1939年10月:T-100改造~要塞戦の切り札~
【1939年10月・ハルキウ機械設計局】
ハルキウ機械設計局の一角、薄暗い製図室には、紙屑と図面が散乱し、埃っぽい空気が澱んでいた。設計主任ズブツォフが、新型戦車T-34の開発にかかりきりになっている中、その片隅で、フョードル・イェルモライエフ技師は、苛立ちと焦りの中で頭を抱えていた。
彼の目の前には、量産が中止となったT-100多砲塔戦車の巨大な車体設計図が広げられている。T-35の後継として期待され、一時はソ連重戦車の未来を担うはずだったこの車両も、スターリンが重戦車を次期主力戦車としない方針を決めたことで、早々に廃案となりかけていた。巨大で複雑な多砲塔戦車は、生産性も整備性も劣悪で、その将来は風前の灯だった。
「クソッ、このままでは全てが無駄になる…!」
イェルモライエフは、鉛筆を握りしめ、眉間に深い皺を刻んだ。ズブツォフはT-34に夢中で、T-100の残骸など、彼にとってはどうでもいいことなのだろう。イェルモライエフは、このT-100の車体を何とか活用できないかと、数週間前から考え続けていた。
その日の午後、イェルモライエフは、疲労困憊の顔で設計局長室のドアを叩いた。ズブツォフは不在で、副局長が彼を迎えた。
「イェルモライエフ技師、何かね? T-100の設計はもう終わりではなかったのかね?」
副局長の言葉は、イェルモライエフの胸に重くのしかかった。しかし、彼は意を決して口を開いた。
「局長代理! お忙しいところ恐縮ですが、T-100の車体を使った、新たな兵器の構想がございます。」
副局長は訝しげな顔でイェルモライエフを見た。
「新たな兵器だと? T-100の巨大な車体など、もはや何の役にも立つまい。」
「いえ、そうではありません! 重戦車としては確かに問題があります。しかし、この強固な車体と広い内部空間を活かせば、要塞戦で自走でき、要塞間を補助する形で砲撃できる対戦車自走砲として再設計が可能です!」
イェルモライエフは、熱意を込めて語った。
「現在、我々は強力な要塞線を構築していますが、固定砲台だけでは対応しきれない場面が出てくるでしょう。敵の機甲部隊が突破してきた際、その要塞線を側面から支援し、あるいは要塞間の空白地帯を補完する、強力な自走砲が必要となるはずです!」
彼は、机に広げた設計図を指差した。
「私は、T-100の車体に、海軍の130mm艦砲を搭載することを提案いたします!」
副局長の目が、大きく見開かれた。
「海軍の艦砲だと!? 無茶なことを言うな! あの巨大な砲を、戦車に乗せるというのか!?」
「可能です! T-100の車体は、その巨体ゆえに、十分な搭載能力を持っています。そして、この130mm艦砲の圧倒的な火力は、敵の重装甲を打ち抜き、要塞に迫る敵戦車群を一掃できるでしょう。自走砲化することで、迅速な展開と陣地転換も可能となります!」
イェルモライエフは、続けて提案の利点を力説した。
「これにより、T-100の量産中止で発生する膨大な開発コストと、製造済みの部品の無駄を最小限に抑えることもできます。まさに、既存の資産を最大限に活用する、経済的かつ戦略的な解決策だと確信いたします!」
副局長は、腕を組み、深く考え込んだ。彼の脳裏には、ドイツ軍の電撃戦がヨーロッパを席巻する映像がよぎっていた。ソ連が構築しようとしている「赤い鉄壁」も、万全とは言えない。確かに、強力な自走砲は、その防御を補完する上で不可欠な存在となるだろう。そして、何よりも、廃案寸前だったT-100を有効活用できるという点は、彼の心を動かした。
ズブツォフはT-34に夢中だが、この計画は、彼に負担をかけずに進められる。イェルモライエフが、この「捨てられた」T-100に、新たな命を吹き込もうとしている。
「…よかろう。君の熱意は認める。試作機の製作を許可する。ただし、他の計画に支障をきたさない範囲でだ。そして、性能が期待に満たない場合は、即座に中止する。」
副局長の言葉に、イェルモライエフの顔に、希望の光が差した。彼の提案は、ギリギリのところで承認されたのだ。廃案寸前のT-100は、こうして、要塞戦を補助する強力な自走砲として、SU-100Yへとその姿を変えていくことになる。それは、ソ連の窮状が、時に予期せぬ革新を生み出すことを示す、一つの物語の始まりだった。
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