1-14 既視感 01
その日は特に変わりのない、普段通りの一日だと——そう、思っていた。疑うことすらしなかった。
「もーちょい左の人詰めてください! そうそう、すんませんねー!」
海に落ちた帽子を拾った津島へのお礼として遣わされた念写ギルドの好青年に従い、空は隣人に体を寄せる。
「じゃあこのポーズなんてどうよ」
「えーそれはちょっと遊びすぎじゃね? 念写だぜ、念写。もっと格好良く映りてえよ、なあソラ」
「はしゃぎすぎだって! 普通にピースじゃダメなの?」
揃いのポーズを決めようとする会話に混ざると、ふとその合間に小さな音が聞こえた。
『——て……か!』
隣の笑い声よりも大きく、しかし途切れ途切れに聞こえたその音は、空の体の奥底を冷たいどろりとした違和感で包みこむ。あたりを見渡しはじめた彼に、隣人は顔を輝かせた。
「どうした、ソラ。いいポーズ思いついたか」
「いや、今なにか……聞こえなかった?」
「なにかって——」
『やめるの! やめて!! 誰かっ、助けて!!!』
再び聞こえたノイズは小さな子供の悲鳴だった。「ほら、また」と声を上げる間も無く、ソラは悲鳴に引き寄せられるように地面を蹴る。呼び止める声へ「便所!!」と大きな声で答えつつ、彼は内心で問いかけた。お前らには今の声が聞こえなかったのか、と。
いつもは丁寧に開閉している柵を余裕なく蹴り飛ばし、「バカなことはよせ」と声を上げる本心にそっと蓋をした。
平原にちらほらと建つ民家の中、目につく大きい建物は三つある。二つはどういう用途で建てられたものか知らないが、一つは身寄りのない、また働く両親の代わりにその時間だけ子供を預かる児童養護施設だ。空はジェスから、そう聞いていた。定期的に顔を出しては子供と一緒に遊んでいるとも。空は迷わずその養護施設へ足を向ける。
遠回りになる砂利道には従わず、息を切らしてたどり着いた先に広がっていた光景へ彼は自身の目を疑った。
複数の軍人が罵倒を浴びせながら、一人の女児の髪を、腕を、体を掴んで、力任せに引き連行しようとしていた。女児は泣き叫びながらも保育施設の扉にかじりつき強い力に耐えている。
畑で聞いた声はその女児のものだと空が確信したちょうどそのとき、それまで軍人の足へしがみついて連行を止めようとしていた女性の職員が地面に蹴倒された。視線をずらせば泣きわめく他の子供達を必死にあやしている職員も居る。この場に居る軍人以外の誰もがおびえていて、そして揃えて今の状況が理解できないという顔をしていた。
痛いと、やめてと主張する女児に構わず狂った形相を浮かべる軍人たちへ、空は気がつけば叫んでいた。
「何してんですか!!!」
その声に軍人のうちの一人が顔を上げる。しっかりと絡み合う目線に、空は生唾を飲み込んだ。
フォーンと同じ制服を着た目の前の人の目は、おにぎりを美味しそうに頬張るあの人とは全然違って、なんだかギラギラとしているように思えた。
「あなたには関係のない話です。気にされる必要はございません」
「俺には、あなたたちが罪のない民間人を無理矢理さらおうとしているふうにしか見えません。同じ民間人として、関係ないようには思えないです」
軍人は失笑を浮かべる。
「罪のない民間人ですって? これは神に背いたシステムによって構成された命。罪の塊です。それをわかっていながらかくまっていたここの職員も、当然死罪に値します。この場で殺さずにいるだけでも、感謝していただきたいくらいですね」
喋りながら軍人は、先ほど引き剥がし地面へ転がした女性を踏みつける。
「事情もわからない一般人が、私たちの崇高な行動に文句をつける気ですか? その場合、あなたにも神に変わって罰を与えさせていただくことになりますが」
「な、なんでその子が民間人じゃないと? 普通の女の子じゃないですか」
「兵器人を普通と言ったな……? 罰当たりめ!! 神に変わって罰を与える!!」
軍人はつんざくような怒声で空の声を遮り、背負っていた剣を抜いた。切っ先を向けられた空は、震える指先に力を込める。
——やらかした。だから人に関わるのは面倒だと言うのに、どうして衝動で動いたんだ。死にたくないぞ俺は。
心の中で蓋をしたはずの冷静な自分が舌打ちをしたが、今ここで止めなければこれから先後悔するだろう。この世界にきたのは、あの軍人たちを止めるためじゃないかという気すらして、空は大きく息を吸い込んだ。
「意味わからないし、罰なんて受けない。お前らはなんの説明もなく丸腰の民間人に武器を向けるのか。 国民を守るべき軍人として最低であると思わないのか! ……この国の軍人は、この国は、そんな程度のものなんだな」
気分はまるで強い期待を裏切られた時の上司だ。対して思い入れもない世界の、たかが軍人数人に対してなぜそんな気分になるのか、空は叫びながら頭の浅い部分で思案した。軍人が格好いいと思ったことはあれど、期待など持ったことはないはずだ。なにせ持つような立場ではないのだから。
しかし、所属している国を罵倒したというのに先ほどより反応を見せないあたり、この施設を襲う軍人たちはどうやら国より神とやらの方が大切らしい。
かわいそうに。と、空は思う。神なんてものは所詮、心の弱い人間がすがりつく幻想にしかすぎない。そんなものに気を惑わされて。
後ろから走ってくる足音が聞こえるが、どうせ軍の増援かなにかだろう。空は視線をそらすこと無く一歩、施設へ足を踏み出した。最初からわかっていることだけれど空は丸腰。軍人をどうこうできる力はない。下手したらここで大けがをしてしまうかもしれないし、命を落としてしまうかもしれない。しかしふつふつと湧き出る自信を空は感じていた。根拠などわからない自信だ。それでもその自信は、今ならなににも負けることはないと空に強く確信させた。
——しかし、その自信は残念ながら振るわれることなく終わった。突然腕が強く後ろに引かれ、バランスを崩す。その合間に黒髪を一つに縛った男が空の前へと躍り出た。
普段よりまっすぐと伸びているその背中に、空は目を見張る。
「カズ!!」
「なにをしてるの空! こんなこと!」
そう大きな声を出した津島は、震える右手で鍬を握っていた。軍人がそんな津島を鼻で笑う。
「おやおや、増援かな。……何をするつもりだ? 農具程度で私たちに敵うとでも?」
「べつに、戦うとか、そんなつもりで来たんじゃないですし。 友人が迷惑をかけたようですみませんでした!!」
謝りつつも津島が鍬を降ろす気配は無い。経緯を察したらしい津島の目線は、軍人に襲われていた女児へまっすぐと向いている。
さきほど空に対して剣を向けていた軍人が、面白いものを見つけたと言わんばかりに顔を歪め津島に切っ先を向けた。互いに様子をうかがい合ってぴったり三秒。一気に距離をつめた大柄な剣が、なんのためらいもなく小柄な津島に振り下ろされる。唸るような風の音に空は最悪を感じて目を閉じた。
しかし津島は、それを持ち手で受け止め弾き返す。足を踏み出し、両手で鍬を振りかぶった。
「ッ……らァ!!」
鍬と軍人の頭骨が嫌な音を立てる。頭の側面を殴られふらついた軍人の頭を、そのままさらに金属部の付け根で殴り、ねじれた身体を元に戻す勢いで軍人を右から左に殴打。と同時に鍬は折れ、金属部分が殴られた軍人と共に軽い音を立てて地面に転がった。
普通の人が到底出せるとは思えない力で一人を殴り倒した津島は、そのまま肩で息をしながら視線を、未だ女児の髪を掴んだままの軍人に向ける。
それまで津島の背中しか見れていなかった空が、そこでやっと彼の横顔を見て、そして思わず息を飲んだ。
どうしてそんな表情が出来る。と
普段の自信なさげな表情、あたりをそっと伺うような瞳はすっかり気配を消し、代わりに引き上げられた口角は、そして爛々と輝く瞳は格下の獲物を値踏みしているようにすら見える。
一人の軍人が剣を抜くのを見計らって他の軍人達も剣を抜き、津島を取り囲むこと計五人。
津島はちらりと、解放された女児を見る。髪と顔をぐちゃぐちゃにしたその子は、泣きながら施設の職員に抱きかかえられて室内へ入って行く所だった。
よかった。と呟き、視線を再び軍人達に合わせた津島は唇を小さく動かす。
「一対五かよ。きたねえな」
「神への反逆者……、許し難い。この場で殺めるべきである」
「神の復活の刻になんて不吉なこと」
「神の居場所を隠したのはお前らか」
呟きつつじりじりと詰め寄ってくるそれらに、津島は首をひねる。
「神の居場所って、なんのことですか」
「シラをきる気か!? 髪に変わって罰を与えるぞ」
「シラもなにも、知らないって言ってんですよ。 一般市民に手を出す情弱が偉そうに、こちらの言い分は全然聞いてくれないんですね。さっきから少しだけ気になってたんですけど、その……神に変わって罰を与えるって何ですか」
津島は、重心をわずかに変えて一息。
「セーラー服着た美少女戦士の物真似かっつーの!!」
言葉とともに一番近くの軍人の左目へ、ささくれだらけの棒を押し付け右目方向へ薙いだ。断末魔の叫びのような声を上げるその人に、津島は笑いながらみぞおちを強く蹴り倒す。鍬だった木の棒は捨てて、地面へうずくまった軍人の手から慣れたように剣を奪い取った。流れるような動作で、射程内に入ってきた軍人の顔面に拳を入れる。
軍人の鼻は潰れて、津島の拳には血がついた。
後ろからその様子を眺めていた空はつい先日のことを思い出す。軍人におびえ裾だけでなく腕までも引いて歩いた震える手を。
「アアアアアアアアッ!」
頭の中の世界へ行きかけていた空は、軍人の大きな叫び声で我に返って目を見開く。一人の軍人が空の方へ切り掛かってきていたのだ。
完全に気を抜いていた彼は、その軍人が持つ刃に視線が釘付けになる。
「空!」
焦りの多く含まれた津島の声に応えるより前に気がつく異変。まるでコマ送りしているかのようにゆっくりと振り下ろされる刃に、空は目を細める。
同時に再び脳裏を走る自分への自信が、心から身体を伝い地面へと広がり周りの力を寄せて集めた。先ほどからちらほらと感じていた既視感をまぶらの裏に写して、目を見開く。
こういうのをなんと言ったか。
わき上がる自信と、覚えの無い記憶に揉まれ、空は力を抜くように息を吐く。
ああ、そうだ
「デジャヴか」
ぽつりと呟いたと同時に世界は速度を取り戻し、瞬間、目の前の軍人は弾かれたように遠くにまで吹き飛ばされた。
巻き上がるすなぼこりにシャツや髪を暴れさせながら空は、自分が起こしたであろうその現象に足元がぐらつくのを感じる。今日は驚いてばかりの一日だ。
津島も動きをとめて、驚愕の目を空へ向けていた。俺は同じ表情をお前に向けてやりたい気分だけどな。と内心で呟きつつ、どしゃりと音を立てて顔から着地した軍人を確認する。
すると今度は津島がずるりと、体の支えをなくしへたりこんだ。
「なっ、カズ!? 大丈夫??」
「だ、大丈夫。でも今、自分は」
その様子に、空は彼の“スイッチ”が切れたことを確信した。どうしようかと辺りを見渡す。二人に剣を構える軍人はまだ残っている。
空はもとから戦う術を持っていない上、先ほど軍人が目の前で吹き飛んだ時から、頭がぐらぐらと揺れまっすぐ立つのが精一杯になっている。逃げることもできそうにない。どうしようかと焦りを感じ始めたとき、遠くから大きい声が空の耳に入りこんだ。
「そこのウォルノール軍、何番隊だ!! 必要以上の行動は控えろ!!」
その声は空も津島もよく知っている人のもの。声を聞いた目の前の軍人達はぴたりと動きを止め、先ほどまでの暴言が嘘のように愕然とした表情を顔に浮かべて、おとなしく剣を下ろした。
走って来た彼は片手にビー球のような大きさの石を、もう片手にはおにぎりを持っていて。津島は垂れてきた鼻水をそのままにその名前を呼んだ。
「……フォーン、さん」




