プロローグ
「はぁ……」
深い溜め息が薄暗い廊下に響いた。窓の外は暗く蛍光灯が通路を照らしているが、その床は濡れていて水溜りが出来ている。その通路をヒールを履いたブロンドヘアに赤いリップの白人女性が赤い派手なスーツ姿でカツカツと音を鳴らしながら奥へと進んだ。なにかの研究施設なのか窓の反対のドアには境研究室と書かれてある。それより先は誘導灯と階段がある。その階段の横に部屋がもう一つあり、そのドアは開かれたままになっていた。カツカツと音を響かせ、中に入って直ぐの横にあるスイッチへ手を伸ばし手探りでスイッチを入れる。
真っ白な光が全体を照らし、所々濡れた床の部屋があらわになった。そこにある研究室の机の上には書類と共にカップ麺の空が幾つも積み重ねられ、ブラウン管テレビはゲームオーバーの画面のまま止まっていた。テレビの目の前には床に直置きで赤い家庭用ゲーム機が古いカセットを差したままになってコントローラーは床に投げ出されたままだ。
「あずさ! 通路まで水浸しよ! それになにこれは?」
「ダナム!?」
「また会議をすっぽかしたでしょ」
ビーサンに短パン、ピンクのボブに青いウサギの半袖Tシャツ姿のあずさが奥からひょんと姿をあらわした。
「あんたね、女の子の自覚あるの? カップ麺のゴミは片付ける! テレビは消す! あと掃除!」
「まるでお母さんみたいに言うんだね」
あずさは呑気に頭をかきながら全く反省していなかった。何故こんな不潔でだらしない格好だというのに、彼女からは洗剤とシャンプーの香りがするんだろうか。足の爪は若いのにマニキュアもしていないし、ネックレスもなし。ピアスは自分が買ってあげた蝶のやつをしているのは知っているけど、正直それ以外を見たことはなかった。
「いつになったら綺麗になった部屋を見られるのかしら」
「うーん……そうだね、多分それは私がこの部屋からいなくなる時だと思うよ」
ダナムはあずさを見た。彼女に表情の変化はない。小柄で幼っぽい顔、首は細く、胸は……あるのかしら。
ダナムは豊満な胸を持っていた。男性の目線はいつも目線より下の方。単純な獣達。でも、素直で馬鹿な男が嫌いになったことはなかった。しつこいのと勘違い野郎が嫌いなだけ。
「学校は?」
「行ってない」
「高校くらいは卒業したら?」
「しない。意味ないもの。学校に行って一ヶ月もしない内に分かった。生きるのに必要なのは学力じゃあない」
「否定はしないけど、それじゃあ何をするつもり?」
あずさは突然両手を広げ言った。
「世界を救ってる」
「それ以外よ」
「それ以外にいる? お金は手に入る。好きなものもだいたい買える。物欲とかあんまりないけど」
「そうじゃなくて、それだけで後悔しない?」
「後悔?」
「人生何があるか分からない。悲劇は突然襲ってくるものよ」
「後悔か……あんま考えたことなかったや」
「でしょ?」
「でもさ、学校行かなかったのは正解だと思うんだ。学校行って勉強して将来の為とか言って遊ぶの我慢して死んだら後悔しかないもん」
「はぁ……あんたって子は」
あずさは特別な能力を持っている選ばれし者。世界で発覚している10人の一人。その《超人》が現れてから世界では大異変が起きた。それは霰のように次から次へと降りかかるように世界各地で起きた。アメリカのNYが突然浮上し、空に今も浮かび続けている。日本は富士山がどんどん大きくなり、まだ成長中。(山が成長中ってどういうこった)それと魔の三角海域に突然現れた海底都市、イギリスは年中霧に覆われ何も見えない、オランダは巨大な花が突然生え始め巨大な花畑と迷路のような森の場所となり、エジプトは今雪国になってオーロラが年中見れる。イタリアはローマ時代のローマになってしまい……とよく分からない大異変が襲ったのだ。《超人》と大異変にどんな関係があるのか分からないが、あずさは《超人》の最初の一人で水や海を操る能力を持っている。それは天候も操れる程。
……だというのに、この子にはその自覚がないというか。
世界で発覚している10人は政府によって監視対象になっている。といってもガチガチにする意味はないし、そもそも《超人》相手にそれは我々の科学力では不可能であってむしろ自由が与えられている。それどころか権限を与えることで協力関係を結んでいる。例えば条約とか。
その待遇は様々でドイツにいる《超人》は城みたいな豪邸で億万長者な暮らしをしている。というか大抵の《超人》はそうだ。だから、あずさみたいなのは珍しい。
彼女の権限は未成年でも飲酒と煙草と車の軽い違反は無視出来るというもの。
なんというか…… 。
「とにかく会議くらい出ないよ! あんたが出ないと怒られるの私なんだからね!」
「あんな眠いだけの会議、毎回出てる奴なんているの?」
「うっ……」
「顔に出てるよ」
「うるさいわね」
「そもそも全員揃ったことないじゃん」
「今回は四人出てたわ。あなたが出れば半数よ」
「少なっ」
「仕方がないでしょ。皆遊んでどっか行っちゃうんだから」
「なら私のこともほどほどに見てよ」
「そうもいかないわよ。あなた今年は議長でしょ。議長が会議に出ないってどういうことよ」
「ガバガバだな。ガハハハハハ」
「馬鹿言ってるんじゃないよ」
「ガバガバだよ。この世の中」
あずさは窓を開けた。その夜空には沢山の蛍が飛んでいた。
ダナムが日本に来てから蛍を見たのはここだけだ。多分、彼女の力の範囲蛍は生きてられるんだろう。その美しいと思える光の集まりは。
ダナムは分厚い資料のファイルを鞄から取り出すとそれをあずさに差し出した。
「はいこれ」
「ん?」
「今回の会議で出た資料よ」
「その辺に置いておいて」
「そう言って見てないでしょ。今回の議題は最近続出してるアンノウンについてよ」
アンノウンというのは簡単に言えば化け物。その形状は様々で直示的定義出来ない。
「あいつらどっから湧いて出てくるの?」
「調査はしているけどまだ判明には至っていないわね」
「あいつら強いから嫌なんだよねぇ」
「でもファーストであるあなたが一番アンノウンを退治しているのよ。政府はあなたに期待しているよ」
「期待されてもねぇ」
「世界のヒーローなのよ」
「いいよヒーローは」
謙遜というより面倒そうな感じで言うあずさ。だが、アンノウンを倒せるのは《超人》か核兵器ぐらい。
「とにかく資料くらい目を通しなさいよ。LAにも出現したんだから」
「アメリカ? あの国にはジェームズ・レーンがいるでしょ。奴が歩けば雷鳴が轟く」そう自分で言って爆笑しだすあずさ。
「それ単なる迷惑じゃん」
「ふざけないで。いい?新日米安保では《超人》は協力し合うことになってるでしょ」
「それ、勝手にお偉いさん達が決めたことじゃん」
「かわりに見返りがあるでしょ?」
「まーそうなんだけどさ。やる気しないんだよねぇー」
そう言いながらもあずさは渡されたファイルを開き機密情報に目を通していく。
2070年、LA。
海から現れた巨大なタコ足を持った怪物が上陸。百本の巨大な足は信号機を薙ぎ倒し、近くのホテルを破壊。悲鳴をあげ逃げる人々。
そこに雲一つない空からいきなり青い光が化け物へ落下、雷鳴を轟かせた。
人々は何事かと立ち止まり空を見あげた。太陽の光から現れたのは巨大な青い鳥、その上に乗っている一人の人間がいた。名はジェームズ・レーン。奴が歩けば雷鳴が轟く。歩いていないけど。
海パンにムキムキの上半身、首には十字架のネックレス、整った白い歯、金髪のスリックバック、そしてデカい(2メートルはある)そんなレーンは相棒サンダーバードを手懐け空から雷撃をぶっ放していた。
「サンダーバードって特急列車かよ」
「伝説の生き物でしょ」
あずさだって列車があるでしょとダナムは思ったがその言葉をのみ込んだ。
「知らない」
「元々は雷耐性のアンノウンをレーンがペットにたものなんだけどね。サンダーバードは単なるペットの名前」
「それで、ファイルにはその歩く稲妻おっさんはその陸に上がって迷ったタコを逃がしてしまったと」
「まぁ、悪意のある言い方はともあれそういうことよ」
「なんでタコのくせに雷にやられなかったの?」
「焦げたタコ足はトカゲの尻尾みたいに抜けて新しいのが生えたのよ。しかも、何故か数も増えて」
「は?」
「再生する度に足が増えていくのよ。レーンは考えなしにぶっ放してね。しかも米軍までミサイル攻撃。結果、発見時に確認した足百本が八百まで増えたわ。理屈は不明」
「ふざけんなよあのおっさん。厄介なことになってんじゃんよ」
「だから逃げられたのよ。攻撃は他のアンノウンと違って通りやすいのは分かったけど、レーンじゃあれを倒しきれない。そこであなたに要請がきたってわけ。会議では他の《超人》にもアメリカから要請していたけど、どうだろうね。なにせまとまりがないからあなた達は」
「それを言うなら大人達政治はどうなわけ?」
「中々痛いところ突いてくるのね」
「とにかくLAに行けと。なら水着を用意しないとね」
「Aカップ」
「なんだって!」
「あ、ごめん。つい心の声が漏れちゃったわ」
すると、壁がゆらゆらと揺れ始めた。まるで海面のように。いや、海になろうとしている。壁の中から魚が泳ぎ始め、そこからサメの背びれが壁から現れだした。
「ごめんごめんって。許してよ」
「あんまり調子に乗んなよな。私は政治になんて本当は興味がないんだから。でないとサメの餌にしちゃうよ」
これがあずさの《超人》としての能力。都会を突然海に変えてしまうことも、そこにいる人々を沈め溺れさせることも、しようと思えば出来てしまうのだ。それに、あずさが飼っている魚やサメは彼女の意思に従っている。
「流石ね。その力であのタコをあなたの〈水槽〉に入れて欲しいの。謝礼はアメリカから送られるわ。300万ドル、あなたの口座に振り込んでおく」
「私の貯金額知ってる? 日本の国家予算」
「えぇ、途方もない額なのは。それに比べ300万ドルは小遣い稼ぎにもならない。そう言いたいわけ? 報酬の交渉なら受けるけど、《超人》に自由が与えられていることも忘れないで頂戴ね。会議に出ないくらいは目を瞑れるけど協力関係であることは忘れないで」
「報酬はその10倍。私の〈水槽〉にあれを入れるのは嫌なんだから。可愛くない」
「分かったわ。それじゃお願いね」
「はいはいやればいいんでしょやれば」
サメの背びれが壁の中で沈み、ゆらゆらが消えた。
壁が戻ると、部屋が湿っぽくなった。天井から水滴がぽつぽつと落ちる。
(全く、いつになったら片付くんだかこの部屋は)
「プライベートジェットは手配しておくわ」
本当はそんなものがなくても彼女なら自力で海を渡れてしまう。だが、早く対処してもらう為にもゆっくりはしていられない。
LA18時。
タコ野郎が暴れ回ったであろう痛々しい光景は規制線の向こう側でそのままとなっている。その暗闇のLAの中で明かりがあるホテルへあずさとダナムが向かった。そのホテルのロビーでレーンと会った。
「やぁ来たな。まずはようこそアメリカへ! そしてLAへ!」
「あのタコは?」
「つれないなぁ。まぁいいや。タコは海に戻った」
「なんだ。無駄足じゃん」
「そうでもないぞ。軍が今タコを追ってるがここから離れていない」
「じゃ戻ってくる?」
「可能性は大だな。だから今のうちに避難警報を発令している。おかげでLAは大混乱さ」
「このホテルは?」
「政府さ」
「なる程。訊くけどさ、なんでタコは海に戻ったの?」
「海が恋しくなったんじゃないのか」
「つまり分かってないのね」
「そういうこと」
それからあずさ達はホテルの食堂へと向かった。日本とアメリカの国境があって、奥にスライドがあった。テーブルクロスの上には席が決まっているのか名札が置かれてあった。各々が着席してから食事が配膳されるまで15分、その間あずさは政府のタブレットを借りて例のタコの映像を見た。
「確かにタコだね」
タコと戦う米軍とレーン。攻撃が通じるというより再生して強くなってる時点で米軍は最前線から下げてもいいだろう、そんなことを思いながら、早送りしてタコが海へ戻るところまで確認した。
「タコが攻撃を受けて退避したというより、陸での活動時間に制限があるみたいな感じね。でなきゃあそこで撤退する理由にはならない」
それを聞いた向かいに座るレーンは頷いた。
「皆同じ意見だ」
「これからあのタコがまた向かってきたら私の〈水槽〉に落として沈める。これでLAの損壊は避けられる。それでいこうと思ってる」
「あずさの能力は便利だよな。俺はそれでいいと思うぜ」
そうこう話している間に前菜、それからメインはステーキが出た。アメリカといえばステーキみたいな印象はあったがそのまま出てきた感じだ。
「LAって何が有名なの?」
「タコスとか?」
「タコだけに?」
「は?」
「ごめん。忘れて」
食事はまずまずだった。料理人は政府が手配したものだから贅沢は言わなかった。食事中、スライドで色々な話が出たがあずさは興味がなかった。組織の一員という意識はない。自分のやる事は決まってる。あとのことは大人達がやるだろう。食事を終えるとあずさは米軍にタコの監視を任せ与えられた部屋に行き、シャワーを浴びるとベッドにダイブして眠りについた。
窓の外は軍用ヘリが飛んでいる。窓は少し開けたままでカーテンが風で揺れる。
時刻は4時をむかえた。内線が鳴りあずさはむくっと起き上がると受話器を取り耳に当てる。
「タコが動いた」
「あと何時間」
「30分もない」
「分かった」
あずさは部屋を出てロビーへと向かった。一階には物々しい雰囲気を素通りしてあずさは待ち構えていたダナムを見つける。
「軍用ヘリが外で待機してあるからそこから移動するわよ。目的地まで3分もかからないわ」
「そう」
「眠れた?」
「多少は」
「頼んだわよ。アメリカの運命はあなたにかかってるんだから」
「はいはい」
「俺もあとから行くからな」とジェームズ・レーンがやってきた。
「必要ないよ」
あずさはそう言うとホテルを出て待機してるヘリへと乗り込んだ。
ヘリが目的地に着くと道路のど真ん中であずさは一人降りるとヘリは再び上空へ飛んだ。
あずさはヘリがいなくなるのを見てからイヤホンを取り出し耳につけると音楽を流しだした。流れる音楽はテンションをあげるロックでもなければ落ち着かせるクラシックというわけでもアイドルソングでもない。昔みたアニソンを流している。
はぁ……面倒だな。
アンノウン上陸。接近。あずさ能力の展開。道のアスファルトが薄っすらと海の底のように見えだすと魚達が次々泳ぎ始める。彼女の水槽。規模、不明。アンノウンは気づいていないのか、それとも無視なのか、ともかくあずさへ直進を続ける。巨大なタコ足は海の臭いを辺りに漂わせながらあずさへ迫っていく。その直後、タコは足場を失ったかのように地中へと沈んだ?
(ここまでは作戦通りね)
タコはずぶずぶ沈み足をばたつかせるも、むなしくあずさの水槽へと沈んでいった。すると、水槽の中が突如として黒いなにかに覆われタコが見えなくなった。
(タコの墨?)
煙幕みたいな感じで使うなら分かるが今の状況でなにか異変でも?
(感じる……水槽の中にいたサメや魚があいつに殺されていくのが。まさか、無理やりにでも出るつもり?)
墨による暗闇から突如足が地上へ無数に飛び出してきた。
「しつこい」
あずさは左手の掌を下にし横へ水平に振った。その手の動きに合わせタコの足が切断され、アスファルトの道へ戻っていく。閉ざされた水槽にクラーケンのような化け物を閉じ込めるとあずさは一息ついた。
その数分後あずさのスマホが鳴り、ダナムからの電話に出た。
「お疲れ様」
「全くだよ。あいつのせいでこれ以上入れられなくなった」
「でも、水槽に入れたものはあなたのペットになるんでしょ? ならいいじゃない。強いペットが手に入って」
「嫌だよ。アンノウン相手にしか使えないじゃない」
「とにかく迎えに行くわ」
電話を終えた時、あずさは突然ガクッとその場で膝をついた。
(あははは……こりゃペットにするに時間かかりそうだ)
LAに出現したクラーケンのようなアンノウンを《超人》あずさが退治。しかし、取り込んだアンノウンの抵抗にあい従わせるのに二週間、彼女は能力の使用を制限することに。
その間、ジェームズ・レーンがアンノウン出現時対応することとなった。
13時、北海道、快晴。
「派手にやろうぜ!」
サンダーバードの背に乗ったレーンは出現したアンノウンを雷撃をもって追撃していた。
出現したアンノウンは巨体な人面猪は草原を駆け、避けた雷撃は地面を抉り穴を開けていく。しかし、それも数回でその次には雷撃が命中した。
「足に自信があろうが雷撃からは逃げられないぜ」
地面猪はビリビリしながら倒れると、更に雷を落としていく。
「派手に散れ」
アンノウンが動かなくなり完全沈黙に時間はかからなかった。
「なんだもう終わりか。随分呆気ねぇ。歯応えのある敵じゃなきゃ雷落として終わっちまうよ」
《超人》そう呼ばれる選ばれし者はアンノウンに対抗出来る力を持つ。
「あれがジェームズ・レーンか」
遥か遠くの上空、黒いローブにフードを深々と被った何者かが飛んでいた。




