1939年8月:スパイ戦
【1939年8月・ドニエプル川沿いの“治水工事現場”】
真夏の太陽が照りつける中、ドニエプル川沿いの広大な“治水工事現場”では、土埃が舞い上がっていた。ブルドーザーのような重機が唸りを上げ、巨大な土砂を運び、対岸にはコンクリート製の高い壁が延々と築かれている。壁には「ドニエプル治水、豊かな農地を」という巨大なスローガンが掲げられ、労働者たちの汗が太陽の光を浴びて鈍く光る。彼らの表情には、国家の建設に携わる誇りと、酷暑の中での重労働に耐える疲労が混じり合っていた。
その中に、ドイツ国防軍情報部のスパイ、ハンス・ミュラーが紛れ込んでいた。彼は、ソ連の労働者に偽装し、数カ月前からこの現場で働いていた。作業服の襟元から覗く首筋には、疲労困憊の労働者の証である泥と汗がこびりついている。彼の報告書には、「見たところ、大規模な川の浚渫工事と、そのための堤防強化にしか見えない。軍事的な施設らしきものは確認できず」と記されていた。彼の目に映るのは、ただひたすらに土を運び、コンクリートを流し込む作業の繰り返しだった。ソ連のプロパガンダ通り、単なる大規模な公共事業に見えた。
NKVDの罠とドイツの誤算
その数日後の夜、ミュラーは、夜陰に紛れて重工業人民委員部の地方事務所に忍び込んだ。闇に紛れて建物の裏手に回り込み、窓を巧みに開ける。彼の任務は、この大規模工事の真の目的を示す「秘密文書」を発見することだった。懐中電灯の細い光を頼りに金庫を破り、書類の山を漁る彼の指が、一冊の古びた帳簿に触れた。表紙には何も書かれていないが、ずっしりとした重みが、その内容の「重要性」を物語っているかのようだった。ページをめくると、幹部の名前と、工事費用から不自然に差し引かれた多額の金額が記されている。
「工事費用の横領帳簿」──ミュラーは確信した。これは、ソ連の腐敗を示す決定的な証拠だ。彼は素早く小型カメラでそれを撮影し、隠し持っていた無線機で本国に報告した。任務達成の興奮が、彼の疲弊した体に新たな活力を与えた。
モスクワ・NKVD(内務人民委員部)本部
ミュラーからの報告書と、彼が撮影した「横領帳簿」の写真が、モスクワのNKVD本部の高官たちの前で広げられていた。薄暗い執務室のテーブルには、書類の他に、冷めたコーヒーカップがいくつか置かれている。その中には、シャポシュニコフと密談を重ねた、あの“赤い秘書官”もいた。彼の口元には、満足げな笑みが浮かんでいた。
NKVD高官Aが、資料を見ながら皮肉げに言った。
「ドイツは相変わらずだ。我が国の『アーリア人は優秀』などと語る馬鹿は、いとも簡単に手懐けられる。まさか、こちらが用意した餌に食いつくとはな。」
NKVD高官Bが、嘲笑しながらそれに続いた。
「奴らは、我々を『腐敗したアジアの蛮族』とでも思っているのだろう。まさか、それが我々の情報戦略の一環だとは夢にも思うまい。」
彼らは、わざと横領を働く官僚を泳がせ、ドイツのスパイが「重要な証拠」と信じ込むような「帳簿」を、巧妙に“発見”させたのだ。その横領資金の一部は、秘密裏にT-34の追加開発費に回されるという、二重の皮肉がそこにはあった。ドイツが自らの優越性を信じ、ソ連を過小評価するその傲慢さが、まさに彼らの罠にかかる原因となっていた。
ベルリン・陸軍総司令部
一方、ベルリンの陸軍総司令部では、アプヴェーアの幹部たちが、ミュラーからの報告書を読み上げ、横領帳簿の写真を見て、満足げに顔を見合わせていた。彼らの顔には、ソ連の「劣等性」を証明できたという確信と優越感が浮かんでいた。
ドイツ諜報部長が、豪快に笑いながら言った。
「やはりな! ロシアの官僚はどこまで行ってもがめつい。大規模工事と言っても、所詮は幹部が私腹を肥やすための見せかけか! これでは軍事的な脅威など……取るに足らん!」
彼らは、ソ連の“治水工事”の真の規模と目的を、単なる「腐敗した国家による無駄な公共事業」と結論づけた。ソ連の「赤い鉄壁」が、水害対策という偽りの顔の下で、その鋼鉄の牙を研ぎ澄ましていることに、ドイツの軍事中枢は全く気づいていなかった。この誤算が、やがて来る東方戦線におけるドイツの運命を大きく左右することになるのである。




