40 シェルベル公爵家
「お帰りなさいませ、アリスターお嬢様」
「ええ。ただいま」
それなりの数の使用人たちに出迎えられ、私は公爵家の邸宅へと帰ってきた。
流石と言うべきか、私の部屋は、数か月の主の不在にも関係なく、綺麗に整えられている。
贅沢な家よね……。
きっと私は、誰よりも恵まれている生まれだろう。
政略結婚に不満を唱えるなど罰当たりなぐらいに。
それどころか、本来は好きな相手で、そして、この国の王になる相手と結婚する『予定』だった。
「お嬢様? どうかされたのですか?」
「いえ。今までの私に掛かった『費用』はどれぐらいなのかしら、と思ってね」
「費用ですか」
公爵令嬢としての境遇、受ける教育にかかった費用。
さらには王妃教育にかかった費用と時間まで。
王家と公爵家の縁談が破談になどなれば、その影響は計り知れないだろう。
ただ今の境遇から逃げることなど、許されるはずもないほど。
気持ちの問題だって、努力次第で乗り越えるチャンスがある。
生憎と今の段階では私の一人相撲のようだけれど……。
レイドリック様の『アリスター』へのわだかまった感情。
その正体は一体何なのかしら?
彼が学園に入学する前までは、それなりに私たちは仲が良かったと思う。
変化が起きたのは彼が入学してからだ。
レイドリック様は、学園で何かを吹き込まれたのか。
令嬢たちの中には、私を蹴落としたいと思って彼に近付く者だって居るだろう。
シェルベル家とは違う派閥の人間も居るはずだ。
そんな彼らの意見を受け入れ、私を疎んじるようになったのか。
……でも。
レイドリック様の本質は変わっていないように思う。
それは『アリス』として彼と言葉を交わすようになったから。
流石に昔の私のようには扱わないけれど。
そこには、どこか、だんだんと情熱のようなものが湧き始めている……気がする。
ただただ昔の私のような女が、彼の好みなだけなのか。
そうでなくなった『アリスター』とは、もう再構築する気も起きないのか。
「……いやになるわねぇ」
アリスへの厚遇の裏にアリスターへの冷遇が見え隠れする。
いっそのこと『私』のことなど忘れ去って欲しい。
あくまでアリスとして新たな関係を築ければ。
「アリスターお嬢様。本日は、旦那様、奥様、それからジーク様と晩餐を共にするようにと仰せです」
「……わかったわ。久しぶりだものね。食事くらいは一緒に摂らないと、ね」
さぁ。どうしても避けられない『攻略対象』と対面する時よ。
◇◆◇
「──お父様、お母様。そしてジーク。ごぶさたしております」
私は、家族で一番遅くに食堂へ訪れた。
家族用に造られた場所。長テーブルの一番奥の席には、お父様が座っている。
その隣、少しだけ距離を空けた場所へは、お母様が。
義弟ジークが座っているのは、テーブルを挟んだお母様の反対側。
私が座るのはお母様の隣ね。
その席順はどうかという思いもある。
ジークが座っている場所にこそ私が座り、彼が座るのは私の隣であるべきだろう。
前世とは違うのだから、お母様と娘がまとまった側に座るとか変な話だ。
だけどまぁ、私は将来は、この家を出て行く人間だ。
実子ではないにせよ、公的な手続きを踏んで養子になったジークは、この家の嫡男である。
私が公爵位を継ぐ予定はなく、順当とも言える位置とも言えるのか。
でも、未来の王妃なのだから相応の対応も取るべきかも?
うーん。今、たぶん微妙な位置だものね。
あと、これはお父様の配慮もあるのかも。
だって最近の『私』は……、ねぇ?
「アリスター。数日ぶりだけれど。貴方が帰ってきてくれて嬉しいわ」
「はい。ありがとうございます、お母様。私もお母様に会えて嬉しいですわ」
期末考査のために私は一時帰宅している。
翌日には出て行ってしまったけれど。
その時にも、きちんと顔合わせをしているわ。
そう言えば、お父様は、お母様に私の事情を話したのかしら?
私もあえてお母様にそのことを触れなかった。お母様も特に踏み込んだ話を振ってこない。
お母様には社交界もあるだろう。
当然、『アリスター』の珍行動については聞かれているはずだ。
あえて知らない方がいい、とお母様が判断している可能性もあるかしら?
『国王と公爵が認めている』という事実だけ言えれば、他に何を知る必要もない、と。
「アリスター。期末考査では見事、学年首席を取ったそうだね。素晴らしいよ」
「ありがとうございます、お父様。日々の努力の結果だと自負しております」
「ああ。そうだな」
私、アリスター・シェルベルは、1年1学期は最高の結果を残した。
そう、結果だけは。
前世で言う、内申点だとか、そういうのがあったら終わっている。
出席日数に至っては、もうこの時点で留年間近じゃないかしらね。
その点について、お父様から言及はない。
おそらく『アリス』の出席日数が、そのまま『アリスター』に反映されるのだろう。
未来永劫、私の二重生活を黙っているつもりなどないもの。
レイドリック様が態度を変えれば。
そして私が乙女ゲームの期間を抜ければ、すべての真相を明かせる。
『ヒロイン』レーミルの態度は不穏であるものの、明確に『アリスター』に害を為そうとしない限りは不問だ。
出来れば他のヒーロー役狙いで動いて貰い、そちらと幸せな結末を迎えてくれるのがベスト。
それが一番、波風の立たない穏当な結末だろう。
そういう意味ではヒューバートという『可能性』を遠ざけてしまったのは良くなかったかしら?
……でも、なんだか私、『イヤ』なのよね。
これから先、ヒューバートにあの女が近付いてくるのって。
なんだかんだで、学園では彼と交流を取ることが最も多い。
ヒューバートは『アリス』としての生活に欠かせないパートナー、『相棒』のようなものだから。
彼に悪い虫を近寄らせたくないのだ。
「……何が日々の努力なんですか? 義姉上」
と。剣呑な声が私に掛けられる。とうとう来たわね……。
私はテーブルの向こうに視線を向けた。
そこに座っているのは、私と血の繋がりを思わせる赤色の髪と赤色の瞳の男。
髪の色は、少し私よりも薄いかしら?
私の髪が薔薇のような深紅だとすれば、彼の髪はそこからさらに、ぼんやりとしたような色合いだ。
姉弟だと言われればそうかと思うし、違うと言われてもそうかと納得する塩梅。
「何がでしょうか? ジーク」
「聞いていますよ。貴方は王立学園には通っていない。それで何が日々の努力だと言うんです?」
ジークは静かに怒りを示す。
その表情には私に対する嫌悪感が滲み出ていた。
「ジーク」
私が答えるより先に、お父様が窘めるように声を掛ける。
それでは彼は止まりそうにないけれど。
「義父上。言わせてください。義姉上の行動は、シェルベル家の恥そのものではありませんか。
だから、私にも、この件を抗議する権利があるはずです」
「……はぁ。アリスター。ジークに言うことはあるかい?」
お父様は事情を知っているけれど、説明はしない。
とてもありがたいわ。私の味方になってくれるならともかく、この態度ではね。
ジークに話すかどうかは、私に判断を委ねるということだ。
「貴方は勘違いをしているようね、ジーク」
「勘違いだって?」
「ええ。これからの貴方が心配よ」
「何をおっしゃっているんですか!」
私が彼を蔑むように冷淡な態度を取ったからか、彼は激昂する。
まだまだね。ていうか年下だし、弟なんてこんなもの……やっぱり反抗期かしら。
「貴方、努力もなく王立学園の学年首席が取れると思っているの?
学園に通っていない。だから? それで私が努力をしていないとでも?
そんな気持ちで貴方が学園に入学した時が心配よ。
期末考査なんて簡単だと侮って挑み、それこそシェルベル家の恥になるような成績を取りそうね」
「な……義姉上と一緒にしないでください!」
「私と一緒? 本当に何を言っているの? 私が取ったのは『首席』よ。
分かるかしら? 学年で一番上に立ったの。もちろん今回だけではあるけれど。
その言葉は、私が恥ずかしい成績を取ってから言いなさい。
首席を取った私と一緒にするな、は意味が通りません。
今の私は、貴方に否定される筋合いは全くありません」
「……っ!」
「また、私の努力を貴方にわざわざ見せる必要もない。
誰の目にも分かるように努力して見せれば納得かしら?
それは一体、誰のためのパフォーマンス? 結果が伴っているといいけれどね。
ですが、貴方が努力なしで好成績を残せると勘違いするのは頂けません。
即刻、心を改めなさい。ジーク。それはシェルベル家の恥になりかねないから」
「義姉上……!」
私は言うことを言ってから、食事を進める。何喰わぬ顔で平然と。
「では、お聞かせ下さい。なぜ貴方は学園へ通っていないのですか?
その振る舞いが公女として相応しいと本気でお思いですか!」
相応しくはないわねー。
でも、公爵令嬢としての戦い方では、分が悪いのよ。
そして、私にとって大いに時間の無駄になる。
結論までの大まかな道筋が見えているのだから。
レイドリック様のあの態度では、1度2度の話し合いや、陛下からの苦言では状況が覆らないでしょう。
であれば……乙女ゲームの終わり、攻略が終わる期間まで。
私と彼の冷たい時間は長引くことが確定している。
その時間を公爵令嬢として捌くのは、たしかに誇り高い行為かもしれないが、私はそれを選ばない。
自由と楽しい学園生活をきっちりと謳歌し、ふざけた態度の婚約者に一切振り回されずに過ごす道を選ぶ。
「ジーク・シェルベル。貴方が私の理由を今、知る必要は一切ないわ。お父様、そのように」
「……そうか」
「義父上まで! 一体、何なのですか!? これは間違いなくシェルベル家の醜聞なのですよ!?」
「醜聞? どこがかしら。『結果』ならば、これ以上なく残したわ。
それは間違いなく、私がこれまでしてきた努力の結果と言える。
令嬢としての教育だけでなく、高度な王妃教育も受けた身の上。
それに相応しい『結果』を残したの。そんなことも分からないの?」
「それは……!」
澄ました態度は変えない私。
……うん。やっぱりジークって『私』にとっては、こういう男よね。
『原作』とは違って姉を慕うキャラクターになる、とか。
そういう路線は特にないみたい。
別に私もそれを期待していないし、懐柔の態度を取ることもない。
だって、真相を打ち明けるに足らない相手だから。
レイドリック様にバレてしまえば、この計画の意味がないのだ。
そして真実を打ち明けない以上、彼がこの態度であるならば、歩み寄る余地はない。
それに……何かしらね。彼から感じる、この態度の理由は。
義姉がおかしな行動をしているのだから、家の名誉のために怒るのは分かる。
でも『義姉上と一緒にしないでください』とは、なに?
その台詞に含まれているのは私への侮辱、見下しではないかしら。
事実、結果としては、私は最高の結果を叩き出しているのよ。
「ジーク。貴方は、どうやら私の『結果』は目に入らないみたいね。
過程こそがすべて大事、という価値感かしら? それで?
私は、貴方の価値観に合わせて、貴方の気に入る努力する姿を、常にして見せなければいけないの?
何様のつもりで、そんなことを私に言っているの?
先程、貴方は『私と一緒にしないで』と罵ったけど、それは一体どういう意味?
……どこぞで、ありえない噂でも耳に入れ、まさか、それを鵜呑みにでもしたの?
このシェルベル家の子になった貴方が?
誰かの思惑に軽々しく乗り、シェルベルの長女を蔑むのに加担すると?
それを私の父と、私の母を前にしてもなお、胸を張って言い募れる?」
「う、そ、それは……」
流石にそこまでは出来ないらしい。
彼にあるのは、その立場のコンプレックスだろうか。
ジークにとって私の両親は『義両親』でしかない。
実子である私が好き勝手をしていても、厳しく躾けられるのかも?
「……お父様。お母様。もしかしてジークは、お2人の愛情を求めているの?」
「なに?」
「なっ……!?」
「私が好き勝手にやる裏で、ジークはお父様たちに将来のために厳しくされているとか。
そこで不平等を感じている、とかですか?」
「……そうなのか? ジーク」
「ち、違、違います! 義父上! 俺はっ」
「では、何だ? 先程までのアリスターへの態度は? 姉に対する敬意が欠けていたようだが」
「そ、それはシェルベル家の者として、義姉上の行動を……」
「私の行動は、お父様が認めているものです。貴方が口を出す権利はありません」
「くっ……!」
「……実子である私にも両親が厳しく接する姿が見たいの? 甘えん坊のジーク。
自分だけが努力をしていて、私は、ただ好きに生きていると?」
私は彼の目を窺うように冷たく見つめた。
ゲーム上、ジークは詳しく語らないものの『アリスター』に対しての蟠りは持っていた。
それは、プレイヤーには語られないエピソードでもある。
大事なのは彼のアリスターへの気持ちではなく、『ヒロイン』レーミルへの気持ちだから。
ただ、彼女との交流で前向きになり、吹っ切れたと。
そうして勝手に落ちぶれていく悪役令嬢アリスターを公爵家から彼は追い出して……。
「……違うと言うのですか。貴方は好きに生きているワケではないと?」
「あらまぁ」
本当にそういう理由なのかしら?
「お父様、お母様。ジークはお2人に愛されたいらしいです。
普段は一体、彼とどのようにお過ごしなのです?」
「まぁ。私たちが原因なの? 困った子ね、ジーク……」
「ジークに厳しくしているのは、ジークが将来、この家を継ぐからだ。
必要なことだと思って、そうしている。教育だって過剰に受けさせているつもりはないぞ。
お前を、例えば口汚く罵ったことなどもないはずだ。暴力を振るったこともない」
「それは……そう、ですが」
……ふぅん。
私が分かっている事と言えば、ジークは度々、屋敷を抜け出して街に出ているということ。
それは、ゲーム的にはヒロインと出会うためだけれど……。
現実では、彼が公爵家の教育という辛い現場から逃避しているだけ?
やがてヒロインと出会うことで改心し、成長していき、公爵家を滞りなく継いで。
婚約破棄されて落ちぶれたアリスターを追い出して、彼は立派な公爵になる。
……そうか。
彼にあるのは『公爵家の教育、キビシー、しんどーい』という苦痛なのか。
その状況と環境から見る『姉のアリスターだけが許されている』ことの疎ましさ。
なるほど。そういう事であれば、そうね。
「では、お父様。ご提案があります」
「提案?」
これは、正直に言って『悪手』だとは思うけれど。
『原作』にはない、余分な出来事を引き起こすことに繋がる。
でも、リターンは大きいかもしれない。
「私と、ジーク。私たち2人に、次期公爵に相応しいか。
その資格があるか、を見極める『課題』をお出しください」
「課題だって?」
「ええ。私たちに『シェルベル公爵位』を懸けた……『競い合い』をさせてくださいませ」