【01】プロローグ ~偽りのピンクブロンド~
※全体改稿中です。
「皆、聞いてくれ! 王太子である私、レイドリック・ウィクターはここで宣言する! 私は今日、アリスター・シェルベル公爵令嬢との婚約を破棄する!」
高らかに宣言したのはウィクトリア王国の王太子、レイドリック・ウィクターだ。
彼の婚約者である公爵令嬢アリスターが王立学園に入学してから二年が経過し、レイドリックが卒業する年。
その卒業記念パーティーの会場でレイドリックは婚約破棄を告げた。
ざわざわとパーティーに参加していた関係者たちが声を上げる。
パーティーに参加しているのは学園に通っていた生徒たちと彼らの親類縁者たちだ。
「皆も知っているだろう! 公爵令嬢アリスター・シェルベルはこの二年間ろくに学園に通うことはなく、せいぜい行事や試験の時に姿を見せるのみ! これは王立学園に通っていた全員を見下す傲慢さからくるものだ!」
アリスターは学園に入学して以降、ほとんどの授業に参加していない。
ただ、試験や大きな行事の時にだけ学園に姿を見せ、その薔薇のような深紅の赤い髪が生徒たちの目を引いた。
試験を終わらせると、さっさと学園から姿を消してしまい、レイドリックに挨拶もせずに去っていくアリスター。
二年間に及ぶアリスターのそんな振る舞いには様々な噂が囁かれてきた。
最たるものはレイドリックとアリスターの不仲の噂だ。
二年間、二人が仲睦まじく過ごしている姿を見た者はいない。
アリスターが学園に来ない理由もそれに関係するのでは、と。
学園に出てこないアリスターは王太子の婚約者として相応しくないとも噂された。
そういった不満の声を黙らせるように、アリスターは試験になると学園に顔を出し、常に上位の成績を示し続けた。
これによりアリスターが優秀な令嬢であることは誰もが知ることになった。
レイドリックは、それもまた面白くなかった。
女子生徒たちを侍らせながら完璧な淑女として育ったアリスターを自分の後ろに控えさせる。
彼は学園ではそういう姿勢を周囲に見せつけるつもりだったのだ。
何よりも今のレイドリックには明確なアリスターに対する不満がある。
それは婚約当初にアリスターが家族の前で見せていた愛らしい態度を、彼が惚れ込んだその姿を、彼女が年々レイドリックに見せなくなっていったことだ。
アリスターは、より淑女らしく、未来の王妃らしく育っていった。
かつては天真爛漫だった少女は、もうレイドリックの前でも完璧な淑女としての態度や言葉使いしか見せない。
レイドリックの心を置き去りにしていくようなアリスターの成長、示される優秀さ。
彼の恋心は揺らぎ、失望や劣等感を抱いて、歪な形へと変わっていった。
「アリスター! お前は私の卒業記念パーティーにすら顔を出していないのか⁉」
壁の花にでもなっていないかと改めて声を上げて周囲を見渡す。
だが、やはりアリスターは姿を見せない。
彼女は婚約者であるレイドリックの卒業記念パーティーにすら出てこないのだ。
『そんな女は婚約破棄されて当然だ!』と。
レイドリックは裏切られたように感じ、苛立つ。
レイドリックは気を取り直すように、ある方向へ視線を向けた。
そこには彼をまっすぐに見つめる二人の女性が立っている。
一人は黒髪・黒目の女性。
もう一人はピンクブロンドの髪に赤い瞳をした女性だ。
どちらもこの二年間でレイドリックが特に親しくなった女子生徒たちだった。
黒髪の女子生徒はレーミル・ケーニッヒ男爵令嬢。
彼女は、レイドリックの側近たちを始め、高位貴族令息たちと仲睦まじく過ごしてきた女性だ。
ピンクブロンドの髪をした女子生徒はアリス・セイベル子爵令嬢。
彼女は、複数人の男子たちと絡むことはなかった。
ただし、婚約者のいるレイドリック相手には、ごく近くに平然とすり寄り、時には恋人のような親しさで話す姿をよく目撃されていた。
二人の女子生徒は共にレイドリックが会長を務める生徒会に参加している生徒だ。
どちらも下位貴族の令嬢でありながら高位貴族の令息など学園で特に人気の高い男性たちにすり寄る姿に、他の女子生徒たちから顰蹙を買っていた。
「改めて告げる。私はアリスター・シェルベルとの婚約を破棄する。そして!」
レイドリックが注目を引き付けてから再び口にする。
「この場で新しい婚約者を指名する!」
彼の視線の先には問題児である二人の女子生徒がいる。
誰もが『まさか……』と息を呑む。
あの二人のどちらかを次の婚約者に据えるつもりか、と。
レイドリックが二人の女子生徒に歩み寄っていく。
はたして、どちらに声をかけるのか。
黒髪の男爵令嬢レーミルは自信に満ち溢れたような顔でレイドリックを待った。
その顔は『自分が選ばれる』と思っていることは明白だ。
ピンクブロンドの子爵令嬢アリスは曖昧な表情で苦笑いを浮かべている。
どうしていいのかわからないというように。
それでもレイドリックを拒絶するでもない微笑を浮かべて彼女は大人しく立っていた。
そして、レイドリックが選んだ令嬢は。
「──アリス。どうか、私と結婚してほしい。私はキミのことを愛している。キミにも私のことを愛してほしい」
レイドリックが片膝を突いて愛を乞うたのはピンクブロンドの子爵令嬢アリスだった。
「なっ! なんでそいつなのよ⁉」
愛を乞われたアリスではなく、レーミルの方が声を荒らげる。
「レイドリック様! 騙されています! その女は!」
「私は何も騙されてなどいない。私が愛しているのは彼女、アリス・セイベルだけだ!」
「な……!」
レーミルがレイドリックの言葉に驚愕する。
男爵令嬢でありながら自分が選ばれないことが『ありえない』とでも言うかのような態度だ。
そして、レイドリックが選んだ女性アリスを鬼の形相をして睨みつける。
だが、レーミルはそれ以上の言葉を口にはしなかった。できなかったのだ。
身分や輝かしい将来性のある美形の男子生徒たちを狙い澄ましたように近づいて仲良くなってきたレーミルだが、大きな問題にはならないように慎重に見極めて振る舞ってきた。
それは彼女が『ある理由』でアリスターの動向を警戒していたからでもあった。
「アリス、私のプロポーズを受け入れてくれるかな?」
レイドリックが甘く囁き、情熱を帯びた視線を向ける。
その視線を受けてピンクブロンドの髪の令嬢アリスは本当に困ったような表情を浮かべていた。
「あの、レイドリック様。貴方のお話をあまり理解できなかったのですが」
「……うん?」
「まずプロポーズするのは……わかります。レイドリック様が私を選んでくれたことも」
「本当に?」
子爵令嬢に過ぎない身でありながら、王太子からの求婚を『わかる』と言うアリス。
その言葉にレイドリックは嬉しさを覚えて笑顔を浮かべた。
だが、彼女はさらに続ける。
「ですが、わからないことがありまして」
「わからない? 何がかな?」
「なぜ、アリスター様との婚約を破棄する必要があるのですか? その意味が理解できません」
彼女は下位令嬢である自分の分を弁えているのだろう。
それが、まさか未来の王妃になるはずのシェルベル公爵令嬢との婚約破棄宣言だ。
「アリスターは王妃に相応しくない。いや、私が愛した彼女ではなくなってしまったんだ……」
「……アリスター様がレイドリック様の愛した彼女ではなくなった?」
「そうだ。そのことを私に気づかせてくれたのは他の誰でもない。キミだ、アリス」
「私が、ですか?」
「ああ! 私はアリスの愛らしい笑顔に、自由な考え、そして行動力を好きになった。私が本当に愛しているのはアリスターじゃない。アリス、キミなんだ!」
情熱的な告白。その言葉は偽りではないと誰もが感じた。
確かに王太子レイドリックの愛は子爵令嬢アリス・セイベルに注がれている。
この場にいさえしない、赤髪の公爵令嬢アリスター・シェルベルにはレイドリックの愛を阻むことさえ許されない。
「……ありがとうございます。ですが」
感謝を返した彼女に喜色を浮かべるレイドリック。
だが、その高揚はすぐに否定された。
「もう一度尋ねます。レイドリック・ウィクター王太子殿下。貴方の婚約者はアリスター・シェルベル公爵令嬢です。シェルベル公爵令嬢との婚約を貴方は本当に破棄しますか? そのことを本当に望むのですか?」
「ああ! 私が妃に据えるのはキミだ、アリス」
「その言葉を、この場に居る皆さんの前で誓えますか? 王族として。かの令嬢との婚約破棄を」
アリスの言葉にざわめく周囲。
それは王太子であるレイドリックに致命的な言葉を言わせる誘導だ。
しかし、会場にいる人々は止めるに止められなかった。
「もちろんだ。王族として誓う。私はアリスター・シェルベルとの婚約を破棄し、アリス、キミを妃に願う!」
レイドリックは改めて宣言した。
取り返しのつかない言葉を。
誰かが王家や公爵家に伝えれば王家と公爵家が仲違いすることになるだろう。しかし。
誰もが『もしかしたら、このまま……?』と現状を傍観していた。
「私の真実の愛を受け入れてくれるかい? 愛しいアリス」
情熱的に本当に愛情を込めた目でレイドリックは再びアリスに愛を乞う。
返される言葉は当然『イエス』に違いないと誰もが信じた。
だが『彼女』の返した言葉は。
「──婚約破棄、承りました。レイドリック・ウィクター殿下」
「…………は?」
ピンクブロンドの子爵令嬢、アリス・セイベル。
彼女はそう答えた。
「何を? アリス……」
「私は『アリス』ではありませんよ、レイドリック殿下」
彼女は己の髪に手を伸ばし、パチパチと音を鳴らして小さな髪留めのような物を取る。
そして、自身の頭からその綺麗なピンクブロンドの髪を……外した。
「えっ⁉」
ピンクブロンドの『偽りの髪』がアリスの頭から取り外される。
隠されていた彼女の髪の色は薔薇のような深紅の赤色だった。
その赤髪が髪留めによってまとめられている。
彼女は着けていた髪留めを外して、長くウェーブがかった綺麗な赤髪を人々へと見せつけた。
「な……あ……え……。ま、まさか、そ、そんな」
「本当に残念な人ですね、レイドリック殿下。確かに化粧も変えていましたけど。私は瞳の色も、ましてや声も変えてはいませんのに」
その話し方は普段の快活な子爵令嬢、アリス・セイベルのものではなくなっている。
高位貴族の淑女然とした令嬢の態度と言葉だ。
そこに立っていたのはアリスではなかった。
「改めて申し上げます。私、アリスター・シェルベルはレイドリック・ウィクター殿下からの婚約破棄を承りました。私たちの婚約関係は今日で終わりですね、レイドリック殿下」
「あ、あ、アリス、ター? なぜ、なぜ……」
そう、アリスではなく公爵令嬢アリスター・シェルベルその人がそこに立っていたのだ。
「あ、アリスをどこへやったんだ⁉ まさか彼女を誘拐したのか⁉ いつ入れ替わった⁉」
「ふっ! 何ですか、それは?」
レイドリックの言葉に思わず吹き出してしまうアリスター。
まだ理解していないのかと笑ってしまう。
そもそも間違っているのだ、すべて、最初から。
「『アリス』は私ですよ、殿下。この二年間ずっと。最初からね?」
レイドリックはアリスターの言葉が理解できない。
いったい何を言われているのか、と。
「本当に困りました。私、この二年間もきちんと『婚約者として』殿下のそばにいて、仲睦まじく過ごせていたと思っていましたのに。まさか婚約破棄をされるだなんて、ねぇ?」
「え? は? はぁ……⁉」
ごく一部を除き誰もが啞然として彼女の姿に目を見開いている。
誰もが驚きを隠せない。
「あら? おかしなことですか? 皆さんも度々目撃していらしたでしょう? 私、アリスター・シェルベルが学園でも婚約者であったレイドリック殿下と仲睦まじく過ごしていたことを」
「なっ……。そ、それは……だから、アリスで……」
「アリス! うふふ。アリスは私の『愛称』ですよね、殿下。それに『セイベル子爵』は私が個人的に継ぐ爵位です。お父様であるシェルベル公爵が保有している爵位の一つ。ですから、ある意味で私は『セイベル子爵令嬢アリス』でもありますのよ?」
「なん……そんな、じゃあ、アリスが、アリスター……? なのか……?」
「ええ! そうです、レイドリック殿下。ずっとこの二年間そうなのです。私、国王陛下とお父様とお約束させていただきまして。子爵令嬢として学園では皆さんと接させていただきました。子爵令嬢の立場の方が、より皆さんの真なる姿を拝見できると思いまして。面白い取り組みでしたでしょう? この件は国王陛下も快く認めてくださいましたわ!」
国王が認めたこと、その言葉で誰もが彼女を糾弾する言葉を失った。
公爵令嬢が下位令嬢に扮しての学園生活をしていたという。
アリスの友人になった者もいれば、良くない接し方をしてしまった者もいる。
そのことに気づいて青ざめた顔になる者も多くいた。
「うふふ。ご安心くださいませ、皆さま。私は公爵令嬢を名乗っていなかったのですから。不当な行為はともかく高位貴族の者に対しての不敬だなんだは言いっこなしです」
周囲を安心させるような言葉、その振る舞いは子爵令嬢のそれではなく公爵令嬢のそれだ。
偽者ではない、彼女が本物のアリスター・シェルベルなのだ。
「私ね、レイドリック殿下は私の正体に気づいていると思っていましたの。だって婚約者だったのですから、ええ。だから、殿下はアリスを名乗る私と仲睦まじくしてくださっているのだと思っておりました。様々な方に誤解されてしまったけれど、殿下がわかってくれているなら、と。ですが、先程の婚約破棄でしょう? 殿下は私の正体に気づいていらっしゃらなかった。そして『私』に対して、一方的な婚約破棄をした。そのあとでどんなに情熱的に愛を語られましても、ねぇ? 百年の恋も冷めてしまうというものです」
ざわめきの収まらない一同。
絶句したまま、呆然として情報を処理し切れないレイドリック。
そこでアリスターはある人物に視線を向ける。
視線の先にいたのは黒髪の令嬢レーミルだ。
「……ふっ」
アリスターは見下すようにレーミルを嘲笑ってみせる。
いったい、なんのために彼女がこんな茶番を仕掛けたのか。
学園を、王太子を混乱させてまで。
アリスターが何をしたかったのかをレーミルだけが即座に理解した。
その微笑が自身への挑発であることも。
「あ、アンタ! ふ、ふざけないで! やっぱりアンタも私と同じ──!」
「そこまでだ」
掴みかかる勢いでレーミルはアリスターに向かって行こうとした。
だが、すぐに彼女の行く手を阻む男が現れる。
それはいつも『アリス』の近くに控えていた男子生徒だった。
「なっ……アンタ、なんなの、こいつのことを知っていて! いったい誰よ!」
レーミルは行く手を阻む、剣呑に睨みつけてくる男の視線にたじろぎ、勢いを削がれる。
「あら、彼の正体がおわかりじゃないの? レーミルさん、ふふ」
「なんですって?」
「彼は『ヒューバート』よ。ヒューバート・リンデル」
「ヒュー……あっ」
その名前を聞いて目を見開き、男を見据えるレーミル。
明らかにその正体について心当たりがある者の反応を示してしまう。
その様子を見てさらに微笑むアリスター。
「口を噤まないと、ね? 『知っていてはいけないこと』を男爵令嬢にすぎない貴方は知っていてはダメでしょう? 国家機密に関わることなんて知っているはずがない。私と違って」
レーミルの顔が屈辱で歪む。
完全に『してやられた』のだと痛感させられたのだ。
男爵令嬢にすぎない者として。これ以上の不用意な発言をすることはできなかった。
この場で生かされているのはアリスターの情けにすぎないこともレーミルは理解してしまった。
ここで下手を打てば、レーミルは反逆者として疑われてしまうのだ、と。
(悔しい! 悔しい、悔しい、悔しい……! こんなやり方で!)
レーミルは屈辱を噛み締めながらアリスターを睨むことしかできない。
(ヒューバート・リンデル! 『王家の影』、攻略対象の一人……! 本物の!)
レーミルが何を知っているのか、アリスターが何を把握しているのか。
それは二人以外の誰にも理解できない。
そうして、レイドリックの宣言から始まった騒ぎはアリスターの言葉で収められた。
「今後のお話しは陛下とお父様を交えて話しましょうか、レイドリック殿下」
「……アリス、ター」
この日、確かにアリスター・シェルベルはやり遂げた。
何をやり遂げたのか? それは。
「……これで破滅ルート回避、かな?」
そう呟いたアリスターだけが知っている。
『アリス』として過ごしてきた彼女、アリスター・シェルベルの計画。
そのすべてが始まったのは……彼女が王立学園へ入学する半年前のことだった。
※2026年6月11日に改稿しました。




