06 悪役令嬢
ひとまず真っ先に自分自身のことを考え、己がアリスターに巣食う悪霊の類でないことを確かめた。
さぁ、次よ。
私は異世界に転生したらしい。
身分は公爵令嬢であり、王太子の婚約者で未来の王妃。
ウィクトリア王国の地理やら、各領地についての情報も王妃教育のお陰で把握している。
この国の文明レベルは、やはり現代日本には至らないものの、魔法による生活基盤を軸としたウィクトリア王国を科学文明準拠で見るのはナンセンスでしょう。
現代知識とやらを使って王国を豊かにする……なんて話も後回しだわ。
前世の私は一般人だった。それも平和な時代に生まれた一般人だ。
ウィクトリア王国も平和ではあるけれど……。
軍備を整えて他国の侵略を防ぎ、対等以上に渡り合って交渉し、国同士の和平を保つために政略的な判断を下し……。
なんて国政に携わるレベルの立場は今世が初。
単に豊かな暮らしを実現するだけでは、武力によって奪われる可能性が否定できない事を私は理解している。
それに単純に私の周囲のことを考えても全く違うわ。
私は公爵令嬢で貴族の女だ。
侍女を始めとした使用人たちに日常生活を支えられていたりする。
日本の一般家庭とは、それだけで全く違うわよね。
「参考にしていいことと悪いことの区別が問題ね」
前世の生活が正しくて、今世の生活が間違っているなんてことがあるわけもない。
ましてや魔法のある世界と、ない世界では勝手も違うでしょう。
「あら。そう考えると何の役にも立たない記憶だったりする?」
まぁ、そんなものかしら。
前世の記憶があるだなんて、なんだか自然の摂理に反しているものね。
そもそも前世の私って死んだのかしら?
死んでないと今の私になってないわよね?
若くして死んだ……? 記憶ないわぁ。でも、そんなに歳を取った記憶もない。
意識が若いのはまぁ、今の私だからこそだと思うけど。
成人はしていたはず。でも、あんまりその自覚もなくて。うーん。
……誰かと悲恋で別れたりとか?
前世では結ばれなかったから来世で結ばれよう。
そんな誓いを立てたからこそ今の私が!
「……ないわね」
どころか恋人がいた記憶すらないわ。
考えれば考えるほど、役に立つんだか、立たないんだか分からない前世の記憶。
あまり引っ張られないように今世の『私』を頑張ろうと思う。
客観的な視点を得た今の私が自己分析をする限り、アリスター・シェルベルは優秀な人間だ。とてもね。
王妃教育も令嬢教育も厳しいものだったけれど、きちんとそれらを身に付けている。
この国には15歳以降に入学することになる王立学園というものがあるのだけれど。
入学前に、すでにその学園を卒業してもいいレベルの学力があると自負しているわ。
それでも私は王立学園に通う予定よ。
貴族や有力な平民の子らも通う学園は、交流を広げる場にはもってこいの場だと言える。
貴族的な考えで言えばね。
現代で言えば私立の高校のような場所。
でも細分化した学科を考えると、どちらかと言えば大学のような場所かしら。
「公爵令嬢なんて身分で、そんな学園に通うの?」
私の口を衝いて出たのはそんな疑問。
前世の記憶に刺激されたからこそ浮かんだ疑問よ。いや、だって身分社会の国よ?
それにウィクトリア王国の公爵家は、その血に王族の血も混じっている。
当然、王家の直系、王族と呼ばれる彼らこそが上位の王位継承権を持つのだけれど。
彼らのすべてがダメになった時、代わりに国のトップとして立つ権利を持っている……いわば『王家のスペア』のような家門が公爵家なの。
大公となる家はなく、そんな公爵家が3家門あるのがうちの国。
シェルベル公爵家は、三公爵の一家。
さらに王太子の婚約者でもあるから、今の私は準王族よ。
「学校に王族が一緒に通うとか息が詰まるわねぇ……」
一般人目線でそんな考えが浮かんだ。
だって日本で言ったら皇族が一緒に学校に通っているとかそんなレベルじゃない?
か、関わりたくなーい……。粗相をしてしまいそうで不安だもの。
もちろん敬意は払うけれどね。
だけど王子であるレイドリック様は私より先に既に王立学園に入られている。
周囲の生徒たちにだって侯爵家や伯爵家の者がいるし。
「そういうもの、かしら」
魔法準拠の文化だからか。
見た目や建築様式、人々の生活から考えると、前世の世界の、昔の西洋諸国に近いと思うのだけれど。
変なところで近代化されているような、そんなチグハグな国。
お陰様で過ごしやすいと感じるのはいいんだけどね。
貴族身分がありつつも、なんとなく雰囲気が近代にも近い……ような国。
そもそも明らかに別の世界だ。
その辺りは考えるだけ無駄と言えば無駄ではある。
月もあって、空に浮かんで夜を照らす月は一つ。
太陽も一つで、それらの色は地球と変わらないと思う。
思い出すに月の表面の『模様』は違ったわね。
前世でお馴染みのうさぎさんのような柄じゃなかったわ。
宇宙ごと違うってことでいいのかしら。壮大な話ね。
「今の私が一番に気にするべきことは、やっぱり魔法かしら?」
魔力を感じることが出来る。でも、それは『当たり前』のこと。
魔法を使うことも出来るわ。そして、そこに感動はやはりなく、当然のものと受け止めている。
生活基盤に用いられることから、水系と炎熱系が一般的によく研究されているの。
日々の生活を照らす『照明』類は、電気じゃなくて、そのものズバリ『光魔法』に属するものね。
光魔法は、よくゲームなどであるような『聖なる魔法』ではなく、光そのものに関する魔法になる。
「……電気系、発展していないわね? この国」
この世界で『回路』と言えば魔法回路だ。
それは、ある意味で電気基盤と似たような役割を果たす。
魔道具によって照明を点ける場合、魔石という『燃料』から魔力が回路を伝わり、照明を照らす。
「……雷魔法。作ったら天下取れそうだわ」
護身用として開発しておくのは悪くないかも。
スタンガンとか、そういう類の出力の雷魔法よ。
大規模な雷魔法となるとコントロールに不安がある。
「まぁ、新しい魔法の開発は近い内に考えるとして」
魔法開発にのめり込んでいたら未来の王妃はやってられないもの。
でも、この世界にない、そして前世では出来なかった新しいことに挑戦する。
そういうのは『楽しい』と思うわ。
なら前世の知識も悪くないわね。
王妃教育を受けて今まで何も疑問に思わずに過ごしてきたけれど。
なんだか未来が明るくなったみたい。
やりがい、生きがいと言うのかしら?
……うん。幸先がいいんじゃない?
なんだか昔みたいに自由になれた気分。
でもね。
そんな明るい気持ちになれたのは、この数日ぐらいだったの。
定期的に開かれている婚約者のレイドリック様とのお茶会があって。
私は今回もそのお茶会に参加するため、王宮を訪れていた。
そしてレイドリック様は……その席に顔を見せなかった。
「……そう言えば」
レイドリック様が学園に入学されてから、私たちは疎遠になっていたわ。
教育を受けるのに忙しくて、色々と彼に気を向けていなかった気がする。
レイドリック・ウィクター様。
王国の第一王子殿下で、私の婚約者。
私たちの婚約は政略で、王家が彼の後ろ盾を欲したから成ったと聞く。
でも私はそれで良かったわ。
レイドリック様のことを私、お慕いしていたし。
「レイドリック様は今日、何か別にご予定がおありだったかしら?」
「い、いえ、それが……」
王宮の彼付きの使用人たちが恐縮して震えている。
というか怯えている? 私に?
「別に怒っていないのよ。確認しただけだから」
「は、はい」
あら? 私、婚約者に約束をすっぽかされてるの?
王太子殿下と、公爵令嬢。たしかに身分差はあるけれど、蔑ろにされても怒れない立場か……。
ううん。普通に怒れる立場で身分よね? 公爵令嬢は、けっこう上の身分よ。
なんだか自分のことなのに客観的になってしまうわね。
とりあえず、もう少し待っても来られないようなら、言伝だけ頼んで帰りましょうか。
幸いお菓子や紅茶は用意していただけたし。
考え事も多いから、彼が来ないのはむしろ助かるかも。
そして、私は王宮で用意された美味しい紅茶を嗜みながら思考に没頭する。
思い浮かべるのは私自身ではなく婚約者のレイドリック様だった。
(……あら?)
レイドリック様のことを頭に浮かべながら、モヤモヤした何かの予感を必死に手繰り寄せた。
考えて、考えて、そして私はある答えに辿り着いたの。
気付いたキッカケはレイドリック様のご容姿。そして名前。
私自身の名前や、彼の近くにいる高位貴族令息の名前と顔。
それに同年代の主要な人物たちの家門や名……。
それらを思い出して、記憶にあるものと照らし合わせて。
気付いたの。
ここ。これ。
私。私は。この世界は。
「……悪役令嬢じゃない、私って」
ここ、ただの異世界じゃない。ここは……乙女ゲームの世界よ。