01 プロローグ 〜公爵令嬢アリスターの願い〜
「私、学園生活では自由に過ごしたいのです」
シェルベル公爵令嬢、アリスター・シェルベルは王宮のある一室で国王と父である公爵にそう訴えた。
部屋の中には今、アリスターと公爵、国王の3人だけであり、護衛や従者たちは部屋の外で待機している。
「自由……?」
「アリスター。何を言っているんだい?」
薔薇のような赤い髪と、深紅の瞳を持つ美しい公爵令嬢。
それがアリスター・シェルベル。
アリスターは、ウィクトリア王国の第一王子レイドリック・ウィクターの婚約者だ。
シェルベル公爵家の後ろ盾を得てレイドリックは王太子となっている。
2人の婚約が決まったのは、アリスターが12歳の頃。
それから彼女は公爵令嬢としての教育に加えて、王妃教育もこなしてきた。
そんな日々がもう3年過ぎて。
王立学園へと入学する15歳の時になって、アリスターは今日、このように内密に国王と父と話し合う機会を作った。
「今の私の、淑女然とした在り方は令嬢教育、そして王妃教育の賜物です」
「……そうだな」
「ですが、私は今の私のような『私』ではなかったことも、お二人はご存知でしょう? お父様は特に」
「それは……」
元々は天真爛漫な性格だったのがアリスターだ。
かつては元気いっぱいに、令嬢らしからぬ奔放さで周囲に笑顔を振りまいていた。
そんな彼女が今や、普段は表情を変えない淑女として完成された佇まいをしている。
それは、まぎれもなく彼女の努力の結果だった。
「ですから私。学園生活では淑女のようには過ごしたくありませんの。
と言っても大きく道を踏み外すのではなく、あくまで他家の令嬢と変わりない程度の一介の学生、ただの一人の令嬢として振る舞いたいのです。かつての私のように」
「……そんなことは」
出来ない、と。国王は言おうとした。だがアリスターは続ける。
「これは学生時代だけのお話ですわ、陛下。
若いのだから、道を踏み外す事もありますでしょう?
卒業すれば、今日まで私が見せてきたように淑女として振る舞ってみせますわ」
「いや。だが、王妃となる者が、そんな振る舞いを見せるなど」
「あら。その先を言ってもよろしいのですか? 陛下」
「……なに?」
「アリスター?」
少し挑発するような言葉に、彼女の意見を却下しようとしていた国王が反応し、口を噤む。
「陛下。公爵である父の前で明言していただけるのですか?
『若気の至り』など許しはしない、と。たとえ学生であろうと。
若いのだから。今だけだから。『許してやれ』などと決して言わない、と。
そう、父の前で明言していただけるのでしたら。
ええ。私、これまで通りに淑女の仮面を被って見せますわ」
「……何を言っている?」
挑発的にアリスターは、ニコリと微笑んで見せた。
「私に、学生だから、今だけだから、奔放に振る舞うことを許さないのであれば。
当然、レイドリック殿下の振る舞いも正してくださいますわよね?」
「そ、それは……」
アリスターの婚約者であるレイドリック第一王子は、彼女の一つ年上。
彼は既に王立学園に入学している。
学園には多くの貴族子女に、裕福な商人の子、難しい試験を通った平民の子らが在籍している。
男女変わらないほどの人数が通う王国一の学舎だった。
だからレイドリックの周りにも若い同年代の男女が居て。
王太子である彼は、いつも人に囲まれている。
婚約者がいると言っても王子に近付こうとする令嬢たちも、やはり沢山いて。
そんな生徒達を前にして、彼は。
「レイドリック殿下は、学園では随分と奔放に振る舞っていらっしゃるそうで」
「だ、誰からそんなことを……」
「誰からでもですわ。特に隠していらっしゃらないのですもの。私や公爵家でなくとも耳に入りますわよ」
国王はアリスターの言葉を聞いて、額に手を当てて冷や汗を流した。
「だ、だがレイドリックは不貞行為をしているワケではない。
学園にアリスターが通っていれば君を優先して……」
「恐れながら陛下」
手を挙げ、国王の言葉をアリスターは遮る。
不敬な行為でもあるが、この場は内密に整えた3人だけの場なため、誰も注意はしない。
「私はレイドリック殿下の不貞を責めたいわけではありません。
ただ、あまり紳士的な振る舞いではないことは陛下から忠告すべきとは思いますが……。
ですが、本題はそうではなく。
陛下が、王家が、レイドリック殿下の紳士らしからぬ奔放な振る舞いを許す方針であるならば。
私にも、それを許していただきたいだけなのです」
「まさか他の男子学生と親密になるということか!?
そんなことを未来の王妃になる者に許せるはずがない!」
「あら」
声を荒げた国王にアリスターは首をコテンと傾げてみせた。
「もしや、私が知らないだけでレイドリック殿下は、そのように他の女子学生と親密な関係になられていたのですか?」
「ち、違う! そんなことはない!」
「そうですか。はい。それはよろしいこと。どうか誤解なさらないでください。陛下」
「ご、誤解だと?」
アリスターは淑女の微笑みを浮かべて国王を見据える。
「男性と女性では……個人差はありますけれど……考え方が大きく違います。
当然、私だって不特定多数の男性と深い関わりになりたいなどと思いませんわ。
また、別に他の男性の、特定の誰かに強く興味を抱いているわけでもなく。
私は、この婚約関係自体に不満を抱いているわけではありませんの」
「そ、そう……なのか?」
「ええ。ですから、そういった男女の奔放な関係の話ではなく。
もっと『子供らしい』お願いをしていますのよ、陛下。それにお父様」
「子供らしい?」
国王と公爵は、互いに顔を見合せ、首を傾げた。
「ですから言っているではありませんか。『自由に過ごしたい』と。
何も、それがすぐに男女関係の乱れに直結するわけではありませんでしょう?
私をお疑いでしたら、学園に通う間は『王家の影』を常時つけていただいて構いませんよ。
ですから、これはそういった男女がどうの、不貞がどうのの話ではなく。
私が求めているのは、自由に、奔放に。
淑女らしからぬ、かつてのような、私らしい態度と振る舞いで過ごすことを咎めないでいただきたいだけなのです。
せめて学生で居る間は。レイドリック殿下と同じように、自由に。
お父様ならば、私のお話を分かっていただけるかと」
「……かつてのアリスターのように、か」
アリスターの訴えに公爵は、ほんの数年前の娘の姿を思い浮かべる。
それは王家との婚約が決まる前の、自然体の娘の在り方だった。
「ええ。自由だった、王妃教育で……まぁ、なんというか『仮面を被る前』の私に。
学生時代だけでも、あの頃のように元気で、自由でいたいのです。
男女の関係は、もちろん気をつけますわ。
そもそも別にその方面には興味もありません。
殿下との婚約も決まっている身なのですから。
その辺りは男性と女性の違いであり、私という個人の価値観ですわね。
……男性は、どうやら不特定多数の女性と関わりになるのが好みのようですが。
私、なぜかしら? むしろ、そうやって複数の異性に囲まれる状況に嫌悪感さえ抱きますの。
どうしてなのでしょう? 心当たりがございませんけれど」
そう言って微笑みながらも困ったように眉をひそめ、アリスターは国王に視線を向ける。
『私は』そうなのだけど、と。暗にレイドリックの振る舞いと、それを許容する王家を非難するように。
「いや……それは、その」
その視線を受けて、ばつが悪いように目線を逸らし、口籠る国王の脳裏には……学園に入学してからの自身の息子の振る舞いについての報告が浮かぶ。
アリスターが嫉妬心からレイドリックの行動を諫めて欲しいと訴えるなら、それこそ『男とはそういうものだ』『学生の内だけだから』『いずれ結婚するのだから大目に見るように』と彼女を諭すつもりだった。
だからアリスターの訴えに対してズレた反応を返してしまい、墓穴を掘る形になり、国王は気まずい思いをしている。
「しかし、アリスター。奔放に振る舞って学園での評判を落とせば、お前の将来の立場が危うくなる。
学園生活でも淑女として振る舞ってこそ皆に未来の王妃だと認められるのだぞ」
「そ、そうだ! だから、」
「ええ! ですからですわね! お2人には、良いご提案がありますの!」
これ以上、話の進まない国王をほぼ無視してアリスターは強引に話を先に進めた。
「今の私は、シェルベル公爵家の教育と、王妃教育もあって学園生活での授業など不要だと言っていいほどの学力がありますわ。
つまり今やもう、私は学園に通う必要がありません」
「まさか。学園に通わないと?」
「いいえ。学園には通います。ですが、その代わり……」
ニッとアリスターは無邪気に微笑む。
アリスター・シェルベルの訴え。
不貞とは言わないまでも、レイドリックの不誠実で紳士的でない振る舞いを知っているからこそ。
婚約関係に大きなヒビを入れるでもない、彼女の願いは聞き入れられることになる。
アリスター自らが自身に監視を付けることも望んだ。
『それならば』と国王も受け入れることとなる。
アリスターの願ったこととは……。