04 偽りのピンクブロンド
「何を? アリス」
「私は『アリス』ではありませんわよ、殿下」
「は……?」
そして。
彼女は、突然に自らの頭に手を伸ばし、パチパチと音を鳴らして、小さな髪留めのような物を取る。
自身の頭から、その綺麗なピンクブロンドの髪を……外した。
「えっ!?」
長くウェーブ掛かったピンクブロンドの『偽りの髪』がアリスの頭から取り外される。
そして隠されていた彼女の髪の色は……薔薇のような赤色。
髪留めによってまとめられた深紅の髪。
彼女は赤髪に着けていた髪留めを外して、その長く綺麗な赤い髪を人々へと見せつけた。
「な……あ……え……。ま、まさか、そ、そんな」
「本当に。残念な人ですわね、レイドリック殿下。
たしかに化粧も変えていましたけれど。
私は瞳の色も、ましてや声も変えてはいませんのに」
その話し方は、普段の快活な子爵令嬢、アリスのものではなかった。
高位貴族の、淑女然とした令嬢の態度と言葉だ。
「改めて申し上げますわ。
──この私、シェルベル公爵家が長女、アリスター・シェルベル。
私は、レイドリック・ウィクター殿下からの婚約破棄を承りました。
私たちの婚約関係は今日で終わりですわね、殿下」
「あ、あ、アリス……ター? なぜ、なぜ……」
そこに立っていたのは子爵令嬢アリスではなかった。
公爵令嬢アリスター・シェルベル、その人が立っている。
「あ、アリスをどこへやったんだ!? まさか彼女を誘拐したのか!? いつ入れ替わった!?」
「ふっ……! 何ですか、それは?」
レイドリックの言葉に思わず吹き出してしまうアリスター。
まだ理解していないのか、と笑ってしまう。
「アリスは私ですわ、殿下。この2年間、ずっと」
「は……? は?」
「本当。困りましたわ。私、この2年の間も、きちんと『婚約者として』殿下のそばにいて、仲睦まじく過ごせていたと思っていましたのに。
ですのに、まさか婚約破棄をされるだなんて、ねぇ?」
「え? は? はぁ……!?」
ごく一部を除き、誰もが啞然として彼女の姿に目を見開いている。
驚きを隠せない。あんぐりと口を開いて。
「あら? おかしなことかしら? 皆さんも度々、目撃していらしたでしょう?
この私、アリスター・シェルベルが、学園でも婚約者であったレイドリック様と仲睦まじく過ごしていたことを」
「なっ……。そ、それは……だから、アリスで……」
「アリス! うふふ。アリスは、私の『愛称』ですわよね? 殿下。
それに『セイベル子爵』は、私が個人的に継ぐ爵位ですの。
お父様であるシェルベル公爵が保有している爵位の一つですわ。
ですから、ある意味で私は『セイベル子爵令嬢』でもありますのよ? うふふ」
「なん……そんな、じゃあ、アリスが、アリスター……? なのか……?」
「ええ。レイドリック殿下。ずっと、この2年間そうなのです。
私、国王陛下とお父様とお約束させていただきまして。
下位貴族の子爵令嬢として、学園では皆さんと接させていただきましたの。
ええ。高位貴族だから、公爵令嬢だからと見られるのも正しくはありますが。
子爵令嬢の立場の方が、より皆さんの真なる姿を拝見できると思いまして。
面白い取り組みでしたでしょう?
この件は国王陛下も快く認めてくださいましたわ!」
国王が認めたこと。その言葉で、誰もが彼女を糾弾する言葉を失った。
公爵令嬢アリスターが下位令嬢に扮しての学園生活をしていた。
『アリス』の友人になった者も居れば、良くない接し方をしてしまった者もいる。
その事に気付き、青ざめた顔をする者も多くいた。
「うふふ。ご安心してくださいませ、皆さま。
私は公爵令嬢を名乗っていなかったのですから。
不当な行為はともかく、高位貴族の者に対しての不敬だなんだは言いっこなしですわ」
周囲を安心させるような言葉。
その振る舞いは子爵令嬢のそれではなく公爵令嬢のそれだ。
偽者ではない。本物のアリスター・シェルベルがそこに立っていた。
「私ね。レイドリック殿下は、私の正体に気付いていると思っていましたの。
だってね。婚約者だったのですから。
ええ。だから、殿下は『アリス』を名乗る私と仲睦まじくしてくださっているのだとばかり。
様々な方に誤解されてしまったけれど。
……ですが、さきほどの婚約破棄宣言でしょう?
レイドリック殿下は、私の正体に気付いていらっしゃらなかった。
そして『私』に対して一方的な婚約破棄をしたの。
その後で、どんなに情熱的に愛を語られましても……ねぇ?」
「……なん……、」
ざわめきの収まらない一同。
絶句したまま呆然と、情報を処理し切れないレイドリック。
そこでアリスターは、ある人物に視線を向けた。
視線の先に居たのは……黒髪の男爵令嬢レーミル・ケーニッヒ。
「……フッ」
そしてアリスターは見下すように彼女を嘲笑ってみせる。
一体、何の為にこんな茶番をしかけたのか。
学園を、王太子を混乱させてまで……。
アリスターが何をしたかったのかをレーミルだけが即座に理解した。
「……っ! あ、アンタ……!! ふ、ふざけないで……! やっぱり、アンタも私と同じ──!」
「そこまでだ」
「!?」
掴みかかる勢いでレーミルはアリスターに向かって行こうとした。
だが、すぐに彼女の行く手を阻む男が現れる。
それは、いつも『アリス・セイベル』の近くに控えていた男子生徒だった。
「なっ……アンタ、一体誰……」
「あら。お分かりじゃないの? ふふ」
「なんですって……」
剣呑な雰囲気を出し、睨みつける男にたじろぎ、勢いを削がれたレーミル。
だが次のアリスターの言葉で、やはり誰よりも早く、その男が何者なのかを彼女は理解した。
「彼は『ヒューバート』よ」
「ヒュー……あっ」
その名前を聞いて。目を見開き、男を見据えるレーミル。
明らかにその正体について心当たりがある者の反応を示してしまう。
その様子を見て、さらに微笑むアリスター。
「口を噤まないと、ね? 『知っていてはいけない事』を、男爵令嬢に過ぎない貴方は知っていてはダメでしょう? 私と違って、ね?」
「っ! っ……!」
レーミルの顔が屈辱で歪む。
完全に『してやられた』のだと痛感させられたのだ。
そして、この世界で生きていく者として、男爵令嬢に過ぎない者として。
これ以上の不用意な発言をすることはできなかった。
この場で生かされているのは……アリスターの情けに過ぎないこともレーミルは理解してしまった。
(悔しい! 悔しい、悔しい、悔しい……! こんなやり方で!)
レーミルは、屈辱を噛み締めながらアリスターを睨むことしか出来なかった。
(ヒューバート・リンデル……! 『王家の影』、攻略対象の一人……! 本物の!)
レーミルが何を知っているのか。
そしてアリスターが何を理解しているのか。
2人以外の誰にも理解できない。
そして、この騒ぎはアリスターの言葉で収められることになった。
「今後のお話は、陛下とお父様を交えて話しましょうか。レイドリック殿下」
「……アリス、ター」
「ふふ」
この日。たしかにアリスター・シェルベルは、やり遂げた。
何をやり遂げたのか? それは。
「……これで破滅ルート回避、かしらね?」
そう呟いたアリスターだけが知っている。
君は【悪役令嬢】で【ピンクブロンド】のヒロイン。