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赤い鉄壁:スターリン要塞で迎え撃て  作者: 柴 力丸


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1940年3月:バルトの静かなる淪落

【1940年3月・リガ(ラトビア)、タリン(エストニア)、カウナス(リトアニア)】


 フィンランドとの冬戦争が終結し、その結果がヨーロッパに衝撃を与えていた頃、バルト三国──ラトビア、エストニア、リトアニアの各国政府には、モスクワから一通の「友好的な提案」と題された最後通牒が届けられた。それは、春の陽光が差し込む外交文書とは裏腹に、鉛のように重い死の宣告だった。


 その文面は、表面的には穏やかで、バルト三国とソ連の長年にわたる友好関係を強調し、相互の安全保障と経済的な繁栄のための「新たな協力関係」を提案するものだった。しかし、その行間には、フィンランドで見せつけたソ連の圧倒的な軍事力と、拒否した場合の明白な結末が暗示されていた。まるで、差し出された友誼の手に、隠された刃が握られているかのように。


 最後通牒の核心は、各国で「自由かつ民主的な国民投票」を実施し、その結果、賛成多数となれば、バルト三国はソビエト連邦の連邦国家の一部となる、というものだった。ソ連は、この措置が各国の労働者階級の意思であり、資本主義の搾取からの解放であると主張した。その言葉の響きは、甘美な約束のようでありながら、強制された隷属の響きを帯びていた。


 バルト三国の政府は、この「友好的な提案」の真意を理解していた。それは、独立国家としての終焉を意味する、拒否できない要求だった。フィンランドの勇敢な抵抗も、結局は領土の一部を失い、ソ連の影響下に入らざるを得なかった。バルト三国には、そのような抵抗をする力も、国際的な支援も期待できなかった。もはや、残された道は一つしかなかった。


 各国政府内では激しい議論が交わされたが、最終的に、流血を避け、国家としての形態をわずかでも残すという判断が下された。ソ連の「提案」を受け入れ、国民投票を実施するという道が選択されたのだ。それは、プライドを押し殺し、国家の存続を選んだ苦渋の決断だった。


 そして、その国民投票は、ソ連の周到な準備と監視の下で行われた。投票所には、親ソ的な活動家が配置され、宣伝工作が活発に行われた。反対意見を表明する者は、様々な形で圧力を受けた。自由な選挙とは名ばかりの、事実上の賛成票の積み上げ作業が進められた。広場には、ソ連のプロパガンダが書かれた横断幕が掲げられ、拡声器からは革命歌が響き渡る。国民の視線は、投票用紙から、冷徹な監視員の目へと向けられていた。


 結果は、ソ連が事前に用意した通り、「圧倒的な賛成多数」でバルト三国のソ連への編入が可決されたと発表された。リガ、タリン、カウナスの広場では、ソ連の国旗が掲げられ、新しい時代の到来を告げる祝賀行事が、半ば強制的に行われた。形式的な歓声と拍手の中に、国民の偽りの感情が混じり合っていた。


 バルト三国の国民の多くは、この「国民投票」の結果を冷めた目で見つめていた。彼らは、独立を失った喪失感と、これから始まるであろう新たな支配への不安を抱えながら、静かにその日を迎えた。フィンランドの戦いは、バルト三国にとって、自らの未来を暗示する苦い教訓となったのだった。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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