2-10 著者の招待
「結構、広い」
はしごを降りきってのその呟きは、土の壁に吸収された。その壁に等間隔に並ぶ扉の脇には、部屋番号と名字が記された札が下げられている。
降りた先は、高さ四メートルほどの、土で出来た長く続く廊下のような空間だった。縦横入り組んだその廊下は、地上の華やかさとはうって変わって暗くひんやりとしている。
行き先を案内するような猫又に従って廊下を奥に進むと、一つの扉の前にたどり着いた。
「ここは?」
声をかけてみるも、返って来たのは「自分で考えて」と言いたげな知らん顔。
しかし、ノックする勇気も出ずただうろたえる津島の目の前で、突然扉が勢い良く開かれた。
「なにか?」
中から現れたのは身長130cmくらいの少女だった。明るいオレンジ色の髪を高い位置で縛っていて、無駄な装飾が一切無い白いワンピースを身にまとっている。
津島はあわてて両手を振った。
「あっ……いえ、あ、あの…………えっと。自分は! 別の世界の可能性について研究している人に会いたくて……! それで」
焦りのあまり喋る必要のない目的を喋り始めた津島に少女は眉を寄せる。
「なんだ、また学者さん? そうは見えなかったから違うと思ったのに」
「へ?」
「なによ、その顔。 世界構造学に関しては申し訳ないけど、今先生は人とは会われないから……」
「いい。入れなさい」
少女の言葉を、部屋から響く声が遮った。納得がいかないと言いたげな表情を浮かべ、津島をにらみつける。
「…………どうぞ。 あんたの目的の『別世界の可能性についての研究員』は、ここの奥に居るわ」
「う、うそ。ここが! もしかして君、知ってたの……?」
表情を驚きに染め上げた津島へ、猫又は小さく声を漏らし躊躇いなく部屋へと足を踏み入れた。津島もあわてて後ろに続く。
津島の上げられた部屋は、日本の三人家族が住むようなアパートの一室と同じくらいだった。しかし、見たところ床面積のほとんどは本やら紙やらで埋め尽くされていて埃っぽく、健康的とは言い難い。
リビングルームもその様子は本は積み重ねられており、その最奥で一人の老人がデスクに座っていた。その威圧的な雰囲気に気圧され、津島はごくりと唾を飲む。
老人が顔を上げ津島を視界に入れ、ゆっくり口を開いた。
「はじめまして。随分とお若い学者だ。 私がシフォー・カロユ。一体何を聞きに来た」
津島の足下に猫又が座る
「じ、自分は、津島和音と申します。でも学者じゃありません。 あなたの本をパナーダの資料館で読ませていただきました。それで、この街にその本を書かれた学者さんがいらっしゃるとお聞きして–– 」
「関係者でないのならばそんな畏まった喋り方を私にする必要はない。君が言っているのはこの本……あれ、どこだ? ちょっと待って」
老人が本の山を崩し始めた。
それを手伝おうかとおろおろしている津島に、扉を開けてくれた少女が椅子を引っ張りだす。
「これに座るといいわ。今お茶持ってくるから。先生。あの本はここ」
少女に礼を言う津島と老人の言葉が被る。老人は津島に謝りながら再び椅子に座り、こほんと咳をした。
「この本だな」
「は……はい。そうです」
その本は確かに津島が学問の街パナーダの資料館で読んだ本だった。津島は改めて息を吸う。
「初心者向けと勧められた本でしたが、全く知識のない自分には少し難しくて、その……」
「嘘でしょ? どれだけ頭悪いのよ。誰にでも分かるように書いたはずなのに」
その声は、予想だにしていなかった場所から上がった。
津島は一瞬動きを止め、声の出所である後ろをゆっくり振り返る。
お盆にお茶をのせた少女は、しまった。という顔をして立っていた。視線を戻すと老人も全く同じ表情をしている。
「つ……つまり、あの本を書いたのはあなた……ということですか?」
「そ、そんなわけないでしょう!! 今のは、あれよ! あれ! 誰でも分かるようにって書き直しのチェックをしたのがあたしってだけで……」
それに老人が口を開く。その口から飛び出した声は、先ほどまでとは打って変わった少年のような声だった。
「バッカ!! なにやってんの!! ロユはごまかしが下手すぎるんだって! 何も喋らないようにって決めたじゃないか!」
「うっさいわね! だって! わかんないなんてありえないわ、 あんな簡単な説明で!!!」
指をさされた津島が目を伏せる。
「ごっ、ごめんなさい……」
「別に謝らなくてもいいわよ! 誰にでも分かるように書いたつもりだったのに、分からない人が居たっていうのはあたしの説明力不足なんだから!! この馬鹿野郎!!!」
「ロユ!! 言ってることがぐちゃぐちゃ! 落ち着いて!」
「だってどうしてわかんないの!? あんなに簡単に書いたのに!」
キーッと、ハンカチを噛んでひきちぎる描写がされてもおかしくない勢いで詰め寄られ、津島は必死に頭を下げた。
「すみません。 でも、この世界に住む、多少知識がある人だったら分かる物だと思います。自分は、つい先日世界構造学の存在を知ったばかりのまだまだ無知、未熟者なので」
「はあ、どうしてそれでわざわざここまで」
「少し、知りたいことがあったんです」
「知りたいこと? ……ふうん。そう」
息を深くつき、落ち着きを取り戻した少女は津島に一歩距離を近づけた。
「騙して悪かったわね。あたしが、本当のシフォー・カロユ。カロユでもロユでも、好きに呼んで頂戴。こっちは従獣のインピィ」
その声を合図に、老人は音も立てず小さな狐に姿を変えた。その大きさは、津島の足下でおとなしく座り続ける猫又とさほど変わらない。
椅子に残された老人の服を床に放り投げながら、少女––シフォー・カロユは続ける。
「この子、見た目を変える力があるの。素敵な力でしょ。あたしはこんな見た目だから、こうして代理人を作らないと学者共に言うこと信じてもらえないのよ。この子が独断で人を家に上げるのもめずらしいし、きっとなにかあるんだわ。折角のご縁だし、知りたいことなんでも聞いてくれていいわよ」
諦めた様子で、先ほどまで老人の座っていた椅子にぽすんと腰掛けるシフォー・カロユに、かかさず津島は口を開いた。
「じゃ、じゃあ。自分はカズと呼んでください」
「ん? あなたツシマ カズネと言ったわよね。バクサーロ出身?」
「へ? バクサーロ……? あっ、いえ、違います。 自分はウォルノールのブラウに……」
「そう。ということは名字を呼ばれ名にしているの? そういう人初めて見たかも。で? 質問って?」
座り直したシフォー・カロユへ、津島は本題を思い出す。
「この世界と、別の世界との関係について聞きたいんです。配置的な意味での関係性を……」
「あー……なるほどね。確かに私の専門分野だわ」
小さな口に小さな手を当てて、シフォー・カロユは一度瞼を伏せる。
「配置に関しては様々な説が出ているけれど、全てが憶測の域から出ていないの。
別の世界に関する情報は案外いろんなところに転がっていると言われているけど、デマも多いからどれが本当か……。もしかしたら全部デマかも」
シフォー・カロユは喋りながらおもむろに本の山を作り始める。
「一番有力とされている説は、この世界と他の世界たちがぎっちりと並んで、また別の世界を作り出して居るんじゃないか、って説よ。
私たち人間はこの本の登場人物。本は世界。この本の塔があつまって、また新しい本を作り出している……ってことね。例え悪いかしら?
『神の宣言』を受けてからこの説を支持する人は急激に増えているの」
「……神の宣言?」
首をかしげる津島に、シフォー・カロユは信じられないと眉をしかめた。
「ちょっと、それすら知らないだなんて言わないわよね」
「ご、ごめんなさい」
「嘘でしょう!? それならあの本も理解できないはずだわ。すごいほっとした!! どういう環境で育ってきたのよ! 基礎の基礎過ぎて本にも書かなかったことよ」
声を荒らげた少女は、眉間を抑えふうと息をつき、椅子に座り直す。
「今から六年前の寒の季節。シフォルア街に神が降臨し、その際に残された言葉なの。『私は別の世界を知っている。世界は支え合って存在していることを、忘れてはいけない』」
「支え合って……」
言葉を反芻しながら、津島は本の塔を見つめる。
「この支え合った世界たちが触れ合う場所の、どこかに行き来のできる出入り口があるんじゃないか。って予測はあっという間に浮かび上がった。研究を進めるために様々な学者がそれを血眼で探しているけれど、それでもその場所は全く見つかっていないわ」
「そ、その出入り口から他の世界の存在がやってくることはあるんですか?」
津島の質問に、シフォー・カロユは動きを止めた。
「……ま、まあそうね。無いことは無いわ。“おそらくそう”と言われているものだけでも十はあるもの。人にそういった事例は起きていないみたいだけれど、楽器とかよくわからないものとか、いろいろ。道端にころりと落ちているらしいの。一番発見されてるのはシフォルアらしいわ。街の中に入れたら少しはなにか分かるのかもしれないけれど、限られた人しか入れないからまず難しいわね。私も入りたいけど未だ叶ってない」
シフォルア街。
この世界にある3つの国、ウォルノール国、バクサアロ領に続く一つだ。
とたんに難しい顔をし始めた津島を「パンクした」と捉えたシフォー・カロユは、気遣うように小さく口をひらく。
「まあ、神の宣言もしらなかった人が全部を把握しようとするのは難しいわよ。
私もべつに暇じゃないからいつでもって訳にはいかないけど、手紙でアポ取りしてくれたらこうして話にものってあげる。インピィが何を思ってあんたを引き止めたのか知らないけど、今までそういうことをしたことは一度もなかったから驚いてるのよ。これでも。だから……また会いましょう」
シフォー・カロユはそう言って、とても小さな女の子が浮かべるとは思えない優しい笑顔を浮かべた。




