第九話 呪われ辺境伯は、一生モノのフルコースでした
マクシミリアンは、執務室で怒りに震えていた。
目の前には、辺境伯領から返された、毒気を抜かれて廃人のようになった暗殺者たちが転がっている。さらには、「宣戦布告とみなす」とも書面もあり、マクシミリアンの顔は赤くなったり青くなったりと忙しかった。
「バカな!? 国で最強の暗殺部隊が手も足も出なかっただと!?」
暗殺者たちは何も言わない。ただ「死神が……死神が……」とうわ言のように呟いていた。
「くっそぉぉぉ! あのときお前がリーネを連れ戻していればこんなことにならなかったんだ!」
マクシミリアンは側近に向かって書類を投げつける。側近は何も言わず、ただ耐えていた。
暗殺部隊の失敗と宣戦布告の衝撃で、完全に余裕を失っているマクシミリアン。一人、また一人と彼に愛想をつかして、離れていっていることに気づいてもいない。
一方のルミナは、絶え間ない要請に、浄化の力がつきかけていた。ストレスと過労、そして浄化しきれなかった毒素の影響で、彼女の肌は土気色になり、自慢の美貌は見る影もない。
「こんなはずじゃなかったのに……。私は特別な聖女のはずなのに……」
自分に言い聞かせるように呟く。それでも着飾ることをやめない彼女の姿は、完全にドレスに負けていた。リーネを見て「みすぼらしい老婆のようだ」の笑っていたはずなのに、今やその老婆は彼女自身だった。
マクシミリアンとルミナは、乱れた王制の対策を立てるために会議へと参加する。そこで二人は、かつて自分たちに媚びていた大臣たちが、いつの間にか白い目で見ていることに気づいた。
「王太子殿下。このままでは政務が完全に停止してしまいます」
「早急な対応が必要となります」
「そんなこと、分かっている!」
ドンッと、マクシミリアンが机を拳で叩いた。
「では、陛下の毒殺未遂の件に進捗はありましたでしょうか?」
「それを調べるのはお前たちの仕事だろう!? 隅々まで調べるように指示したではないか!」
「その結果、何も見つけられなかったので、次の指示を待っている状況でございますか?」
「そんなもの! 自分たちでどうすればいいか考えればいいではないか!」
「……かしこまりました。次に毒の香の件ですが――」
大臣たちは、政務の滞りと毒物事件の責任を、次々とマクシミリアンに追求する。それに耐えきれなくなった彼は、ついに今までで一番大きな声を張り上げた。
「すべてルミナの力が足りないせいだ!!」
突然指をさされたルミナは、驚きに目を見開いた。
「それになんだ、その汚い見た目は!? それじゃあリーネと変わらないじゃないか! いや、きちんと聖女の仕事をしていた分、リーネの方が百倍マシだな!!」
ルミナの容姿を褒め称え、あれほど愛を囁いていた男の姿はもうない。マクシミリアンの目からはかつての情熱は完全に消え失せ、冷たく凍っていた。
「――はあ!? アンタの政治が悪いからでしょう!? 何一つまともに解決できてないじゃない!!」
ルミナの不満もまた、ついに爆発した。荒々しい音を立てて椅子が倒れ、ルミナが立ち上がる。
「自分が有能だと思ってるわけ!? そもそもリーネを追い出したのだってアンタじゃない!」
「なんだと!? お前がリーネは偽物じゃないかって言いだしたんじゃないか!」
「なんでもかんでも人のせいにして! 判断して行動したのは全部アンタじゃない!」
マクシミリアンとルミナ。二人の真実の愛は、極限状態であっけなく崩壊していく。周囲の目も忘れて、二人は互いを口汚く罵り合った。その醜態を冷ややかな目で見ている大臣たち。
「……リーネ様は、一言の文句も言わず、我々を毒から守ってくださっていたのだな……」
ついに大臣の一人が呟いた。後悔するように視線を落として俯いたその姿に、他の大臣たちも続く。
そんな地獄の会議場に、辺境伯領からの公式な書面が届いた。
「失礼いたします! アーセニック辺境伯より、至急の書面でございます!」
アーセニックという言葉を聞いて、大臣たちの目に緊張が走った。
「なんだこんなときに! 読み上げろ!」
「は、はい!」
マクシミリアンに命じられた秘書官が、一度書面に目を通す。そして驚愕と動揺が混ざった表情で、書面を読み上げた。
「『アーセニック辺境伯領は、本日をもって王国からの独立を宣言する』!」
震える声で読み上げられた内容に、大臣たちからどよめきの声が上がった。そしてその書面には、一つの肖像画は添えられていた。
王宮時代とは見違えるほど鮮やかに輝き、幸せそうに微笑んでいるリーネ。それを見たルミナは発狂して叫び声を上げ、マクシミリアンは自分の手から零れ落ちたものの大きさにようやく血の気が引いていく。
「――もう、終しまいですな」
誰かが静かにそう言った。
大臣たちは無言で互いの目を見て頷き合う。一人、そしてまた一人と、大臣たちが黙って席を立っていく。
「お、おい。お前たち、どこへ行くというのだ?」
大臣たちは何も答えない。ついに会議場には、マクシミリアンとルミナだけが残された。
誰もいない王座、どこか埃っぽい城内。湿ったような、淀んだ空気が満ちている。門の外には、武装した兵士たちが突入準備を始めていた。
「王家が国を担う時代は終わった! これからは我々の手で国を繁栄させるんだ!」
反王制派のリーダーの声が響く。地響きのような賛同の声が上がると同時に、王城の門は突破された。
――少しでもリーネを労わっていれば。
マクシミリアンのその後悔は、二度とリーネには届くことはなかった。
そして王城は反王制派によって制圧された。マクシミリアンとルミナは平民に落とされ、王都から追放。二人はいまだ互いを罵り合いながら、荒れた地を歩く。二度と手に入らない、輝く日々を思い返しながら――。
その後の辺境伯領はというと、王都の混乱をよそに、リーネの魔物料理と化粧水の交易で、空前の繁栄を遂げていた。人々の顔には笑顔が溢れ、町の中には子どもの笑い声が響く。人の往来で賑わい、道端には色とりどりの花々が揺れていた。
そんな城下を、カインとリーネは城のバルコニーから眺めていた。
「リーネのおかげで領地が賑やかになった。改めて礼を言う。ありがとう、リーネ」
「おいしい匂いが薄れたのは残念ですが……領地が栄えればそれだけおいしいものが食べられますもんね!」
「ああ、そうだな」
相も変わらず食欲に正直なリーネを言葉に、カインはおかしそうに笑う。それから表情を引き締めて、リーネの目をまっすぐに見た。
「……それに、俺自身もリーネには救われている。ありがとう」
「いいえ。こちらこそいつもおいしい毒をありがとうございます!」
「それだけの意味じゃないんだがな」。カインは伝わらない思いに小さく苦笑した。
「そういえば! 今日はまだカイン様の毒をいただいてませんでしたね」
リーネが手を差し出せば、カインは素直にそれに応じる。手袋を脱いで、ためらいなく彼女の手に触れた。
リーネの唇が指先に触れる。くすぐったいと言わんばかりに、カインは少し身動ぎをした。
「――最近、呪いが薄くなってきているようなんだ。この前うっかり花に触れてしまったが、枯れずに萎れただけだった。お前が食べ尽くそうとしているから、呪いの方がお前に怯えているのかもしれないな」
毒を吸い終えたリーネがそっと唇を話す。そのタイミングに合わせて、カインは反対の手でリーネの頬にやさしく触れた。
「呪いがなくなれば、俺はお前にとって『ただの男』になる。お前に食べてもらう理由がなくなってしまうのが、少し寂しいとさえ思うんだ」
カインの言葉に、リーネはきょとんとした表情を返す。そしてその言葉の意味を噛みしめるように考えたあと、彼女はカインの手の上に自らの手を重ねた。そしていたずらっぽく笑う。
「何言ってるんですか! カイン様の呪いがなくなるのは良いことじゃないですか! そしたら次は、死の森の毒を食べ尽くしちゃいましょう!」
「死の森はかなり広大だぞ? ……でも、そうか。そうするとお前は、一生ここにいてくれるということだな?」
「え!? こんなおいしい領地からわたしを追い出すつもりですか!?」
本当にショックだったのか、リーネの顔が青くなる。
「とんでもない。ずっとここにいてくれ、リーネ。――俺の隣にも」
「もちろんです! カイン様の呪いは、最高においしいですから!」
リーネを前にすると、どうにも上手く決まらない。それでもこれからゆっくりと口説き落としていけばいいかと、カインは思う。
「今日は新しく隣国から商人が来る予定でしたよね! どんな毒に出会えるのか楽しみです!」
「交易品の堂々と毒を持って来させられるのはお前くらいだよ」
リーネとカインが笑い合う。その日の風は、まるで極上のデザートのように、甘く爽やかな味がした。




