33 レイドリックの1学期
「アリスターが学園に通っていないだと?」
「ええ。どうやら、そのようなのです」
ジャミルから報告を受けたレイドリックは、眉間に皺を寄せながら『何をばかなことを』と考えた。
だが、調べていく内にそれが真実だと判明したのだ。
「あの女! なにをしているんだ!?」
「さぁ……」
今年、入学式に出てからアリスター・シェルベル公爵令嬢を見掛けた生徒は居ないらしい。
実際、1年のAクラスに在籍しているはずが、聞き込みをしたところ、彼女を教室で見掛けた者はいない様子だった。
己のクラスにさえアリスターは姿を見せたことがないのだ。
「そんなことが許されるのか!? 王立学園だぞ、ここは!」
「そうですよねぇ」
王立学園の卒業資格を持っていなければ働けない場所も多くある。
騎士の叙勲ですら騎士科を卒業するのとしないので、大きく差が出てくるのだ。
領地経営を学んだ実績でも、学園を卒業することで内外にその能力を示すことが出来る。
「一体どういうつもりなんだ、アリスターは!」
「公爵家に問い合わせてみますか? 流石にご令嬢の独断とは思えませんし、家に話も行くでしょう。
報せは来ていませんが、病欠という線もあるのでは?」
「……チッ」
いつ頃からだったか。
レイドリックも、かつては仲睦まじくアリスターと過ごしていたはずだった。
だが、だんだんと凍り付いていくような彼女の態度に距離を感じ始め……。
また、その能力の高さは、婚約者であるレイドリックとよく比較された。
そうして彼の中でアリスターの存在が徐々に疎ましいものへと変化していったのだ。
それは劣等感であり、裏切られたような恋心の冷え込みが原因だった。
加えて学園生活の1年目。
レイドリックを取り巻く環境は大きく変化した。
誰もが優秀な王太子殿下と認め、評価する学園生活。
それに可愛げのある令嬢たちが彼のそばに侍り、男としても満たされる日々。
貞操に関わることなどは起こしたことこそないが、まだ若いレイドリックの心を大いに満足させる1年だった。
そうして満たされていた故に。
アリスターが学園へ入学してくる年のことを考えて、レイドリックは拒否感を抱いていた。
彼女が入学して来れば、また優秀な彼女と比べられる生活に戻るのかと。
レイドリックは1年生の間、まさに学園で1番の存在だった。
青春そのものの、その時間は輝いていた。
だが、アリスターが入学して来たら、その光に陰りが生じてしまう。
だからこそ、レイドリックは、あまりアリスターを思い上がらせないようにしたかった。
彼女が出過ぎた態度をとらないように、その頭を押さえつけておく腹積もりだった。
彼女の立場と能力ならば、生徒会の役員入りも当然となるだろう。
だが、そのまま順当に行けば、自分が卒業後、彼女が生徒会長となった時。
その華々しい活躍を飾るであろう彼女の1年とレイドリックはまた比較されてしまう。
下手をすれば彼女が2年の内に、生徒会長の座すら奪われるかもしれない。
かつて恋心を抱いたはずの公爵令嬢は、今やレイドリックにとって自身の評価を脅かすだけの、可愛げのない高慢な令嬢へと成り下がっていたのだった。
『どうにかしてアリスターを支配下に置きたい』と。
そんな想いが彼の中にあり……。
レイドリックは、まず避けられないだろう、彼女の生徒会入りを遅らせることを考えていた。
だから、彼女が自分のところへ来たとしても、すぐには認める気はなかった。
『自分の方が立場が上なのだ』と、アリスターに分からせるつもりだったのだ。
……なのだが。
(それが、学園に通ってすらいないだと?)
それは、レイドリックが想定もしていないことだった。
レイドリックはシェルベル公爵家に抗議の手紙を出す。
令嬢が王立学園に通っていないなど、公爵家としても王子の婚約者としても醜聞になりかねない。
……だが。
「承知の上、だと!?」
「公爵閣下がですか? それはまた……」
生徒会長として、かつ婚約者としてアリスターの行動に抗議したのだが。
あろう事か、シェルベル公爵は、娘の行動を容認していると返してきたのだ。
「好き勝手なことを!」
「……当てが外れましたねぇ」
どうせ、役員に入れなければならないアリスターの分、最初から役員の枠は空いていた。
レイドリックとしては、それすらも業腹だった面はあるが……。
少なくとも彼女の能力は認めているため、生徒会で彼女に仕事をさせるつもりだけはあった。
しかし、その予定が大きく狂ってしまったのだ。
「……本当に忌々しい」
「しかし、公爵からの手紙によると病欠などではないご様子。
殿下の婚約者である彼女が理由もなく、このような行動を取るのは問題でしょう。
公爵が相手ですが……正式に王家から抗議か、問い合わせなどされますか?」
言外にレイドリックの父や母、つまり国王や王妃などの公爵が強く出れない相手を動かして、アリスターの不真面目な態度を改めさせるのはどうか、という提案だった。
ジャミルの提案を受けて、レイドリックは父である国王に現在の状況を報告させる。
しかし、そこでも返ってきた答えは彼の望むものではなかった。
「……陛下は不問に。アリスター嬢の好きにさせるようにと。
そうですか……。さすがはシェルベル公爵令嬢と言いますか」
「本当に忌々しい……!」
陛下すら動かないつもりであるなら、自分ではどうにもできないだろうとジャミルは諦めた。
レイドリック自らが公爵家を訪ねて、通学しない理由を問いただすことなら出来るかもしれないが。
レイドリックは内心では、アリスターが学園に来て、目立つことをよく思っていない。
外に出てこないというなら、そのままでも都合がいい、と。ジャミルは思ったのだ。
だが、彼らの思惑以外のことをアリスターがすることに、レイドリックは苛立ちを隠せずにいた。
この時点でレイドリックの1学期の計画は崩れていたし。
見下し、その頭を押さえつけるつもりで居た、入学式や、その後のやりとりも実現しないまま。
レイドリックたちが最後に顔を合わせたのは、国王と公爵を交えた茶会の席だ。
思い出すのは、さも2人の間に今まで『愛がなかった』という言葉。
(……ばかな)
互いに恋心はあったはず。
アリスターは自分を愛しているはず、という想いがレイドリックの中にある。
だからこそ、何と言うこともできない複雑な心が、あの日から彼の胸の中に残っていた。
そして、もう一つ思い出すのは、彼女の、かつてのような笑顔。
あの笑顔を欲した、かつての想いがどうしても刺激されてしまう。
気付けば、どうしてもアリスターのことばかりを考えてしまうレイドリックは、余計に苛立ちを募らせていった。
会えば喧嘩になってしまうだろう。今は、そういう気持ちが抑え切れない。
様々な理由から今のレイドリックは、アリスターを認めることが出来なかった。
そんな彼に一つの転機が訪れる。
「初めまして! ……じゃない、ですね。えっと。改めて、初めまして。アリス・セイベルです。レイドリック殿下!」
「き、君は……」
かつて学園の中庭で一度だけ会ったピンクブロンドの女子生徒。
どうしてか印象に残った彼女を2度目に見掛けたのは、アリスターを探して1年の教室を訪れた時だった。
アリス・セイベル。
1年Aクラスに入学してきた年下の令嬢。
なぜか気になっていた彼女が、連れの男子生徒と共に生徒会へ入ってきたのだ。
「ジャミル先輩に、ひとまず生徒会の『補助』役員として働いていいって許可をもらったんです!
あ、こっちの彼はルーカスって言います!」
「はじめまして。よろしくお願いします。レイドリック殿下。ルーカス・フェルクと申します」
「あ、ああ……。ジャミルから人が来るとは聞いてはいたが……」
(それが、まさか彼女だったとは)
「お知り合いだったんですか? レイ、いえ殿下」
「いや、知り合いというほどじゃない」
「中庭で少し会っただけなんです! 覚えていてくださったんですねぇ。ふふ、嬉しいです!」
元気のいい令嬢。おそらく下位貴族か、平民の出なのだろう。
高位貴族令嬢の高慢さがないし、その表情は大きく動く。
それは、まさにかつてレイドリックが惚れ込んだはずの、出会った頃のアリスターのようだった。
「正式な生徒会役員になれるよう、私、頑張りますね!
どうかご指導お願いします! あ、ルーカスも頑張りますから、ね?」
「……お嬢が言うなら、まぁ」
「お嬢?」
「彼、アリス嬢の婚約者候補らしいですよ」
「候補?」
「……ああ、その。まだ正式には決まっていないんです。
俺たちの親同士で話し合いをしているところです。
今の俺は……まぁ、お嬢の、ただの『護衛』みたいな立場ですね。
親から学園では彼女の世話をするようにって言われています」
「……そうか」
アリスの婚約者候補と聞いて、あまりいい気はしなかった。
だが、まだ『候補』止まりであることに、許す気にもなれた。
こうしてレイドリックが率いる生徒会に新たな人員が2人加わったのだった。
それからは、溜まっていた生徒会の仕事も回り始める。
アリスのおまけでついてきていたルーカスが殊の外、優秀であったためだ。
「助かりましたね、殿下」
「そうだな」
「アリス嬢も頑張ってくれていますが、実はルーカスの方が掘り出し物ですよ」
「ああ、それは間違いない」
元気よく意欲的に仕事をするアリス。
無口だが淡々と卒なく仕事をこなすルーカス。
2人が加わったことによって生徒会にも余裕が生まれてきた。
それは奇しくも当初、アリスターが埋めるはずだった穴を、アリスらが埋めたことで生まれた余裕だ。
「あー……。レイドリック様」
「どうした? アリス嬢」
「明日の昼休憩なんですけど」
「ああ」
「私、皆にお弁当を作ってきてもいいでしょうか!?」
「……弁当?」
「はい! 偶には生徒会の皆で一緒にお食事とか、どうかなって。
あ! もちろん、毒見とかが必要なら私が先に食べますよ!」
「いや、それは……別に心配しているわけではないが。どうした?」
「え、いやぁ……その。イベント、じゃなくてぇ……。
明日は、食堂って気分じゃなくてお弁当! って気分だから? ですかね。
もちろん無理は言いません!」
「ふむ。別にこれといった予定はないが……」
そもそも王子であるレイドリックは、食堂での食事は摂らない。
きちんと彼用に用意されたサロンで食事が出来るように学園に手配されている。
毒見は……たしかに必要ではあるが、アリスが自分に毒を仕込む理由などないだろう。
レイドリック用に用意されたサロンに、生徒会の者たちを招けば問題ない。
「そうだな。学生食堂で皆がどのように過ごしているのか、興味もあったんだが……」
レイドリックは丁度、明日辺りに食堂に出向いてみようと考えていた。
それは食事が目的ではなく、他の生徒たちの様子を窺うため……。
もっと言えば、仲良くしている令嬢たちに顔を見せることが目的だった。
(だがアリスの弁当か……。そちらの方が)
彼の興味は、あっさりと食堂にいるだろう令嬢たちよりアリスに向けられた。
「では、明日は楽しみにさせていただこうか。良いな、ジャミル」
「まぁ、良いんじゃないですかね。あ、でも流石に殿下が相手なんで、事前に色々と確認させて貰わなくちゃいけませんが」
「はい! もちろんです!」
最近は、アリスターのことでストレスを溜めていたレイドリックだったが……。
こうして生徒会でアリスと過ごすことで、だんだんと気分が落ち着いてきていた。
彼女が、学園に来ないならば来ないでもいい。
むしろ学園に通わないまま退学にでもなれば……。
(いや、流石にそれは。そうなる前に公爵が手を打つだろう)
高慢なアリスターのことを考えるより、近くにいる元気なアリスのことを考えていた方が気分がいい。
そうしてレイドリックは、どんどん心を穏やかにしていったのだが……。
波乱が起きたのは学期末考査の時だった。
レイドリックが、それを知ったのは、事が起きた後の話。
入学式以来、姿を見せなかったアリスター・シェルベルが……学園に姿を見せたのだ。