12 父とのやり取り
私とレイドリック様との婚約が結ばれたのは12歳の頃。
一つ年上の男の子だった彼は、私と話すことで朗らかに笑っていた。
互いに身分も申し分なく釣り合い、本人同士の相性も良さそうということから、滞りなく私たちは婚約者になった。
もちろん、政略的な意味での婚約でもある。
その証拠にレイドリック様は私との婚約後、程なくして立太子なさることになったの。
元から公爵令嬢としての高等教育は受けていた私。
レイドリック様だって同じで王子としての教育を受けていた。
お互いに会う度にお話をしあって、手紙のやり取りをして。
季節ごとの贈り物から誕生日まで祝い合う。
本格的な社交界とは違うものの、複数の貴族を招いたお茶会などでは、レイドリック様にエスコートされながら参加した。
有力貴族たちに、私たちが次代を担う王子と伴侶なのよと示して。
その時だって彼は笑っていたの。けして、冷たい目を向けられたことはなかったわ。
14歳になるまで私には何の不満もなかった。
年齢が上がるにつれて教育内容は厳しくなっていったものの、幸い私にはそれを乗り越えるだけの能力があった。
……だけど。
「こうして最近の私と、レイドリック様のことを思い出してみると……」
だんだん距離が開いていっているのは否めない。
今までは『彼も学園で忙しいのね』と寂しい気持ちを抑えて、私は私にできることを頑張っていたつもりだ。だけど。
……私は、今の状況を確かめるために。入学してからのレイドリック様のご様子が気になるという体で、学園に血縁や縁者のいる友人たちに手紙を送ることにした。
その際は『レイドリック様からは普段、何をしているかをきちんと聞いているし、私も色々と認めていますのよ』という、思わせぶりな文章も添えて。
学園で不貞、とまで言わずとも、奔放な振る舞いをされている可能性が高い。
これは現実の情報ではなく、ゲーム上の『彼』の話だけれど。
この文章を添えていれば、私がそれらの行動について把握しており、寛容な態度を示していると誤解して、見たままの事実を教えてくれると期待した。
それから、この件に関してはお父様も頼ったわ。
学園の入学前に、学内の雰囲気や婚約者の評判について知ろうとすること、把握することは私の立場なら自然な話でしょう?
今まではそんな事をしようと思わなかったけれど、前世の記憶がある以上はね。
やらざるを得なかった。……そうして。
各方面からの報告が私の元へやってくる。
学園では今、特に際立って騒がしい事件は起きていない。
平民上がりの下位令嬢が奔放な振る舞いで高位貴族令息を誘惑して……なんてこともなく。
本来、学園のあるべき姿を保っているみたい。
「ゲームスタート前だものねぇ」
私には嵐の前の静けさに思えて仕方ない。
その中でも、やっぱり目立つのは王太子であるレイドリック様らしい。
彼の周辺には特に人が集まっているそうで。
「あらあら」
当然、そこには彼に気に入られようとする令嬢も出て来る。
婚約者がいるのに、という気持ちはもちろんあるけれど。
夢見てしまうものなのよね。
実際、私がそこに居ない以上、今の内に気に入られたなら……という可能性はゼロじゃないわ。
国王と王妃の間に3年、子が生まれなかった場合は、臣下から側妃をという声が上がる。
その際に選ばれるのは、やはり王が気に入った者が優先されるはず。
その場合、同年代よりも、さらに若い令嬢が選出される気がしますけど、ね。
王妃が子を産めないだけで政務は行えている場合。
究極的に側妃に求められるのは王族の子を産むことだけになる。
本当にもしもの際は公爵家に王位継承権が回ってくるけれど、やっぱり王族の直系が継いだ方が国は荒れなくていいもの。
また、何らかの事情で私がレイドリック様の婚約者をやめる場合がある。
大きな怪我や病気をした場合。
事故などで死んでしまった場合。
私が何かしら事件を起こして断罪された場合。
それからシェルベル公爵家が落ちぶれ、没落してしまった場合など。
だから、レイドリック様に侍るのが完全に無駄かというとそうじゃないの。
なにせ身分制度に支えられた王制国家だ。
その実務実態の苦労はさておき、身分としては、王妃は国一番の女ということになる。
そのチャンスが目と鼻の先に、ともなれば……。
「さもありなん、ですわね」
だからこそ、王太子の婚約者たる者。その能力で周囲の女性を圧倒して見せなければならない。
下手な嫉妬など抱かせないぐらいに。
知識も振る舞いも己を守る武器であり、国家を揺るがす原因となりかねない事態を退ける盾にもなる。
……でも。15歳、16歳、か。
前世の私の生きた時代にいた日本の、その年頃の男女に、そんな機微を分かれとは言えないだろう。
まだまだ子供で義務教育も抜けたかどうかの世代。
ようやく自立心が養われてきたかどうか。
それでも平和だったあの国の子供たちの多くは、漫然と時間を過ごしたり、部活動や友人関係に明け暮れていて、それが許されていたわ。
戦中や戦後といった苦難の時代、成人と認められるのが、それこそ15歳とかだった時代の子はともかく。
そういう考えでいけば、この国、この時代、そして身分なのだから言い訳はできないわよね。
甘えられる環境で生きれば伸び伸びと育つものだろう。
過酷な環境に立たされていれば、違うものになる。
レイドリック様は、別に私を徹底的に蔑ろにしたわけじゃないわ。今の段階ではだけどね。
彼が叱られない子供なら過ちに気付かないまま。それもまた不幸な境遇かもしれない。
軌道修正さえすれば、この時点で道を踏み外さないようにも……。
だけど『今の私』を彼が疎んでいるのなら。
私の言葉に、彼は聞く耳を持つだろうか?
正論で人が耳を貸すわけではない。
それこそヒロインのように愛らしいもの、自分を認め、愛する者の言葉にこそ耳を傾けるのが人というものでしょう。
たとえ、その言葉が間違っていたとしても。
「…………」
……私は、レイドリック様に冷たい目を向けられるのが怖い。嫌だと思う。
だって、以前まで何の疑いもなくお慕いしていたのだもの。
受ける教育の厳しさも、そして冷然とした態度を示すことも、それらは彼に相応しい姿を見て貰うため。
淑女としての姿は、私の努力の結果だ。
むしろ、それを褒めて欲しい、認めて欲しいと願ってもおかしくないものだったはず。
でも、彼にはそうは映っていなかったとしたら?
つまらない女になったとだけ思われていたのなら。
……悲しいし、やるせない気持ちになる。
怒りよりもショックの方が大きいわ。今までの努力は一体何だったんだろう、と。
「まだ彼の態度は分からないのに考え過ぎね。私」
私の中に渦巻く確信は、前世の記憶が見せる幻でもある。
現実に見聞きした情報を正確に分析して辿り着いた、この世界に生きるレイドリック様の姿ではないもの。
◇◆◇
「アリスター」
「お父様? どうされましたか」
「この前の学園についての話なのだが」
「ああ。報告が上がってきましたのね。お聞きしても?」
「……ああ」
お父様の微妙な態度が、なんだか『答え』みたいなものだったわ。
私も私で友人たちを頼って調べた結果がある。
「……ありのままの報告だ。アリスターも見なさい」
「はい」
執務室に向かい、お父様からは報告書を手渡された。
王立学園の最近の様子からレイドリック様の振る舞いまで。
概ね、私の友人たちから返ってきたものと同じね……。
信憑性の高い報告だと言えるでしょう。
レイドリック様は複数の女生徒を侍らせている。
とはいえ、不貞行為となるような行動は見受けられない、と。
仲睦まじかった婚約者の立場としては思うところはあるものの、これだけでは婚約にヒビが入ることはないだろう。
絶妙な結果ね……。
そこまで分かっていて、やっているのか。
それとも自然体でそうして、この結果なのか。判断がつかなくて恐ろしいわ。
ただし、これに加えて報告する事があれば話は別だ。
「お父様。報告が上がっているかもしれませんが……。先日の定例の殿下とのお茶会。レイドリック様とは会えませんでした。ただ、私の方も体調を崩してしまったため、すぐに帰ってしまったせいでもありますが」
「……ああ。聞いている。だから不安になって今回の件を調べさせたんだな。アリスター」
「ええ。そうです。不安になって、というか。学園ではお忙しいでしょうから、茶会に出られないか、忘れるほどの殿下の体調が心配で、なのですけど」
ちょっと皮肉になっちゃったかしら。
お父様にそんな事を聞かせても仕方ないのにね。
「……うん。そうだな。だが、すれ違って会えなかったのは寂しかっただろう。定例のものとは別に、殿下と会える場を設けて貰うように進言しておくよ。その際は、私や陛下も同行できればいいな」
「あらまぁ。そこまでなさいますか」
「ああ、もちろんだ」
そんなに不安にさせたかしら? いえ、学園での動向を調べさせるなんて余程のことと考えたのね。
実際に上がってきた報告がご覧の有様だったし、やんわりとした注意が陛下やお父様からされるのかも。
『アリスターを大事にしなさい』ってね。
でも、それって……逆効果にならない?
親に叱られるって、この年頃の男の子からしたら、かなり反抗心を招きそう。
それも女の子の前で。その相手が婚約者。
貴族的には正しい対応だけど、少年少女的には、とても健全な対応じゃないわ。
「お父様。少しお待ちください。事を荒立てたいわけではないのです」
「うん? だが……」
「もし、お父様たちも一緒に、というなら新たな予定を急いで立てるのではなく、次の定例のお茶会に自然と加わる方向でお願い致します。
わざわざ呼び出して陛下やお父様に説教をさせる形にしますと、レイドリック様の顔が立ちませんわ。
それに私のことも余計に疎まれてしまうかも……」
「いや、そんなことは……ないと思うが」
「お父様。レイドリック様は、まだ子供なのですよ? それも若い、反抗期も真っ盛りに近い年齢です」
「アリスターは、それよりも若いのに何を言っているんだ?」
「いえ、それはそうなんですけど……」
うー。前世の私、何歳かしら?
成人していたはずだけど、年老いた記憶はなく、意識は今のアリスターとして若いまま。
でも少し、おばちゃんが入ってしまっている? むむむ。乙女として見過ごせない事態。
「けれど今の段階で陛下とお父様が出てきて何かを言うのは、流石にやり過ぎですわ」
「そ、そうだろうか。大事なことだと思うが……」
「大事は大事なのですけど。まだ大きく動くほどではありません。どうしてもとおっしゃるなら、やはり次の定例会で同席してくださいませ」
「一ヶ月近く先だろう? それでアリスターはいいのか?」
「ええ。構いませんわ。それに私にも学園入学に向けて色々と準備する時間が必要ですもの。今回の調査はその前段階のようなものですから」
「……そうか。アリスターがそこまで言うなら」
良かった。折れてくれたわね。
私だって悪化する可能性の高いレイドリック様との関係に、さらに余計な火種は放り込みたくないもの。
ただ、学園入学前にレイドリック様とお会いしておきたいのは確かよ。
怖いけれど、彼がどういう態度なのか知らなければ。
今後の私の行動について、それは大きな指針になるわ。
次にお会いする時は……そうだわ。昔の私のように接してみるのはどうかしら?
だって、彼の好みはヒロインのような少女、昔の私なのだもの。
でも、お父様や陛下に見せるには、あまりよろしくない姿。
未来の王妃に相応しくあろうと努力してきたのに、すべて自らひっくり返すような所業になってしまう。
あちらを立てれば、こちらが立たないジレンマに頭を悩ませた。
いっそ、私が違う姿に変身して『一人二役』を演じて、レイドリック様の前に……。
「……あ」
そこで。私は思い至った。思いついたのよ。
もしかしたら、今考えたことが出来るんじゃないかって。
……そう、それはまさに『変身』。
この世界だからこそ、大きく見た目が変化したと印象付けられ、それでいて不自然じゃないような、ね?