2-09 花の街『メー・ウビウス』
フォーンが空の働いている畑に挨拶をしに行こうとしているその頃、津島は学問の街パナーダの転送門を前に大きく息を吸い込んでいた。
まっすぐブラウへ帰らずなぜこんな場所にいるのか。その理由は津島とフォーンの二人が無事森を抜けパナーダへ戻ってきた直後までさかのぼる。
「じゃあ、僕は一回役所の方に行ってくる。カズ君はメーに行きたいって言っていたよね」
舗装された歩きやすい道を進むフォーンは、役所の前で津島を見た。本泥棒の腕を縛り側に置いているため街の人の視線が集まっているも、その視線にフォーンが気がついている様子はない。強者だなあ。などと内心で呟きながら小さく頷く。
「はい。でも、ただのわがままなので……」
「種は僕が受け取って届けておくから、カズ君はメーに行ってくるといいさ」
思いもよらない提案へ弾かれたように顔を上げると、フォーンは緩やかな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「昨日の話を聞いたら、止める訳にも行かない。帰るのが遅くなるとも伝えておくから、ゆっくり手がかりを探しておいで。あと前髪のピンも探しておくよ。これでももの探しは得意なんだ」
言いつつフォーンは津島に一つの包みを手渡す。
「これは?」
「お金。 もしも向こうで泊まることになったりした時とか、一応あったほうがいいでしょう?」
「そんな! 大丈夫です!! これはフォーンさんのお金じゃないですか。自分のわがままなんかにこのお金は……」
「じゃあ君は、ここにあるお金を使えないという理由で折角掴んだ手がかりを水に流すのかな」
「それは」
「そんなのんびりしていたらいつまでたっても帰れないんじゃないかな。とは言っても野宿をしたからね。お金はそれで浮いた宿泊代があれば、足りるとおもう。僕のは念のためってことで持っていてよ。かわりにと言ってはなんだけれど、種を買うときに必要だから、申請するときに貰ったお札と証明書をちょうだい」
津島の手に乗せられた包みの重さはなかなかだ。気軽にやりとりできる金額ではないような気もしたが押し返すのも悪い気がして、渋々ながらフォーンに言われたものを渡す。
「ありがとう。確かに受け取ったよ。それじゃ、僕はまず軍人としての仕事をしてこようかな。怪我には気をつけてね」
傍で置いていけぼりにされていた本泥棒の女性がやっとそこで声をかけられる。
大きく振られたフォーンの手に見送られながら津島は一人でメーに行くことになり、冒頭に戻るというわけである。
メー・ウビウス・ベスク
花の街と称されるそこは、国境をなぞるようにしてそびえる山の中腹にある小さな村。どこもかしこも花で溢れ、村の中心を小川が流れている。
村と言う割に人が住んでいる建物が全く見当たらないのは、村が景観を重視しすぎた末に人が地下で生活をし始めた為。転移門、役場、総合施設といった主要設備以外は、すべて迷路のように入り組まれた地下のなかにある。
勇気を出して転送門をくぐった先にあったのは、木造の仄暗く狭い一室だった。見張りはおらず、門に合わせて天井が高く作られたその部屋の広さは六畳程度といったところか。窓のない部屋に申し訳程度に吊られたランプが、寂しく光を放っている。
「ブラウやパナーダは、大きなホールみたいな感じだったのに……」
街によって、その広さや形式はさまざまなようだ。一つしかない扉をくぐって廊下へ出て、土産物屋を視界の端に施設の外へつながる扉を開ける。
野外の明るさに一瞬目を閉じるも、目が慣れた瞬間にそこへ広がっていた景色に感嘆の声を上げた。
今までに見たことの無い、見渡す限り一面の花。山の中腹とあって傾斜のある花畑のなかを通り抜けるような土の道が、木の枝のようにありとあらゆる方向へ分かれて続いている。
あふれかえる甘い香りが鼻腔をくすぐり、小さなくしゃみが口から飛び出した。
デートスポットとしても評判が高いこの街は、年末を除き一年中カップルで賑わっている。
キキョウやツユクサ、ホオヅキ、遠くにはレッドロビンなど。見たことがある花に似ているものがあることに嬉しさを感じつつ、ときおり道ばたにしゃがみ込みながらもフラフラと道を進む。花は嫌いではない。父の住んでいた家の小さな庭に植えられた色彩豊かなそれを見るのは心が和らぐようで好きだった。
「さて……お役所さんは」
観光で来ているわけではないことを思い出し、両ほほを叩く。
立っている建物が少ないため目的の建物もおそらく見つけやすい。花に埋もれるようにして見える建物のうちどれかになるのだろう。まずはそこでここへ来た理由である『別世界の可能性』の著者について聞かねばならない。
そうして一歩足を踏み出した瞬間、今まで吹いていた緩やかな風とは比べものにならない強い風がぶわりと吹き抜け、歩いていたカップル達から歓声があがった。津島はお守りのない前髪が勢い良く持ち上げられるのを感じつつ、目を見開く。
花びらのカーテンが天に敷かれていた。
強い風にあおられた大量の花びらが、緩やかな傾斜を繰り返す地上から天へ巻き上げられているのだ。視界をうめつくさんばかりのそれに、津島は一瞬目をつむり再び開く。
赤、黄、水色、ピンク。さまざまな色が風に踊る様に湧き上がる気持ちは、桜の散り際が綺麗に感じるのとよく似ている。
それからぽっかりと口を開けたままだったことに気がつきあわてて閉じたのは、風も花びらも落ち着いた頃だった。見入っていたせいで花びらが一枚、舌の上に乗っていたことにもきがつかなかった。恥ずかしさを紛らわすように苦笑を漏らす。
——空も一緒に来れたら、楽しかっただろうに。
ブラウで留守番をさせてしまった同居人の姿を思い浮かべながら再び歩き始める。誰かと一緒にこの光景をみたかった。などという今のような思考を抱くのはいつ以来だろうか。懐かしささえ覚える感覚に口をゆるめながら顔を上げると、今度は視界の中心に一匹の黒猫が写り込んだ。
先ほどまではいなかったその姿。まるで花びらの間から突然姿を現したような印象に現実的でないものを感じ唾を飲み込む。
どこから差し込んでいるのかわからない光につやつやと毛並みを輝かせるそれは道の真ん中に姿勢良く座り、根元から二つに分かれている特徴的な尻尾を揺らしていた。宝石をそのままはめ込んだような双眼はまっすぐと津島を見つめている。
その猫が以前に会ったことのある猫だと気がつくのにさほど時間はかからなかった。津島がこの世界で初めてのお風呂に入る少し前。ブラウの家のリビングで起きた時に窓に立っていたあの不思議な猫だ。
ここ、花の街メー・ウビウスと港町ブラウは相当距離があるのではないかと疑問に思う。
「ここまでどうやって来たの?」
それに答えるように猫又は小さく鳴き、腰を上げてゆったりと歩き始めた。津島はその背をあわてて追いかける。
「ま、待って! ど、どうしてここに?」
猫にそんな疑問を投げかけても無駄だとは分かっていながら その後に付いて歩きかけたところで、猫又が座っていたところに光る何かが落ちていることに気がついた。
金属製の細いそれを拾い上げて、目を見開く。
「猫ちゃん、嘘! これどこで拾ったの!?」
駆け寄っての大きなその一言へ、うるさいなあと言いたげに猫又は鳴いた。その『銀色の細い物』は紛れもなく、なくしたはずであった津島の髪飾り、大切なお守りだったのだ。
猫又に必死に話かけている青年を、カップル達は通りすがりに変な目で見る。しかし今の津島にはそんなこと気にしていられる余裕は無い。
知りたい。どうしてこのお守りを猫又が持っていたのかを。まるで届けに来てくれたみたいじゃないか。その一心で、猫又の後ろを追いかける。
猫又はメインの通りから外れて、一段低くなった細い道をすいすいと進んでゆく。両脇には相変わらず綺麗な花。津島はその後を歩きながら、前髪にピンをとめ直しその安心感に息をついた。ずっと心の中で、お守りがないことに不安を感じていたのだ。
津島は前を歩く猫又の揺れる尻尾を視界に入れる。どこへ行こうとしているのか。
その疑問が浮かび上がったのを見計らうように猫又は立ち止まって、道の脇に近づいた。そこには木製の小屋がある。人一人入れば精一杯という程度の、大きさだけを言えば花火大会の簡易トイレを彷彿とさせる小屋だ。立ち止まった津島は、猫又の視線に意思を感じて小屋の扉に近寄る。
「開れば……いいの?」
そうだよ。はやくしなさい。というような可愛らしい一鳴き。一体この先になにがあるというのか。津島は自身の背丈よりわずかに大きい程度の簡素な小屋の扉に手をかける。躊躇いなく飛び込んだ猫又を追いかけ小屋のなかに入ろうとしたところで、しかしそれはできなかった。
津島は小さな悲鳴とともにたたらを踏む。
その先にはなにもなかったのだ。木の合わせ目から溢れる外の光が照らす小屋のなかには、机も椅子も棚も、そして床すらも。
猫又の姿はもう見えない。本来ならば床があるはずの場所を覗き込むと、地下深くに地面があるのが見えた。地下と地上を行き来する連絡通路のようなものらしい。
津島はこの村の説明を思い出しながら、床があるべき場所から垂れ下がるハシゴに触れる。この先に、この村民家があるのだろう。そしてどうしてかお守りを届けてくれた猫又は、さらにどうしてか自身をこのへ案内しようとしている。
高揚する気持ちを唾とともに飲み込んで、津島は小屋の扉を内側から閉めた。




