1938年5月上旬:カナダからの回答と新たな制約
【1938年5月上旬・モスクワ 重工業人民委員部 本庁舎】
カナダへの打診から数週間後、モスクワの重工業人民委員部の執務室は、英国との交渉成功時の高揚感とは異なる、重苦しい空気に包まれていた。貿易人民委員部の担当者、そして外交部のモロコフは、カナダからの回答を記した電報を前に、沈黙していた。
モロコフが、電報を軽く机に叩きつけ、深い溜息をついた。
「……満額回答ではないな。いや、むしろ、かなり厳しい。」
電報には、カナダ政府の丁寧な言葉遣いの裏に、明確な牽制と拒絶のニュアンスが滲んでいた。
「同志委員。カナダ政府は、我々の『大規模治水計画』に対するアルミニウムの必要性を『理解』するとしながらも、要求された量の35%が限界であると回答してきました。『それだけの量があれば、ダム工事に必要な要求は十分賄えるだろう』と……。彼らは、我々の真の意図を察しているようです。」
貿易人民委員部の担当者が、悔しそうに報告した。その声には、自信満々で臨んだ交渉が、予想外の形で足元をすくわれたことへの苛立ちが隠せない。カナダは、アルミニウムの軍事転用を疑いつつも、ソ連との関係を完全に断ち切ることはせず、最低限の供給に留めるという、巧妙な駆け引きに出てきたのだ。
モロコフは、眉間に皺を寄せ、続けた。
「『貴国(ソ連)に満額のアルミニウムを輸出すれば、ドイツからもうちにも出せと言われますので』……と、わざわざ付け加えてきた。つまり、ドイツが我々のアルミニウム調達に目を光らせていることを知っており、中立を保つための配慮だと。だが、実質的にはドイツの圧力を受け入れたに過ぎない。」
その言葉に、部屋の誰もが唇を噛んだ。英国との交渉成功で得た一時の高揚感は、たちまち打ち砕かれた。ソ連がどれほど巧妙に「治水工事」という名目を繕っても、西側諸国は、その裏にある軍事的な意図を完全に信じているわけではないのだ。
「畜生め。やはり、誰も我々に都合良く資源を流してはくれん。」
モロコフは、吐き捨てるように言った。カナダの回答は、ソ連が「赤い鉄壁」を築く上で、外部からの資源供給がいかに不確実で、政治的な駆け引きに左右されるかを改めて突きつけるものだった。
この結果は、すぐにクレムリンのスターリンの耳にも届いた。彼の疑心は、さらに深まることとなる。
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