02 そして彼は婚約破棄を告げる
「みんな、聞いてくれ!
王太子である私、レイドリック・ウィクターはここで宣言する!
私は今日、アリスター・シェルベル公爵令嬢との婚約を……破棄する!」
高らかに宣言したのは、この国の王太子レイドリックだ。
アリスターが学園に入学してから2年が経過し、レイドリックが卒業する年。
卒業記念パーティーの場で彼の宣言はなされた。
「婚約破棄……!?」
「殿下が……公爵家との関係はどうするんだ」
ざわざわとパーティーに参加していた関係者たちが声を上げる。
パーティーに参加しているのは、学園に通っていた令息・令嬢たちと彼らの親類・縁者たちだ。
「殿下!? 一体、何をおっしゃっているのですか!」
近くに居た者がレイドリックを諫めようとするのだが、彼は止まらずに続けた。
「皆も知っているだろう! 公爵令嬢アリスター・シェルベルは、この二年間、ろくに学園に通うことがなく、せいぜい行事や試験の時に姿を見せるのみ! これは王立学園に通っていた、全員を見下す、傲慢さから来るものだ!」
レイドリックが訴えることの一部は真実だった。
アリスターは学園に入学して以降、ほとんどの授業に参加していない。
ただ試験の時には学園に姿を見せ、その薔薇のような深紅の赤い髪が生徒たちの目を引いた。
かつては天真爛漫だった少女は、もうレイドリックの前でも完璧な淑女としての態度や言葉使いしか見せない。
そして同世代の者たちとの交流を断つような振る舞い。
試験を終わらせると、さっさと学園から姿を消してしまい、レイドリックに挨拶もせずに去っていく。
2年に及ぶアリスターのそんな振る舞いには様々な噂が囁かれてきた。
その一番はレイドリックとの不仲だ。
彼と同世代の者たちは、レイドリックが女生徒たちをいつも侍らせていたことも知っている。
そして婚約者であるアリスターが学園に入学した後も、その態度が改められることはなかった。
それが理由で2人の不仲の噂は囁かれることになっていた。
ただ、その頃のレイドリックにも想定外のことがある。
入学したアリスターがレイドリックの前に来ることすらしなかったのだ。
レイドリックも、当初は美しい婚約者に甘い言葉ぐらい囁いてやるつもりだった。
その上で学生の今、すり寄ってくる多くの令嬢たちとの交流を止めるつもりはなかった。
彼にすり寄る令嬢たちも婚約者であるアリスターが蔑ろにされる様を嘲笑ってやるつもりだった。
だが、彼らのそんな思惑は何ひとつ叶わなかった。
レイドリックはシェルベル公爵家に手紙を出したり、王都の邸宅に直接赴き、アリスターの態度について不満を訴えたことがある。
だが公爵家がレイドリックの意に沿うことはなかった。
学園に出て来ないアリスターは、王太子の婚約者として相応しくないのではないかとも噂された。
だが、そういった不満の声を黙らせるように。
アリスター・シェルベルは試験の時には顔を出し、そして皆の前に張り出される成績順位では、常に上位の成績を示した。
これによりアリスターが優秀な令嬢であることは誰もが知ることになった。
レイドリックには、それもまた面白くなかったのだろう。
多くの令嬢を侍らせながら完璧な淑女として育ったアリスターを自分の後ろに控えさせる……。
学園では、そういう姿勢を見せつけるつもりだった。
何よりも今のレイドリックには明確なアリスターに対する不満がある。
それは婚約当初に彼女が家族の前で見せていた愛らしい態度を。
彼が惚れ込んだ、その姿をアリスターが年々見せなくなっていったことだ。
レイドリックに自身のその気持ちと、今の冷然としたアリスターの態度に対する不満を自覚させたのは、学園に通う一人の令嬢だった。
「アリスター! お前は、私の卒業記念パーティーにすら顔を出していないのか!?」
壁の花にでもなっていないかとレイドリックは改めて声を上げるが、やはりアリスターは姿を見せない。
婚約者である自分の卒業記念パーティーにすら出てこないのだ、彼女は。
(そんな女は婚約破棄されて当然だ……!)
裏切られた気持ちでレイドリックは姿を見せないアリスターに苛立つ。
レイドリックは、気を取り直すように、ある方向へ視線を向けた。
そこには、彼をまっすぐに見つめる令嬢が、2人立っている。
一人は、黒髪・黒目の女性。
もう一人は、ピンクブロンドの髪に赤い瞳をした女性。
どちらも、この2年でレイドリックが特に親しくなった女子生徒たちだった。
黒髪の女生徒は、レーミル・ケーニッヒ男爵令嬢。
彼女は、レイドリックの側近を始め、数人の高位貴族の令息たちや、大商人の子、さらに大司教の息子とまで仲睦まじく過ごしてきた女だった。
そして、もう一人の令嬢。
ピンクブロンドの髪をした女子生徒は、アリス・セイベル子爵令嬢。
彼女の方は、複数人の男子たちと絡むことはなかった。
ただし、婚約者のいるレイドリック相手には、ごく近くに平然とすり寄り、そして時には恋人のような親しさで話す姿もよく目撃されていた。
レーミルもアリスも下位貴族の令嬢でありながら、高位貴族の令息など、学園で特に人気の高い男性たちにすり寄る姿に女たちからの顰蹙を買っていた。
それでも男たちの一部には彼女らの天真爛漫で奔放な態度が受け入れられていて。
2人の令嬢の人気は相応に高くもあり、同時に嫌う者も多く居る。
「改めて。私は、アリスター・シェルベルとの婚約を破棄する。そして!」
レイドリックが注目を引き付けてから再び口にする。
「この場で新しい婚約者を指名する!」
彼の驚くべき発言は止まらなかった。
公爵令嬢との婚約破棄だけでも大きな出来事だ。
それに留まらず新しい婚約者の指名。
彼の視線の先には問題児である2人の令嬢がいる。
誰もが『まさか……』と思った。
あの2人のどちらかを次の婚約者に据えるつもりか、と。
公爵令嬢を袖にし、下位貴族の令嬢を。そんな事が許されるはずがない、と。
確かにアリスターには問題がないでもなかったが、不貞を働いたことや、瑕疵のあることなどはなかったのだ。それを……。
誰もが息を呑み、見守るなかで。
レイドリックが近くに並んでいた2人の令嬢に歩み寄っていく。
はたして、どちらの令嬢に声を掛けるつもりか。
声を掛けられた令嬢の方は王家を揺るがす、この騒動に巻き込まれるだろう。
黒髪の男爵令嬢レーミルは自信に満ち溢れたような顔でレイドリックを待った。
その顔は『自分が選ばれる』と思っていることは明白だ。
ピンクブロンドの子爵令嬢アリスは、曖昧な表情で苦笑いを浮かべている。
どうしていいのか分からない。
それでもレイドリックを拒絶するでもない微笑を浮かべて大人しく立っていた。
そうして。
レイドリックが選んだ令嬢は──
「──アリス。どうか、私と結婚して欲しい。キミのことを……愛している。
キミにも私のことを……愛して欲しい」
王太子レイドリックが片膝を突き、その愛を乞うたのは。
ピンクブロンドの子爵令嬢、アリス・セイベルだった。