1-13 灯台と季節風
「へえ、海に。じゃあ灯台は見えた?」
昨日の話に、ジェスは氷菓子を差し出しながら問いかける。それをありがたく受け取った津島は勧められるがままにひとなめして、頬を緩めた。さすが街の近くに住む女の子のおすすめ。甘酸っぱい美味しさに身体の中が冷めるのを感じつつ、津島は首を傾げる。
「灯台なんてあるの?」
「そ、海に向かって立つと右手に灯台があって、それを見るためにここへ来るひとも多いみたいだよ。デートスポットってやつだって、馬鹿みたい。あんなとこムードもかけらもないのにね」
仕事が終わるのを待ち合わせた二人は、特に目的もなく市場をぶらつく。初めて会った日から不思議と気の合った二人は、こうして遊びに出ることが度々あった。
本来ならば人付き合いが苦手で気を使い過ぎてしまう津島だったが、別世界の人という長く続かないことがわかっている人間関係にわずかに心の糸を緩めている。そうでもしなければ、やっていられなかった。気の張りすぎで死んでしまう。——そんなことで死ぬわけがないのだが。例えの話だ。
日本であれば携帯を片手に一人でぶらつく市場だって、情報をかけらも持っていない別世界のものとなれば話は別。
この世界の灯台は、どういう原理で光っているのだろうか。
身構えることをやめた津島は、好奇心が強い。
「あっ、あの。ジェス、自分も行ってみたいんだけど……どうやっていくの?」
「は、一人で行く気? せっかくだから案内したげる。そういうよくわかんないところで遠慮するとこやめなさいよね!」
氷菓子を片手に、ジェスは険しい顔で津島に人差し指を突きつけた。
空は留守番だ。ジェスから「馬鹿! あんたが来たら面白くなくなっちゃうじゃん!」という怒鳴り声を受け、抵抗なく帰ってしまったのだ。
照れ隠しだと気がつかない二人の関係がもどかしくも可愛らしいと、津島が少女漫画を読む気持ちで二人を眺めていることを当の二人は知る由もない。
食べきってしまった氷菓子のゴミを片手に市場を海側へ抜け、冷凍倉庫や造船所の間の坂を下る。
港へ出るやいなや先を進むジェスが「あれだよ、あれ」とある一点を指し示した。
その先、港の端には低くも、周りの建物からは抜きん出て高い塔がそびえていた。日本に伝わるものとそう変わらない形状から、天井を取っ払った外見をしている。雨が降らないのなら頷ける形だ。
男女ペアが多い中、自分たちもその一員であることに気がついた津島は申し訳ない気持ちになりながら灯台の下へ立つ。港よりわずかに高さがあり、緩やかながらも長い階段を上がってきた足はわずかに疲労を訴えていた。
特に灯台の上へ行くことができるわけでもないようで、なおさらここがデートスポットになる理由をわからなくさせる。
「ね、なんも面白みないでしょ」
辺りの様子に嘆息したジェスは、ふと人組のペアに目をつけた。
「見て、カズ。あそこ、お金持ちカップルだよ。念写ギルド呼んでる」
指差した先には白く大きなツバのついた帽子をかぶった若い女と、歩くたび音がなりそうな装飾をこれでもかとぶら下げた若い男。遠目から見ても裕福だとわかるカップルが、灯台を背に緩やかな微笑みを一人の男性に向けていた。微笑みを一身に受けるもう一人の男性は、両手でつかんだ穴の空いた木箱ごしに、一切動くことなくカップルを見つめている。
魔力によって発生した熱が、男の見た風景をそのまま特殊な紙に映し出す。この世界での写真的立ち位置のそれは、持ち金に多少の余裕がある人たちにのみ許された娯楽だ。
写真をうけとったカップルが互いに顔を緩め、男に金を渡すところまでを眺めた津島はへえと息を吐く。
「撮れるまでに時間がかかるんだね」
「ほんとそう! 新しい構文の導入により今までより安く、早いお渡しをお約束します! なーんて広告はあったけど、それでも高いし長いよね。もっと安ければ……」
ここで言葉を切ったジェスは、津島の視線に気がつき頬を染めた。
「なに見てんの!?」
「えっ、ごめん! もっと安ければ……なんだろうって。もしかして空と——」
「ああ。いや、別に大したことないんだけどさ。両親と三人での写真が撮れたのになって思って。畑が大きくなった記念に?」
ジェスの言葉に、なんとも馬鹿げたことを言いかけた津島は自分が恥ずかしくなった。うつむいて、ふと思う。
「あの畑が大きくなったのは、最近のことなの?」
「ん、そだよ。敷地はあったんだけど、人手がなくって。カズやソラみたいな働きに来てくれる人を集めはじめたのは四年前からなんだ」
その言葉が終わるのを見計らったかのように風の流れを感じ取った鳥がどこかで大きく声を上げ、直後海からの強い風が街へぶつかった。建物の守りがない灯台下で、その風は人を直接襲う。デートスポットにて上がる悲鳴のなか、ジェスが声を上げた。
「風波だ! 珍しい。そろそろ季節も終わりだからかな————あっ、帽子」
波のように押し寄せる風、風波は、漁港施設に当たり砕ける。必要以上に高く造られた施設たちは、この風から街を守る役割も持っているのだ。
天へ舞い上がった帽子は、宙を泳ぐように漂いつつ砕けた風に流されて沖の方へと落ちてゆく。その軌跡に、津島の体は反射で動いていた。
景観重視で低く設置された手すりを乗り越え、高台となった地面を帽子めがけて蹴り飛ばす。白くツバが大きく広がった女性用の帽子。誰の帽子かわからなかったが大切なものであれば濡らしたくはないだろう。全神経を尖らせて、肘を、腕を手を指を、帽子へ伸ばす。ツバに触れた。引き寄せて水の衝撃へ備える。
身投げに見えなくもない津島の行為へ起きた悲鳴の合間に、大きく豪快な水しぶきが上がった。
×××
「バカじゃないの」
一通り状況を説明した津島に身も蓋もない言葉を落としたのは、眠たげな瞳で棒付き飴を舐めるミヨ・トッペス。ぽぽーんの回復係その人だった。
「ぐう……言い返す言葉がありません」
港にずらりと並べられた船のうちのなかで唯一、家として使用されている一艘。ミヨ・トッペスの部屋にて、差し出された替えの衣服を素直に身につけた津島はうなだれる。袋に畳んだずぶ濡れの服を胸に抱える彼に、ミヨ・トッペスは津島に一つの椅子を指し示した。
宙で捕まえた帽子と共に海へ落下した津島は、暑さを奪ってゆく水に心地よさを感じながらも港の方へと泳ぎ、高台から駆けつけた男性たちに助けられながら陸へと上がった。その騒ぎを聞きつけたフォーンが慌ててミヨを呼び、今に至る。
「カズくんが身投げしたよ〜! うわ〜どうしよう〜! とか米粒撒き散らして騒ぐものだから、なにかと思えば」
「みっ、身投げなんてそんな!! するわけないじゃないですか。あんな低いところから飛んだって死ぬことはないですし……」
椅子から身を乗り出して否定する津島に、ミヨ・トッペスは失笑する。「反論するところはそこなんだ」
帽子の持ち主は、灯台の前で念写を受けていたカップルの片方だった。「お礼にできることはないでしょうか」と濡れた帽子を受け取った女性は、津島が慌てるほどに頭を深く下げたのだった。ミヨはその話に特に興味なさげに、しかし質問を返す。
「そのお礼にカズはなにを要求したわけ」
「ええと、写真……念写をお願いしました。一緒に居たジェスっていう子の家の……家族写真を撮ってください、と」
特に欲のなかった津島が、その選択を思いつくのに時間はかからなかった。しかしミヨは目を丸くして、大げさにため息をついてみせる。
「バカじゃないの……? 自分のことお願いすればよかったのに。見知らぬ土地で二人暮らししていて、不便がないわけないでしょ」
先日グルーンと組手をしたときにできた傷跡を診るミヨの頭頂部に、津島は返事をする。
「ないですよ。ベニヒさんたちから借りたお家とお金。空の家事能力で、びっくりするほど余裕のある生活を送れてます。なので……」
「ソラが料理上手で、カズに欲がないのはわかったよ。はい、終わり。腕もなんの問題もないようで、まだ頭濡れてるから風呂に入ってから帰りな」
ぺしと額を叩かれて、津島は目を白黒させる。
ミヨ・トッペスには話の内容はどうだってよかったらしい。要求の中身が違っていれば対応も変わっていたのだろうかと考えつつ、津島は深く頭をさげ口を開いた。
「どうして勝手に傷、治ってしまったんですかね」
「それはトッペスでもわからないかな。強いて言うならこの世界を作った人——神様なら、わかるんじゃない」
投げやりな答えを受けて、津島は視線を落とす。「かみさま」と、口の中だけでつぶやいた。
×××
次の日の昼過ぎ、いつも通りの仕事を済ませ帰ろうとした津島と空を、ジェスが慌てて引き止めた。
「もう少しここにいて欲しいんだけど! 昼過ぎに来てもらう話だから、もう少しで来るはずなんだ」
なんの話かわからず首をかしげる津島。対して空は「ああ」と声を上げた。
「もしかして念写ギルドの人?? 昨日カズから話は聞いたよ!! ずぶ濡れになってミヨさんに拉致られたんだって?」
「そっ、そんなに笑わないでよ……! 大切そうな帽子だったからつい体が動いてしまっただけで……でもそれと自分たちが残るのになんの意味が?」
「カズがくれたせっかくの機会だから、ここのみんなと撮りたいと思ったんだよ」
両腕を広げたジェスは、念を押すようにもう一度言う。「ここで働く人たちみんなで。だから二人も」
「なるほどな! 面白いじゃん」
「にしても驚いたよ。本当に二人『ぽぽーん』の人たちと知り合いなんだね。港にトッペスさんが現れた時は悲鳴あげそうになっちゃった」
「悲鳴あげるほどの人かな!? 確かに仏頂面でちょっと怖いけど……」
空の言葉に「バカだなあ」とジェスは肩をすくめた。
「『ぽぽーん』って、狩猟ギルドだけでなくありとあらゆる場所で有名なギルドなんだよ。そこの人たちと知り合うなんて、そうそうないんだから!」
「確かに、出会ったきっかけがきっかけじゃなければ絶対に知り合えない人だとは思うな!!」
「あの人たちの拠点があるからって、ブラウに越してきた人までいるくらいだしね」
話の合間にとうとうジェスは拳を握る。
「なんていったって狩猟ギルドの中で最高を示すランクを誇るギルドだし! 逆にあそこまでの実力を持っているのに、なんで軍に入らないのかがわからないんだけど、そのミステリアスさがまた良いっていうか!」
「へえ! 最高ランク」
空が食いつき、津島も目を見張った。強く見えるのはグルーンくらいで、他はみなそう筋肉があるようにも見られない。ギルドの人数だって少ないのに最高ランクなどとれるものだろうか。
結局呼び止められた理由である念写ギルドの人が来るまでジェスの話は白熱し、落ち着いたジェスは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ご、ごめん。なんか語っちゃって」
「いいよ!! ベニヒさん達の話聞けて楽しかったし。まさかそこまで有名な人たちだとは思わなかったからな」
「念写ギルドの方がいらした! みんな、一時作業を中断して集まってくれ!」
手を叩きながら畑へと現れた主人の後ろに、箱を抱えた一人の好青年がひっついている。彼はひとたび津島を見とめると、顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「やっす! 昨日の」
「あ……念写ギルドさん!すみません……今日はありがとうございます」
「いやいやこれくらい構わないっすよ! こちらこそご利用ありがとうございます。昨日のためらいなく海へ帽子を取りにゆくさま、めっちゃかっちょよかったっすよ! そいじゃあえっと、お嬢さん。昨日は畑を背にって話でしたけど……」
念写ギルドの青年の確認へ、ジェスは軽く頷いた。
「はい、家の方から畑を写して欲しいんです。 ここにいる全員で写りたいんだけど、できますか?」
「もちろんっすよ」
わいわいと賑やかに集まり始める人々に、津島は「この畑にはこんなに人がいたのか」とわずかに目を丸くする。作業を共にする人と会話をすることはあっても、全員が一箇所に集まっている場所を見たのは初めてだった。50人はいるだろうか。
念写ギルドの青年による指示に「はぁーい」とやたら要領のいい返事しながら横に並び始める皆を、離れた場所に立つ主人が柔らかい目で眺めている。それに気がついたジェスは主人を——父の背を押して一番前に座らせた。
「お、おいジェス」
「恥ずかしがっちゃだめ! おっとさんはこの畑の責任者なんだから、写る場所もここだよ。おっかさーん! こっちこっち!」
元気のいい声を聞きながら、津島も後ろにずらりと並んだ人の間に紛れ込む。
いつのまに空は隣からいなくなっていたが、いつもやかましい笑顔を振りまいている彼のことだ。もっと目立つ場所にいるのだろう。偶然にもぱちりと目が合った念写ギルドの青年は、縮ませる津島を微笑んでから皆に片手を上げた。
「最後の表情チェックは終えたっすかー? ほんじゃ、いくっすよ! 撮れましたというまで、身じろぎも瞬きも禁止っす。呼吸はちょっとだけっすよ」
大きく息を吸って、吐いて。青年は今まで浮かべていた笑顔を消して、箱へと向き合った。大切な儀式を行うかのようにそっと箱を右目に当てる。
「サンデア!!」
魔法構文の第一言目。それは写真を撮る前の一義式のようで、その場にいる全員が復唱した。精一杯の笑顔を目指した津島は、念写を終え隣の女性から指摘されるまで、自身の笑みがひきつっていたことにも、もそして空がこの場から姿を消していることにも気がつかなかった。




