を向けた。二人は本当に挨拶をするためだけに港の方へ降りて来たらしい。
再び二人になり、落ちつきを取り戻した空気の中。津島は今まで感じてきた感覚にポンと手を打った。
「……そっか。フォーンさんはお兄さんみたいなんだ」
そういえばパナーダに行く前も、同じようなことを思ったかもしれない。
「そのつもりで抱きしめたつもりだったんだけど、さっきのカズ君の反応は確実にそういう方面じゃなかったよね」
フォーンはそこで唐揚げを一口。眉を下げて照れたような笑顔を浮かべた。
「まったくもー、男同士でなにやってるんだか」
「慣れてないもので……すみません」
視線があわせられないのがなによりの証拠だ。
そこでフォーンはこほんと一つ、咳をした。
「さっきの話に戻るけど、カズ君はもう少し強がることを止めた方がいいと思うよ。さっきみたいな辛そうな笑顔を人前で晒すくらいなら、少し暗くとも本心を出してしまうくらいが絶対にいいさ。 癖だったりするのかな、そういうの」
「自分、そんなひどい顔してましたか」
「うん」
即答。そして一息。
「僕が久しぶりに兄のような心持ちで人を抱きしめたくなってしまうくらいにはね。……もうこんな感情になることはないと思っていたんだけれどな」
後半の声は、まるで自分に言い聞かせるためだけのような小さなささやき。しかし、津島の耳にはしっかりと入っていた。
なにかあったのだろうか。と思いつつ、頭をぺこりと下げる。
「気を使わせてしまってごめんなさい。フォーンさんは現状を教えてくださっただけなのに」
「いえいえ。僕に関して気を使わせることは問題ないから、気持ちを溜め込んでしまったときはいつでも僕に言ってくれていいさ……なんてね。
こう言ってもきっと相談なんてしてくれないだろうから言うけど、我慢のしすぎはよくないよ。一昨日の夜だって、それでカズ君爆発しちゃったじゃない?」
言われてすこしへこむ。
「本当、フォーンさんに迷惑しかかけてないですね……自分」
「ははは。気にすることじゃないさ。ベニヒ達に比べたら可愛いものだよ。……それにしても前髪のお守り、見つかったんだね。よかった」
「はい! 無事見つかりました。 ブラウに落としていたのを、拾ってくれた人が居たんです。ありがとうございます」
「拾ってくれた人? …………そっか。なんにせよよかったよ」
フォーンはそう言いながらよいしょと立ち上がり
「そろそろ帰ろうか。ご飯も食べ終わったしね」
緩やかな笑顔を浮かべた。




